ドリフ大爆笑
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ドリフ大爆笑(ドリフだいばくしょう)は、イザワオフィス制作により、フジテレビ系列で放送されたコント番組。
1977年から『火曜ワイドスペシャル』で原則として月1回ペースで放送され、火曜ワイドスペシャル終了後の1998年(『強力!木スペ120分』)から2003年までは年1~2回ペースで放送されてきた。
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[編集] 概要
ザ・ドリフターズがゲストのアイドル、タレントらとコントを繰り広げるお笑い番組。TBS系で放送されていた『8時だョ!全員集合』が生放送でのであるのに対し、当番組はスタジオでの収録。アメリカのコメディー番組に倣い「あーっはっはっ!」、「ぎゃーっはっはっ!」といった中年女性の迫力ある笑い声の効果音(シットコムと同じ要領。同じフジテレビオレたちひょうきん族でも同様に使われた)を事後に挿入していた(ただし後述の公開コントは除く)ことは有名で、この特徴的な笑い声こそがドリフ大爆笑の最大の特徴とも言える。
前身番組として同放送枠で1975年10月7日から1976年3月23日まで『ドリフの昭和大爆進』、同年6月8日から11月30日まで『ドリフのバカ笑い大爆進』が放送された(大爆笑と同様に月1回放送)。
ドリフお得意の練りに練ったコントが楽しめる番組として人気を博していたが、いかりや・高木・仲本と、加藤・志村の2グループに分かれて別々のコントが頻繁に目立ち、お互いに共演することがなくなったため(特にいかりやと志村については88年~93年までの約5年間、共演がなかった)ドリフ内部での不和が噂された。
また、80年代中~後半から志村けんと加藤茶とのコンビでのコントでお色気コントが増え、AV女優を出演させるなど女性の裸が登場するネタが多くなる。お色気コントの路線が、フジテレビ系『志村けんのバカ殿様』、『志村けんのだいじょうぶだぁ』やTBS系『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』に受け継がれる。
1993年の春のスペシャル版で5年ぶりに5人全員が揃ったのを口火に、翌年からは久々の全員コントが復活。以降、視聴者からのリクエストコントのコーナーとして、かつての名コント(サービス過剰な銭湯・消灯ラッパコント・卒業式でいかりやが金品を奪われるコント等)を放送。
1995年には笑いと歌の20年というサブタイトルが付き、『全員集合』名物の「少年少女合唱隊」も復活したが、かつての名物であった早口言葉等は行われなかった。また志村がこのコーナーにほとんど出演しなかったことからカラスや東村山音頭も行われず、当時としては珍しかった加藤と仲本のコンビ芸がしばしば見られた。
またリクエストコント最終回で『全員集合』を彷彿とさせる、観客を入れた公開コント「剣道」を放送した事から、1996年からは公開コントコーナーが登場。『全員集合』時代の会社、五軒家、寺修行、忍者、修学旅行、商店街、剣道、コンバット、刑務所、母ちゃんコントなどが再現された。「少年少女合唱隊」にもようやく志村が参加し、早口言葉も行われた。96~98年までは「公開コント」「少年少女合唱隊」「雷様」「加藤・志村のコント」「いかりや・仲本・高木のコント」の5本立てによる公開収録が行われていた。
1997年には10年ぶりに「もしもシリーズ」も復活するなど、独特のテイストで人気を保ってきたが、メンバー個々の活動の違いや視聴者の嗜好の変化もあり、1999年頃から新作コントが制作されなくなった。以降は総集編という形になり放送回数も減っていった。これは製作のイザワオフィス側がドリフメンバーの年齢を考慮し、やめた可能性もある。そして、ザ・ドリフターズのリーダーであるいかりや長介の死によって、番組の放送自体が休止になるという最大の山場を迎え、現在に至っている。
