日本アカデミー賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本アカデミー賞(にっぽんアカデミーしょう)は、日本アカデミー賞協会が主催する日本の映画賞である。
テレビの普及によって1950年代後半以降、観客減少に悩まされた映画関係者らが、邦画界の活性化のため、アメリカのアカデミー賞を模し、その「暖簾分け」という形で設立し、1978年に初開催された。
創設の数年前から松竹の故城戸四郎会長らがその種のイベント開催を模索していたが、資金面での見通しが立たず難航。その後、電通が音頭を取り、放送局に日本テレビを斡旋、邦画大手4社と業界関係者らの協力により、わずか3ヶ月間で第1回開催にこぎつけている。
(映画評論家の水野晴郎は、自身が発案し、日本テレビのプロデューサーに持ちかけて実現させたと語っているが、真相は不明。)
運営費の主要財源は、各映画会社の分担金や授賞式の放映権料である。
同趣旨の映画賞に、英国アカデミー賞がある。フランスのセザール賞もアカデミー賞を参考に創設されたものだが、「暖簾分け」の形式は採っていない。
日本アカデミー賞は国内の他の多くの映画賞とは異なり、作品賞・監督賞・脚本賞・俳優賞のみならず、技術部門賞も設けている。
目次 |
[編集] 賞の概要
賞の選出は、日本アカデミー賞協会会員の投票によって行われる。
日本アカデミー賞協会は、日本国内の映画関係者によって構成される。会員は1980年12月末時点で約1200人だったが、2007年時点では4000~5000人に達している。
選考の対象となる作品は、前々年12月から前年12月までに東京都内で公開された映画。かつては前年の1月から12月までだったが、本家アカデミー賞の開催が3月下旬から2月下旬に繰り上がったのと時を同じくして、賞の開催時期を早め、それに伴い対象となる作品の公開期間も前倒しした。
授与される賞は、正賞が15部門あり、その他に新人俳優賞などがある。正賞の優秀賞(ノミネートに当たる)と新人俳優賞は、投票(協会員全員)により選ばれ、そのうち正賞については優秀賞受賞の中より最優秀賞が投票(協会員全員)により選ばれる。
[編集] 正賞
- 作品賞
- 監督賞
- 脚本賞
- 主演男優賞
- 主演女優賞
- 助演男優賞
- 助演女優賞
- 音楽賞
- 撮影賞
- 照明賞
- 美術賞
- 録音賞
- 編集賞
- 外国作品賞
- アニメーション作品賞(2007年度から新設)
[編集] その他の賞
正賞以外の以下に示す賞の中で、協会特別賞のみがブロンズ像が与えられる。
- 新人俳優賞
- 協会特別賞
- 話題賞(作品・俳優) - 「オールナイトニッポン話題賞」(「オールナイトニッポン」のリスナーによる投票にて決まる。)
- 会長特別賞
- 会長功労賞
- 協会栄誉賞
[編集] 権威と問題点
日本アカデミー賞は、映画業界自身が選出する映画賞としての特別の意義を持つと同時に、 スタッフ部門賞を設けている映画賞としての希少性も有している。 国内の映画賞の中では新しく立ち上げられた映画賞だが、 授賞式の場で初めて最優秀賞を公表するイベント性を持ち、 それを可能にしている、主催者である日本アカデミー賞協会の影響力もあって、 近年、映画業界においてその地位を向上させつつある。
賞を選出する日本アカデミー賞協会は、映画監督や俳優といった人々も含むものの、その三割が日本映画製作者連盟(映連)加盟会社、すなわち松竹、東宝、東映、角川映画(旧・大映)の四社とその系列企業の社員によって構成されている。そのため、優秀賞を選ぶ時点で、上記四社の製作あるいは配給した作品が有利になり、その他の映画会社の手による作品が選ばれるチャンスが低いとされる。 ノミネート選出の時点から、アカデミー会員による総投票方式だが、主要映画館でのフリーパスの特権が与えられているとは言え、 約5000人の会員が、必ずしも主要な作品の全てを見ているというわけではない。それゆえ、少数の選考委員による審査方式の映画賞と違い、一定以上の興行収入を残していないことには、そもそも会員による評価の対象にすらならないと考えられる。 よって単館系公開など、小規模上映の作品は不遇を強いられることになる。 