阿部謹也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿部 謹也(あべ きんや、1935年2月19日 - 2006年9月4日)は、東京都千代田区生まれの歴史学者。専門はドイツ中世史。小樽商科大学教授、東京経済大学教授をへて一橋大学社会学部教授、一橋大学長。後年は、世間をキーワードに独自の日本人論を展開し言論界でも活躍した。1997年紫綬褒章。上原専禄の弟子。一橋大学を定年退官後、同名誉教授。
早くに父を亡くし、中学時代に修道生活を送った経験から西洋中世史の研究を志した。国立大学協会会長、文化功労者審査会委員、財団法人大学基準協会副会長、大学審議会特別委員、学術審議会委員、 東京都青少年問題協議会副会長(会長:石原慎太郎東京都知事)、大学評価・学位授与機構大学評価委員会委員長等を歴任。
著書に『ハーメルンの笛吹き男』『刑吏の社会史』『「世間」とは何か』など。『中世を旅する人びと』でサントリー学芸賞、『中世の窓から』で大佛次郎賞。筑摩書房から著作集が刊行されている。
「世間」から日本社会を研究する、「日本世間学会」会長。
最晩年は、腎臓病を患い、人工透析を受けながらの研究生活だった。
2006年9月4日午後9時37分、急性心不全により東京都新宿区の病院で死去。71歳だった。
網野善彦との出会いと別れ
『中世の再発見』での対談で、日本中世史学者・網野善彦と初めて出会う。ともにこれまでの学問のあり方に不満を持つ者同士意気投合し、これをきっかけに家族ぐるみの付き合いにまで発展する。その後も度々対談などで仕事をともにするなど、その親交は深かった。 しかし、次第に両者の間に溝が生まれる。網野は、あくまで日本と西洋の共通点にのみ着目して、相違点などにはほとんど興味を示さなかった。一方阿部は、両者の相違点のほうに関心を深めて行き、網野との会話が次第に噛み合わなくなってゆく。また網野は、「世間」の枠にきっちり納まってしまうタイプの人物で、歴史の切り口こそ斬新なものを見せたものの、その考え方や発想はいわゆる「歴史学者」の域にとどまった。阿部はというと、金子光晴や高村光太郎の詩に耽溺し、石牟礼道子らの文学者や国文学者・西郷信綱のような他ジャンルの人々と普段から交流し、何より「世間」と距離を置いた個人的な世界を持つなど、ジャンルにとらわれない広い精神世界を持っていた。そうした感性の違いが、やがて二人を別々の道に進ませることになる。
目次 |
[編集] 学歴
- 1941年 鎌倉第一国民学校入学
- 1947年 中野区立第五中学校入学
- 1950年 東京都立石神井高等学校入学
- 1958年 一橋大学経済学部卒業
- 1963年 一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了
[編集] 職歴
- 1963年 日本学術振興会奨励研究員
- 1965年 小樽商科大学講師
- 1966年 小樽商科大学助教授
- 1969年 - 1971年 ドイツ連邦共和国に出張
- 1973年 小樽商科大学教授
- 1976年 東京経済大学教授
- 1979年 一橋大学社会学部教授
- 1987年 - 1989年 一橋大学社会学部長
- 1992年12月 - 1998年11月 一橋大学学長(2期)
- 1995年 国立大学協会副会長
- 1997年 国立大学協会会長
- 1999年3月 一橋大学を定年退官(名誉教授の称号を受ける)
- 1999年 - 2002年 共立女子大学学長
- 1999年 - 2002年 学校法人共立女子学園理事・評議員
- 2000年 - 2002年 共立女子短期大学長学長
この間国立民族学博物館共同研究員や国立歴史民俗博物館教授を務めるほか、東京大学文学部・教養学部・教育学部、東京外国語大学、千葉大学文学部、名古屋大学文学部、富山大学人文学部、東京都立大学、岡山大学教育学部、日本女子大学、藤女子大学、北星学園大学、札幌大学などでも教鞭をとる。
[編集] 受賞・受章
- サントリー学芸賞(『中世を旅する人びと』)、1980年
- 大佛次郎賞(『中世の窓から』)、1981年
- 日本翻訳文化賞(『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』)、1990年
- 紫綬褒章、1997年
[編集] 社会的活動
- 国立大学協会会長(1997年11月〜1998年11月)
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『ハーメルンの笛吹き男 - 伝説とその世界』(平凡社, 1974年)
- 『ドイツ中世後期の世界 - ドイツ騎士修道会史の研究』(未來社, 1974年)
