栗原健太
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栗原 健太(くりはら けんた、1982年1月8日 - )は、山形県天童市出身の広島東洋カープ所属のプロ野球選手(内野手)。
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[編集] 来歴・人物
日本大学山形高等学校では2年夏の甲子園に出場したが、1回戦敗退(自身の成績は4打数1安打1打点)。1999年ドラフト会議3位で広島東洋カープに入団。新井貴浩とともに右の長距離砲として期待されている打者である。 2000年、2001年は終始2軍だったが、
2002年の8月30日に1軍初昇格。9月5日広島市民球場での阪神戦でスタメン出場2試合目に藤川からプロ入り初ヒットが初ホームランを打つ。
2003年は1軍と2軍を行ったり来たりであった。ただ、ウエスタン・リーグでホームランと打点の2冠に輝く。以前日南キャンプを訪れた長嶋茂雄から「将来球界を代表する打者になれる」と指導を受けた逸材。
2004年のシーズンのオープン戦(倉敷)で、本人が幼い頃からのファンだった清原から本人のバットをもらい、「バッティングは気合だ」という教えを受けたからである。今でもバッティンググローブには「気合」の文字が刺繍されたデザインのものを使用。この年は嶋とともに初めて開幕スタメンに名を連ねる。序盤は打撃不振だったが、巨人戦にやたらとホームランを連発。その年は「巨人キラー」とレギュラーの座に近づく年となった。この年は90試合に出場し、11本のホームランを打ちレギュラーの座を掴むかに見えた。(しかし、終盤の消化試合で本人の凡ミスにより山本浩二監督に悪印象を持ったままシーズンを終えた。詳しくはエピソード参照)
2005年は怪我で出遅れた事もあり、調整の意味で二軍の試合に数試合出場したが、入団からずっと見ていて久々に二軍に戻ってきた栗原を見た当時の木下富雄二軍監督は「栗原はもう由宇(二軍の球場名)には戻ってこないだろう」といわせるくらいの格の違いを相手にみせつける程、ヒットと本塁打を量産した。当時主に1塁を守っていた野村謙二郎の2000本安打達成後に一軍昇格。その後77試合でホームランを量産した。
2006年はこの年から背番号をこれまでの「50」から「5」に変更したのも清原の背番号「5」に合わせての変更である。 そして、ピッチャーの攻めが厳しくなり真価を問われる年であったが、初めて数試合4番を打つ事もあったり、7月の月間MVPを取るなど更に成績を上げていた。しかし、8月に入ったところで腰に違和感が生じる。検査したところ椎間板ヘルニアと診断され、8月23日に手術を受け、残りシーズンを棒に振った。皮肉にも7月の月間MVPを一緒にダブル受賞した黒田博樹も戦線離脱の憂き目に遭った。
2007年1月、単身自費でアメリカに渡り、メジャーリーガーとともにトレーニングを行う。もともといい体をしていたが体重は100kgに増えさらに筋骨隆々の格闘家のような体に。紅白戦でホームランを連発。山形出身初のスラッガー誕生なるか注目される。
チームは長期に渡り低迷しており、栗原自身も7年在籍してチーム成績は全てBクラスである。そのせいか常に長打狙いになってしまい、状況に応じたケース打撃ができないことが難点となっており、ブラウン監督や小早川毅彦打撃コーチからも度々指摘を受けている。また、新井同様選球眼が悪い事も指摘されている。しかし、変化球に強く、長打などをみると逆方向へのシャープな打撃も多く、引っ張り一辺倒のブルヒッターと言うよりはコンスタントに広角に打てる器用さも持ち合わせている打者でもある。
ニックネームは以前はクリ原人とスポーツ記者から呼ばれていたが、2006年のニックネームを募集で"コング(栗原)"に決まった。2005年のホームランキング・新井貴浩とあわせてキングコング砲と呼ばれる。
2007年の目標はシーズン通して出場し、50本塁打。
[編集] 略歴
[編集] 年度別成績
年度 | 所属 | 背番号 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 打率 | 失策 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | 広島 | 50 | 10 | 23 | 22 | 2 | 4 | 2 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | .182 | 2 |
2003 | 26 | 77 | 76 | 7 | 21 | 1 | 0 | 3 | 31 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 15 | 1 | .276 | 3 | ||
2004 | 90 | 282 | 270 | 26 | 72 | 7 | 1 | 11 | 114 | 32 | 2 | 1 | 1 | 1 | 8 | 2 | 60 | 5 | .267 | 7 | ||