また、国内映画賞のとり(主任)を務める日本アカデミー賞は、既に結果の出ている他の主要映画賞の選考結果から 影響を受けていることも間違いない。 映画業界の人間に強い影響力を持つ、実績が大きく認知度の高い監督やその作品、俳優らに受賞が 偏重してしまう傾向が強いこと、 大衆的な支持を集めると同時に、内容上も高評価を残した作品が主要部門賞を一方的に独占してしまいがちな点は、 総投票方式の大きな特徴にもなっており、賞が立ち上がった古くから、早くも正賞の独占が頻発している。 なお、アニメ作品は長らく冷遇されており、優秀作品賞にはノミネートすらされなかったが、 他の映画賞に正当に評価され作品賞を獲得してきた実績が実り、ようやくノミネート・最優秀賞受賞という結果を生み出した。 しかし本家のアカデミー賞がアニメ部門を創設したことにならい、独立部門としてアニメーション作品賞が誕生することとなった。
日本アカデミー賞創設当初に懸念されていた問題は、映画内容の評価とは関係のない、単なる人気投票の映画賞になってしまうのではないかというものだったが、作家性の強い作品や、社会性・芸術性に傾斜した作品が不利になる側面はあるにせよ、 明らかな駄作・凡作と看做された作品は、いくら興行的に成功しても最優秀賞を受賞するケースはなく、 実態としては、内容的に良質性を追求すると同時に、十分な興行成績も残し、芸術とビジネスを両立できた作品が 高く評価される性格の映画賞になっていると言える。
[編集] 授賞式の放送
日本アカデミー賞は、放映権を有する日本テレビが第1回(78年)から一貫してその模様を中継している。当初は地上波で生中継していたが、その後、録画と生放送の組み合わせによる放送となっている。
また1980年(第3回)の「オールナイトニッポン話題賞」の設立後は、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)が特別番組を組んで授賞式の模様を深夜に録音で中継している。
日本テレビ(地上波)での放送は、第1回は4月6日(木)19:00-20:54の中継、第2回は4月7日(土)19:30-20:54枠に新設された「土曜スペシャル」での中継、第4回から2月(木曜)開催に繰り上がり、第12回から3月開催で「金曜ロードショー」(21:00-22:54)特別企画として放送、第17回から「木曜スペシャル」(19:00-20:54)枠、第18回から土曜21:30-23:24(第20回は21:20-23:24)となるなど曲折を経て、第21回以降はミニ番組(21:00-21:03)後の「金曜ロードショー」(21:03-21:54)枠での放送に落ち着いている。
BS日テレでは第25回(02年)から、授賞式の第1部(技術各部門の最優秀賞及び新人賞・話題賞の顕彰)の模様が、生中継されるようになった。(第25回は16:25-18:00、第26回~28回は16:00-18:00、第29回は17:00-19:00の各放送枠。第30回の生中継は無し。)また地上波放送翌日、翌々日などに地上波放送の録画再放送、拡大再放送による完全版の放送が行われることもある。第29回(06.03.03)は翌日(17:00-19:00)に地上波再放送、3月19日(14:30-17:24)に3時間バージョンを放送、第30回(07.02.16)は3月10日(16:30-19:00)に2時間15分版を放送している。
CS日本の日テレプラス&サイエンスでは、第29回から授賞式の模様を放送しており、技術部門賞や地上波完全版などの放送は、今日ではBSではなくCSチャンネルでの扱いがメインになってきている。第29回(06.03.03)は、3月21日(14:00-16:00)に地上波再放送、3月11日(15:30-18:30)に3時間バージョン、3月30日(15:00-18:00)に3時間バージョン再放送、第30回(06.02.16)は、2月25日(16:30-19:50)に3時間15分版、3月17日(17:00-20:20)に3時間15分版の再放送、3月4日(18:00-20:00)に地上波再放送、3月28日(26:00-28:00)に地上波再放送(2回目)が行なわれた。
[編集] エピソード
- 1979年(第2回)前回、高額だと一部で批判も出た4万円のパーティー入場券を8千円に大幅値下げ。
