神田うの
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神田 うの(かんだ-、本名同じ、1975年3月28日 - )は、横浜市出身の女優・タレント、ファッション・デザイナー。身長168センチ、体重43キロ。血液型O型。白鵬女子高等学校卒業。 2006年11月5日、うのが23歳のときに出会い、約8年の月日を経て現在の関係になったというパチンコチェーン店、不動産会社を経営する西村拓郎(日拓リアルエステート株式会社社長)と都内料亭にて結納を交わし、13日、報道陣に億単位の婚約指輪(5caratのdiamond)を披露した。
両親は一般人だが、自身だけでなく2人の弟もまた芸能界に関わっている。上の弟・伸一郎は、東京農工大学大学院中退。ハマカーンというコンビを結成し現在NHK爆笑オンエアバトル等で活躍中。下の弟・昇二郎は、上智大学文学部哲学科卒。俳優希望でVシネマ等に出演。
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[編集] 来歴・人物
1975年、東京都目黒区に生まれる。本名でもある「うの」は、持統天皇の名「鸕野讃良皇女」(うののさららのひめみこ)が由来であり、幼い頃はこの「ひめみこ」をとって両親や祖母から「ヒメ」と呼ばれて育つ。旧・通商産業省のキャリア官僚(技官)だった父親の仕事の関係で1歳のときにインドネシアのジャカルタに移住。4歳までインドネシアで過ごしたのち帰国、横浜に居を移す。
特技でもあるバレエは、5歳のときにレッスンを開始。谷桃子バレエ団に所属する。 1990年には、東京新聞が主催するバレエコンクールに入賞。 バレリーナとしての将来を期待され、ダメもとで受験した「アジア人はほとんどいない」と言われる、パリにある全寮制のバレエ学校(コンセルバドワール)に見事合格。だが、日本を離れ、フランスでひとり寮生活をおくることに耐えられず、先生たちの期待や希望にそむいて世界的プリマとなる夢は断念する。1992年、17歳で中部全日本バレエコンクールのジュニア部門1位を受賞、東京全日本バレエコンクール入賞。
1998年に開催された長野パラリンピックでは、オープニングセレモニーとなるダンスショー「HOPE」で、バレエの経験を生かし主演をつとめる。
[編集] モデルからタレントに
子どもの頃から街を歩くたびに芸能事務所からスカウトされ、何枚もの名刺をもらい続けるが、家族に反対され実現ならず。本人も「芸能」には興味がなかったが、当時からファッション好きだった彼女は、モデル事務所からのスカウトに興味を抱き、親を説得。1989年、14歳でモデルとしてのキャリアをスタートさせる。広告などのモデルを経て、3年後の17歳のときに雑誌『プチセブン』(小学館刊)のモデルに。
1994年、うのを含むティーン誌で活躍するモデル38名のセミヌードを収めた、写真家・篠山紀信氏による写真集『少女革命』(幻冬舎)が発売に。話題となる。また、モデル以外のこともやらせてみたいという社長の意向を受けて、同年4月、19歳のときに『オールナイトフジR』(フジテレビ)の司会に抜擢。これが芸能界での初仕事となる。その後、頭の回転の速さとテンポのいいトークに加え、キャラクターの濃さでも人気に。
[編集] クリエイターとして
ストッキング・下着(トゥシェ・ウノコレクション)、ウエディングドレス(シェーナ・ドゥーノ)、ジュエリー(デュノア)、などの自己ブランドを建ち上げた。2005年春には南青山に推定5億円ともいわれる豪邸(通称・パンスト御殿)を建てたことで話題になった。2004年にデザイナーとしてパリコレデビューを果たし、2006年10月にはN.Y.コレクションデビューも果たした。
[編集] エピソード
- 血液型は公式ページにもあるとおり「O型」であるが、デビュー間もない頃の自由奔放なキャラクターもあってか、(血液型性格分類を信じる人々から)「B型」に間違えられることが少なくなかった。デビュー当時のプロフィールに「B型」と掲載されていた時期もあったが、これは単なる誤植で、ほどなく訂正されている。ちなみに2人の弟も、うの同様O型である。
[編集] タレントとしての活動履歴
[編集] テレビ番組
- 学校では教えてくれないこと!! (1994年 フジテレビ)
- バケツでごはん (1996年 日本テレビ)
- アニメ作品。エンディングテーマ「あにまるRock'n Roll」も歌唱している。
- ナースのお仕事3 (2000年 フジテレビ)
- 北条時宗(NHK 大河ドラマ)蓮華 役
- ビューティ7(2001年 日本テレビ)
