ルーカス・セベリーノ
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ルーカス(Lucas Severino、1979年1月3日 - )は、ブラジル出身でFC東京所属のサッカー選手。ポジションはフォワード。身長183cm・体重75kg。FC東京での背番号は9。
得点力こそ高くないが、安定したポストプレイ、豊富な運動量でチームの為に戦える選手。守備意識も高く、前線からのフォアチェックも欠かさない真面目さが特徴。
“キング・オブ・トーキョー”アマラオの後継ブラジル人ストライカーという周囲の期待の大きさ(応援歌もカルチャー・クラブの「カーマは気まぐれ」が引き継がれる)と、ストライカーとしてトップの位置でプレーしたいという自身のこだわりからか、来日最初の2年間はやや精彩を欠いたが、来日3年目の2006年にガーロ監督によりトップ下にコンバートされ、31試合に出場し18得点と来日以来最高の成績を残す。
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[編集] 試合中に脳震盪
2005年J1第24節横浜F・マリノス戦の後半ロスタイム、味方のジャーンと激突し、脳震盪で意識不明の状態に陥る事態が起きた。この際ピッチ上ではFC東京のドクターだけでなく対戦相手だった横浜F・マリノスのドクターも応急処置に当たりピッチ上で点滴などの処置が施された。ピッチに救急車も入れられ、ルーカスが病院に向かった後、試合は再開されたが、両チームの選手がプレイできる精神状態に無く、審判はその場で打ち切りを判断。スコアもその時点では0-0であったため、そのまま試合を終了した(一部報道では当該試合のゲームキャプテンだった東京・土肥洋一と横浜・中澤佑二が話し合いの上で試合打ち切りを審判に進言したとされる)。しかしルーカスはその後意識を取り戻し、約1ヵ月後の試合で復帰した。この影響で翌日実施予定だったJサテライトリーグの同一カード(横浜-東京戦)も中止、順延された。
[編集] トピックス
シドニーオリンピック・ブラジル代表メンバーで、日本代表とも対戦経験あり。なお日本戦では、中田浩二に怪我をさせてしまった。
2005年シーズンは夏以降無得点だったこともあり、翌年の契約は結ばない形でブラジルに帰国。しかしチームの外国人補強が失敗に終わったことにより、急遽再契約。結果は先述の通りである。
[編集] 経歴
- ボタフォゴFC(ブラジル) 1995年 - 1997年
- アトレチコ・パラナエンセ(ブラジル) 1998年 - 2000年
- レンヌ(フランス) 2000年 - 2002年
- クルゼイロ(ブラジル) 2002年
- コリンチャンス(ブラジル) 2003年
- レンヌ(フランス) 2003年
- FC東京(日本) 2004年 -
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2004年 | FC東京 | J1 | 9 | 27 | 11 | - | |||||
2005年 | FC東京 | J1 | 9 | 30 | 7 | - | |||||
2006年 | FC東京 | J1 | 9 | 31 | 18 | - | |||||
2007年 | FC東京 | J1 | 9 | 1 | 2 | - | |||||
通算 | 89 | 38 | - |
[編集] 代表歴
- U-23ブラジル代表
- 2000年 シドニーオリンピック
[編集] 外部リンク
- WEBサッカーマガジン - インタビュー(2004年8月11日)
FC東京 - 2007 |
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1 土肥洋一 | 2 茂庭照幸 | 3 エバウド | 4 八田康介 | 6 今野泰幸 | 7 浅利悟 | 8 藤山竜仁 | 9 ルーカス | 10 ワンチョペ | 13 平山相太 | 14 馬場憂太 | 15 鈴木規郎 | 16 池上礼一 | 17 金沢浄 | 18 石川直宏 | 19 伊野波雅彦 | 20 川口信男 | 22 塩田仁史 | 23 梶山陽平 | 24 赤嶺真吾 | 25 徳永悠平 | 26 小山泰志 | 27 栗澤僚一 | 28 鈴木健児 | 29 吉本一謙 | 30 森村昂太 | 31 阿部伸行 | 33 小澤竜己 | 34 権田修一 | 35 リチェーリ | 37 福西崇史 | 監督 原博実 | クラブ | |
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