- 1981年(第4回)黒澤明が『影武者』(1980年)での優秀賞受賞を、「権威のない賞は認められない」(表向きの理由は「スケジュールの都合」)として辞退、同作品の出演俳優、スタッフもその意向を尊重して全員ノミネート辞退。授賞式司会の山城新伍がその対応を「すでに権威がある賞は受け取るくせに、これから映画人が育てていこうとしている賞は『権威が無いからいらない』なんて言う人物が受賞しなくてよかった」と批判。『影武者』辞退の恩恵もあり、製作・配給が独立系の『ツィゴイネルワイゼン』が最優秀作品賞を受賞。
- 1985年(第8回)独立系製作の『お葬式』(配給:ATG 日本アート・シアター・ギルド)が最優秀作品賞受賞。
- 1991年(第14回)第4回で『影武者』でのノミネートを辞退した黒澤明が、『夢』での作品賞・監督賞ノミネートを受諾したものの無冠に終わる。
- 1992年(第15回)黒澤明『八月の狂詩曲』、作品賞・監督賞などにノミネートされるも撮影・証明・美術・録音部門など技術部門の受賞にとどまる。
- 1996年(第19回)独立系製作の『午後の遺言状』(配給:日本ヘラルド映画)が最優秀作品賞受賞。
- 1997年(第20回)『Shall we ダンス?』が史上最多の13冠を獲得。
- 1998年(第21回)『もののけ姫』がアニメとして初めて作品賞にノミネートされ、最優秀作品賞に。
- 1999年(第22回)ベネチア映画祭グランプリ受賞の北野武作品『HANA-BI』が、『愛を乞うひと』に惨敗、久石譲の音楽賞受賞のみにとどまった。翌日のスポーツ紙の見出しは「たけし一冠の終わり!」だった。
- 2002年(第25回)高倉健が『ホタル』での優秀主演男優賞を、「後輩の俳優に道を譲りたい」として辞退。
- 2004年(第27回)実写興収記録を更新した『踊る大捜査線 THE MOVIE2』が、授賞式中継解説の脚本家市川森一の強い支持を受けていたが、無冠に終わる。
- 2005年(第28回)『世界の中心で、愛をさけぶ』出演の長澤まさみが、すべての部門中で史上最年少となる17歳での最優秀助演女優賞受賞。
- 2006年(第29回)『パッチギ!』(シネカノン)で授賞式に望んだ井筒和幸が、『ALWAYS 三丁目の夕日』に完敗し、その後日本アカデミー賞に対する批判を繰り返した。
- 2007年(第30回)『武士の一分』の木村拓哉が、「優秀賞のほかの皆さんと最優秀賞を競わせたくない」とのジャニーズ事務所の意向により優秀主演男優賞を辞退。(明白な理由によるノミネート辞退は史上初)また、フラガール(製作・配給:シネカノン)が製作・配給ともインディペンデント系としては『ツィゴイネルワイゼン』(第4回)以来の最優秀作品賞を受賞した。
[編集] 日本アカデミー賞歴代受賞作品
回 | 年 | 最優秀作品賞 | 最優秀主演男優賞 | 最優秀主演女優賞 | 最優秀助演男優賞 | 最優秀助演女優賞 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1978年 | 『幸福の黄色いハンカチ』 (山田洋次) |
高倉健 (幸福の黄色いハンカチ /八甲田山) |
岩下志麻 (はなれ瞽女おりん) |
武田鉄矢 (幸福の黄色いハンカチ) |
桃井かおり (幸福の黄色いハンカチ) |
2 | 1979年 | 『事件』 (野村芳太郎) |
緒形拳 (鬼畜) |
大竹しのぶ (事件) |
渡瀬恒彦 (事件) |
大竹しのぶ (事件/聖職の碑) |
3 | 1980年 | 『復讐するは我にあり』 (今村昌平) |
若山富三郎 (衝動殺人 息子よ) |
桃井かおり (神様のくれた赤ん坊/もう頬づえはつかない) |
菅原文太 (太陽を盗んだ男) |
小川眞由美 (配達されない三通の手紙/復讐するは我にあり) |
4 | 1981年 | 『ツィゴイネルワイゼン』 (鈴木清順) |
高倉健 (動乱 /遥かなる山の呼び声) |
倍賞千恵子 (遥かなる山の呼び声 /男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花) |
丹波哲郎 (二百三高地) |
大楠道代 (ツィゴイネルワイゼン) |
5 | 1982年 | 『駅 STATION』 (降旗康男) |
高倉健 (駅 STATION) |
