V9 (読売ジャイアンツ)
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V9(ブイ・ナイン)とは、1965年から1973年まで9年に渡り読売ジャイアンツが日本シリーズを制覇した時期のことである。日本におけるスモールベースボールの先駆けとなった。
川上哲治監督のもと、王貞治・長嶋茂雄という二人の稀代のスラッガー(いわゆるON砲)に加え、森昌彦・柴田勲・黒江透修といった名選手や、金田正一・城之内邦雄・堀内恒夫といった球史に名を残す投手が揃い、まさに磐石のチームだった。
しかし1970年頃から、徐々に主力選手の高齢化による衰えが見え始め(同時にチームの勝率も徐々に低下していた)、1974年に与那嶺要監督率いる中日ドラゴンズの優勝を許し、V10はならなかった。なお、この年に川上が勇退し、長嶋・黒江・森も現役を退いた(長嶋はそのまま監督に就任)。
[編集] 特徴
- 当時のジャイアンツは人気絶頂期であり、その頃の子供の好きなものといえば「巨人・大鵬・卵焼き」と言われるほどであった。
- ジャイアンツのV10を阻止したドラゴンズだが、日本シリーズではロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に敗れている。
- この年のドラゴンズは、日本球界初の外国人監督による優勝となった。
- また、そのドラゴンズを破り日本一となったオリオンズは、その31年後の2005年に、日本球界初の外国人監督による日本一となっている。(ボビー・バレンタイン監督。翌2006年もトレイ・ヒルマン監督率いる北海道日本ハムファイターズが日本一となっている。)
- 藤田元司や野村克也といった名監督も、このV9時代のジャイアンツをチーム作りの目標としている。それほどまでに完成度は高かった。今なお日本最強のチームは「V9時代の巨人だ」と言う者が多い。
- このV9の時期は日本の高度経済成長期とほぼ重なり、その終焉もオイルショックによる不況の開始と同時期であった。このことから、時代を象徴する出来事の一つとして語られることも多い。
- V9時代は若手の突き上げが無いに等く、特に野手の入れ替えはほとんどなかったため、レギュラーメンバーのほとんどがベテラン選手であった。レギュラー最年少であった堀内恒夫ですら、V9達成当時25歳である。そのため、長嶋茂雄、黒江透修、森昌彦が高齢のため引退した翌年の1975年は、球団史上初となるシーズン最下位という屈辱を喫している。
- V9を評して「長嶋・王がいるから当たり前だ」という意見があるが、これは間違いである。V9時代は選手個々の実力よりも、むしろドジャース戦法の導入に代表されるように、他球団に先んじてチームプレーを導入した川上監督の野球観に基づくものと言って良い。
[編集] 主な選手
- 野手
[編集] 関連項目
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