林家正楽
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林家 正楽(はやしや しょうらく)は落語家の名跡。林家正楽の名跡は、江戸落語、上方落語にそれぞれある。
- 江戸落語の「林家正楽」
- 江戸落語の林家正楽は、初代以来代々、紙切りの芸を得意としている。当代は3代目。
目次 |
[編集] 上方落語
[編集] 初代正楽
初代林家 正楽(?)は、後の2代目林家正三。本名、享年とも不詳。
[編集] 2代目正楽
2代目林家 正楽(?)は、後の3代目林家正三。本名、享年とも不詳。
[編集] 3代目正楽
3代目林家 正楽(?)は、詳細不詳。
[編集] 4代目正楽
4代目林家 正楽(?)は、初代林家木鶴の門下。本名、享年とも不詳。
[編集] 5代目正楽
5代目林家 正楽(?)は、本名: 福田宗太郎。後の5代目林家正三。享年不詳。
[編集] 6代目正楽
6代目林家 正楽(1853年 - 1929年8月31日)は、本名: 織田徳治郎。吉本興業所属。林家宗太郎(後の5代目正三)門下で、新三、しん鏡を経て、6代目正楽を襲名。
師匠の影響で「藤原派」「互楽派」に参加、解散後は「反対派」に所属し神戸を中心に活動する。現在でも多くの噺家が演じる「[鉄砲勇助]]」よく演じていた。享年72。娘婿は5代目笑福亭松鶴。
[編集] 江戸落語
林家 正楽(はやしや しょうらく)は、江戸落語の名跡。当代は3代目。初代以来紙切りの芸を得意とし、紙切りの正楽とも呼ばれる。
[編集] 初代正楽
初代林家 正楽(1896年 - 1966年4月15日)本名は一柳金次郎(いちやなぎ きんじろう)。五明楼春輔(後の6代目林家正蔵)を訪ねる。正福と名乗ってセミプロとなる。 睦会が設立の騒動のときに下地ありと認められ二つ目となり「睦」の字に因んで睦月家林蔵(むつきやりんぞう、林蔵は3代目になる。)を名乗る。その2年後に6代目桂才賀を襲名。この当時は噺家不足と大量真打昇進がきっかけであった為、2年で準真打昇進だった。 噺家としては出身地であった信州の訛りが直らずうまくいかなかった。紙切りを披露するにいたったのは睦会の忘年会であった。それが好評となったのと1923年の関東大震災もあり紙切り師になるにいたった。その後正楽を名乗り真打となった。 新作落語の『峠の茶屋』は初代正楽の作。享年70。
[編集] 2代目正楽
2代目林家 正楽(1935年9月21日 - 1998年7月2日)は埼玉県出身の紙切り芸人。本名山崎景作(やまざき けいさく)。1954年に8代目林家正蔵(後の林家彦六)に入門、前座名は林家正作。言葉の訛りが抜けないため師匠は噺家を断念させ、1956年に初代林家正楽門下に移り、紙切りに転向する。1957年に林家小正楽、1967年に2代目林家正楽を襲名。1988年に「正蔵師匠と私」を上梓、翌1989年には、この本を原作としたNHKの連続テレビドラマ「晴のちカミナリ」で、自身の父親役で出演した。1998年7月2日に腸閉塞で死去。享年62。
長男は落語家の桂小南治、二男は林家二楽。
初代正楽門下ではなく、預かり弟子と言う形でずっと彦六門下である。
[編集] 3代目正楽
3代目林家 正楽(1948年1月17日 - )は東京都目黒区出身の紙切りの芸人。本名は秋元 真(あきもと まこと)。2000年の9月に3代目正楽を襲名した。落語協会所属。
[編集] 経歴
- 1966年(昭和41年) - 2代目林家正楽(当時は小正楽)に正式な弟子入りは叶わなかったが、紙切りの教えを受ける
- 1967年(昭和42年) - 2代目林家正楽に入門、修業の傍ら早稲田大学生活協同組合書籍部で店長を務めた
- 1970年(昭和45年) - 師匠のダブルブッキングの代役として、林家一楽の名前で初高座(越谷市役所イベント)
- 1983年(昭和58年) - 第13回国立演芸場花形新人演芸会金賞受賞
- 1988年(昭和63年) - 林家小正楽を襲名
- 1988年(昭和63年)2月 - 第3回選抜若手演芸大賞色物部門奨励賞受賞
- 2000年(平成12年)9月 - 3代目林家正楽を襲名、襲名披露興行では紙切りで寄席史上初のトリをつとめた
[編集] 出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X