平山相太
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平山 相太(ひらやま そうた、1985年6月6日 - )は、福岡県北九州市出身でFC東京所属のサッカー選手。ポジションはフォワード。長崎県立国見高等学校卒業。
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[編集] 経歴
小学校2年の頃よりサッカーを始め、当時より抜きん出た体格と素質を示す。高校サッカーの名門、国見高校に入学後もエースとして活躍。3年時の11月には、2003年の20歳以下のワールドカップである、ワールドユース・UAE大会の日本代表に1年代下から抜擢され、予選リーグ最終戦・エジプト戦で決勝トーナメント進出を決める貴重な決勝点を挙げるなど、4試合2得点。その後、12月〜1月に行われた第82回全国高校サッカー選手権では大会前から注目を集め、長崎県代表・国見高の中心選手としてゴールを量産。大会史上初の2年連続得点王を引っさげ、アテネオリンピックアジア最終予選の日本代表に高校生として唯一選抜された。
高校卒業後は、Jリーグだけでなくヨーロッパの強豪クラブからも誘いが来ていたものの、国見高校の恩師小嶺忠敏総監督(当時)のアドバイスもあり全てのオファーを断って2004年4月に筑波大学に進学。この行動は関係者の間で賛否両論を呼んだ。
2004年2月8日開催の国際親善試合(キリンチャレンジ)・U-23イラン戦でU-23日本代表初先発し初ゴールを挙げる。同年8月、史上最年少の19歳2ヶ月でアテネオリンピックに出場。ただ、実際プレーしたのは、後半途中出場した予選リーグ初戦・パラグアイ戦の16分間のみで、チームも1勝2敗で決勝トーナメント進出はならなかった。
2005年6月には、自身2度目のワールドユース・オランダ大会に主力メンバーとして出場し、チームの成績は振るわなかったものの1得点を挙げる。
2005年7月、オランダリーグの強豪・フェイエノールトの練習生として短期留学。その後8月にこのシーズンから1部入りしたヘラクレスに3年間契約で入団することが決まり、筑波大学を休学する事になる。
2005年8月20日、オランダでのデビュー戦となったデン・ハーグ戦は後半途中から投入。出場から2分後、味方のフリーキックから頭で押し込みプロ初ゴールを挙げ、その後コーナーキックの折り返しを再び頭で合わせて2点目をもぎ取る。デビュー戦でチームを逆転勝利に導いた。同年11月20日には、RBC戦で見事な個人技からのボレーシュートを決め、現地のサッカー番組の中でベストゴールにノミネートされた。2005-06シーズンは途中出場も多い中、チーム最多の8ゴールを挙げる活躍だった。
2006年1月27日、FIFAが選出する「ベスト・ヤング・プレーヤー・オブ・ワールドカップ2006」にノミネート。4月30日には、サッカーに専念するため、休学中であった筑波大学を自主退学。プロサッカー選手としてのキャリアに専念することとなった。オフにはポジション争いをしていたタメルスの放出によりさらなる飛躍が期待されたが、欧州の移籍期限終了後の9月5日、所属していたヘラクレスを「ホームシック」を理由に突然退団。退団の際の代理人探しは母親が奔走したとのこと。ただその母親はプレーに対して苦言を呈するなど、時折親としての厳しさを見せている。
日本に帰国後にはJの複数のチームからオファーが殺到。「Jリーグと学業の両立」・「試合に出られるクラブ」を条件に絞込み、9月10日、FC東京に加入が決まった。しかし、ヘラクレス側は平山のこの行動を不服とし、「説明が無い限り(公式戦出場に必要な)国際移籍証明書を発行しない。」という声明を発表したが、期限前に証明書は発行され、無事に2006年のJリーグに出場できる運びとなった。またオファーが殺到したことに対して「ホームシックで解雇されたような選手が争奪戦になるのは日本サッカーのレベルの低さを露呈している」と揶揄されたり、国際移籍証明書がなかなか発行されず、日本サッカー協会が締め切り期限を1日延長したことで、たった1人の選手ために期限を延ばすのかという声が上がったりもした。
海外経験を期待される反面、帰国理由への不安など様々な意味で大きな注目を集めた。9月30日の対アルビレックス新潟戦でJリーグデビュー(スタメン出場)したが、体調管理不足による動きの悪さ、運動量の少なさなど多数の指摘を受けた。だが翌日になると800万円相当のBMW車を購入する。その自他共に認める“遊び人”という一面も重なってか、サッカーに対する熱心さ、直向さが足りないのではと揶揄されるなど多方面から多くの課題を提示される苦いスタートとなった。
10月7日の対名古屋グランパス戦で初ゴールを挙げた。ゴール後、スポンサーの三井住友海上の看板を蹴り壊し、クラブに損害請求される珍事が起こった。本人曰く「あんな簡単に壊れるとは思わなかった」。後にインタビューで推定15万円を払ったと暴露した。
