ヴィルヘルム・バックハウス
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ヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus, 1884年3月26日ライプツィヒ - 1969年7月5日フィラッハ)はドイツのピアニスト。ウィルヘルムとも表記される。
[編集] 略歴
- 幼い頃から母親にピアノの手ほどきを受け、7歳で入学したライプツィヒ音楽院でアロイス・レッケンドルフに、その後にフランクフルトにてオイゲン・ダルベールに師事した。
- 1900年、16歳の時デビュー(最初のコンサートツアーを行う)、その後も生涯にわたりツアーを行った。
- 1905年、パリのルビンシュタイン音楽コンクールのピアノ部門に出場し優勝。2位はベラ・バルトークで、自分の人生をピアニストとして描いていたバルトークはかなり落胆したようである。
- 1930年にルガーノに移住し、1946年スイスに帰化した。
- 1954年に来日。
- 1969年6月26日と6月28日、アルプス・シュティフト教会のこけら落しのコンサート(後に「ケルンテンの夏」と命名される音楽祭の前身になる)に迎えられ、26日のコンサートは無事終了したが、28日のコンサートで、ベートーヴェン作曲のピアノソナタ第18番の第3楽章を弾いている途中心臓発作を起こし、一度控えに戻った。医師団に「これ以上演奏を続けては良くない」と勧告されたのだが、彼は明らかに気分が悪そうであるのにもかかわらずその忠告を退け、後半のプログラムを一部変更して何とかコンサートを終了。しかしその7日後の7月5日に死去。彼が最後に弾いた曲はシューベルトの即興曲・作品142-2であった。
[編集] 人物・エピソード
- ベーゼンドルファーのピアノを好んで使用した。彼は旧西ドイツでのコンサート以外ではベーゼンドルファーしか弾かなかったとも言われている。
- 若い頃は、「鍵盤の獅子王」と呼ばれ、卓抜な技巧を生かしたスケールの大きい演奏で有名だった。晩年にはベートーヴェンやブラームスなどを主なレパートリーとして演奏活動をおこなった。
- 特に、彼が70歳を迎える前後にステレオ音源で(29番のみモノラル)収録されたベートーヴェンのピアノソナタ全集と、ピアノ協奏曲全集(ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮)は、ベートーヴェンファン、もしくはクラシックファン、更には現代のベートーヴェン弾きのピアニストにとって伝説的名演奏となっており、クラシック界の宝と言えるだろう。
- また、室内楽奏者としても賞賛されていた。
- しばしば10歳年下の指揮者カール・ベームと共演を重ねており、ブラームスやモーツァルトなどの協奏曲で名録音を残しているが、ある記者にベームについて尋ねられたところ「彼は若いが、ブラームスを良く演奏する」と答えたという。
- ある時記者がバックハウスに余暇の過ごし方や趣味について尋ねたが、バックハウス曰く「暇な時はピアノを弾いていますが。」