日本のサッカー
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日本のサッカーもしくは蹴球は、日本サッカー協会によって統括されている。又プロリーグとしてJリーグが存在している。
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[編集] 名称
日本ではサッカーという名称で呼ばれる事が一般的である。又漢字では蹴球という文字が当てられる。
日本にサッカーが伝来した1900年代初頭から1940年代にかけては、Footballをカタカナにしたフートボール、Association Footballをカタカナにしたアッソシエーションフットボール[1]、Associationをカタカナにしたアソシエーション[2]など様々な呼び方が行われた。
蹴球という漢字の当て方もこの頃から存在した。蹴球という漢字は、蹴鞠からヒントを得ているが、実際サッカーが日本にもたらされた当初は、このスポーツは蹴鞠の一種であるとみなされていた。「蹴球」と言う概念が別個に成立するのは、日本人が本格的にサッカーの受容を始めるのを待たねばならず、蹴球という呼び方が確立するのもこれに準じている。又この蹴球とアッソシエーションフットボールを併せてア式蹴球という呼び方もなされた。
サッカーという呼び方は、これよりも新しく、文献上では1930年代ごろから確認できるようになる。これは英語のSoccerをカタカナにしたものであるが、これ以外にも「ソッカー」というラテン語読みの例も存在する。
蹴球という言葉は戦後すぐの1946年に「蹴」の文字が当用漢字外となったことからマスメディアで使用できなくなった。当時アメリカ英語が正統とされていたため、フットボールではなくサッカーという呼称が徐々に一般的になっていった。
[編集] 歴史
[編集] 日本への伝来
日本へのサッカーの伝来は、1873年、東京築地の海軍兵学校において、イギリス海軍少佐アーチボルド・ルシアス・ダグラスが紹介したのが最初とされているが、1872年に神戸市の外国人居留地で行われた試合[要出典]を最初とする説もありはっきりとしない。いずれにしろ、当時プレーしていたのはイギリス人であった。当時伝えられたサッカーは、まだラグビーフットボールと未分化のものであったというが、1885年には『戸外遊戯法』という市販の書物で「フートボール」として紹介されている。
[編集] 最初の日本人チーム
1896年、東京高等師範学校(現在の筑波大学、以下東京高師とする)に「フートボール部」が創設された。これが日本人による最初のサッカーチームである。但し、東京高師でも本格的にサッカーを受容し始めるのは、欧州留学から帰朝した坪井玄道が着任する1902年を待たなければならなかった。東京高師はサッカーの受容に務めるだけではなく、1903年にはフートボール部理事の中村覚之助が Association Football を翻訳し日本最初の指導書である「アッソシエーション・フットボール」を発行するなど、サッカーの普及にも努めている。(この節出典:[3] [4] [5])
[編集] 最初の試合
東京高師が最初のサッカーチームを結成した当初、他の日本人チームは存在しなかったので、自然とその試合の相手は日本に駐在する外国人チームになる事になった。日本人チームによる最初のサッカーの試合は1904年2月6日に横浜の横浜クリケット&アスレチッククラブとの間で行われた。この試合は0-9で大敗したが、その後東京高師と外国人チームの間ではほぼ1年に1回のペースで定期的に試合が行われた。
東京高師は他校(主に同じ師範学校)を訪問し、サッカーの指導を行うなど、その普及にも努めた。こうした努力が実を結び、1906年に青山師範学校(現東京学芸大学、以下青山師範とする)でもサッカー部が誕生し、翌1907年6月1日には東京高師と青山師範の間で日本人チーム同士による最初の試合が行われた。但しこれは時間が40分×3で行われるなど紅白戦や、練習試合といった意味合いが強かった。しかし同年11月16日には90分での試合が両校の間で実施された。これが日本で最初の対抗戦である。
[編集] 日本各地への伝播と中等学校の大会
サッカーが最初に師範学校で受容され始めたのは非常に重要な事であった。それは部員たちが卒業し各地で教員となることによって、波及的に全国の中等学校や高等学校に広まって行ったためである。この中でも、広島県や兵庫県を中心とした関西地方では比較的サッカーの受容が早く、しかも県内の中等学校で広範囲に行われた。
中等学校でのサッカーの広まりを受けて、1918年に第1回日本フートボール優勝大会が実施された。これが現在も続く全国高等学校サッカー選手権大会の始まりである。
[編集] 全日本選手権と大日本蹴球協会の誕生