松坂慶子 (青春の門/男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎) |
中村嘉葎雄 (陽炎座/ラブレター /仕掛人梅安/ブリキの勲章) |
田中裕子 (北斎漫画/ええじゃないか) |
6 | 1983年 | 『蒲田行進曲』 (深作欣二) |
平田満 (蒲田行進曲) |
松坂慶子 (蒲田行進曲/道頓堀川) |
風間杜夫 (蒲田行進曲) |
小柳ルミ子 (誘拐報道) |
7 | 1984年 | 『楢山節考』 (今村昌平) |
緒形拳 (楢山節考/陽暉楼 /魚影の群れ) |
小柳ルミ子 (白蛇抄) |
風間杜夫 (陽暉楼/人生劇場) |
浅野温子 (陽暉楼/汚れた英雄) |
8 | 1985年 | 『お葬式』 (伊丹十三) |
山崎努 (お葬式/さらば箱舟) |
吉永小百合 (おはん/天国の駅) |
高品格 (麻雀放浪記) |
菅井きん (お葬式/必殺! THE HISSATSU) |
9 | 1986年 | 『花いちもんめ』 (伊藤俊也) |
千秋実 (花いちもんめ) |
倍賞美津子 (生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言 /恋文/友よ、静かに瞑れ) |
小林薫 (恋文/それから) |
三田佳子 (Wの悲劇/春の鐘) |
10 | 1987年 | 『火宅の人』 (深作欣二) |
緒形拳 (火宅の人) |
いしだあゆみ (火宅の人/時計 Adieu I'Hiver) |
植木等 (祝辞 /新・喜びも悲しみも幾歳月) |
原田美枝子 (火宅の人/国士無双/プルシアンブルーの肖像) |
11 | 1988年 | 『マルサの女』 (伊丹十三) |
山崎努 (マルサの女) |
宮本信子 (マルサの女) |
津川雅彦 (マルサの女/夜汽車) |
かたせ梨乃 (極道の妻たちII/吉原炎上) |
12 | 1989年 | 『敦煌』 (佐藤純彌) |
西田敏行 (敦煌) |
吉永小百合 (つる-鶴-/華の乱) |
片岡鶴太郎 (異人たちとの夏 /妖女の時代) |
石田えり (嵐が丘/ダウンタウン・ヒーローズ/華の乱) |
13 | 1990年 | 『黒い雨』 (今村昌平) |
三國連太郎 (釣りバカ日誌/利休) |
田中好子 (黒い雨) |
板東英二 (あ・うん) |
市原悦子 (黒い雨) |
14 | 1991年 | 『少年時代』 (篠田正浩) |
岸部一徳 (死の棘) |
松坂慶子 (死の棘) |
石橋蓮司 (公園通りの猫たち/浪人街 /われに撃つ用意あり) |
石田えり (釣りバカ日誌2/釣りバカ日誌3/飛ぶ夢をしばらく見ない) |
15 | 1992年 | 『息子』 (山田洋次) |
三國連太郎 (釣りバカ日誌4/息子) |
北林谷栄 (大誘拐) |
永瀬正敏 (息子/喪の仕事) |
和久井映見 (就職戦線異状なし/息子) |
16 | 1993年 | 『シコふんじゃった。』 (周防正行) |
本木雅弘 (シコふんじゃった。) |
三田佳子 (遠き落日) |
竹中直人 (シコふんじゃった。 /死んでもいい) |
藤谷美和子 (女殺油地獄/寝盗られ宗介) |
17 | 1994年 | 『学校』 (山田洋次) |
西田敏行 (学校/釣りバカ日誌6) |
和久井映見 (虹の橋) |
田中邦衛 (学校 /子連れ狼 その小さき手に /虹の橋) |
香川京子 (まあだだよ) |
18 | 1995年 | 『忠臣蔵外伝四谷怪談』 (深作欣二) |
佐藤浩市 (忠臣蔵外伝 四谷怪談) |
高岡早紀 (忠臣蔵外伝 四谷怪談) |
中井貴一 (四十七人の刺客) |
室井滋 (居酒屋ゆうれい) |
19 | 1996年 | 『午後の遺言状』 (新藤兼人) |
三國連太郎 (三たびの海峡) |
浅野ゆう子 (藏) |
竹中直人 (EAST MEETS WEST) |
乙羽信子 (午後の遺言状) |
20 | 1997年 | 『Shall we ダンス?』 (周防正行) |
役所広司 (Shall we ダンス?) |
草刈民代 (Shall we ダンス?) |
竹中直人 (Shall we ダンス?) |
渡辺えり子 (Shall we ダンス?) |
21 | 1998年 | 『もののけ姫』 (宮崎駿) |
役所広司 (うなぎ) |
