梶山陽平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
梶山陽平(かじやま ようへい、1985年9月24日 - )は、東京都江東区出身でFC東京所属のサッカー選手。ポジションは攻撃的ミッドフィールダーまたは守備的ミッドフィールダー。
目次 |
[編集] 経歴
FC東京U-15、U-18出身。Jリーグデビューは2003年4月29日のヴィッセル神戸戦で、当時高校3年生。コンスタントに試合に出場するようになったのは翌2004年からで、主にトップ下でプレー。リーグ戦初ゴールは2004年9月の東京ヴェルディ1969戦で記録、同年Jリーグ優秀新人賞を受賞。その後怪我に苦しんだが、2005年7月にレギュラーを掴み、以降守備的MFの位置で常時先発している。
年代別日本代表としてはU-17時代から中心選手として活躍。 2005年オランダで行われたワールドユースにも怪我明けながら3試合に出場した。
[編集] プレースタイル
その特徴は、なんといってもボールキープ力。一見鈍重そうに映るが、ひとたびボールを持つとのらりくらりと優雅に敵をかわし、決定的なラストパスを通す。その要因は日本人離れしたフィジカルにある。足が長く懐が深いため、相手選手は中々飛び込めず、また強引に取りに行こうとしても殆ど倒れそうな無理な体勢から目の覚めるようなパスを繰り出すこともある。また強烈なミドルも特徴で、彼のゴールは記憶に残る鮮烈なものが多い。例として2004年ナビスコカップ・鹿島アントラーズ戦の決勝点や、同年のジェフユナイテッド市原・千葉戦の同点弾などが挙げられる。
課題としては、守備的MFとしての運動量の少なさが挙げられる。試合によって調子の波が激しく、消えている時間帯も多い。また彼のボールキープをチームメイトが信頼しすぎるあまり、ひとたびボールを失うと一気に決定的ピンチに陥りやすいことも弱点である。
ともあれ、これまでの日本の中盤選手とは一線を画す特徴を持った選手で、各方面からの期待も高く、その将来を嘱望されている。
[編集] 所属クラブ
- FC東京U-15 1998年 - 2000年
- FC東京U-18 2001年 - 2003年
- FC東京 2004年 -
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2003年 | FC東京 | J1 | 34 | 3 | 0 | - | |||||
2004年 | FC東京 | J1 | 23 | 16 | 2 | - | |||||
2005年 | FC東京 | J1 | 23 | 26 | 2 | - | |||||
2006年 | FC東京 | J1 | 23 | 30 | 3 | - | |||||
2007年 | FC東京 | J1 | 23 | - | |||||||
通算 | 75 | 7 | - |
- 2003年はFC東京U-18所属
[編集] 代表歴
- U-20日本代表
- 2005年 FIFAワールドユース選手権
[編集] トピックス
- 2004年8月、スペインで行われたデポルティーボ・ラ・コルーニャとの親善試合に出場、決勝ミドルを叩き込む。その試合を観戦した現地ジャーナリストのヘスス・スアレスはサッカー雑誌のコラムで梶山を「ミカエル・ラウドルップの様だ」と絶賛。「今すぐリーガ・エスパニョーラで通用する選手」と断言した。
- FC東京前監督原博実は彼を「日本のバレロンになれる選手」と評す。たまに「日本のジダン」とも言う。それだけ期待している証拠である。
- FC東京サポーターの中には、難易度の高いプレーを飄々と成功させる彼のテクニックを(いい意味で)「変態」と称している人も多い。
FC東京 - 2007 |
---|
1 土肥洋一 | 2 茂庭照幸 | 3 エバウド | 4 八田康介 | 6 今野泰幸 | 7 浅利悟 | 8 藤山竜仁 | 9 ルーカス | 10 ワンチョペ | 13 平山相太 | 14 馬場憂太 | 15 鈴木規郎 | 16 池上礼一 | 17 金沢浄 | 18 石川直宏 | 19 伊野波雅彦 | 20 川口信男 | 22 塩田仁史 | 23 梶山陽平 | 24 赤嶺真吾 | 25 徳永悠平 | 26 小山泰志 | 27 栗澤僚一 | 28 鈴木健児 | 29 吉本一謙 | 30 森村昂太 | 31 阿部伸行 | 33 小澤竜己 | 34 権田修一 | 35 リチェーリ | 37 福西崇史 | 監督 原博実 | クラブ | |