FNS歌謡祭
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FNS歌謡祭(エフ・エヌ・エスかようさい)は、フジテレビ系列で毎年12月に放送される大型音楽番組である。
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[編集] 概要
[編集] コンテスト時代(1974年~1990年)
- フジテレビ開局15周年を迎えた1974年、『FNS歌謡祭・音楽大賞』が制定され、7月2日に第1回(予選)が生放送で開催された。初代司会者は小川宏、吉永小百合のコンビだった。制定の目的は、テレビを通して、新しい日本の歌謡曲の方向を定め、明日のテレビ文化の創造を目指し制定することである。『FNS歌謡祭』はテレビを通じて日本の歌謡曲を育て、常にテレビ音楽文化の向上を目指すフジテレビが全国を結ぶフジネットワークシステム・FNSの総力をあげて取り組む年末の一大イベントである。また、『FNS歌謡祭グランプリ』実施にあたっては、「日本音楽事業者協会」「音楽出版社協会」「日本レコード協会」の協賛を得ていた。
- 設定されていた賞は、グランプリ(1974年~1977年は、年間最優秀グランプリ)、最優秀新人賞(1974年は、最優秀ホープ賞)、最優秀歌唱賞、最優秀ヒット賞、最優秀視聴者賞、優秀歌謡音楽賞、優秀新人賞、特別賞、最優秀作詞・作曲・編曲賞等であった。また、グランプリの賞金については、初期は100万円であったが、その後500万円に増額された。ノミネートは、視聴者4000人を対象に実施したアンケート調査の結果をもとに行われた。
- 1974年と1975年に関しては年に2回、上期(夏頃)・下期(年末)とに分けて開催され、上期・下期でそれぞれグランプリを決定し、下期の大会で年間最優秀グランプリを決定するという方式が採られていた。また、1回の大会につき予選・本選の2部に分かれていた。また、上期は前年の12月1日~5月31日、下期は6月1日~11月30日をそれぞれ指した。
- 1974年の年間最優秀グランプリは五木ひろし。ちなみに、五木は1980年、1984年にもグランプリを受賞し、FNS歌謡祭史上最多グランプリ受賞者(3回)である。
- 1976年の第5回から年に1回、年末に開催することとなった。予選・本選の2部制は引き続き導入され、1985年までは毎年12月の第1火曜日に予選、第3火曜日に本選が開催されていた。前者は『発表!FNS歌謡祭'76~'85グランプリ』のタイトルで各賞のノミネート楽曲を発表する形式、後者は『決定!FNS歌謡祭'76~'85グランプリ』のタイトルでノミネート楽曲の中からグランプリを含む各最優秀賞受賞者・受賞曲を決定する形式だった。
- 1986年の第15回より2部制が廃止され、12月上旬の火曜日に開催(『決定!FNS歌謡祭'86~'90グランプリ』のタイトル。ノミネート楽曲→各賞を同日において即時に決定する形式)となった。15回目の放送を記念し民放初の試みとして3時間の生放送となり、同時に発表から決定まで一気に放送されるようになった。
[編集] 歌謡ショー時代(1991年~現在)
- 1990年代初頭辺りから音楽業界が多様化する中で、ライバル「日本テレビ音楽祭」(日本テレビ系)「あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭」(テレビ朝日系)「メガロポリス歌謡祭」(テレビ東京系)など各局の音楽賞レース番組が次々と姿を消した。時代の波に呑まれたFNS歌謡祭も1990年を最後に「音楽大賞」を廃止、翌1991年以降は『FNS歌謡祭』のタイトルを残し、その年を代表する歌手が大挙出演する歌謡ショー形式に変更。1991年放送分のみ歴代のグランプリ受賞者が出演し代表曲を歌うステージとなる。ちなみにその後上記ライバル各局が放送音楽プロデューサー連盟によって結成された「輝け!第1~24回日本歌謡大賞」についても1993年を最後に終了している。(1993年の最終回(東京ベイNKホールで開催)についてはフジテレビ系列で放送。)また、「'91FNS歌謡祭」では大トリであったとんねるず「情けねぇ」の楽曲紹介で当時司会をした露木茂・楠田枝里子両元アナによって初めて「輝け!第22回日本歌謡大賞」(「第22回についてはテレビ朝日系列で放送・当時は8ch→4ch→10ch→12ch→8chの持回り)でとんねるずが大賞を受賞したことを披露した。それまでは番組内で「日本歌謡大賞」を紹介することは皆無であった。(詳しくは下記の関連項目を参照)
