妊娠中絶
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妊娠中絶(にんしんちゅうぜつ、英abortion)とは、出産を待たず妊婦の妊娠が終結することを言う。広義では流産、死産も含んだ概念である。
- 要因による名称の違い
- 自然流産、自然死産(自然妊娠中絶: spontaneous abortion)
- 人工流産、人工死産(人工妊娠中絶: induced abortion)→本稿で記述。
一般的に中絶と言うと人工妊娠中絶のことを指すことが多い。 また、正確ではないが性交後に対応し子供を産まないということから緊急避妊のことを中絶と呼ぶ場合もある。
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[編集] 概念
- 流産とは、胎児が母体外で生存できない時期における妊娠の終了を意味している。現在の日本では妊娠22週未満の場合に用いる。
- 死産とは、妊娠12週以降の妊娠の終了によって胎児が死亡したことを表す。妊娠12週以降の人工妊娠中絶では、胎児の親は死産届を出さなければならない。
- 人工妊娠中絶とは、人工的な手段(手術または薬品)を用いて意図的に妊娠を中絶させることを指す。刑法では堕胎と言う。日本では母体保護法第2条第2項により、人工妊娠中絶を行う時期の基準は、「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」と定められており、厚生労働省の事務次官通達([1])により、現在は妊娠22週未満となっている(従って、人工妊娠中絶は人工流産とも呼ばれる)。
以降では、人工妊娠中絶を簡単に「中絶」と表記する。
[編集] 関連法規
刑法第214条では、医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、3か月以上5年以下の懲役に処せられる(業務上堕胎罪)が、母体保護法第14条に規定されてる事由があるときは、中絶としての堕胎が許されることになっている。
- 母体保護法第14条
- 以前は優生保護法第14条によって、
- の中絶も認められていた。
- 母体保護法第14条は、優生保護法第14条の4、5号を残したものである。4号(=母体保護法第14条1号)は1949年に追加された経済条項であり、当時の国情を反映したものである。
- なお、指定医師の指定主体として規定されている医師会については、母体保護法を含む全ての法令において何ら措置されていないことから、それが何を指しているのかが法令上明確ではないが、現状においては日本医師会の実質的傘下団体たる都道府県の名を冠した医師会が、本規定に基づき、その権限を行使しているという状況となっている。
[編集] 人工妊娠中絶
- 妊娠11~12週程度まで
- 日本では、頚管拡張後、掻爬術(独: Auskratzung)や産婦人科器具(胎盤鉗子やキュレット、吸引器など)で胎児を取り除く方法で行われる(英語で「拡張と掻爬」という意味で D&C (dilation and curettage)とも呼ばれる)。海外では、1980年代にフランスで開発されたミフェプリストン(RU-486)という人工流産を引き起こす薬が急速に広まり、2002年にはWHOも推奨する初期中絶の一方法になったが、日本の厚生労働省は2004年にこの薬の個人輸入を禁止した。最近では子宮外妊娠(頸管妊娠)の治療として、メソトレキセート(抗癌剤)の注入による自然流産の誘発等も行われている。
- 妊娠12週~満22週まで
- この時期は胎児がある程度の大きさとなるため、分娩という形に近づけないと摘出できない。そのためラミナリアやメトロイリンテルなどで子宮頚部を拡張させつつ、プロスタグランジン製剤(膣剤、静脈内点滴)により人工的に陣痛を誘発させる方法がある。また妊娠12週以降は死産に関する届出によって死産届けを妊婦は提出する必要もあり、日本の人工妊娠中絶の約95%が妊娠11週以前に行われている。
[編集] 倫理問題
1968年にカトリック教会の教皇パウロ6世が回勅『フマーネ・ヴィテ』(Humane Vitae)』で生命の尊重と人工的な産児制限への反対を表明して以来、中絶は胎児の生命を故意に奪う行為であり、認められないとする立場をとる者が多い。アメリカ合衆国ではキリスト教右派もそのような立場をとる。一方、低年齢の女性が妊娠した際に、妊娠の負担の大きさから肉体的負担を無くすために中絶することや、強姦・近親姦での妊娠の際の中絶、経済的理由から出産しても子供を養育できる見込みがない場合の中絶を容認する立場もあり、道徳的に悪である事を認めても社会政策としての中絶を合法化するという立場もある。
