F-117 (攻撃機)
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愛称は「Nighthawk:ナイトホーク」(夜の鷹)。主に夜間に作戦遂行が行われ機体も黒いことから、ナイトホークと名付けられた。
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[編集] 概要
F-117は敵のレーダーに発見されにくいステルス技術を全面的に取り入れた世界初の航空機であり、従来の航空機のイメージを覆す多面体の形状をしているのが特徴。
機体全体は細長い三角形で、操縦席やエンジンを含めた機体中央部は多角形状に膨らんでいる。これはステルス技術の一環であり、その形状からレーダー入射波を散乱及び後方背面波とすることによってレーダー断面積を下げる機体構造となっている。この形状は、前方方向や後方方向に対し極端なレーダ断面積の低下をもたらしているが全方位へのステルス性とは言いがたい[要出典]。しかしながら前方方向からのレーダー断面積に関しては他のステルス機の追随を許していない[要出典]。
また、機体全体がレーダー波を吸収する性質のある黒い特殊塗料で塗られているのも特徴で、これがナイトホークという愛称の由来にもなっている。高いステルス性能を獲得できた一方で、運動性能が大きく欠けてしまい、F-15やF-16のような制空・迎撃用途には向かない。アメリカ空軍はステルス性能と高い対空戦闘能力を併せ持つF-22戦闘機の実戦配備を進めており、F-117は対地攻撃用として爆撃や偵察任務を行う。なお、輸出は一切行わない。
2008会計年度中に現役任務を解かれる予定で、すでに一部退役済みである。F-117の任務は今後F-22ラプターに引き継がれるという[1]。
[編集] 開発
1975年8月にノースロップ社およびロッキード社が招聘(しょうへい)され、XST: Experimental Survivable Testbedのプランが提示された。これに応じてロッキード社スカンクワークスのトップであったディック・シーラーは電磁気学のスペシャリストのデニス・オーバーホルザーに“見えない戦闘機”の開発が可能であるかどうか打診。オーバーホルザーは可能であるとの見解を示し、コードネーム:Echo1と言われるレーダー波の物体表面での反射を計算するソフトウェアを作り上げ、引退していたスカンクワークスの数学者・ビル・シュローダーからのアドバイスと、50年前のソビエト連邦でピョートル・ユフィンチェフによって発表されていた電磁波の進行方向を反射面の形状から予測する論文を基にプロトタイプ機を開発した[2]。ノースロップおよびロッキード両社のプロトタイプは小型の単座式であった点は共通だったが外観は大きく異なり、ノースロップ社の物はレーダー波反射面積の極小化させるために丸みを帯びた形状で、当時からサンディエゴのシーパークで有名だったシャチに似ている事からShamuとあだ名されたのに対し、ロッキード社の物は当初からレーダーを特定方向にのみ反射させる為に角張った形状を持っていた。軍配はロッキードに上がり、1976年の4月から開発が開始された。[3]
開発時のコードネームはHave Blueで飛行テストはT-2Bバックアイのゼネラル・エレクトリック社製のJ85-GE-4Aエンジンを転用した。最初の飛行実験機HB1001は細長い形状を持っていたが、全体的に細身で重量は4173~5669Kgと爆撃機としては軽く、F-5フリーダム・ファイターの着陸用ギアが転用されていた。垂直尾翼が内側を向く等、量産型とは形状がやや異なる。1977年11月4日にロッキード社のバーバンクの施設で最初のエンジンテストが行われた。その後も空港が閉鎖された真夜中に限定した上でカモフラージュ用のネットがかぶせられて実験が繰り返された。近隣からはそのノイズによる苦情があったが機密は保持され、後にネバダのグルーム湖にその場は移された。契約締結からわずか20ヶ月しか経っていない1977年12月1日に初飛行テストが敢行される。35回のテスト飛行が無事行われたが、36回目に着陸に失敗。テスト機は破損しパイロットのビル・パークは重傷を負って引退を余儀なくされた。2機目のHB1002が製造され1978年7月20日に初飛行する。後に52回の飛行が行われたが53回目の飛行中にエンジンから発火、炎上した。この2機の破損した実験機は極秘裏に処分され、F-117およびB-2と言ったステルス機が公開されるようになった現在でもトップ・シークレット扱いで、わずかに公開された写真を除きその詳細は不明のままである。[3]
