東南アジア諸国連合
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東南アジア諸国連合(とうなんアジアしょこくれんごう、Association of South-East Asian Nations)は、東南アジア10ヶ国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力組織。本部はインドネシアのジャカルタにある。略称はASEAN(アセアン)。人口は約5億8千万人(2005年)と大きく、近年の目覚しい経済成長に拠り、EU、NAFTA、中国、インドと比肩する存在になりつつある。
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[編集] 設立
1967年8月、タイ王国のバンコクで結成された。原加盟国はタイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシアの5ヶ国。設立の宣言は、各国の外相による共同宣言で、東南アジア諸国連合設立宣言、バンコク宣言などと呼ばれる。
ASEANの前身組織として東南アジア連合(ASA)が挙げられる。これは1961年にタイ、フィリピン、マラヤ連邦(現マレーシア)の3国によって結成されたもので、ASEAN の設立によって発展的に解消される形となったとされる。また、マレーシア、フィリピン、インドネシアの包括的な連合構想(マフィリンド構想)も加わっている。
[編集] 加盟国
ASEAN加盟国は1970年代を通して変化がなく、1980年代も、当時イギリスから独立したてのブルネイが加わったのみに留まった。これは冷戦、ベトナム戦争など、地域の政情に関連しているとされる。だが、1990年代後半に入って同地域の北方に位置する4ヶ国が加盟した。この10ヶ国からなるこのASEANを特にASEAN-10と呼ぶことがある。
なお、最後の加盟国であるカンボジアは内政事情から加盟が遅れたもので、当初はミャンマーとラオスと共に加盟する予定であった。
現在の加盟国は以下の通りで、ASEAN10とも呼ばれる。
他に、オブザーバー・ステータスを持つ国として パプアニューギニアがある。
また東ティモールは、オブザーバー・ステータスの獲得、長期的には加盟国入りをも目標としているとされる。だが、インドネシアとの友好関係を重視する加盟諸国はこの動きを必ずしも歓迎していない。特にミャンマーは、自国の民主化運動家であるアウン・サン・スー・チーが東ティモールを支持していることもあり、反対を表明している。
[編集] 経済・人口
- 人口 5億7,995万人(2005年)。EU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易協定)より多い(下表参照)。国連の予測では、2030年には7億人を超え、2050年には7億7千万人規模になるとされている。
- GDP(国内総生産)(2005年)
- 貿易額(輸出入) 1兆790億米㌦(MER・H18年5月ASEAN経済統計基礎資料:外務省ホームページより)
- 加盟国別人口(2005年)
順位 | 国名 | 人口(万人) |
---|---|---|
1 | インドネシア | 2億3,845万人 |
2 | フィリピン | 8,785万 |
3 | ベトナム | 8,423万 |
4 | タイ | 6,486万 |
5 | ミャンマー | 5,430万(2002) |
6 | マレーシア | 2,613万人 |
7 | カンボジア | 1,380万人 |
8 | ラオス | 560万人 |
9 | シンガポール | 435万人 |
10 | ブルネイ | 35万 |
-
- 東ティモール92万人
- モルディブ29万人
他の経済圏との比較(2005年)
加盟国数 | 地域・国名 | 人口 | GDP値 | 一人当りGDP値 |
---|---|---|---|---|
10 | ASEAN | 5.50億人 | 8,619億USドル | 1,079USドル |
3 | 北米自由貿易協定(NAFTA) | 4.3億人 | 14兆USドル | 29,942USドル |
27 | 欧州連合(EU) | 4.56億人 | 13兆USドル | 30,000USドル |
6 | メルコスール | 2.5億人 | 1兆USドル | 4,000USドル |
× | 中華人民共和国 | 13.08億人 | 2.3兆USドル | 1,702USドル |
× | インド | 11.3億人 | 8,002億USドル | 678USドル |
- 値は2005年時点のもの。GDPは変動為替ベース。
[編集] 主な活動
ASEANの主な活動は設立当初は外相会議であった。バンコク宣言では外相会議を毎年開催することを定めている(定期閣僚会議)。第一回の外相会議はASEANの設立を宣言したバンコクにおける会合である。設立当初の目的は経済・社会分野での地域協力で、最高決定機関は年次外相会議であった。