元来日本においては、「7つまでは神の子」というように子供は神仏より授かるという信仰と結びついていた。子供のいのちはこの世とあの世を行き来する不安定なものとして扱われた。そのため中世以降、人口調整のための間引きや強制流産などは多くの共同体で見られた。その風潮は近世でも続き大きな社会問題となる。為政者や儒学者は間引きや強制流産を法律で禁止にしたが、効果は薄かったといえる。仏教者の多くは共同体の一員となり、子供殺しを是認することはなくとも黙認していたと考えられる。ただ、倫理問題として興味深い史実に、北陸や安芸に代表される真宗篤信地域においては、他地域と比べ人口数が著しく増加の一途を示したということが挙げられる。これは先述したこととは逆説的に人口調節のための間引きが、真宗による宗教倫理から行われなかったことが一因とも考えられる。このことは、日本史において中絶問題に宗教が深く関わった興味深い対象といえる。他宗派と比較して真宗の寺院に水子供養の供養碑が少ないこともこのような真宗の特異な宗教倫理が関わっていると考えられる。
中絶論争に新たなる展開をもたらしたのはフェミニズム運動である。アメリカ最高裁のロウ判決にならって、一部のフェミニストは中絶とは女性のプライバシー権であるとして自由化を推進している。すなわち、胎児は独立した生命体ではあるが、母親の胎内に帰属する低次の存在に過ぎず、本来の人間の生命権とは同等ではないと考え、よって、中絶とは「産む・産まない」の選択をする女性のプライバシーの問題であり、中絶の決定権を女性から剥奪する事は性差別であるという考え方である。この考え方に対しては、胎児は順調に成長したならば当然に生命権を取得する存在であるにも関わらず、その前段階だけを見て低次の存在であるとし、プライバシーの問題とする事について批判もある。一方で、1994年に国連の人口開発会議で提唱されたリプロダクティブ・ライツを根拠に、中絶を許容する見方が世界では広まっている。
日本では、「産む産まないは女性の権利」とするフェミニズムの主張は、1970年代障害者団体「青い芝の会」による激しい抵抗に直面することになった。これに対しフェミニストは「産まない権利」(堕胎の自己決定権)の行使には、胎児が障害を持つ可能性とは別の次元であり、優生学的思想に基づくものではないとの主張を展開したが、これに対しては障害者団体は同意を示してはいない。
なお、近年フェミニズムが少子化を引き起こしたと考える反フェミニズム派から、中絶禁止を法律で規定すべきだとする極端な意見も聞かれるが、先進国においては、社会における中絶禁止意識の高さと少子化に相関関係は見られていない(例えば、先進国の中でもカトリック教徒が多いイタリアとドイツはどちらも日本並みの低い出生率の少子化ワースト国である)。
中絶に至る人の中には、妊娠したものの社会的なバックアップを得られず、子供を育てる自信を失って中絶に至るケースがある。1973年には、宮城県の菊田昇医師が中絶を希望してきた女性に出産を奨励し、子供のいない夫婦に斡旋していた事件が発覚したが、この赤ちゃん斡旋事件をきっかけに、生誕した赤ん坊を実親の戸籍に入れることなく養親の戸籍に入れて実子同様に扱う特別養子制度が設けられた。
現在のところ日本では、母体保護法における中絶の対象要件は母体の生命・健康保護目的と犯罪被害による懐妊に限定されている。いわゆる「経済条項」による中絶は、健康を理由とした中絶に分類されているが、諸外国では一般的である先天的な異常など胎児に関する理由に基づく「胎児条項」は認められていない。なお、1970年代に当時の厚生省が「経済条項」の廃止と「胎児条項」の導入を内容とした優生保護法の改正を2回試みたが、いずれも失敗している。
しかしながら、今後出生前診断が一般化した場合、先天的な異常を持つ児を中絶することが「生命の選択」にあたるのではないかという論議がある(障害者#日本参照)。また、代理母出産においても、このような「生命の選択」の存在が指摘されている。さらに、生殖補助医療技術の発展に伴い増加している多胎妊娠において、一部の胎児のみを人工的に中絶する「減数手術」をどう考えるかも論議の対象になっている。
現在、福島県で中絶件数や虐待被害を減らすために、18歳までの子供を他の親に育てさせる事が出来る"里親制度"に関する条例を制定する動きがある。
また、海外では、中絶胎児から得られた脳細胞をパーキンソン病患者に移植する事によって症状に改善が見られたとの研究もある。 しかし、生命倫理に関わる問題が多く、議論を巻き起こしている。
[編集] 関連項目
[編集] この記事の分野
[編集] 外部リンク
- 「かなしいこと」妊娠中絶
- 妊娠中絶手術に関する情報サイト「うりちゃんのおうち」
- 望まない妊娠 中絶
- リプロヘルス情報センター: 人工妊娠中絶の問題
- arsvi.com: 人工妊娠中絶/優生保護法/母体保護法(文献案内・関連法令・年表・胎児条項Q&A)
- 妊娠中絶相談サイト(母体保護法指定医師の協力にて作成)