初めて公に存在が示されたのは1980年。当時アメリカ大統領であったカーター大統領の発言による。初飛行は1981年。1982年実戦配備。50機配備、価格4500万ドル(2006年上半期)。
機体の形状は、レーダー波を特定方向に反射させる反射角を持たせるためひし形になっている。当時のコンピュータの能力では曲面のシミュレートは事実上無理があり、シミュレーションが容易な角ばった機体となった。他の機体とは似ても似つかない形状であることからも解かるように航空力学的には不向きな形状であるため、飛行姿勢は4重に管理されたデジタル・フライ・バイ・ワイアによりコンピュータ制御されている(逆にいえば、コンピュータの支援があってこそ飛ぶことができる機体といえる)。直線基調の機体であり最初に公表された1枚の写真を元に非公式な機体の三面図が作成されたが、機体の各部の角度が読み取りにくい方向から撮影されており、実際とはかなり違っていた。
Fナンバーがついているが戦闘機ではなく、攻撃機と言うべき性質をもつ。戦闘機たる用法であるドッグファイトは航空力学的に無理がある。これは当時の米空軍にA(攻撃機)ナンバーを使う習慣がなかったことによるという説明がなされているものの、米空軍は既に A-10 サンダーボルトIIというA(攻撃機)ナンバーを持つ機体も導入している。
さらにF-117という呼称も、センチュリーシリーズにおいて直前の機体はF-111であって、112~116までの番号を飛ばしてこの名称にしている。これについては、117の名称を持つ偵察衛星や音響監視システム等の画期的な製品にあやかってあえてこの番号をつけたという説がある。あるいは当該ナンバーの機体が存在する(アメリカが保有する旧ソビエト製戦闘機に112~116が割り当てられていた)など、いろいろな説がある。
正式公開以前は、同じく欠番になっている「F-19」がこのステルス機ではないかとする説が有力だった。また、この機体(F-117またはF-19)の姿が公表されるまでは、実際の機体とは正反対に電波を特定方向に反射しない曲面で構成されていると言われ、丸い曲面からなる想像図が流布した。これを基にしたプラモデル(イタレリ社の「F-19 Stealth」)も発売され、「フリスビー」という愛称もつけられた。後の小説で、当該機を取り上げる際に「フリスビー部隊」と呼ぶものがある。
[編集] 特徴
自動操縦装置でルートを飛行する。編隊飛行はせず原則、単独飛行で任務遂行する。
1982年5月に最初のF-117が第4450戦術部隊(the 4450th Tactical Group:ジェームス S. アレン大佐が指揮)に配属が決定される。大佐は1983年8月23日の部隊によるF-117の初飛行も自身で行っている。この部隊はトノパーにあるテスト飛行場(Tonopah Test Range: TTR)にあり、厳重なセキュリティーが敷かれた。部隊は1983年10月28日に稼働したが、十分なF-117はまだ配給されていなかった。このためパイロットの飛行時間を維持する事が課題となり、飛行特性が似ていると言われるA-7Dを使ってパイロットの飛行時間を延ばした。これは同時にまだステルス機の存在が秘密であった初期のころは第4450戦術部隊を"A-7飛行隊"として秘匿することにも役立った。カモフラージュとして用いられたA-7Dは後により安い経費で維持可能なT-38タロンに置き換えられたが、現在でも転換訓練を行なうパイロットはA-7Dで慣熟飛行を行っている。[3]
全般的な特性はデルタ翼機のそれとほぼ同じである。離着陸の速度は比較的高く、長い滑走路を必要とする。亜音速(でしか飛行できないが)では機首が上がり、急旋回すると速度が大幅に低下して高度が下がる。
空対空ミサイルについては、自衛用を想定してAIM-9L サイドワインダーが搭載可能だが、機体試験で搭載と発射をしたのみで、F-117の訓練にAIM-9の発射訓練は含まれておらず、実戦部隊で装備された記録は無い。機関砲などは搭載されておらず、厳しい機動制限がある等、実戦での空戦能力は無い。
ステルス性を最重要視した機体であるためかなり特異な形状をしており、またエンジンの効率を下げてまでエア・インテークに網目を張るなど、今までの航空機とは違うことがわかる。エンジン整流板が付いているので飛行音は非常に静か。また、前述の理由と、アフターバーナーを装備していないため、超音速飛行は不可能である。