1972年、1973年から欧州共同体(現欧州連合)やオーストラリアとの域外対話を開始した。現在はこれに日本、ニュージーランド、カナダ、アメリカ合衆国、大韓民国、中華人民共和国、ロシア、インドを加えた10が域外対話国・機構と呼ばれる。年次外相会議の直後に招かれた拡大外相会議を開いている。
1975年以降は、外相会議とは別に、経済担当閣僚会議が年に1,2回開かれる。
1976年2月にバリ島でASEAN首脳がはじめて一堂に会しASEAN協和宣言が発表され、政治協力がASEANの地域協力の正式な一分野になった。ASEANサミットとも称されるこの会合は、当初は不定期開催であり、1992年のシンガポールにおける会合の時点で未だ第4回目を数えるに止まった。だが、この第4回首脳会議において、3年毎の公式首脳会議とそれ以外の年の非公式首脳会議が開催されることが決定され(シンガポール宣言)、1995年以降毎年開催されている。更に、公式・非公式の区別は2002年に入って廃止されることになった。
[編集] 2005年
2005年12月12日、第11回首脳会議がマレーシアのクアラルンプールで開かれ(第9回ASEAN+3首脳会議および東アジアサミットも併せて開催)、首脳宣言が発表された。ASEAN憲章の起草は、ASEAN加盟国の元首脳や有識者の賢人グループに委ねられ、来年(2006年)中の制定をめざす。首脳宣言で確認した憲章の骨格には、民主主義の促進、核兵器の拒否、武力行使・威嚇の拒否、国際法の原則順守、内政不干渉などが含まれている。
[編集] 2006年
2006年首脳会議の合い言葉は、「一つのビジョン、一つのアイデンティティー、一つの共同体」である。
2006年5月9日マレーシアのクアラルンプールで、ASEANとしては初の国防相会議を開いた。共同声明は、同会議の目的として
- 防衛・安全保障分野の対話と協力を通じての地域の平和と安定の促進
- 国防政策、脅威の認識、安全保障への朝鮮に関する相互の信頼と理解の促進
- 2020年までのASEAN安保共同体創設への貢献
などを確認した。
2006年7月24日から28日まで、マレーシアの首都クアルンプールで、東南アジア諸国連合(ASEAN)は外相会議、拡大外相会議、ASEAN地域フォーラム(ARF)を開催した。 24日、マレーシアのサイドハミド外相は、ASEAN常任委員会で、ASEAN憲章作成作業が順調に進んでいることを報告し、「ASEAN設立40周年を祝う2007年の首脳会議までに準備したい」と述べた。
2006年8月24日、マレーシアのクアラルンプールで、東南アジア諸国連合(ASEAN)に日中韓三カ国とインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた16カ国による初の経済担当閣僚会議が開かれた。日本から参加16カ国による自由貿易協定(FTA)構想が提案され、大筋で合意が得られた。
[編集] 2007年
2007年1月11日、フィリピン中部のセブで外相・経済相会議が開かれた。外相会議では
- ミャンマーの民主化問題については、懸念を表明すると共に、アウン・サン・スー・チーの早期解放を要求することで一致した。
- 北朝鮮の核問題では、朝鮮半島の非核化を求める方針を確認した。
次いで13日に開催された首脳会談では
- 当初目的より5年前倒しし、2015年に「政治・安全保障」「社会・文化」での連携を深めるASEAN共同体の設立を目指す採択を一致した。
- ASEANの法的枠組みとして共同体の最高規範となるASEAN憲章制定の必要を謳った。ただし「内政不干渉」「政治問題に関する決議の多数決か全会一致か」については、ミャンマーの反発などで合意に至らず、見送られた。
- テロ容疑者の引渡し相互協力を定めた対テロ協力協定、移民労働者の権利保護に関する宣言を採択した。
[編集] 対日関係
日本は70年代半ばよりASEANとの首脳、外相レベル会談を行ってきている。
1981年には日本とASEAN諸国の間で「東南アジア諸国連合貿易投資観光促進センター設立協定」を結び、日本アセアンセンターが設立された。これは貿易の振興、日本からASEAN諸国への投資と観光客の増大を目標としたものである。他にASEAN文化基金、日・ASEAN総合交流基金、日・ASEAN学術交流基金、などの各種基金が存在している。
1997年からASEAN+3として東アジアの長期安定・発展を担う上で重要な存在となっている。
2003年は日本ASEAN交流年とされた。記念切手の発行や人的交流、文化紹介の催しなど交流年を記念したイベントの開催や事業の実施が日本、ASEAN諸国各国で見られた。12月11日、12日には日本が各国首脳を招いて日・ASEAN特別首脳会議を開催した。
[編集] 関連項目
- ASEAN地域フォーラム (ARF)
- アジア通貨単位 (ACU)
- ASEAN自由貿易地域 (AFTA)
- ASEAN標準時