辛淑玉
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辛 淑玉(しん すご - Shin Sugok、1959年1月16日 - )は、東京都渋谷区生まれの在日コリアン3世の女性で、自ら設立した人材育成コンサルタント会社・香科舎(こうがしゃ)の代表と人材育成技術研究所の所長を務める実業家、差別撤廃・多文化共生などを追求する人権問題活動家・評論家、作家、カリフォルニア大学サンディエゴ校客員研究員、フェミニスト。
[編集] 略歴
1959年1月16日に東京都で生まれた。父は大日本帝国統治下の朝鮮生まれで弁護士を目指して中央大学法科を卒業した。母は日本生まれ・日本育ちの朝鮮人(ただし当時、朝鮮半島は大日本帝国統治下だったので朝鮮という国はない)だった。
日本の小学校に入学後、朝鮮学校に転校した。
中学卒業後、東京都立第一商業高等学校に入学。また高校在学中には就職を目指し、商業英語、珠算、簿記、カナタイプなどさまざまな資格検定を取得。
高校卒業後は各種のアルバイトに勤しむ。17歳で銀座のモデルクラブに所属した。翌年映画のエキストラ出演で知りあった DJ の紹介で、DJの仕事を得て、モデルとDJの仕事を兼職した。[1]
20歳の時博報堂で契約社員(特別宣伝班)。家族の収入のため、夜間はアルバイトをした。勤務中の4年間でおよそ1600回司会を務めた[2]のち、1983年頃に退社、フリーランスの広告業者として独立。この頃、本名(辛淑玉)を名乗ることを決意[3]。
1985年、台東区三ノ輪に女性社員1人を雇って人材育成会社・香科舎を設立した。
「サンデーモーニング」というテレビ番組やその他の番組にゲストやコメンテーターとして出演し、知名度が上がった。
現在は中山千夏と共同で市民団体おんな組いのちを立ち上げ、反ミソジニー・マッチョ思想、フェミナチ・ヘイトクライムの糾弾の運動を展開。
NHKの“しゃべり場”だったと思うが「どうして帰化しないのか」と中学生から質問され「君、凄い事聞くんだね!、ね!」とプレッシャーを掛け、質問に答えなかった。 素直な中学生としては当然の質問であるのだが、考え方の確立していない子供にとっては(聞いてはいけないことだったのかな)と考えてしまったらしく、黙ってしまった。 子供相手にこのような卑劣な話法は使うべきではない。 あの時の少年、君は決して間違った質問などしていない。 君の疑問は当然のものだ、それが良識と言うものだ。
[編集] エピソード
[編集] いきなり男の子を殴ったのはいじめ対策
『日本人・対・朝鮮人』(永六輔と共著、光文社)によると、学生のときに転校ばかり続いたため、教室のみんなに紹介されると、まず、一番強そうな男の子を、カバンでバシーッと殴って「よろしくなー」と言ってから、悠然と着席したという。そうすると、いじめられなかったという。給食当番の時は、天敵には「おい日本人の男って小食なんだって」と言ってスープを数滴だけ垂らしてにらみつけたという。
[編集] 小学生の頃からよく働いた
日本の敗戦後、弁護士を目指していた父は外国人扱いとなり弁護士登録資格を得られなくなったため終戦後は家族は貧乏だった。
収入を得るため、小学校2年のときから内職をし、小学校4年からはヤクルト販売の仕事に従事した。その後成人してから、ヤクルト販売の女性を見かけるたびにヤクルト販売での苦労を思い出し、ヤクルト1本を買い求めて心の中で「ガンバレ」と念じることが習い性となっている[4]。
中学生の頃、美容室のヘアモデルで収入を得たのをきっかけに、ヘアショーにも出るようになった[5]。
中学卒業後、都立第一商業高等学校に入学した。新宿の焼肉料理店・名月館などさまざまなのアルバイト収入で2つの予備校、代々木ゼミナールと代々木学院に通った[6]。
[編集] 朝鮮人であることと幼稚園
4歳の頃、それまで一緒に遊んでいた友だちがいっせいに幼稚園に入園、「幼稚園に行きたい」と父にねだった。父は幼稚園と交渉した結果、朝鮮人の子どもは入園できないことを知った。その体験は、朝鮮人であることを強く自覚する契機となった[7]。
[編集] 朝鮮学校へ転校
日本の小学校の生徒だった頃、朝鮮総聯活動家の「朝鮮学校は、貧しい人にはちゃんと昼食を支給します」の言葉を信じ、朝鮮学校に転校した。しかし昼食の支給はなかった[8]。転校直後、「パンチョッパリ」(半日本人)と呼ばれ、「総括」と呼ばれる反省会の場で「思想が悪い」と「自己批判」させられることもあった[9]。また、ジーパンを穿いていたというだけで活動家から暴行された。ヘルニアを患っているのはこれが原因である。(※ 朝日新聞の土曜版beの青面から)
[編集] 中学生のときに家出
中学2年のころ、朝鮮学校で夏の遠足「革命キャンプ」のお金が払えなかったことがあった。そのことで教師に責められたとき、反論した。数人の教師から殴られた。そのことがあった後、家出する。親戚の家に逃亡してひとときの解放気分を味わったが、連れ戻された。父は手を尽して転校先を探し、杉並区立泉南中学校に転校した[10]。
[編集] 研修や講演を熱心に開催
