佐藤純彌
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佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年11月6日 - )は、日本の映画監督、脚本家。
かつては、佐藤 純弥の表記も用いられた。東京都出身。東京府第一中学(現・日比谷高校)、東京大学文学部卒業。現在は東京都西東京市在住であり、2000年より地元で開催されている西東京市民映画祭の審査委員長を6年連続で務めている。
息子は、テレビドラマ『ごくせん』『マイ★ボス マイ★ヒーロー』等の演出で知られる日本テレビ・ディレクターの佐藤東弥。
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[編集] 経歴
終戦後の1956年に東映へ入社し、『宇宙快速船』(1961年)で特撮作品に助監督として参加。1963年『陸軍残虐物語』(主演:三国連太郎)で監督デビュー。『魔法使いサリー』では佐藤純弥名義でアニメ作品の脚本を担当した。1968年には、TBS系列で放送された人気アクションドラマ『キイハンター』の主題歌『非情のライセンス』(作曲:菊池俊輔、歌:野際陽子)の作詞も務めている。
1968年に東映を退社後は、ヤクザ映画を中心に監督を担当。1975年の監督作『新幹線大爆破』は公開当初の興行成績は芳しくなかったが、後年レンタルビデオなどで人気作となった。
以降、『人間の証明』『未完の対局』『おろしや国酔夢譚』『男たちの大和/YAMATO』等の大作を監督。70歳を過ぎた現在でも第一線の映画監督として活躍している。『新幹線大爆破』はヨーロッパで、『君よ噴怒の河を渉れ』は中国で大ヒット。『未完の対局』はモントリオール国際映画祭でグランプリを獲得するなど、海外での評価も高い。
[編集] 評価
『敦煌』で第12回日本アカデミー賞最優秀作品賞、同監督賞を受賞するなど全般的には高い評価を得ているが、1997年の監督作『北京原人 Who are you?』は、日本映画史上に残る「迷作」として語られることが多い。テレビでは、東映で製作していた、キイハンターや、Gメン75が有名で、深作欣二や鷹森立一らとともに、メインで監督を務めた。Gメンでは深作とともに構成も担当。60年代から70年前後にかけてやくざ物で多く監督してきたが、70年代中盤からは、スケールの大きい大作を多く手がけるようになり、2006年現在でもその手の作品で腕を振るっている。テレビのGメンにもそのような雰囲気がある。 60年代から活動している監督の中で、寡作にならずコンスタントに作品を発表できておりなお現存している数少ない監督の一人であろう。
[編集] 主な作品
[編集] 監督
[編集] 映画
- 陸軍残虐物語(1963年、東映東京)
- 廓育ち(1964年、東映東京)
- 愛欲(1966年、東映東京)
- 組織暴力(1967年、東映東京)
- 続組織暴力(1967年、東映東京)
- 荒野の渡世人(1968年、東映東京)
- やくざと抗争(1972年、東映東京、兼脚本)
- ゴルゴ13(実写版)(1973年、東映東京)
- 新幹線大爆破(1975年、東映東京、兼脚本)
- 君よ噴怒の河を渉れ(1976年、大映、兼脚本)
- 人間の証明(1977年、角川春樹事務所)
- 野生の証明(1978年、角川春樹事務所)
- 未完の対局(1982年、「未完の対局」製作委員会)
- 人生劇場(1983年、東映京都、兼脚本)
- 植村直己物語(1986年、東宝配給、兼脚本)
- 敦煌(1988年、東宝配給、兼脚本)
- おろしや国酔夢譚(1992年、東宝配給、兼脚本)
- 私を抱いてそしてキスして(1992年、東映東京)
- 北京原人 Who are you?(1997年)
- 男たちの大和/YAMATO(2005年、東映、兼脚本) 他
[編集] テレビドラマ
- キイハンター(1968年~1973年、TBS系)
- Gメン'82(1982年~1983年、TBS系)
- Gメン'93春 第一級殺人の女(1993年、TBS系)
- Gメン'75スペシャル2 東京-北海道トリック殺人事件(2001年、TBS系、兼脚本)
- 金融腐蝕列島〔再生〕(2002年、BS-i、兼脚本) 他