- それまで火曜日開催だったFNS歌謡祭はその後、火曜ワイドスペシャルおよびサザエさん(再)枠廃止に伴い1997年からは第1木曜日に、2003年から現在の第1水曜日となり、2度にわたって開催日を変更している。
- 2003年は平均視聴率21.2%、2004年は『30周年記念・2004FNS歌謡祭』と銘打って、平均視聴率21.7%を記録。歌手別では松平健が『マツケンサンバII』で番組出演者内最高視聴率を獲得(視聴率は関東地区、ビデオリサーチ調べ、以下同じ)。
- 2005年はこれまで1996年~2004年の9年間、楠田枝里子・川端健嗣アナの司会から、8代目司会者に黒木瞳・草彅剛を迎え、生演奏の曲目を増加した。さらに、進行役が新たに設けられ、前年まで司会を務めた川端アナが担当した。平均視聴率は20.1%をマーク。
- 2006年は進行役に高島彩アナが加わった。前年同様、ほとんどの曲が生演奏であった。また、平均視聴率は21.3%をマークし、民放の音楽番組としては4年連続で唯一20%越えを記録した。
[編集] 会場の移り変わり
- 現在は新高輪プリンスホテル「飛天」より生放送で行われている(1991年~1995年、1998年~)。1996年・1997年は横浜アリーナ、コンテスト形式時代は中野サンプラザ(1976年の本選、1980年~1985年の予選)、日本武道館(1980年~1985年の本選、1986年・1987年・1989年・1990年)、フジテレビ旧河田町社屋第6特設スタジオ(1988年)、帝国ホテル「孔雀の間」(1974年上期・下期の予選)、京王プラザホテル「コンコードボールルーム」(1975年上期の予選)、旧日劇(1974年上期の本選)、新宿コマ劇場(1974年下期、1975年上期・下期の本選)で開催された。現在、ホテルで開催しているのは、他局とは一線を画した、豪華で格調の高い音楽番組を制作するためであるという。コンテスト形式時代は、ほとんどの年がホールからの公開生放送であったが、現在は関係者以外は会場に立ち入ることができない。
[編集] 出演者の顔ぶれ
- 番組開始初期の1970年代から、番組の黄金期といわれる1980年代にかけては、当時を代表するアイドルたち(西城秀樹、山口百恵、郷ひろみ、松田聖子、田原俊彦、近藤真彦、中森明菜ら)が続々と登場し、数々の名場面を残した。1982年、松田聖子が「野ばらのエチュード」でグランプリを受賞し、感極まって大泣きしたのは有名である。
- 美空ひばりは、芸能生活30周年を迎えた1976年に特別賞を受賞し、1度だけ出演したことがある。「雑草の歌」を高らかに熱唱した。1989年、美空の死去に伴って、特別賞が授与された(死後追贈)。
- NHK紅白歌合戦に出場しない話題のアーティスト等が出演したこともある(1990年までは特別賞受賞対象者)。これまでにはCHAGE and ASKA、小田和正、スティング、デスティニーズ・チャイルド、おニャン子クラブ、ジャッキー・チェン、YMO、子門真人、ビューティ・ペア、クラッシュギャルズ、伊集加代子(伊集加代に改名)、志村けんとだいじょうぶだぁファミリー(後に、志村けんがザ・ドリフターズとして、紅白に出演)、ケニー・ロギンス、一世風靡セピア、a-ha、KinKi Kids、Crystal Kay、V6、フィンツィ・コンティーニー、CoCo、Mr.Children、福山雅治、I WiSH、キグルミ、氷室京介、郷ひろみ&樹木希林などが出演した。
[編集] テーマソングについて
- FNS歌謡祭のテーマソングとして、「花咲く歌声-音楽大賞讃歌-」(当時のコンテスト形式でのOPテロップで紹介していた楽曲名)(作詞:保富康午、作曲:広瀬健次郎)がある。このテーマソングは、コンテスト時代の第1回(1974年)から第19回(1990年)までのオープニング及びエンディングにおいて、東京混声合唱団によるコーラスで歌われていた。また、1980年代のオープニングでは歌詞のテロップも表示されていた。
- しかし、歌謡ショー形式に変更された1991年以降は歌われなくなり、インストゥルメンタルのみとなる。また、曲名のテロップも表示されなくなった。これは、歌詞の一部に「歌に賞を贈ろう」という主旨のものが含まれており、「歌謡ショー」という番組の形式に合わないことによる(この楽曲の歌詞についてはノートの項目を参照)。
- 近年、オープニングとエンディングでの「花咲く歌声」の合唱の復活を要望する視聴者が多く、フジテレビにもそういった要望が多数寄せられているという。その要望に応えてか、2005年放送分では1990年以来15年ぶりに一部のフレーズのみではあるが、歴代司会者のトークの名場面の中で合唱団によって「花咲く歌声」を歌うシーンが久しぶりに放送された。