2005 | 77 | 274 | 254 | 31 | 82 | 16 | 0 | 15 | 143 | 43 | 0 | 1 | 1 | 1 | 17 | 1 | 63 | 12 | .323 | 5 | ||
2006 | 5 | 101 | 397 | 373 | 44 | 110 | 19 | 0 | 20 | 189 | 69 | 2 | 1 | 0 | 3 | 21 | 0 | 90 | 7 | .295 | 9 | |
通算 | 304 | 1053 | 995 | 110 | 289 | 45 | 1 | 50 | 486 | 151 | 5 | 3 | 2 | 5 | 47 | 4 | 235 | 25 | .290 | 26 |
[編集] 経歴・タイトル
[編集] エピソード
- 実家は天童市山口の焼肉店「マルタイ」。吹き抜けのエントランスには巨大なポスターが飾られており、国道48号沿線であるため、よく目立っている。
- プロ入団時から、すでに並外れた筋力で、当時チーム内でも特に鉄の体をしていた金本知憲(現阪神)や浅井樹(現打撃コーチ)らに匹敵する数値で周囲を驚かせた。
- 2004年10月2日の阪神戦で、同点の9回裏2死2,3塁。栗原は2-3からハーフスイングで空振り三振。しかし、この投球をキャッチャーが後ろへ逸らし、3塁走者であった嶋がホームインしたのだが、栗原が走っておらず一塁アウト。幻のサヨナラ勝ちとなった(試合は引き分け)。バットに当たった感触があったらしく、本人は「ファールだと思った」と言っていたが、監督には悪い印象がついてしまい、次の日に登録抹消。残りの数試合は若手主体の打線で戦ったにも関わらず試合に出されなかった。当時背番号5をつけていた町田が阪神にトレードされ一年間背番号「5」は空いていたが、このプレーが背番号「5」になるのを一年遅らせたといってもおかしくは無い。
- 2004年末、カープのホームランガールと結婚し、翌7月女児出産、同12月に女児を伴い妻と披露宴をあげた。妻はファンが立ち上げた応援サイトがあり好評を博していた程、人望があり、結婚は大変祝福された。
- 広島に入団した2000年から2002年まで日本の現役プロ野球選手で唯一の山形県出身選手だった。2003年に高橋敏郎がヤクルトに入団して以降、2006年現在では山形県出身の現役選手は栗原を含め4名まで増えた。
- 2004年には初めて地元山形県野球場での横浜戦(横浜主催試合)で2試合ともスタメンだったが、地元の大声援が逆にプレッシャーとなり、全くいい所が無かった。そして最後の打席は、新井を代打に出された。
- 実力的に2003年頃から一軍に定着、2004年は新井よりスタメンになる事も多かった。一気にレギュラー定着かと思われた2005年は自身のケガにより出遅れ、その間に開幕スタメンでは無かった新井がホームラン王になるなどの大活躍。そして、野村とサード、ファーストのポジションを争う事が多かったため、スタメン定着は遅れた。
[編集] 関連項目
00 山崎浩司 | 0 井生崇光 | 1 前田智徳 | 2 東出輝裕 | 4 尾形佳紀 | 5 栗原健太 | 6 梵英心 | 9 緒方孝市 | 10 比嘉寿光 | 11 小山田保裕 | 12 白濱裕太 | 13 佐竹健太 | 14 梅原伸亮 | 15 黒田博樹 | 16 宮崎充登 | 17 大竹寛 | 18 佐々岡真司 | 19 上野弘文 | 20 永川勝浩 | 21 ショーン・ダグラス | 22 高橋建 | 23 横山竜士 | 24 河内貴哉 | 25 新井貴浩 | 26 廣瀬純 | 27 木村一喜 | 28 広池浩司 | 29 佐藤剛士 | 30 森跳二 | 31 石原慶幸 | 33 鞘師智也 | 34 前田健太 | 35 中東直己 | 36 青木勇人 | 37 岡上和典 | 38 田中敬人 | 39 梅津智弘 | 40 倉義和 | 41 森笠繁 | 42 長谷川昌幸 | 44 山田真介 | 45 松本高明 | 46 大島崇行 | 47 青木高広 | 48 ジャレッド・フェルナンデス | 50 鈴木将光 | 51 末永真史 | 52 大須賀允 | 53 林昌樹 | 54 吉田圭 | 55 嶋重宣 | 56 中谷翼 | 57 甲斐雅人 | 58 小島心二郎 | 59 山本芳彦 | 60 齊藤悠葵 | 61 山本翔 | 62 今井啓介 | 63 仁部智 | 64 会沢翼 | 65 相澤寿聡 | 66 上村和裕 | 67 丸木唯 | 68 金城宰之左 | 69 天谷宗一郎 | 93 ビクトル・マルテ | 121(育成選手) 飯田宏行 | 122(育成選手) 山中達也 | 123(育成選手) エスマイリン・カリダ |
71 監督 マーティ・レオ・ブラウン | 75 ジェフ・リブジー | 88 小早川毅彦 | 73 小林幹英 | 87 澤崎俊和 | 77 高信二 | 85 永田利則 | 78 熊沢秀浩 | 76 二軍監督 山崎立翔 | 82 浅井樹 | 80 山内泰幸 | 86 阿部慶二 | 74 岡義朗 | 81 道原裕幸 | 83 朝山東洋 | 89 水本勝巳 |
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