音楽担当はたかしまあきひこ。「もしもシリーズ」のテーマやオチ音(「コンマ」と呼ばれることもある)などはよく知られているところである。 オープニングの、どでかいユニークな手書きのキャストロールも番組の名物であった。
なお、現在はCS放送「ファミリー劇場」で再放送されている(ファミリー劇場での再放送を参照のこと)。
2007年2月11日には、日曜21時台で放送されていた「発掘!あるある大事典II」が打ち切られたために、「ドリフ大爆笑30周年」を記念する形で、3年ぶりに19時58分からの2時間特番で放送された。過去のコントをランキング形式で振り返る構成となり、メンバーのコメントやナレーションは一切なかった他、1時間50分という時間に50本のコントを詰め込んだ為、各コントが多少端折られる形での放送となった(最後のオチがカットされたものもあった)。ちなみにこちらの特番は急遽日曜のこの時間帯の枠に当てられたが、30周年記念としてDVDを発売するための宣伝特番として予め用意されており本来は「カスペ!」等の単発枠の中で放送する予定であった。また毎週日曜日のこの時間はCS放送「ファミリー劇場」で再放送されているため、「ドリフ大爆笑」がCS・地上波の2つのチャンネルで見られた。ファミリー劇場では2007年に入って第一回から放送されている。
総集編時のナレーターは、過去に、みのもんた、藤村俊二、山田真一、西山喜久恵(フジテレビアナウンサー)、斉藤舞子(フジテレビアナウンサー)などが担当している。
[編集] 番組の流れ
番組には各回ごとにテーマが決められており、そのテーマに沿ったコントと、各回4~5組程度のゲストの歌を交互に放送していく構成であった。
オープニング(後述)の後、いかりやが単独で登場してその月のテーマを紹介し、コントを数本流した後にゲストの歌を入れ、その後CMに入る。CM明けにいかりやのコメントを流し、コント・歌・・・というのが一般的な構成。後半のコントでは「もしもシリーズ」がメイン。そして最後にエンディングが流れて終了となる。
ただし、毎年12月だけは総集編として、その年のコントの中から傑作を選んで放送する趣向になっていた。
[編集] オープニング・エンディング
オープニング主題歌は、戦時中に流行した『隣組』の替え歌のものが有名であるが、初期は別のものであった(後述)。「隣組」の替え歌を作ったときは、既に原曲の作詞の著作権は消滅していた。「ド・ド・ドリフの大爆笑♪」の歌詞で、非常に有名である。エンディングテーマ『さよならするのはつらいけど』は全員集合と同じく、デューク・エイセスの名曲『いい湯だな』の替え歌である。やがて元歌よりも、ドリフの替え歌の方が有名になった。なお、オープニングテーマのほうは最初期は「夜だ~8時だ~ドリフの時間~♪」という全く異なる曲であったが、これも軍歌の名曲「月月火水木金金」を元にした替え歌である。オープニング主題歌が変更になったのは、遅くとも1979年。ちなみにプロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの元選手であるルイス・ロペスの応援歌も隣組が元曲でドリフの大爆笑の替え歌である。
そもそもドリフは軍歌でアルバムを一枚出すほど以前から得意とする分野であった。ただし、「大爆笑」開始時にすでにメンバーであった志村けんは戦後生まれであり、軍歌は得意ではないと思われる。「月月火水木金金」はアルバムに収録されているが、戦中歌謡「隣組」は収録されていない。
初期のエンディングは、その回で使用したセットの中で行い、毎回異なったパターンだった。5人の衣装も、収録で着用していたものをそのまま使用していた。