人事院や自治体のほか、民間大企業などで管理職研修、評価プログラム開発、人材能力育成プログラム開発、人材育成環境開発、公開講座、人権に関わる研修・講演に従事。研修や講演は年間百数十回以上に及ぶこともあった。
[編集] 在日朝鮮人あるいは在日コリアンと自称
韓国籍だが、在日朝鮮人あるいは在日コリアンと自称している。作家としての代表作に『強きを助け、弱きをくじく男たち!』、『鬼哭啾啾』、『怒りの方法』などがある。本名のほか、創氏改名時代の氏「新山」を用いた日本名新山節子(にいやませつこ)があり、せっちゃんの愛称で呼ばれて育つ。またモデル時代に、芸名辛節子を名乗ったこともある。東京生まれの東京育ちでサバサバした性格と語り口であり、自身を「チャキチャキの江戸っ子」とも語っている。
在日コリアンの立場から日本社会全体へ、またフェミニストの立場から日本人男性への一見過激な糾弾を行うことが多く、その過激で時には下品な主張から反発を買うことが多い。一方共感を覚える者も多く、熱心な支持者も多いようである。
[編集] 外国人参政権に賛成
外国人参政権に賛成の立場をとっている。NHK「真剣10代しゃべり場」2000年7月8日放送分に出演した際、日本の国籍を持たない人も日本の参政権を得られるようにすべきだと発言した。
[編集] 石原慎太郎の「三国人」発言を批判
2000年4月9日に、石原慎太郎東京都知事が陸上自衛隊練馬駐屯地の創隊記念式典での演説の中で、「今日(こんにち)の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」と発言し、「三国人」という言葉を用いた。辛淑玉は、石原慎太郎がどのような文脈で「三国人」という言葉を用いようとも、石原慎太郎の発言は在日コリアンに対する侮辱であり、人種差別であると主張する。この主張のもとに、石原慎太郎を厳しく批判する活動を始めた。石原慎太郎を解職させるための「石原やめろネットワーク」という組織に主要なメンバーとして参加した。
東京都議会議員・福士敬子(杉並区選出)の公式ホームページを2006年12月に読むと、辛淑玉は、福士敬子を支持していることがわかる。福士敬子は、東京都議会の2000年の第2回定例会において、「知事の三国人発言が大きな問題となって3か月になります。これについて、外国籍の人たちから人権救済申し立てが行われるなど、問題はむしろ固定化、長期化の様相を見せており、もはや個別に対応する状況ではなく、しっかりと制度で対策すべき段階に入ったと考えます。」と発言し、また、朝鮮籍の人に被選挙権を認めるかどうかを質問した。また、「人種差別撤廃条約第4条は、差別を法律で処罰することを求めており、国に先駆けてこれを条例化すべきだと考えます」と発言した。
[編集] 「戦争が起きたら、在日は真っ先に殺されますよ」
フェミニズム系の新聞『ふぇみん』2000年4月25日号の編集後記で、「戦争になったら韓国と日本のどちらにつくんだと聞く人がいるけど、戦争が起きたら、在日は真っ先に殺されますよ。」と述べる。
[編集] 国連人種差別撤廃委員会で日本が人種差別的であると批判
2001年3月5日から3月9日まで国連人種差別撤廃委員会に参加し、その委員会の集まりにおいて、石原慎太郎を批判するだけにはとどまらず、在日コリアンが日本人によってさまざまな人種差別に遭い被害を受けたと主張した。またその委員会の集まりにおいて、日本の法律が人種差別的に作られていて、日本政府が人種差別をしているという批判を世界に向けて主張した。その委員会において、日本人は在日コリアン(主に子どもや児童・生徒)に対して暴力を振るう、人種差別的な人たちであると考える人が多数派になったため、国連人種差別撤廃委員会は日本を強く批判する勧告を出した。
帰化申請を行なった際、漢字表記を変えたくなかったため、“当用漢字にも含まれているしそのまま読み仮名抜きで”と申し出たところ、担当審査官から「あなたには、よき日本人になろうという意思が感じられない」とまで罵倒され、申請は却下されたという[11]。
[編集] ワイドショー番組を嫌っている
ワイドショー番組を嫌っている。テレビ番組で「私はワイドショーが嫌いです」と発言したことがある。
[編集] 永六輔と親交がある
ワイドショー番組を嫌っていることなどにより、永六輔と親しくなった。永は「こういう人がワイドショーの司会をやればテレビもよくなるよ…」と発言するほど高く評価している。
[編集] 週刊金曜日の編集委員を辞任
親交のある永六輔の手引きで2000年から週刊金曜日編集委員を務めたことがある。しかし、同性愛者を扱った記事のタイトルのつけ方がホモフォビア表現か否かで一部のスタッフと対立した。その対立が直接の原因となり、2001年に編集委員を辞任した。
[編集] 韓国の儒教文化が封建的だと考える
韓国の儒教文化を「封建的」だと批判している。しかしながら父に対しては「未だに敬語でしか話し掛けられない」と葛藤する一面も見せている。
[編集] 天皇制を批判
天皇制を家父長的制度であるとして批判しており、日本国憲法第1章を廃止すべきと主張している。
[編集] 北朝鮮についての発言
北朝鮮の金親子による世襲体制を、日本の皇室のようだと発言している(『月刊オルタ』2002年12月号)。
