前川清
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前川 清(まえかわ きよし、1948年8月19日 - )は演歌歌手、ムード歌謡歌手である。長崎県佐世保市松山町出身。 長崎南山高等学校卒業。
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[編集] 来歴
1968年、「内山田洋とクール・ファイブ」にリード・ヴォーカリストとして参加。1969年2月5日、『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。「噂の女」(1970年)、「そして、神戸」(1972年)、「中の島ブルース」(1975年)、「東京砂漠」(1976年)など、国民レベルのヒット・ナンバーを数多く世に残した。
クールファイブの一員だった時代の初期は、常に澄まし顔で斜に構え、ほとんどしゃべらないという冷たい二枚目キャラクターだった。だが'70年代半ばに萩本欽一がフジテレビ「欽ちゃんのドンとやってみよう!」のレギュラーに起用。二枚目キャラの裏側に隠れていた大ボケな個性を引き出し、お笑いの才能も広く認められるようになった。なお前川は後に、初期のクールキャラも「欽ドン!」時代の朴訥な大ボケキャラも「演技だった」と告白している。
以降、歌手としてはもちろん「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」や前述の「欽ドン!」といったバラエティ番組のコントでも活躍。「欽ドン!」では萩本欽一と“コント54号”を結成していた。現在でも梅沢富美男とのコンビでテレビや舞台でコントを繰り広げることがある。
1987年、クールファイブ脱退によりソロ活動を本格的に開始。大物歌謡シンガーとして、揺るぎない評価を獲得している。現在では珍しくなった直立不動の基本姿勢からなされる揺るぎのない発声と176cm(公式)という比較的長身、安定した節回しの底に潜む情熱的な表現力が持ち味。
1971年に藤圭子と結婚したが翌年に離婚している。「欽ドン!」出演時('70年代後半)、萩本欽一が「会わせたい人がいる」と前川を一人置いて舞台からいなくなった後に、何の前触れもなく前妻の藤が登場したことがある。それまでボケキャラ(演技)で客席を沸かせていた前川だったが、いきなり藤と二人きりにされたため、真顔に戻って絶句してしまった。
1995年の紅白歌合戦出場時には、同年1月の阪神・淡路大震災追悼の意味もこめて「そして、神戸」を歌った。
若い時期は演歌や歌謡曲だけではなく、欧米のポップスやロックも好きで歌っていたと言われる。ソロ活動では坂本龍一が作曲したソロデビュー曲「雪列車」や井上大輔が作曲した「フィクションのように」など、ポップス色を出した曲も歌うようになった。
1997年にニッポン放送「福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ」にゲスト出演した際、前年の紅白歌合戦で歌い大きな反響があった「抱きしめて」にリクエストが殺到、この時同郷の福山に曲制作を依頼、2002年発売の「ひまわり」でコラボレーションが実現した。なお、このCDのジャケット写真も福山が撮影している。結果、この曲はヒットして、同年の紅白歌合戦でその曲を披露している。
2004年の紅白歌合戦ではゴスペラーズをバックコーラスに「そして神戸」を熱唱、その後ゴスペラーズが「ミモザ」を歌う前にはMCで「前川清がゴスペラーズに入って『ロクペラーズ』だ」とジョークを飛ばした。
マイクを片手に、一本立ちで歌う姿が特徴的であるが、Mr.Childrenの桜井和寿は、「一本立ちであれだけの表現力を持っているところは尊敬に値する」とラジオ番組で語っていた。後に、雑誌のアンケートでも「自分の書いた曲を歌ってほしい人」という質問に対し「前川清さん」と書いている。
2006年の紅白歌合戦出場時は、同年11月逝去したクールファイブのリーダーだった内山田洋を追悼、久々にクールファイブのメンバーと揃いデビュー曲の「長崎は今日も雨だった」を歌唱した。
2007年3月11日のNHKのど自慢チャンピオン大会でゲスト歌唱の際、司会の宮本隆治が「氷川きよしの一剣」と言うところを「前川清の一剣」と言い間違えたことを逆手に取り、「せめて今夜だけは」を歌い終えると「氷川きよしでした!」と言って笑いをとった。
[編集] 主なヒット曲
- 長崎は今日も雨だった(1969.2.5発売)
- 逢わずに愛して(1969.12.5発売)
- 愛の旅路を(1970.4.5発売)
- 噂の女(1970.7.5発売)
- 愛のいたずら(1970.10.5発売)
- 港の別れ唄(1971.7.25発売)
- この愛に生きて(1972.3.15発売)
- 恋唄(1972.7.25発売)
- そして、神戸(1972.11.15発売)
- 北ホテル(1975.4.25発売)
- 中の島ブルース(1975.8.5発売)
- 東京砂漠(1976.5.10発売)
- 西海ブルース(1977.2.5発売)
- さようならの彼方へ(1978.5.25発売)
- 昔があるから(1978.12.10発売)
- Last Song(1980.3.21発売)
- 魅惑・シェイプアップ(1980.9.25発売)
- 雪列車(1982.10.21発売) ソロ第一作
- 恋さぐり夢さぐり(1984.8.21発売)
- 花の時・愛の時(1987.2.21発売) クールファイブ独立第一弾
- 涙(1988.2.21発売)
- 愛がほしい(1988.10.21発売)
- 男と女の破片(1991.7.21発売)
- 夢一秒(1992.6.19発売)
- 別れ曲でも唄って(1993.5.21発売)
- 終着駅長崎(1995.7.21発売)
- 抱きしめて(1996.4.24発売)
- 明日に(1999.7.23発売)
- ひまわり(2002.6.5発売)
[編集] 出演映画
- ルパン三世 念力珍作戦 1974年 東宝 監督 坪島孝
- にっぽん美女物語 女の中の女 1975年 松竹 監督 渡辺祐介
- 暴走パニック大激突 1976年 東映 監督 深作欣二
- 美女放浪記 1977年 松竹 監督 渡辺祐介
- トラック野郎熱風5000キロ 1979年 東映 監督 鈴木則文
- ピーマン80 1979年 東宝 監督 居作昌果、岡雄二
- 元祖大四畳半大物語 1980年 にっかつ 監督 曽根中生、松本零士
[編集] 主な出演ドラマ
[編集] 主な出演番組
- 「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(フジテレビ、1975~80)
- 「8時だョ!全員集合」(TBS、1969~85) ゲスト出演
- 「ふるさと皆様劇場」(NHK、1998~)
[編集] 主な所有競走馬
(1997年より名義は前川企画に引き継がれている)
- ヒゼンホクショー(2002年東京オータムジャンプ勝ち馬)
- コイウタ(2005年京王杯2歳ステークス(GII)3着、2006年デイリー杯クイーンカップ(GIII)優勝馬、2006年桜花賞(GI)3着)