- CM前後のジングルは長らく同じものが使用されており(第1回から不変?)、CM前ジングルは現在、同番組の5秒CMにも使用されている。ただ2001年から演奏楽器がオーケストラからシンセサイザーに変更され、チープなアレンジになってしまった。
【速報】
- 現在、「You Tube(動画)」に於いて『決定!FNS歌謡祭'85~'86グランプリ』OPシーン(テーマソング「花咲く歌声」を含む)および『輝け!第16回日本歌謡大賞』OPシーン(テーマソング「日本歌謡大賞讃歌」を含む)が公開中です。当時の司会者やコーラスの東京混声合唱団、観客の映像が披露されています。
[編集] 司会者、進行役、平均視聴率
[編集] 司会者
基本的に同番組の司会者は当時のフジテレビの代表的な番組の出演者若しくは同局のアナウンサーが抜擢されることが多い(小川-「小川宏ショー」、吉永・関口-「スター千一夜」、芳村・古舘-「夜のヒットスタジオ」、楠田-「なるほど!ザ・ワールド」、草彅-「SMAP×SMAP」「僕らの音楽」(ナレーション))。
- 小川宏(1974~1976年)
- 吉永小百合(1974年・1975年)
- 浅茅陽子(1976年)
- 芳村真理(1977年~1986年)
- 関口宏(1977年)
- 露木茂(1978年~1995年)
- 古舘伊知郎(1987年~1989年)
- 楠田枝里子(1990年~2004年)
- 川端健嗣(1996年~2004年)
- 草彅剛(2005年~)
- 黒木瞳(2005年~)
[編集] 進行役
2005年から新たに設けられた。これは、フジテレビ所属アナウンサーが務めている。
[編集] 司会組み合わせ、平均視聴率
FNS歌謡祭の司会者の組み合わせの変遷は、次の表の通り。通常は男性・女性によるコンビだが、1987年から1989年までのみ男性コンビ(露木、古舘)による司会となった。
年度 | 男性 | 女性 | 平均視聴率 |
---|---|---|---|
1974年(昭和49年) | 小川 宏 | 吉永小百合 | |
1975年(昭和50年) | |||
1976年(昭和51年) | 浅茅陽子 | ||
1977年(昭和52年) | 関口 宏 | 芳村真理 | 36.0% (本選) |
1978年(昭和53年) | 露木 茂 | ||
1979年(昭和54年) | |||
1980年(昭和55年) | |||
1981年(昭和56年) | |||
1982年(昭和57年) | |||
1983年(昭和58年) | |||
1984年(昭和59年) | |||
1985年(昭和60年) | |||
1986年(昭和61年) | |||
1987年(昭和62年) | 露木 茂 古舘伊知郎 |
― | |
1988年(昭和63年) | |||
1989年(平成元年) | |||
1990年(平成2年) | 露木 茂 | 楠田枝里子 | |
1991年(平成3年) | |||
1992年(平成4年) | |||
1993年(平成5年) | |||
1994年(平成6年) | |||
1995年(平成7年) | |||
1996年(平成8年) | 川端健嗣 | 24.0% | |
1997年(平成9年) | 21.7% | ||
1998年(平成10年) | 19.7% | ||
1999年(平成11年) | 22.2% | ||
2000年(平成12年) | 22.5% | ||
2001年(平成13年) | 16.3% | ||
2002年(平成14年) | 19.0% | ||
2003年(平成15年) | 21.2% | ||
2004年(平成16年) | 21.8% | ||
2005年(平成17年) | 草彅 剛 | 黒木 瞳 | 20.1% |
2006年(平成18年) | 21.3% |
※各年度の平均視聴率は関東地区の数字(ビデオリサーチ調べ)。
- 史上最高平均視聴率は、1977年の本選(12月20日放送)の36.0%であり、近年の平均視聴率は娯楽の多様化によって20%前後で推移している。
- 平均視聴率は2003年~2006年にかけて、4年連続で20%を超えており、これは民放の音楽番組としては唯一である。
