パリ講和会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パリ講和会議(パリこうわかいぎ、Paris Peace Conference)は、1919年1月18日に開会され、第一次世界大戦における連合国が同盟国の講和条件について討議した会議である。ベルサイユ宮殿で講和条約の調印式が行われたことから、ベルサイユ会議とも呼ばれているが、実際の討議のほとんどはパリのフランス外務省内で行われており、正しい呼称とは言えない(なお、調印式だけをベルサイユ宮殿で行った事の理由については、ベルサイユ条約を参照のこと)。
目次 |
[編集] 概要
第一次世界大戦は、1918年11月にウィルソンアメリカ合衆国大統領の14か条をドイツが受け入れたことで、休戦が成立した。本会議はそれを受けて上記の通り開かれたものである。
この会議で締結された諸々の条約および国際連盟については、それぞれの関連項目を参照のこと。
この会議ではアメリカ・イギリス・フランスが主導権を握り、敗戦国は会議から除外された。アメリカ大統領ウィルソンは、十四か条の平和原則を主張したが、これはイギリス・フランスによって、ほぼ無視された。
[編集] 日本の対応
会議は英米仏伊の四カ国に日本を合わせた計五カ国による「十人会議」が会議のほとんどを支配した。日本以外の四カ国は大戦中から戦略会議を開いていたという古い関係があり、ここに日本を加える予定は全くなかったのであるが、珍田捨巳駐英大使他の必死の奔走で辛くも日本代表を含ませることができたのであった。
日本の全権は政権与党である立憲政友会前総裁で元首相・元老でもある西園寺公望侯爵(個人的にもクレマンソーフランス首相とは親友であった)及び牧野伸顕らが任命されたが、会議では日本が「五大国」と称されながら、実際の発言力が低かった事で批判を浴びた。
[編集] 山東問題
日本は第一次世界大戦への参戦に際して、山東半島の旧ドイツ権益を奪取した。日本は同大戦中の対華21ヶ条要求を通じて、中華民国の袁世凱政権に対し、同権益の日本の継承を認めさせた。
一方、袁世凱政権自身も、幾分か名目的なものではあるものの、連合国の勝色が濃厚となった段階で同盟国側に対して宣戦布告をしており、この会議にあたって戦勝国としての待遇を求め、山東半島権益の返還を求めていた。 そして門戸開放政策を主張するアメリカも日本による権益の独占に反対しており、会議における争点の一つとなった。
結果としてはヴェルサイユ条約において日本は山東半島の旧ドイツ権益の継承は認められたものの、中国では五四運動が起こり、中国はこれを調印しなかった。またアメリカにおいては対日感情が悪化し、日系移民排斥にいっそう拍車がかかることになる。
[編集] 国際連盟の設立
ウィルソンアメリカ合衆国大統領の14か条によって提案されたもので、ヴェルサイユ条約によって成立した。しかし、アメリカ合衆国自身は、議会の反対により国際連盟に参加しなかった。
詳細については国際連盟の項を参照。
[編集] 日本の「人種差別撤廃案」
日本の代表団は国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を加えるよう提案、粘り強く交渉した。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。この提案にイギリスおよびオーストラリアは反対したが、日本全権団は人種差別撤廃に向け粘り強く交渉を続けた。そして1919年4月11日、日本代表団は国際連盟最終委員会において、国際連盟規約の前文に「各国の平等及びその国民に対する公正待遇の原則を是認し」との文言を盛り込むよう提案し、多数決により出席者16名中11名の賛成を得るに至る。しかし、議長であったアメリカのウィルソン大統領はこの案に反対、重要な議題については全会一致が必要であるとして日本の提案を退けた(外務省記録「人種差別撤廃」、『日本外交文書』大正7年第三冊および大正8年第三冊上巻)。
[編集] 結果と評価
ともあれ、この会議によって一連の関連条約が結ばれ、第一次世界大戦は終戦することになる。
これ以降ヨーロッパにおいてはヴェルサイユ体制と呼ばれる秩序が、第二次世界大戦前まで続くことになる。
[編集] ヴェルサイユ体制
この体制の維持には、ワシントン体制の維持と同様に社会システム論に基づく蝶番国家であるアメリカの経済が順調であることが必要条件であった。 具体的には、アメリカは
- ドイツに対して財政面、物資面での援助を行い、それを元にドイツは連合国に対して賠償金を支払い、アメリカが連合国からの戦債を回収する
- 軍事費に苦しむ日本に対して、融資を行うとともに軍備削減を要求する
というものである。
従って、ヴェルサイユ・ワシントン体制は1929年のアメリカの金融恐慌を機に崩壊していくことになる。
[編集] 関連項目
- 第一次世界大戦の講和条約
- ブレスト・リトフスク条約 - 中央同盟国対ロシア帝国
- ヴェルサイユ条約 - 対ドイツ帝国
- ヌイイ条約 - 対ブルガリア王国
- サン=ジェルマン条約 - 対オーストリア第一共和国(オーストリア・ハンガリー帝国)
- トリアノン条約 - 対ハンガリー王国(オーストリア・ハンガリー帝国)
- セーヴル条約 - 対オスマン帝国
- 国際連盟
- ヨーロッパにおける民族自決 (1920年)
カテゴリ: 第一次世界大戦 | 1919年 | 歴史関連のスタブ項目