1979年以降、オープニングとエンディングのクレジットの映像は1980年、1981年と改めれるが、1983年に撮影されて以来、長年に渡り同じ映像を使用していた。白いポンポンを持って、レオタードを着飾った華やかなスクールメイツ(1980年までは男性も含まれていた。)をバックに、黒いスーツ(1979年は灰色のスーツに法被を羽織っていた。)を着た5人が緩いスイングのダンスを披露する。オープニングでは、間奏の間にその回に流される全コントの予告が流れ、前述の「大袈裟な笑い声」が入る(1979年まではなかった)。また、エンディングのいかりやの「次の回も一生懸命頑張ります。ごきげんよう!」という元気な別れの挨拶は有名である。ただし、12月の放送ではエンディングをワンフレーズ放送後にスタジオからいかりやが1年を振り返り、最後にスタジオからその場で「良いお年を」と言ったあとエンディングの一番最後のシーンに映像が変わって終わったため、前出のいかりやの挨拶がない場合があった。また、1981年から1982年に放映されていたオープニングでは、スクールメイツに邪魔をされた志村が前にいたダンサーを張り倒す映像が流れていた。
しかし1990年代に入ると、本編のコントに出演する5人とクレジットの映像で踊るかつての若かりし日の5人との肉体の若さの差が余りにも際立ってしまい、「いつまで古い映像を使用するつもりなのか」と疑念を抱く視聴者は決して少なくなかった(週刊少年ジャンプの読者投稿コーナー「ジャンプ放送局」でもネタにされる)。そのせいか1993年からはクレジット映像を縮小してフジテレビ社屋のある台場の夜景の映像(といってもフジテレビはまだ新宿区の河田町に本社があった時代で、台場移転は当時では構想段階で新社屋自体もまだ建設前であったため、この夜景は将来の台場の予想図を基に作られたCG映像であった)の中央に貼り付ける形で今までとは違う視覚効果を狙ったが、ついに2003年12月23日放送の『40年だよ!ドリフ大爆笑』の際に、オープニング・エンディング共に一新された。奇しくもこの仕事がいかりや長介の生涯最後の、そしてドリフ5人全員が揃った最後のテレビ出演となった。実は5人でのコントをする予定であったが、いかりやの体調が優れず、声もあまり出なくなっていたので、いかりやの希望でオープニングとエンディングのみ新しく撮り直すようになった。収録もすぐに始めず、いかりやの体調を見ながら収録を開始した。余談だが、1983年に5人の後ろで踊っていたスクールメイツの女性の娘が2003年にスクールメイツとして出演、親子2代で共演を果たしたことがある。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] 主なコント
[編集] もしもシリーズ
もしもシリーズを参照のこと。
[編集] パイ投げ
日本のバラエティではドリフ大爆笑にて定着したともいえる。普通は紙皿にシェービングクリーム(生クリームだと衣装についたらクリーニングが不可になるため)を盛ったパイをぶつけるのが普通であるが、コントによっては本物のカステラやイチゴをデコレーションして、ケーキとして顔にぶつけるものもあった。
[編集] ばか兄弟
初期の頃は、サイレント映画風で船や電車に乗っているいかりやと仲本の演じる詐欺師兄弟が美人にアプローチするコントであったが、後に進化して「ばか兄弟」(最初のうちはアホ兄弟やプッツン兄弟など名前が多数あったが、最終的に「ばか兄弟」で落ち着いた)コントとなった。家に入るには、二人にしか分からない合言葉(毎回変わる)が必要である。一時期は家が洋風で、兄弟はオーバーオールを着ていたおめでた兄弟と言う名称もあった。弟(仲本)の色々な質問に対し、兄(いかりや)が年上ぶってめちゃくちゃな事を答えるのが主流。典型的なツッコミタイプのコメディアンであるいかりやがボケを担当する大変貴重なコントである。なぜか二人ともおそろいのつなぎ(いかりやは赤色、仲本は黄色)を着ており、兄は口ひげを生やしているが会話は小学生レベルなので、二人とも年齢不詳である。兄は途中からハート型の風船を付けるようになった。兄曰く「唯一無二の親友」のミスターバルーンという名前らしい。
ドリフ大爆笑後期を支えたコントの一つとして今でも伝説となっているが、知的障害者を馬鹿にしているとクレームが発生し、継続出来なくなってしまった。
[編集] 雷様