- サトラレ (2002年 テレビ朝日)
- 赤い奇跡 (2006年 TBS)
- プリマダム (2006年 日本テレビ)笑子 役
- バレエ技術は高いがプライドも高く、教室でトラブルばかり起こすセレブマダム役。卓越したバレエ技術を生かせる役だった。
- コシノ家の闘う女たち 肝っ玉お母ちゃんとパワフル三姉妹 (2006年 日本テレビ)コシノミチコ 役
- はねるのトびらSP おしゃれ魔女アブ&チェンジ (2006年 フジテレビ)
- テレビ朝日系列の「愛のエプロン」
- 料理女王決戦でのスペシャルでは、「マーボー丼が本格的だった。おいしい」という理由で、料理女王になった。
- SMAP×SMAP オーラの沼 ゲスト
笑っていいとも!テレフォンショッキング
- 出演1回目(1996.10.22(火))テレフォンショッキングの初出演、梅宮アンナから紹介され出演、お友達紹介は峰竜太。
- 出演2回目(2000.02.21(月))梅宮アンナから紹介され出演、お友達紹介はブラザー・コーン。
- 出演3回目(2006.05.03(水))魚住りえから紹介され出演、お友達紹介は山本太郎。
[編集] 映画
- 『御法度』大島渚監督(1999年12月18公開)
- 2000年カンヌ映画祭出品作品
- 『ナースのお仕事ザ・ムービー 』(2002年公開 東宝)
- 『劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス』(2002年東宝)
[編集] CM
- ホーユー「beauteenヘアケア商品」 (1995.12.1~1996.11.30)
- 日本生命保険「企業広告キャンペーン」 (1996.3.25 ~1997.9.24)
- 明星食品「鬼天うどん・鬼玉そば」 (1995.12.12~1996.4.15)
- ピップフジモト「ピップエレキバン」 (1996.6.1 ~ 1998.5.31)
- サッポロビール「アパニスポーツウォーター」(1996.4.1~1998.7.30)
- フロムエー「情報誌じゃま~る」(1996.7.9~1997.12.31)
- プロトコーポレーション「中古車情報誌GOO」(1996.9.1~1998.5.31)
- ダイハツ工業「テリオス」 (1997.3.11~1998.9.10)
- エヌエス商事「エステサロン・エルセーヌ」 (1997.6.1~1998.5.31)
- サンエーインターナショナル「プライベートレーベル」 (1997.8.23~1998.8.22)
- 日本リーバ「ポンズ」 (1998.4.10~ 1998.7.9)
- キッコーマン「梅かつおつゆ」 (1999.4.18~1999.7.17)
- 不二ビューティー「たかの友梨ビューティークリニック」 (1999.7.10 ~2000.10.9)
- 賃貸住宅ニュース社「週刊CHINTAI」 (1999.8.15~2000.8.14)
- サントリー「コーヒーボスセブン」 (1996.6.1 ~ 1998.5.31)
- ジャパンエンバ「コスタモーダウーノ」(1999.8・30~2001.8.29)
- コーセーコスメポート「新サロンスタイル・ソフティモ」(2000.1.1~)
- ライブドア「企業企画」(2000.5.1~2000.10.31)
- 翼システム「カーコンビニ倶楽部」 (2000.2.5~)
- ユーシーカード「UCカード」 (2000.4.1~2001.3.31)
- グンゼ「SABRINA」 (1999.12.1~2001.11.30)
- 全国牛乳普及協会「牛乳普及キャンペーン」 (2000.9.1~ 2001.3.31)
- 賃貸住宅ニュース社「週刊CHINTAI」 (2000.8.15~2002.8.14)
- ハウス食品「さわやか吐息」 (2001.8.7~2003.3.31)
[編集] 受賞歴
- 平成7年「第33回ゴールデン・アロー賞新人賞(芸能)」受賞
- 平成9年「日本ネイリスト協会『ネイルクィーン』」受賞]]
- 平成11年「第43回 日本ファッション・エディターズ・クラブ賞」
- 平成11年「セレブリティ・オブ・ザ・イヤー」受賞
- 平成12年広告大賞「ボス」
- 平成12年「ヘアービューティー2000」受賞
- 平成15年4月「サーブルドール騎士団駐日大使館名誉会員」受賞
- 平成17年「ボジョレーワイン騎士号」受賞
- 平成17年「第3回 パーカッシオ美脚大賞」
[編集] 写真集・書籍・雑誌
- プチセブン
- 写真集『UNO』(朝日出版社)
- 語録集『神田うの』(筑摩書房)
- エッセイ『うのはUNO』(2005年10月ベストセラーズ)