1919年にフットボール・アソシエーション(FA)に「日本でサッカー協会が誕生し、全日本選手権が実施されている」という誤った情報がもたらされた。FAではこの情報を基に優勝杯として純銀のトロフィーを日本のサッカー協会宛に送った。イングランドにもたらされた情報自体が間違っており、当時日本協会は存在せず、またこのトロフィーをかけるにふさわしい日本選手権は実施されていなかった。トロフィーは一時的に嘉納治五郎が預かる事になったが、FAの好意にこたえるめ、速急な日本協会の設立と、日本選手権の実施が求められる事になった。
協会設立には会長職の就任者を見つけるのに手間取り、銀杯が届けられてから3年後の1921年9月10日に漸く今村次吉を会長にして「大日本蹴球協会」が設立された。これが現在の日本サッカー協会である。協会は早速11月に日本選手権となる第1回ア式蹴球全国優勝大会を実施した。これが現在も続く天皇杯全日本サッカー選手権大会のルーツになっている。
大日本蹴球協会はその後、1929年に国際サッカー連盟(FIFA)に加盟した。
[編集] 最初のリーグ戦
1922年には大学チームの定期的な試合の開催によるレベルアップを狙って、日本で最初のリーグ戦、「専門学校蹴球リーグ戦」が実施された。参加したのは東京高師の他、早稲田大学、東京帝国大学、東京商科大(現一橋大学)など4チームであった。このリーグは1925年に慶応義塾大、法政大学、東京農業大学を加えた「ア式蹴球東京コレッヂリーグ」に発展した。これは現在まで続く関東大学サッカーリーグ戦のルーツになっている。
[編集] 実業団チーム
日本では、東京高師によるサッカーの受容以来、非常に長い間、学生を中心にサッカーの強化が図られていた。ところが1964年の東京オリンピックを目指した強化方針の見直しが行われると、徐々に実業団チームが学生チームに取って代わるようになった。最も象徴的な出来頃は1960年の天皇杯での古河電気工業サッカー部の優勝であった。
オリンピック後の1965年には、定期的な試合の実施による長期的な強化を目指して日本サッカーリーグ(JSL)が開始された。これは、野球以外では日本で最初の全国リーグであり、他の競技でもこれに追随する例が見られた。
実業団チームによる全国リーグが開催された結果、引き起こされたのは「企業アマチュア」という形態の確立であった。これはアマチュア主義の崩壊に他ならなかったが一方で読売クラブなどは企業アマの形態では満足せず、実質完全なプロフェッショナルクラブとなっていた。JSLは東京、メキシコのオリンピックで日本代表が活躍した1960年代には人気を博したものの、1970年代になると観客動員の低迷など、商業的には完全に失敗した事が明らかになった。(JSLはあくまでもアマチュアリーグであり、サッカー部の活動はそれぞれの企業にとって余技であったため、リーグが商業的に失敗しても問題にはならなかった)
1980年代には、こうしたアマチュア主義の崩壊、JSLの商業的な失敗、日本代表の国際大会での不振などを理由としてJSLを改革し、完全なプロフェッショナルリーグへの移行が志向されるようになった。
[編集] Jリーグの誕生
JSLの改革運動は、1993年のJリーグ誕生に結実した。Jリーグは「地域密着」と「脱企業」を謳い、それ以前のアマチュアスポーツやプロ野球とは一線を画す展開を見せていくことになった。1993年に10チームで始まったJリーグは、1999年に1部16チーム、2部10チームによる2部制に拡大した。
[編集] 大会
プロフェッショナルリーグとしてJリーグがある。又リーグカップとしてJリーグカップが存在する。リーグカップとは別のトーナメント戦としてJリーグ以外の15歳以上のチームに門戸を開いた天皇杯全日本サッカー選手権大会が存在する。この3つが日本国内のビックタイトルをかけた大会となる。
詳細は日本のサッカー大会一覧を参照。また日本のサッカーリーグのカテゴライズ構成、システムに関しては日本サッカーのリーグ構成を参照の事。
[編集] リファレンス
- ^ 出典:「日本サッカー・ブックガイド - 明治・大正・昭和戦前期」、2007年4月7日 (土) 09:06 (UTC)閲覧、日本サッカー・ブック・ガイド
- ^ 出典:中島敦、「斗南先生」(初出1942年)、2007年3月15日 (木) 14:24 (UTC)閲覧、青空文庫
- ^ 出典:「JFAサッカーQ&A - サッカー全般」、2007年3月15日 (木) 14:22 (UTC)閲覧、日本サッカー協会公式サイト
- ^ 出典:「日本サッカーの生みの親 中村覚之助」、2007年3月15日 (木) 14:26 (UTC)閲覧、那智勝浦町役場
- ^ 出典:「サッカーの歴史」、2007年3月15日 (木) 14:28 (UTC)閲覧、文部科学省ホームページ
[編集] 関連項目
- 日本の女子サッカー
- 日本のサッカー選手一覧
- 日本サッカー殿堂
- 日本のサッカー競技場一覧
- 日本サッカー協会指導者ライセンス
[編集] 外部リンク
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