装備は2000lb爆弾2発等。
[編集] ステルス性能
ロッキード社によれば、F-117を開発する際に以下の点が考慮された。
- 目視による発見
- レーダーによる探知
- 飛行時の騒音
- 自身からの電波放射
- 赤外線による探知
- 排気ガスや飛行機雲やボルテックスによる発見
ステルス性能を語るとき2と5が注目されがちだが、他の性能も必要である。1に関しては機体を黒色に塗り夜間のみ飛行する、4に関してはレーダーを搭載せず、離陸後は無線交信も行なわない、6に関しては高湿度環境(つまり雨天)では飛行しない、といったものである。なお、現在F-117を昼間作戦に投入する実験として灰色迷彩に塗装した"デイホーク"による試験飛行が続けられている。
ステルス機はレーダーに映らないとよく言われ、F-117の存在が発表される以前は、電波を特定の方向に反射せずに全方向に乱反射させて、レーダーに写らない程度に弱めるものと想像されていた。実際には、電波を特定方向にのみ反射する事により探知方向を制限させ、また偶然にも特定方向の反射電波を探知できても、それは一瞬の間に終わってしまうという、予想とは全く逆の方式を用いていた.。むろん特定方向以外に反射される電波も皆無ではないので、レーダーに全く写らないという訳ではなく、写りにくいというだけの事である。むろん、電波吸収塗料も使っており、特定方向以外に反射される電波をさらに抑えるようにはしているが、全くの皆無という訳にはいかない。湾岸戦争時には単機で侵入したF-117もユーゴスラビア介入の際には旧ソ連製の濃密な防空システムをかいくぐるためにEA-6Bの電子戦支援を受けていたといわれる。また当然ながら目視では見える。よって爆撃に向かう際にはレーダーサイトや探知の目をなるべく避けるルートを取る必要があるため、出撃前には綿密なブリーフィングによって航路の確認を行うことになっている。
ただし、「レーダーに写らないはずのF-117が立派にレーダーに写ってしまっていた」と、F-117のステルス性に問題があるかのように報道された事が過去に何度かあるが、これは誤解である。戦闘行動時はともかく、非戦闘行動時においては、レーダーに写りにくい事は百害あって一利もないので(例えば墜落事故を起こしても、その事に気づいてもらえず、救助してもらえない訳である)、その時だけはレーダーにはっきり写るようにしていただけの事である。基地から基地へのフェリー時など非戦闘行動時にはレーダーリフレクターと呼ばれる突起を胴体側面に取り付けレーダー反射率を高めるようにしている。
エンジン排気口は機密とされ、真後ろからの撮影は現在も禁止されている。排気口は押しつぶされたように極端に横方向へ押し広げられており、これに加えて排気口の真下にスペースシャトルの耐熱タイルと似た特性を持つ吸熱タイルを配置して排気温度を下げる工夫がなされている[2]。
レーダー探知を極力避けるために非金属素材が多用されていると言われ、コソボ紛争で撃墜された機体片の写真では木材が使われているのが確認できる。
[編集] 実戦経験
- 実戦初参加は1989年12月19日に行われたオペレーション『Just Cause』の支援である。当初この作戦はパナマで一大麻薬組織と結託する独裁者マニュエル・ノリエガの誘拐であり、2機のF-117が参加したが途中で作戦目標がリオ・ハトのパナマ防衛軍(PDF: Panamanian Defence Force)を混乱させる事に変更され、バックアップのために急遽別の2機が作戦に参加。最終的に更に2機が追加され、合計6機が作戦に加わった。この編隊はネバダのトノパーから出撃し5回の空中給油を受けて目標へ飛来、2000-lb GBU-27A/BおよびBLU-109B/I-2000を投下したが目標の兵舎から数百フィートも外れて着弾し、作戦は後に議会から失敗だったと叩かれた。なお、このとき最初の爆弾投下を行ったのはグレッグ・フィースト少佐で、後に『砂漠の嵐』作戦に参加しイラクでの爆撃も行っている。[3]
- F-117が一躍有名となったのは1991年の湾岸戦争の際であり、爆弾が命中するシーンの映像などが連日テレビで流されハイテク戦争を印象付けた。ただし実際には一般のF-117以外の部隊はコストの問題があり誘導爆弾が使われた比率は少なくほとんどは無誘導爆弾が使われた、そんな中F-117の部隊は終始GBU-27誘導爆弾を使用している。湾岸戦争では44機が参加。42日間、合計1271回の爆撃を遂行し、1機も被害を出さなかった。バグダッド上空を飛んだ唯一の航空機である。[3]