高木ブーが唯一中心になったコント。初期の頃は5人が揃って出ていた(「雷軒」という店の店員が繰り広げる出前のハプニングという設定。ちなみにこのときの高木ブーは厨房にいただけ)が、後にいかりや、仲本、高木の3人となった。毎回のテーマに関係なく登場していた唯一のコントで、独自のオープニングテーマ曲も作られていた。いかりやはいつもコント前に文句やボヤきを言い、本編でも執拗なまでにコントを終わらせることに必死だが、実はこのコントの発案者は当のいかりや自身。長年陰に徹した高木を表に出す時期が来た、というのは、いかにも計算高いいかりやらしい読み。事実、このコントをきっかけに雷様が高木の名物キャラとして認知され、高木はウクレレ教室の番組にも雷様の格好で出演するようになった。初期の頃は、かかってきた出前の電話に応じて雷を落とすなど「雷様」としての仕事をしていたが、回が進むにつれていつのまにか雷様である必要性のほとんど無いトークやネタ・高木のイカサマ手品等になったが、楽屋ネタや個人の裏話などアドリブの利いたコントで、意外とコアなファンが多い。最終的にはいかりやと仲本があきれて立ち去り、高木の座っている雲が(重さで)傾き、高木がボヤくオチ(逆のパターンもあり)が定番だった。1996年頃になると、天井から物が落ちてきて盆回りの曲が流れてエンディングと言うパターンになった。正式名称は、長介・工事・ブー おなじみ雷様。
高木が1984年にアキレス腱切断で入院していた時期に、一度だけいかりやと伊東四朗だけの雷様(タイトルは「一風風変わりな、雷様」)があり、この時いかりやは高木ブーの色である緑色の雷様を演じ、伊東は肌色の雷様の衣装を着たコントがあった。
[編集] 撮影コント
『全員集合』時代から受け継がれてきたコントで、加藤の演じる歌舞伎役者(もしくはスタントマン)が撮影をめちゃくちゃにするのが主流。監督役は志村けん。なお、加藤の歌舞伎役者の演技は、よく歌舞伎を研究しており秀逸であるとの声が多い。
[編集] けんちゃんの健康牛乳(加トちゃんの健康スイカ)
CM撮影のコントで、ディレクター役の志村が出演者役の加藤に牛乳を一気飲みさせるが、「笑顔が今ひとつだな」などと何度も撮り直しさせられ加藤が何杯も牛乳を飲むはめになり、次第に飲みすぎて気持ち悪くなった加藤が牛乳を吐き撮り直しを延々とさせられるというもの。この逆襲バージョンとして加藤と志村の立場を逆転させて志村が延々とスイカの早食いをさせられる「加トちゃんの健康スイカ」というコントもある。
[編集] サウナ
最初は高木の演じるサラリーマンがサウナに入っていると、次々に怪しい人達(いかりや→仲本→加藤→志村の順)が入ってきては客をびびらせるコント。仲本と加藤はチンピラの役で、志村が白鳥のバレリーナで落ちを取るパターンが多かったが、高木が全身に刺青という姿でオチを取るバージョンもあり。
また、加藤と志村が入っていたら刺青の連中が入ってきて、それにびびっているうちにひからびる、といったバージョンもあった。
[編集] 混浴風呂
志村が加藤に混浴風呂を勧めて浴場に入ると若い女性が入っていて大興奮しながら湯船に入ろうとするが、加藤の眼鏡がくもり、拭き取っている途中、志村の前にまた女性が通る。それを加藤に知らせたが、それに驚いて眼鏡を湯の中に落としてしまう。やっと眼鏡を見つけてかけると志村が向こうに女性がいっぱいいるのを見つけた。2人はもぐって向こうに行き顔を出すと老人の女性ばかりだった。
[編集] 花粉症
花粉症に苦しむ加藤の演じる患者とそれを診察する志村の演じる医師、それと看護婦役でAV女優1人(川上みくなど)。診察中にくしゃみをして志村の顔に唾を浴びせてしまったり、くしゃみの勢いでテーブルなどいろんなものを壊してしまう。お約束のネタで、くしゃみの勢いでまず、志村のスボンを下げてしまい、その後に看護婦のスカートも下げてしまう。さらにはパンツも下げてしまい尻を丸出しにしてしまったバージョンもある。オチはくしゃみをしてセットが倒れてしまう。
[編集] 学校
- 卒業式のお礼参り