黒木瞳 (失楽園) |
西村雅彦 (ラヂオの時間) |
倍賞美津子 (うなぎ) |
22 | 1999年 | 『愛を乞うひと』 (平山秀幸) |
柄本明 (カンゾー先生) |
原田美枝子 (愛を乞うひと) |
いかりや長介 (踊る大捜査線 THE MOVIE) |
麻生久美子 (カンゾー先生) |
23 | 2000年 | 『鉄道員 (ぽっぽや)』 (降旗康男) |
高倉健 (鉄道員(ぽっぽや)) |
大竹しのぶ (鉄道員 (ぽっぽや)) |
小林稔侍 (鉄道員(ぽっぽや)) |
岸本加世子 (菊次郎の夏) |
24 | 2001年 | 『雨あがる』 (小泉堯史) |
寺尾聰 (雨あがる) |
吉永小百合 (長崎ぶらぶら節) |
佐藤浩市 (ホワイトアウト) |
原田美枝子 (雨あがる) |
25 | 2002年 | 『千と千尋の神隠し』 (宮崎駿) |
窪塚洋介 (GO) |
岸惠子 (かあちゃん) |
山崎努 (GO) |
柴咲コウ (GO) |
26 | 2003年 | 『たそがれ清兵衛』 (山田洋次) |
真田広之 (たそがれ清兵衛) |
宮沢りえ (たそがれ清兵衛) |
田中泯 (たそがれ清兵衛) |
北林谷栄 (阿弥陀堂だより) |
27 | 2004年 | 『壬生義士伝』 (滝田洋二郎) |
中井貴一 (壬生義士伝) |
寺島しのぶ (赤目四十八瀧心中未遂) |
佐藤浩市 (壬生義士伝) |
深津絵里 (阿修羅のごとく) |
28 | 2005年 | 『半落ち』 (佐々部清) |
寺尾聰 (半落ち) |
鈴木京香 (血と骨) |
オダギリジョー (血と骨) |
長澤まさみ (世界の中心で、愛をさけぶ) |
29 | 2006年 | 『ALWAYS 三丁目の夕日』 (山崎貴) |
吉岡秀隆 (ALWAYS 三丁目の夕日) |
吉永小百合 (北の零年) |
堤真一 (ALWAYS 三丁目の夕日) |
薬師丸ひろ子 (ALWAYS 三丁目の夕日) |
30 | 2007年 | 『フラガール』 (李相日) |
渡辺謙 (明日の記憶) |
中谷美紀 (嫌われ松子の一生) |
笹野高史 (武士の一分) |
蒼井優 (フラガール) |
[編集] 歴代授賞式司会者
1998年から関口宏が9年連続で男性司会を務めている。女性司会者は1999年以降、前年の最優秀主演女優賞受賞者が務めている。
回 | 年度 | 男性 | 女性 |
---|---|---|---|
1 | 1978年 | 岡田真澄 土居まさる |
|
2 | 1979年 | 宝田明 平田昭彦 |
|
3 | 1980年 | 山城新伍 | |
4 | 1983年 | 山城新伍 | |
5 | 1982年 | 山城新伍 | |
6 | 1983年 | 山城新伍 | 石田えり |
7 | 1984年 | フランキー堺 | 沢田亜矢子 |
8 | 1985年 | 武田鉄矢 | 高倉美貴 |
9 | 1986年 | 武田鉄矢 | 壇ふみ |
10 | 1987年 | 武田鉄矢 | 名取裕子 |
11 | 1988年 | 武田鉄矢 | 斉藤由貴 |
12 | 1989年 | 武田鉄矢 | かたせ梨乃 |
13 | 1990年 | 西田敏行 | 島田陽子 |
14 | 1991年 | 高島忠夫 | 古手川裕子 |
15 | 1992年 | 高島忠夫 | 田中好子 |
16 | 1993年 | 高島忠夫 | 松坂慶子 |
17 | 1994年 | 高島忠夫 | 南野陽子 |
18 | 1995年 | 高島忠夫 | 三田佳子 |
19 | 1996年 | 西田敏行 | かたせ梨乃 |
20 | 1997年 | 西田敏行 | いしだあゆみ |
21 | 1998年 | 関口宏 | 浅野ゆう子 |
22 | 1999年 | 関口宏 | 黒木瞳 |
23 | 2000年 | 関口宏 | 原田美枝子 |
24 | 2001年 | 関口宏 | 大竹しのぶ |
25 | 2002年 | 関口宏 | 吉永小百合 |
26 | 2003年 | 関口宏 | 岸惠子 |
27 | 2004年 | 関口宏 | 宮沢りえ |
28 | 2005年 | 関口宏 | 寺島しのぶ |
29 | 2006年 | 関口宏 | 鈴木京香 |
30 | 2007年 | 関口宏 | 吉永小百合 |