- 1999年のコソボ紛争において3月27日に1機が撃墜されているが、どのようにして撃墜されたかは不明である。当初は赤外線追跡装置を装備するセルビア空軍のMiG-29B戦闘機によって捕捉され撃墜されたとも発表されたが、その後爆弾庫を開いたときを狙ってストレラ2携帯式地対空赤外線誘導ミサイルで撃墜された、後方にいた敵戦闘機によって落とされた、迎撃に上がったMiG-21によって偶然発見され撃墜された、味方の誤射により撃墜された、地元民の猟銃により墜とされたなど諸説ある。しかしながら、F-117の弱点を明らかにしたくないアメリカ軍側からも対米関係を考慮したユーゴスラヴィア(現セルビア)側からも発表はないため、事実は明らかにはなっていない。なお、この機体の破片は裏取引によってロシアに回収されて対ステルス用の地対空ミサイルが開発されたとの情報もあるようであるが[4]、残骸はセルビアの山中に墜落したのを写真で撮影されており様々な航空雑誌にも掲載されたがその後残骸がどうなったかは前述のとおり不明。2006年4月28日の読売新聞では、F-117を撃墜したゾルタン・ダニ中佐(当時。その後大佐に出世し、退役)がインタビューに答え、「ベオグラード西の草原で防空任務中にF-117をレーダーで補足し、地対空ミサイルSA3を発射して撃墜した」と答えている。中佐は大学で電子工学を学んでいたので、独自にSA3のレーダーを改良し、索敵能力をあげていたのだという。記事には、ベオグラードの航空博物館に展示されているF-117の写真も載せられていた。
[編集] スペック
- 全長:19.4m
- 全幅:13.2m
- 全高:3.9m
- 最高速:M0.85
- 航続距離:1200km(空中給油可能)
- エンジン:F404-GE-F1D2 ×2基
- 推力:4900kg
- 空虚重量:13380kg
- 最大離陸重量:23625kg
- ペイロード:約2t
- 乗員:1名
[編集] 登場作品
テロリスト一派に乗っ取られた列車を攻撃するために二機が出撃。ステルス機のために攻撃可能な位置にまでは接近したものの空気の乱れを探知され地震誘発砲で撃墜される。
- プレジデントマン
- エグゼクティブ・デシジョン
- 特殊部隊がハイジャックされた旅客機に乗り込む際にF-117を使用。ただし本物のF-117は、仮にどんなに改造を加えようとも、多数の特殊部隊が搭乗する事など不可能であり、この映画に登場するのはF-117の形をした架空の航空機であるというのが正解。
- 日本のコミックス。主人公猿渡五郎の親友でありライバル、ロストマンが搭乗。コミックスでは、海軍の艦載機となっており、さらに搭載した空対空ミサイルにより、味方輸送機に向かう地対空ミサイルを撃墜している。
- Do As Infinityの曲。ナイトホークのパイロットの攻撃者側の心境と最期を歌ったようなストレートな詩が印象的。またタイトルは宮沢賢治の詩、「よだかの星」ともかけていると思われる。余談だが、この歌をOPに採用したアニメ「ゾイドジェネシス」では、巧みな編集により作品内の遍歴する反乱軍の夜間行軍歌であるかのようにアレンジされている。 アルバムNEED YOUR LOVEに収録。
- 日本のコミックス。主要人物の一人、由崎多汰美が時々ネタに使う。
[編集] 参考文献
- ^ "Air Force’s Stealth Fighter Fleet Heads Toward Retirement," 国防総省, Oct. 31 2006
- ^ a b "Modern Marvel: Stealth Technology," A&E Television Networks, 2005, ISBN 0-7670-9118-3
- ^ a b c d e The Encyclopedia of Modern Military Aircraft. ISBN 1-904687-84-9
- ^ "Russia Offers India $8 Billion Weapons Deal," NewsMax.com, Dec. 12 2001
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | アメリカの戦闘機 | 湾岸戦争