亘理町
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亘理町(わたりちょう)は、宮城県の南部、阿武隈川の河口に位置している。産業は、生産高の順位では、第三次産業が主だが土地利用面では、農用地が47.5%を占め農業、田園都市である。
東北地方としては、比較的温暖な気候を利用し、果樹・花卉栽培が盛んであり、イチゴが名産である。近年郷土料理であったはらこ飯が全国放送されるなど脚光を浴びている。
隣接する山元町と合併に向けて協議中であったが、決裂した。現在新しく名取市、岩沼市、亘理町、山元町との合併案が県から出ている。
目次 |
[編集] 地理
- 山: 阿武隈山脈最北端に位置し四方山(274m)、黒森山(255m)、愛宕山(185m)、三門山(みつもんやま)(205m)、七峰山(ななうねさん)(124m)と北上し阿武隈川に達する。
- 河川: 阿武隈川、鐙川、舟入川
- 年間の平均気温は12.5℃、年間降水量は1,224mm。
[編集] 鳴き砂
- 2006年6月汽水湖の鳥の海東側から南の吉田浜にかけて全長3kmに及ぶ鳴き砂(なりすな・なきすな)の存在が確認された。国内最大級の規模で、明成高等学校と仙台市の早川紘之により同時発見されたもので今後の保全が待たれる。
[編集] 歴史
- 日本書紀巻七「日本武尊の遠征」で「葦の浦」「玉の浦」を経て日高見へ至るという記述があり、葦の浦が亘理であるといわれている。(ちなみに玉の浦は、岩沼市玉浦・仙台空港付近、日高見は北上川流域をいう)
- 亘理の名の由来としては、川の「渡し」が「渡り」となり、それが「亘理」となったとされている。
- 718年続日本記に曰理郡とありこれが、文献にある亘理の初見である。
- 1056年頃、藤原経清亘理権大夫と称し、亘理郷地方を所領。
- 1190年源頼朝により、千葉胤盛亘理に封ぜられる。(後に亘理氏となる)。
- 1602年伊達政宗の一門である伊達成実が現亘理町に館を構えて、統治を行う。
- 1870年亘理伊達一門北海道開拓のため移住。人口減少。
- 1889年4月1日 亘理町、荒浜村、吉田村、逢隈村が設置される。
初代首長は、亘理町・斉藤源吉、荒浜村・斉藤定一、吉田村・真柳善四郎、逢隈村・斎藤多吉。 - 1943年4月29日 荒浜村が町制施行。
- 1965年2月1日 亘理町、荒浜町、吉田村、逢隈村が合併し、現在の亘理町となる。
[編集] 行政
- 新制町下の首長
- 初代 玉田 清
- 2代 山田 周蔵
- 3代 武田 伸郎
- 4代 山形 勝治
- 5代 深田 伊三郎
- 6代 竹澤 一雄
- 7代 伊藤 敏夫
- 現職 斎藤 邦男
[編集] 第四次総合計画
- 2006年度より10ヶ年計画で総合発展計画を策定した。基本理念は「暮らしやすさNO.1」である。
[編集] 経済
[編集] 産業
- 主な産業
生産高は、第三次産業が多数を占めるが、土地利用状況は農業が中心。特にイチゴの生産で出荷量が東北地方1位。またリンゴの生産で出荷量が宮城県1位である。工業は地場食品加工業と自動車関連企業の立地が進捗している。
- 地場産品
- 産業人口(2005年12月)
- 第一次産業2036人11.7%--第二次産業5751人33.1%--第三次産業9593人55.2%
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
[編集] 地域
[編集] 健康
- 安心して生涯を託せる「保健福祉のまちづくり」をめざす。
[編集] 教育
- 生涯学習体制と学校教育の充実を指向。
[編集] 小学校
町立小学校6校
[編集] 中学校
町立中学校4校
- 亘理中学校
- 荒浜中学校
- 吉田中学校
- 逢隈中学校
吉田中学校は、文部科学省が推進する「学力向上フロンティア」指定校(フロンティアスクール)である。
[編集] 高等学校
県立高校1校
他に幼稚園2園(私立)。
[編集] 交通
[編集] 空港
- 仙台空港を利用することになる。
[編集] 鉄道路線
[編集] 道路
- 宮城県道10号塩釜亘理線
- 宮城県道14号亘理大河原川崎線
- 福島県道・宮城県道38号相馬亘理線
- 宮城県道52号亘理村田線
- 宮城県道122号亘理停車場線
- 宮城県道123号荒浜港今泉線
- 宮城県道224号吉田浜山元線
- 宮城県道269号亘理インター線
[編集] 乗合自動車
- 民営路線バスはないが町民乗合自動車「さざんか号」を亘理町商工会が町の委託を受け運行している。運行ルートは次の下記の通りである。
- 荒浜線 亘理駅前~保養センター前
- 南北・サニータウン線 水塚~中原
- 高須賀線 保養センター~高須賀北
- 北部循環線 亘理駅~逢隈駅~今泉~亘理駅
- 南部循環線 亘理駅~吉田浜~亘理駅
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 出身有名人
[編集] 郷土料理
[編集] 町民憲章
「みどり豊かなすみよい田園都市をつくるため」以下の憲章をさだめている。
- 一、汗して働き、ゆとりある豊かな町をつくる。
- 一、自然を生かし、美しい町をつくる。
- 一、きまりをまもり、助け合う明るい町をつくる。
- 一、すすんでまなび、郷土を護る文化の町をつくる。
- 一、希望にみちた、活力のある伸びゆく町をつくる。
公式には、町をつくりましょうという呼びかけ表現をとっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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