北朝鮮による日本人拉致問題については「北が日本人女性を拉致したというのはウソだと思う」(『朝日ジャーナル』1988年2月26日号)と発言していたが、北朝鮮が日本人拉致を認めた後は、マスコミの北朝鮮報道を批判するなどしており、先の発言は撤回していない。
[編集] 編著書・監修書
- 1993年4月 『企業におけるエイズ対応マニュアル』日本能率協会マネジメントセンター、ISBN 4820709720
- 1995年5月 『韓国・北朝鮮・在日コリアン社会がわかる本』ハローケイエンターテインメント、ISBN 4584009473, ワニ文庫(増訂): 1998年8月、ISBN 4584391068
- 1996年3月 『言わせていただきます。』ハローケイエンターテインメント、ISBN 4584009686
- 1998年9月 『女が会社で』マガジンハウス、ISBN 4838710763
- 1998年10月 『不愉快な男たち! 私がアタマにきた68のホントの話』講談社、ISBN 4062094320
- 1999年5月 『日本人対朝鮮人 決裂か、和解か?』(永六輔と共著)光文社、ISBN 4334972195
- 1999年9月 『40秒で面接官の心をつかむ法』中経出版、ISBN 4806112720
- 1999年11月 『こんな日本大嫌い! 辛淑玉対鈴木邦男』(鈴木邦男と共著)青谷舎、ISBN 4915822427
- 2000年2月 『在日コリアンの胸のうち 日本人にも韓国人にもわからない』光文社、ISBN 433400671X
- 2000年6月 『強きを助け、弱きをくじく男たち!』講談社+α文庫、ISBN 4062564432
- 2001年9月 『女に選ばれる男たち 男社会を変える』(安積遊歩と共著)太郎次郎社、ISBN 4811806611
- 2002年1月 『ジェンダー・フリーは止まらない! フェミ・バッシングを超えて』(上野千鶴子と共著)松香堂書店、ISBN 4879740179
- 2002年5月 『愛と憎しみの韓国語』(文春新書)文藝春秋、ISBN 4166602454
- 2003年5月 『鬼哭啾啾 「楽園」に帰還した私の家族』解放出版社、ISBN 4759262172
- 2003年7月 『辛淑玉のアングル』草土文化、ISBN 4794508743
- 2003年12月 『辛淑玉の激辛レストラン 上野千鶴子・佐高信・安部譲二・辛淑玉の4兄妹対談』(上野千鶴子、佐高信、安部譲二と共著、辛淑玉編)生活情報センター、ISBN 4861261023
- 2004年5月 『怒りの方法』(岩波新書)岩波書店、ISBN 4004308909
- 2004年12月 『となりのピカソ ピカソたちのメッセージ』(写真家・武田直との共著)愛媛新聞社、ISBN 4860870301、第2版: 2005年4月、ISBN 4860870328
- 2005年12月 『クイズウルトラ人権100問』(人材育成技術研究所 編、辛淑玉監修)解放出版社、ISBN 4759223363
- 2006年3月 『せっちゃんのごちそう』日本放送出版協会、ISBN 4140054964
- 2006年4月 『ケンカの作法 批判しなければ、日本は滅ぶ』角川書店、ISBN 4047100404
註
- ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.130 - 135
- ^ 在日韓国青年会 会報「アンニョン」第4号インタビュー: 「今、在日青年に“熱い”メッセージを」(1991年)
- ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.154 - 155
- ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.95 - 96
- ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.117 - 118
- ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.122 - 123
- ^ 辛淑玉『せっちゃんのごちそう』NHK出版、p.63
- ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、p.59
- ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、p.80
- ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.113 - 114
- ^ 2001年3月22日の衆議院法務委員会にて、福島みずほの質問より
[編集] 外部リンク
- ShinSugok.com(公式サイト)
- 辛淑玉発言集←辛淑玉を批判する趣旨で開設している。
- 辛淑玉/写真・プロフィール(システムブレーン)
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