マリンジャンボ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリンジャンボ(Marine Jumbo)は、全日本空輸(ANA)のスペシャルマーキング機の嚆矢ともいえる存在で、クジラと海の生き物の仲間を機体一杯にユーモラスに描き、マスコミでも盛んに取り上げられた。1993年(平成5年)から約1年半の間、国内線定期便の運用に組み込み、日本全国の空港を交互に訪問する形態を取った。
目次 |
[編集] 概要
全日本空輸が創設以来の乗客数累計5億人突破を記念し、1992年(平成4年)12月から2か月にわたり、一般からスペシャルマーキングを募集した所、最優秀作として機体一杯にクジラの姿をユーモラスに描き、その他海の生き物をあしらった形の千葉県の小学校6年生の女子児童(当時)の作品が選ばれた。多少修正を加えながらもイメージは忠実に活かし、新規に受領した機体ボーイング747-400D(登録記号:JA8963)機にそのペイントが施され、海の生き物をあしらった事から全日空は「マリンジャンボ」と名づけ、1993年9月12日の羽田-札幌間のフライトを皮切りに、1年半という期間限定ながらフライトを開始した。
羽田を拠点に定期運航に組み込まれる形で日本各地の空港を訪問、ほぼ1空港1か月で訪問先を交替、というサイクルが組まれ、時刻表上でもどのフライトに同機が割り当てられるか一目で分かる工夫も取られていた。また、関連グッズも多数発売され、こちらの売れ行きも好調、加えてこのスペシャルマーキング機が訪れる空港は見物人が大挙して押しかける、等々社会的にも大きな影響を及ぼし、航空不況と言われていた時代に、全日空にとってこの「マリンジャンボ」は国内線の乗客増にも貢献するヒット作となった。
しかし、ボーイング747-400Dでは離着陸できる空港が限定されており、小規模な地方空港からも同種のスペシャルマーキング機の訪問を望む声が出てきたため、ボーイング767-300(登録記号:JA8579)に同種のペイントを施し、「マリンジャンボJr.」としてこちらはローカル空港への訪問を主目的とした運航が組まれる事となり、12月1日に羽田-富山線に初就航。2機揃った「クジラの親子」は好評のうちにスケジュールを消化していった。
当初は「マリンジャンボ」「マリンジャンボJr.」とも新規導入から1年5ヶ月後の1995年(平成7年)1月末をもって、整備期に合わせて一般塗装に戻される予定だったが、阪神・淡路大震災発生による山陽新幹線・山陽本線不通の影響もあって全日空が全社を挙げて機材のフル稼働を余儀なくされ、そのしわ寄せで一般塗装への変更も大幅に延期、結局は同年5月末までその雄姿を披露する事となった。ただし当初の運航予定が完了し、また震災直後の世情に配慮という事情もあったからか、時刻表上の注記は2月からは消滅している。
1995年5月末をもって全運航を終了し、JA8963・JA8579とも整備時に一般塗装へ変更され外見上は「普通の全日空機」に戻ったが、機内入口にそれぞれ「マリンジャンボ」「マリンジャンボJr.」としての功績を記念するプレートが取り付けられ、華やかに飛行した時期をささやかながら後世に伝える形となっている。
[編集] サービス
海をイメージした機内にすべく、座席の色やカバーもマリンブルーで統一された。また、ドリンクサービスに供されるカップも対象機限定のクジラのイラスト入りであり、搭乗記念に機体写真入り絵葉書を配布したり、といったサービスも展開した。客室乗務員も機内サービスの際「マリンジャンボ」のデザインをあしらった特製のエプロンを着用したり、といった徹底ぶりであった。
[編集] 影響、その他
- 全日空自体もこの時のスペシャルマーキングの試みが、その後の「スヌーピー号」や「ポケモンジェット」に多分に影響している。
- また、この時期に合わせ、日本航空(JAL)もディズニーのキャラクターを機体にあしらった「JALドリームエクスプレス」という特別塗装機を就航させていた。
- 日本ではあまり話題には上らなかったが、アメリカのサウスウエスト航空では「マリンジャンボ」以前からシャチのペイントを施したボーイング737機を運航している(現在も継続中)。こちらはカリフォルニア州サンディエゴ等米国内数ヶ所に存在する水族館・シーワールドのPR用としてのものだが、一見類似した印象がある。
- その後、全日空の子会社であるエアーニッポン(ANK)もボーイング737の機体をイルカに見立てた特別塗装機「アイランドドルフィン」を運航した。
- この時期、鉄道車両でも同機の影響と見られる特別塗装の車両が登場している。