10月25日、国立競技場で行われた対U-21中国代表との親善試合では、終始動きが鈍くプレーに精細を欠きながらも、後半にキーパーと交錯したボールを手で押し込み、ゴールを決め、相手チームの監督からはマラドーナスタイルにやられてしまったと揶揄された。
11月下旬に髪の毛を赤に染めた。だが、赤は浦和レッズのクラブカラーとして定着しており、更に間の悪いことに、染めたのが浦和戦の直前だった事から、これを見た倉又監督は呆れ顔だったと各紙で報じられた。
[編集] プレースタイル
日本人離れした190cm超の長身で精度の高いヘディングシュートが最大の武器。並の身長の選手なら届かない位置のボールをトラップし、前線で攻撃の基点を作るポストワークも得意とする。しかし、FWとしては致命的なスピード不足が弱点で、運動量もそれほど多くない。そのため、味方は平山の高さを生かそうと必然的にロングボール主体の攻撃に終始するため、「平山がいると戦術プランが崩壊する。」と言われることも。
[編集] エピソード
- 国見高校から付き合いがあるアビスパ福岡の中村北斗は親友で公私ともに親交がある。身長差がかなりあるためデコボココンビとして有名。
- FC東京の練習中に鼻の穴に指を突っ込んでいたところをスポーツ紙の取材カメラが撮影し掲載。それ以来、匿名掲示板などでハンカチ王子にちなんで、ハナクソ王子というあだ名がつけられたと、写真を掲載した同じ新聞社が報じた[1]。
- 好きな女性のタイプは年上でサッカーを知らない人、芸能人だと相田翔子が理想らしい。
- 2月に都内で自動車の運転中に携帯電話を操作する姿が写真誌に撮影される。この行為がJリーグ新人研修で交通安全に関する研修も行った直後だったことから問題となる。これを受け所属チームであるFC東京から厳重注意を受けた[2]。
[編集] 代表歴
- 2002年 U-18日本代表 一次予選(6得点)
- 2002年 U-19日本代表 AFCユース・カタール大会(準優勝)
- 2003年 U-20日本代表 FIFAワールドユース・UAE大会(ベスト8)
- 2003年 U-22日本代表 アテネ五輪アジア最終予選(6試合中5試合出場)
- 2004年 U-23日本代表 アテネオリンピック (グループリーグ敗退)
- 2004年 U-19日本代表 AFCユース・マレーシア大会(3位)
- 2005年 U-20日本代表 FIFAワールドユース・オランダ大会(ベスト16)
- 2006年 U-21日本代表
[編集] 所属クラブ
- 田原小学校(日本)
- 田原中学校(日本)
- 国見高校(日本)2001年 - 2003年
- 筑波大学(日本)2004年 - 2005年
- ヘラクレス(オランダ)2005年 - 2006年
- FC東京(日本)2006年 -
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | リーグカップ戦 | カップ戦 | |||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2005-2006 | ヘラクレス | エールディビジ | 9 | 32 | 8 | ||||
2006年 | FC東京 | J1 | 39 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2007年 | FC東京 | J1 | 13 | ||||||
通算 | 39 | 10 |
[編集] 平山世代
平山相太を筆頭に同年代の選手(増嶋竜也、カレン・ロバート、水本裕貴など)を総称して、『平山世代』と呼ばれている。
[編集] 外部リンク
- FC東京公式サイト
- (平山相太ファンサイト)Sota
- Sota Hirayama - Unleash The Dragon (ファンサイト。オランダ語、英語)
[編集] 脚注
- ^ 出典:「平山バッシングに“どM”本領…「ハナクソ王子」も」、2006年11月24日付、『ZAKZAK』、夕刊フジ
- ^ 出典:「2/16(金)発売雑誌「フライデー」内の記事について」、2006年2月16日付、『FC東京オフィシャルホームページ』、FC東京
FC東京 - 2007 |
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1 土肥洋一 | 2 茂庭照幸 | 3 エバウド | 4 八田康介 | 6 今野泰幸 | 7 浅利悟 | 8 藤山竜仁 | 9 ルーカス | 10 ワンチョペ | 13 平山相太 | 14 馬場憂太 | 15 鈴木規郎 | 16 池上礼一 | 17 金沢浄 | 18 石川直宏 | 19 伊野波雅彦 | 20 川口信男 | 22 塩田仁史 | 23 梶山陽平 | 24 赤嶺真吾 | 25 徳永悠平 | 26 小山泰志 | 27 栗澤僚一 | 28 鈴木健児 | 29 吉本一謙 | 30 森村昂太 | 31 阿部伸行 | 33 小澤竜己 | 34 権田修一 | 35 リチェーリ | 37 福西崇史 | 監督 原博実 | クラブ | |
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