- 不良生徒ら(加藤、志村、仲本、高木)が、担任の教師(いかりや)の所持品を奪ったり衣服を脱がせる。ところが教師の背中には竜の入れ墨が彫られてあり、生徒は恐怖におののく。
- 定時制高校
- 様々な職業に就いて登校してくる生徒に混じって、女性の幽霊(志村)も登校し、教室は恐怖に包まれる。
[編集] 修行僧
寒さが厳しい冬の日、志村演じる和尚が加藤演じる修行僧に対して氷の座布団に座らせたり、氷の数珠を首にかけさせたり、かき氷を食べさせるなどの苦行を課す。そんな和尚は修行僧の影に隠れて温かいうどんを食べていたが、それが修行僧に見つかってしまい、窓を閉めた途端に大量の雪が押し寄せる。後に『志村けんのバカ殿様』でこのコントが再現され、ナインティナインが犠牲者となった。
[編集] 3人爺さん
いかりやと仲本が縁側でマッタリと雑談していると、そのゆるい雰囲気に痺れを切らした高木が「こんな所でじっとしてねえでどっか行くべえ!!」と叫びだし、それに対してぼやきながらもいかりやと仲本は嫌々高木に付き合い様々な場所(温泉・ゲームセンター・プール等)へ外出し、毎回行く先々で様々な騒ぎを起こす。また、このコントの際には高木が他のコントに比べてよく喋るのが特徴である。
- 主な例
- 高木に急かされて台風が接近する中、無理矢理散歩へ出かけたものの、挙句の果てには吹雪が吹く山奥へ行ってしまい、最後には3人とも狼男になってしまう。
- 3人でゲームセンターへ出かけたがクレーンゲームでぬいぐるみが出口で詰まったり、スロットマシーンで「777」が出たと思いきや突然ドラムがずれて結局ハズレてしまい、最後にいかりやが「逝くさきゃ病院だ」と言いその場に崩れ落ちてしまう。
- 3人で墓参りへ出かけたが、いかりやは小さな墓石を携帯し他人の墓地までそれをわざわざ持って行ったり、仲本は断崖絶壁な場所に墓があり命がけで墓参りをし、挙句の果てに高木はエジプトのピラミッドまで行ってしまい、誰ひとりとしてまともな墓参りが出来なかった。
[編集] フォー・ビューティフル・ヒューマン・ライフ
コントを行った後に、加藤と志村が「○○を大事にしよー!!××を大事にしよー!!」(日本船舶振興会のCMのパロディー)と言い、さらに「提供は△△でした、フォー・ビューティフル・ヒューマン・ライフ」(カネボウのCMの最後で流れたサウンドステッカー)と言い、オチのしゃくれたような変な顔でコントを終える。80年代中盤まで行われた。なお△△の中には当番組のスポンサー企業の名が入った(永谷園・井関農機・フランスベッド等)。
[編集] ふーんそれで
1995年に行われたいかりやと仲本のコント。「眠れないから、何か面白い話して!」とねだる仲本の演じる子供に対していかりやの演じる父親が嫌々ながらもとんちを効かせた様々な小話をするが、仲本は「それで?」と全く理解を示さずいかりやを困らせる。そんな仲本に対して、最後はダジャレを言い仲本は大爆笑し寝床につくが、その後いかりやは仏壇に向かって「俺はあんな子に育てた覚えはない」「それじゃ、笑いに進歩がないでしょう」等と鈴を一回鳴らしてぼやき、暗くなった部屋の中でその場に泣き崩れてしまう。
[編集] お化けの新人研修
加藤の演じる死んだばかりのお化けが、生前怨みを持った男(いかりや)を脅かしたいと下界で一番怖いと有名な志村の演じるお化けのもとを尋ねて人間を脅かすための様々なノウハウを教わるが、なかなか上手くいかない。そんな加藤に対して「顔色が良すぎるから怖くないんだ」と言い、加藤の顔にお化けの化粧品(粉入り消火器)を吹きかけるがそのショックで加藤は死んでしまい、「また死んじゃったよ」と志村が加藤の股間を指でチーンと弾き合掌する。
また松本明子が新人お化けのバージョンも存在し、この場合は脅かしたい男が井澤健(イザワオフィス社長)であり、オチがお化けの化粧品をかけられた松本と志村が通りすがりの女性を脅かそうとするがその女性が本物のお化け(特殊メイク)であり、二人ともそれに驚いて逃げてしまうといった相違点がある。
[編集] 棺桶コント(ブーの大災難)
