東葛飾郡
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東葛飾郡(ひがしかつしかぐん)は、2005年3月27日まで千葉県に存在していた郡。2005年3月28日、沼南町が柏市に編入したため消滅した。現在の旧東葛飾郡地域に関しては東葛地域を参照のこと。
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[編集] 範囲
東葛飾郡のあった概ねの地域を、現在の市域で記述する。
- 東葛飾郡設置時からの地域
- もともとは南相馬郡であった地域
[編集] 歴史
下総国の葛飾郡が明治時代に入り県ごとに分裂し、千葉県には東葛飾郡が置かれた。郡役所は松戸に置かれた。
1897年に南相馬郡(下総国相馬郡が明治に入り分裂して千葉県内に置かれた郡。現在の柏市の大半(旧沼南町全部を含む)や我孫子市の地域にあたる)も東葛飾郡に編入された。
2005年3月28日に東葛飾郡にあった最後の町である沼南町が柏市と合併したことにより、地名としての東葛飾郡は消滅した。しかしこの地域を指す言葉として、千葉県東葛飾地方や東葛(とうかつ)という略称は現在でもしばしば使われる。
[編集] 沿革
- 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、東葛飾郡に船橋町・市川町・行徳町・八幡町・松戸町・流山町・小金町・野田町・関宿町の9町と28村が成立する。(9町28村)
- 1897年4月1日 - 南相馬郡を編入。(11町32村)
- 1909年9月1日 - 浦安村が町制施行し浦安町となる。(12町31村)
- 1914年10月10日(12町29村)
- 千代田村・豊四季村が合併し、千代田村が発足。
- 田中村・十余二村が合併し、田中村が発足。
- 1924年8月10日 - 中山村が町制施行し中山町となる。(13町28村)
- 1926年9月15日 - 千代田村が町制施行・改称し柏町となる。(14町27村)
- 1931年1月1日 - 葛飾村が町制施行し葛飾町となる。(15町26村)
- 1933年4月1日 - 松戸町・明村が合併し、松戸町が発足。(15町25村)
- 1934年11月3日 - 市川町・八幡町・中山町・国分村が合併し、市川市が発足、郡より離脱。(12町24村)
- 1937年4月1日 - 船橋町・葛飾町・八栄村・法典村・塚田村が合併し、船橋市が発足、郡より離脱。(10町21村)
- 1937年4月15日 - 南行徳村が町制施行し南行徳町となる。(11町20村)
- 1938年4月1日 - 八柱村が松戸町に編入。(11町19村)
- 1943年4月1日 - 松戸町・馬橋村・高木村が合併し、松戸市が発足、郡より離脱。(10町17村)
- 1949年11月3日 - 大柏村が市川市に編入。(10町16村)
- 1950年5月3日 - 野田町・旭村・七福村・梅郷村が合併し、野田市が発足、郡より離脱。(9町13村)
- 1951年4月1日 - 流山町・八木村・新川村が合併し、江戸川町が発足。(9町11村)
- 1952年1月1日 - 江戸川町が流山町に改称。
- 1954年9月1日 - 小金町・柏町・土村・田中村が合併し、東葛市が発足、郡より離脱。(7町9村、ただし10月15日に旧小金町は東葛市から分離して改めて松戸市に編入されている)
- 1954年11月1日 - 富勢村が我孫子町と東葛市に分割編入。(7町8村)
- 1955年3月30日 - 風早村・手賀村が合併し、沼南村が発足。(7町7村)
- 1955年3月31日 - 行徳町が市川市に編入。(6町7村)
- 1955年4月29日 - 我孫子町・布佐町・湖北村が合併し、我孫子町が発足。(5町6村)
- 1955年7月20日 - 関宿町・木間ヶ瀬村・二川村が合併し、関宿町が発足。(5町4村)
- 1956年10月1日 - 南行徳町が市川市に編入。(4町4村)
- 1957年4月1日 - 福田村・川間村が野田市に編入。(4町2村)
- 1958年8月1日 - 鎌ケ谷村が町制施行し鎌ケ谷町となる。(5町1村)
- 1964年2月1日 - 沼南村が町制施行し沼南町となる。(6町)
- 1967年1月1日 - 流山町が市制施行し、流山市となり郡より離脱。(5町)
- 1970年7月1日 - 我孫子町が市制施行し、我孫子市となり郡より離脱。(4町)
- 1971年9月1日 - 鎌ケ谷町が市制施行し、鎌ケ谷市となり郡より離脱。(3町)
- 1981年4月1日 - 浦安町が市制施行し、浦安市となり郡より離脱。(2町)
- 2003年6月6日 - 関宿町が野田市に編入。(1町)
- 2005年3月28日 - 沼南町が柏市に編入。同日東葛飾郡消滅。
[編集] その他
[編集] 葛東郡
葛飾郡を分割する考え方は、江戸時代以前にもあった。代表的なのが太日川(江戸川)を境界として、東側を「葛東郡」(略して葛東)、西側を「葛西郡」(略して葛西)と呼ぶ考え方である。鎌倉時代の文永年間に仙覚によって書かれた万葉集の注釈に葛飾郡を太日川を境に東西に分けると書かれ、永仁年間の香取神宮の造営記録にも、かつて(建長年間に)守護の千葉頼胤が葛東から人夫を調達した事が記録されている。
[編集] 葛南
東葛飾地方の南部を指す言葉として葛南(かつなん)がある。
船橋市や市川市、浦安市周辺が含まれるが、まれに本来は東葛飾郡ではなかった習志野市や八千代市周辺も含んで葛南という場合もある。
千葉県葛南県民センター、千葉県葛南地域整備センターなど、船橋市内の公共施設の名前に残るが、葛南警察署(現:浦安警察署)、葛南病院(現:浦安市川市民病院)、葛南工業高校(市川工業高校と統合)など、市川市や浦安市では改称が相次ぎ、使われなくなっている。
[編集] 東葛市
1954年9月1日に東葛飾郡の小金町・柏町・土村・田中村が対等合併して東葛市(とうかつし)が成立した。この東葛市も「東葛飾郡」からとられた地名である。
しかし、旧小金町域は血縁など昔から松戸方面との関連が強く、小金町民の間では柏との合併に反対する動きが強かった。そのため同年10月15日に東葛市から脱退し、松戸市と改めて合併した。そのため残った3地域は同年11月15日に東葛市から柏市に名称を変更した。
余談ではあるが、後に松戸市長となった松本清は経営する薬局(後のマツモトキヨシ)が小金町にあったため、千葉県議会議員だった当時には小金町が所属していた「東葛飾郡選挙区」を基盤としていた。その後、小金町が松戸市と合併した後も(松戸市長に立候補するために県議を辞任するまで)松戸市選挙区に選挙区を替えることなく同選挙区から立候補している。
[編集] 気象庁予報警報区分の「東葛飾」
2002年3月1日に一次細分区域(天気予報が出される区画)の「千葉県北西部」を分割して二次細分区域(注意報・警報が発令される単位)の「印旛」「東葛飾」「千葉中央」が新設された。当初、「東葛飾」は旧東葛飾郡域の市川市・船橋市・松戸市・野田市・柏市・流山市・我孫子市・鎌ケ谷市・浦安市となっていたが、2004年3月1日に旧千葉郡域(千葉市・習志野市・八千代市)および市原市(旧市原郡域)を範囲としていた「千葉中央」から習志野市と八千代市が移された。
[編集] その他
東葛飾を冠する学校として千葉県立東葛飾高等学校が柏市にある。