- 『刑吏の社会史 - 中世ヨーロッパの庶民生活』(中央公論社[中公新書], 1978年)
- 『中世を旅する人びと - ヨーロッパ庶民生活点描』(平凡社, 1979年)
- 『中世の窓から』(朝日新聞社, 1981年)
- 『ドイツ中世後期の世界 - ドイツ騎士修道会史の研究』(未來社, 1983年)
- 『歴史と叙述 - 社会史への道』(人文書院, 1985年)
- 『中世の星の下で』(筑摩書房[ちくま文庫], 1986年)
- 『逆光のなかの中世』(日本エディタースクール出版部, 1986年)
- 『中世賎民の宇宙 - ヨーロッパ原点への旅』(筑摩書房, 1987年)
- 『甦える中世ヨーロッパ』(日本エディタースクール出版部, 1987年)
- 『自分のなかに歴史をよむ』(筑摩書房, 1988年)
- 『西洋中世の罪と罰 - 亡霊の社会史』(弘文堂, 1989年)
- 『社会史とは何か』(筑摩書房, 1989年)
- 『西洋中世の男と女 - 聖性の呪縛の下で』(筑摩書房, 1991年)
- 『ヨーロッパ中世の宇宙観』(講談社[講談社学術文庫], 1991年)
- 『ヨーロッパ史をいかに学ぶか』(河合文化教育研究所, 1991年)
- 『西洋中世の愛と人格 - 「世間」論序説』(朝日新聞社, 1992年)
- 『読書の軌跡』(筑摩書房, 1993年)
- 『北の街にて』(講談社, 1995年)
- 『ヨーロッパを読む』(石風社, 1995年)
- 『「世間」とは何か』(講談社[講談社現代新書], 1995年)
- 『ヨーロッパを見る視角』(岩波書店, 1996年/岩波現代文庫, 2006年)
- 『読書力をつける』(日本経済新聞社, 1997年)
- 『ドイツ-チェコ古城街道』(新潮社, 1997年)
- 『「教養」とは何か』(講談社[講談社現代新書], 1997年)
- 『物語ドイツの歴史 - ドイツ的とはなにか』(中央公論社[中公新書], 1998年)
- 『日本社会で生きるということ』(朝日新聞社, 1999年)
- 『大学論』(日本エディタースクール出版部, 1999年)
- 『世間を読み、人間を読む - 私の読書術』(日本経済新聞社, 2001年)
- 『学問と「世間」』(岩波書店[岩波新書], 2001年)
- 『日本人の歴史意識 - 「世間」という視角から』(岩波書店[岩波新書], 2004年)
- 『阿部謹也自伝』(新潮社, 2005年)
- 『「世間」への旅 - 西洋中世から日本社会へ』(筑摩書房, 2005年)
- 『北の街にて―ある歴史家の原点』(洋泉社, 2006年)
[編集] 共著
- (網野善彦・石井進・樺山紘一)『中世の風景(上・下)』(中央公論社[中公新書], 1981年)
- (網野善彦)『中世の再発見 - 対談 市・贈与・宴会』(平凡社, 1982年)
- (森洋子)『ブリューゲル』(中央公論社, 1984年)
[編集] 編著
- 『私の外国語修得法』(悠思社, 1992年)
- 『世間学への招待』(青弓社, 2002年)
[編集] 共編著
- (栗原福也)『ヨーロッパ・経済・社会・文化 - 増田四郎先生古稀記念論集』(創文社, 1979年)
[編集] 訳書
- ヘルムート・シエルスキー『大学の孤独と自由 - ドイツの大学ならびにその改革の理念と形態』(未來社, 1970年)
- トマス・プラッター『放浪学生プラッターの手記 - スイスのルネサンス人』(平凡社, 1985年)
- 『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』(岩波書店[岩波文庫], 1990年)
- ヘルマン・ハインペル『人間とその現在 - ヨーロッパの歴史意識』(未來社, 1991年)
- ジャック・ロシオ『中世娼婦の社会史』(筑摩書房, 1992年)
- エーディト・エンネン『西洋中世の女たち』(人文書院, 1992年)
- ヴェルナー・フォーグラー編『修道院の中のヨーロッパ - ザンクト・ガレン修道院にみる』(朝日新聞社, 1994年)
[編集] 著作集
- 『阿部謹也著作集』(筑摩書房, 1999年-2000年)
- 1巻「ハーメルンの笛吹き男/中世の星の下で」
- 2巻「刑吏の社会史/中世賤民の宇宙」
- 3巻「中世を旅する人びと」
- 4巻「中世の窓から/逆光のなかの中世」
- 5巻「甦える中世ヨーロッパ/西洋中世の罪と罰」
- 6巻「西洋中世の男と女/西洋中世の愛と人格」
- 7巻「「世間」とは何か/「教養」とは何か/ヨーロッパを見る視角」
- 8巻「社会史とは何か/歴史と叙述」
- 9巻「自分のなかに歴史をよむ/北の街にて」
- 10巻「ドイツ中世後期の世界」