高木の演じる故人が入った棺桶に、加藤と志村がいろいろととんでもない物を入れていき、最後はそれに耐えかねた高木が生き返って棺桶を飛び出してくる。また、加藤と志村の行為は最初のうちは高木の遺物や大根等まともな物を入れるのだが、次第にそば・ところてん・納豆・カレー・ウナギ・ザリガニとエスカレートしていき、最後は酒と称して天井から滝のように水が降り高木が生き返る(他には、葬儀執行者の仲本が無理やり棺おけに蓋をして、あまりの気持ち悪さに高木がアドリブで生き返り、テレビ画面にマジ切れするパターンもあり)というのがたいていのオチである。後に『志村けんのバカ殿様』で上島竜兵が犠牲者となる。
[編集] 高木ブーの1円を笑う者は1円に泣く
1992年に行われた高木のコント。高木家の家訓である「1円を笑う者は1円に泣く」という教えをコントを通して日本中または世界中に伝えようという高木のコンセプトで生まれたコント。コントの内容としては高木が「俺の1円がない~!」と嘆きながら様々な場所をさまよい、1円玉をみつけると「俺の1円があった!!」と高木が狂喜乱舞するというオチ(この際の高木の演技にはどこか狂的なものがある)。しかし、最終回では高木が1円玉の蟻地獄にはまってしまう夢を見たことから、今までとは一転して「1円が怖い!!」と1円玉恐怖症になってしまい、夢から覚めた高木がトイレに入ると、天井から1円玉が降ってきたり、洗面所の鏡から1円玉が飛び出してきたりと様々な1円玉の襲来を受け、いかりやに「1円玉怖い!!助けて!!」と泣きつくが「何言ってんだ!!」と叱られる上に最後には1円玉の雪崩に襲われ、「うぉー1円玉怖い!!」と高木は気絶してしまいこのコントはあっけない終焉をむかえた。また、このコントを行う際には1円玉の雪崩や蟻地獄を演出するため、毎回大量の1円玉が使用された。
[編集] 長介虫
夏場に行われたコントで、害虫達の談話に、いかりやのマスクをかぶった仲本の演じる長介虫が現れ、長介虫を見ると害虫達もが逃げ出した。その後、浴衣姿のいかりやが長介虫を退治し「俺は夏の嫌われ者じゃなくて、芸能界の嫌われ者だよ!自分で言ってたら世話ないよ」というオチである。2回目の登場では体臭が強烈で、オナラを浴びると粉まみれになることが判明したが、オナラの被害者はいなかった。3回目は加藤が演じた。
[編集] 夫婦コント
夫・志村、妻・研ナオコのドタバタコント。給料日に麻雀のツケを払い、それを妻にとがめられることから喧嘩が始まる。口喧嘩がエスカレートし、顔にメイクをしたり、時には妻の研ナオコが男の子のアソコそっくりのおもちゃを付け、志村を驚かす場面もあった。最後は夫婦そろって疲れてはてるというのがオチ。 志村と堀ちえみが毎月夫婦コントをしていた時期もあったが、堀ちえみが段取りやセリフを忘れたり、志村がそれに対し「お前何かセリフ忘れてない?」と言うなど、この番組にはめずらしくアドリブの笑いが垣間見られた。
[編集] (珍)対決ブリーフVSさるまた
全身タイツを纏ったブリーフ派の志村とさるまた派の加藤が、どっちの下着がいいのかという事についてお互いに水掛け論を展開し、いかりやにジャッジを求めるが「私はふんどしだ」とふんどしを見せられ、二人は脱帽する。突然ふんどしをはいた高木が現れ「やっぱりふんどしが一番だな」といい、志村・加藤が不気味がるというオチもあり。また、ホットコーヒー(加藤)VSアイスコーヒー(志村)版も存在する。
[編集] 流行したコント
- 宇宙船(1979年)
- 加藤と志村が宇宙服を着て逆さになってビールや牛乳を飲んだりピーナッツなどを食べたりする。この時、カメラも逆さになる。2人の体力に限界があるため、2人がその旨を伝えるとカメラが元通りになり、その場で終了。
- 志村がバカ殿様でいかりやが爺役、仲本が側用人役。バカ殿が怒ると尺八の音が鳴る(年齢を聞く際、当時出演していた由紀さおりが15歳とサバを読んでいた時にこうなることが多かった)。後にレギュラー番組として独立する。
- 神様(1981年)
