本興寺 (横浜市)
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本興寺(ほんこうじ)は、神奈川県横浜市泉区上飯田町3624番地にある日蓮宗寺院。山号は法華山。日什門流の中本寺。
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[編集] 沿革
- もともと飯田のこの地は、鎌倉街道上ノ道が通り、身延山に隠棲した日蓮が、湯治のため常陸国に向かう途中に通過し、また、没後の遺骨も通過したゆかりの地であったという。鎌倉の地(現:鎌倉市大町)に延元元年(1336年)、日蓮の門弟「九老僧」の一人天目が休息山本興寺を建立した。永徳2年(1382年)、日什が2世となり、山号を法華山と改める。のちに日什が開創した京都妙満寺を本寺とする日什門流(什門)の寺となった。辻説法の由緒地に程近く、「辻の本興寺」とよばれた。星霜を経た慶長13年(1608年)、本興寺27世から妙満寺27世となった日経が不受不施を説いたため、江戸幕府によって京都六条河原で耳・鼻削ぎの刑に処せられ、関連寺院は取り潰された。これを慶長の法難という。日経が与同した師日奥らの不受不施派は、キリシタンとならんで幕府の厳しい詮議の対象となった。このため、30世日顕により万治3年(1660年)、日蓮ゆかりという鎌倉郡飯田村の当地に寺基を移し、法灯を伝えることとなったのである。なお、辻の旧地にも寛文10年(1670年)、比企谷妙本寺日逞により本興寺が再興され、妙本寺末寺となって現在に至っている。
- 什門の名刹として、その後、戦前に至るまで顕本法華宗本山であった。同宗は政府の意向により1941年日蓮宗と合同した。戦後再び200箇寺が分離したものの、本興寺は日蓮宗に残り、現在は日蓮宗由緒寺院(別格本山格)。
- 日蓮宗に残留した180箇寺は宗内で「什師会」を組織している。本興寺は会津妙国寺(福島県会津若松市)、見付玄妙寺(静岡県磐田市)、吉美妙立寺(静岡県湖西市)とともに中核寺院である。
[編集] 摘要
- 横浜市西端の境川の河岸丘上に立地する。周囲には田畑が残る、のどかな景観である。県営いちょう団地に隣接し、本堂裏手を東海道新幹線が横切っている。
- 寺宝の「絹本著色法華宝塔曼陀羅」は市指定有形文化財。
- 幕末に再建された本堂の欄間には釈迦、日蓮、日什の一代記が彫刻されている。朱塗りの仁王門がある。
- 境内のイチョウは横浜市の名木古木に指定されている。
- 境内に南北朝時代の板碑がある。
- 檀家は周辺地域はもとより、境川対岸の大和市にまで及んでいる。
[編集] 交通アクセス
相模鉄道いずみ野駅・いずみ中央駅、横浜市営地下鉄立場駅、小田急電鉄長後駅、東日本旅客鉄道戸塚駅(戸塚バスセンター)などから神奈川中央交通の路線バスにて中屋敷バス停留所下車。徒歩5分。
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク
- 鎌倉のお寺さん(25)法華山本興寺(鎌倉市大町2丁目の本興寺の縁起など)