- 神社にお祈りすると、自称神様の耳の遠い老人神官志村けんの次に、自称神様の耳の遠い老人加藤茶が出てくるコント。このコントのタイトルは「苦しい時の神頼み」。その後「あんた、神様かい?」「あんだって?」「とんでもねぇ、あたしゃ神様だよ」が流行した。
- 地震(1982年)
- 志村が主婦役で当時のアイドルが持ち歌を歌うと地震が起こってしまうというもの。
[編集] 公開コント
1990年代、かつての『全員集合』時代のコント主旨をそのまま取り入れたコントが放送されていた。公開コントのタイトルは「ドリフの○○だョ!全員集合」。全員集合と同じく、ラストは「盆回り」のBGMで終了する。
コントの中には、全員集合同様のトラブルの回もあった。トラブルは下記の通り
- 会社コントで電話の受話器が勝手に吹っ飛ぶ。
- コンバットコントで志村がいかりやに誤射したときに、いかりやが火薬のスイッチを押すタイミングを間違う。
- 修学旅行コントでの就寝時でいかりやが段取りを忘れる。
[編集] ファミリー劇場での再放送
2007年現在、ファミリー劇場がCS、ケーブルテレビにて再放送を行っている。
- 放送時間
- 日曜20:30~22:00
- 木曜14:00~15:55
- 土曜14:00~15:55
※以前は月曜日や金曜日にも放送されていた。
ファミリー劇場での再放送において、初期(1980年頃まで)の作品ではコントのタイトル等のテロップが一切入らないまま再放送された(本放送当時に、テロップを生で挿入していたため)。時には、名物の中年女性の笑い声も、テロップさえも入らないめずらしい回もみられる。 なお、再放送は1999年頃から開始され、初期から1996年放送分まで終えたらリピートとして第一回目から行われる(2007年1月より再び第一回から放送されている)。1996年後期から2003年までの回は現時点で再放送は行われていない。
[編集] DVD
2007年夏(予定)には、放送開始30周年を記念して、初めてDVD-BOX(3枚組)が発売される(ポニーキャニオンから発売予定)。
[編集] 備考
- 青森県ではFNS系列で『火曜ワイドスペシャル』で放送していた時代、青森テレビで土曜日に『土曜ワイドスペシャル』として12:30から放送していたが、1980年代には14:00から『オレたちひょうきん族』を放送していたために連続して見られた。
- 岩手県では1991年3月まで、テレビ岩手が15:30から『土曜ビッグプレゼント』として数ヶ月遅れで放送していた。(放送時間は編成上の都合で13:00~、14:00~等に変更された場合あり)
- かつて大塚食品が『火曜ワイドスペシャル』の提供スポンサーに名を連ねていたことがあったが、このドリフ大爆笑での同社主力商品であるボンカレーをネタにしたコント(棺桶コントで、レトルトパックから中身を出して入れた)が原因となり、番組提供から降板している。
- 『火曜ワイドスペシャル』で放送されていた関係上、筆頭スポンサーは花王と永谷園だった。2007年、不祥事を起こした不二家とリンナイもスポンサーに入っていた。
[編集] フジテレビ系列におけるその他のドリフ特番
- 1982年~1990年の9年間、毎年12月にはドリフ大爆笑のクリスマス版として『ドリフのクリスマスプレゼント』が放送された(放送枠は基本的に『金曜おもしろバラエティ枠』だが、『火曜ワイドスペシャル』で放送した年もあった)。
- また、ドリフターズがハワイ・ホノルルで行われるホノルルマラソンに出場していた関係で、毎年1月は通常のドリフ大爆笑を休止し『ドリフのホノルルマラソン』を放送していた。
[編集] スタッフ
- 構成 - 原すすむ、海老原靖芳、柊達雄、島崎伸一、乙川恒樹、野村安史、笹川勇、竹田康一郎
- 音楽 - たかしまあきひこ
- 振付 - 西条満
- プロデューサー - 井澤健
- 演出 - 森正行、川口誠(フジテレビ)、戸上浩(エクシーズ)
- 音楽協力 - ルゥ・カンパニー、ワールドミュージック
- 制作協力 - 渡辺プロダクション、テレビックアート
- 企画・制作 - イザワオフィス
[編集] 出演者
- ゲスト出演者