- メイン格の司会は、1974年~1976年=小川宏→1977年~1986年=芳村真理→1987年~1995年=露木茂アナウンサー→1996年~2004年=楠田枝里子→2005年=黒木瞳。通常はフジテレビ所属アナウンサーがタレントとコンビを組む場合には「アシスタント」となる場合が一般だが、1987年~1995年の露木アナに関しては、相手役であった古舘伊知郎、楠田枝里子両者が元・局アナであり、かつアナウンサーとしてのキャリアとしては露木のほうが先輩に当たる、ことなどが考慮されてか、当時の新聞欄などでも司会者として古舘・楠田より先に露木アナの名前がクレジットされており、番組内での自己紹介の順序も露木アナの方が先であったなど、全編を通じメイン格司会者としての扱いがなされた(芳村時代について露木は芳村の後に自己紹介を行うなどあくまでも芳村のアシスタント役であった)。
[編集] FNS歌謡祭グランプリ受賞歌手・受賞曲
(1974年~1990年/ただし1974年~1977年は「年間最優秀グランプリ」として授与)
年度 | 歌手名 | 受賞曲名 | 備考 |
---|---|---|---|
1974年(年間) | 五木ひろし | 『みれん』 | |
1975年(年間) | 布施明 | 『シクラメンのかほり』 | アーティストのみ最優秀歌唱賞も受賞 |
1976年(第5回) | 都はるみ | 『北の宿から』 | 最優秀歌唱賞も受賞 |
1977年(第6回) | 石川さゆり | 『津軽海峡冬景色』 | 最優秀歌唱賞も受賞 |
1978年(第7回) | 沢田研二 | 『LOVE(抱きしめたい)』 | |
1979年(第8回) | 西城秀樹 | 『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』 | |
1980年(第9回) | 五木ひろし | 『ふたりの夜明け』 | |
1981年(第10回) | 寺尾聰 | 『ルビーの指環』 | |
1982年(第11回) | 松田聖子 | 『野ばらのエチュード』 | |
1983年(第12回) | 細川たかし | 『矢切の渡し』 | |
1984年(第13回) | 五木ひろし | 『長良川艶歌』 | |
1985年(第14回) | 中森明菜 | 『ミ・アモーレ』 | |
1986年(第15回) | 中森明菜 | 『DESIRE-情熱-』 | |
1987年(第16回) | 近藤真彦 | 『愚か者』 | |
1988年(第17回) | 中山美穂 | 『Witches』 | |
1989年(第18回) | 光GENJI | 『太陽がいっぱい』 | |
1990年(第19回) | B.B.クイーンズ | 『おどるポンポコリン』 |
[編集] FNS歌謡祭最優秀新人賞受賞歌手・受賞曲
(1974年~1990年、ただし1974年は「最優秀ホープ賞」として授与)
年度 | 歌手名 | 受賞曲名 | |
---|---|---|---|
1974年 | 上期(第1回) | 中条きよし | 「うそ」 |
下期(第2回) | 西川峰子 | 「あなたにあげる」 | |
1975年 | 上期(第3回) | 細川たかし | 「心のこり」 |
下期(第4回) | 岩崎宏美 | 「ロマンス」 | |
1976年(第5回) | 内藤やす子 | 「思い出ぼろぼろ」 | |
1977年(第6回) | 清水健太郎 | 「失恋レストラン」 | |
1978年(第7回) | さとう宗幸 | 「青葉城恋唄」 | |
1979年(第8回) | 倉田まり子 | 「How!ワンダフル」 | |
1980年(第9回) | 田原俊彦 | 「ハッとして!Good」 | |
1981年(第10回) | 近藤真彦 | 「ギンギラギンにさりげなく」 | |
1982年(第11回) | シブがき隊 | 「100%・・SOかもね」 | |
1983年(第12回) | THE GOOD-BYE | 「気まぐれone way boy」 | |
1984年(第13回) | 岡田有希子 | 「Dreaming Girl 恋、はじめまして」 | |
1985年(第14回) | 本田美奈子 | 「Temptation(誘惑)」 | |
1986年(第15回) | 少年隊 | 「仮面舞踏会」 | |
1987年(第16回) | BaBe | 「I don't know!」 | |
1988年(第17回) | 大和さくら | 「王将一代 小春しぐれ」 | |
1989年(第18回) | マルシア | 「ふりむけばヨコハマ」 | |
1990年(第19回) | 忍者 | 「お祭り忍者」 |
[編集] 演奏オーケストラ
- 1974年~1984年 ダン池田とニューブリード(指揮:ダン池田)
- 1985年 ザ・ニューブリードスペシャル(指揮:三原綱木)
- 1986年~1988年 THE HIT SOUND SPECIAL(指揮:新井英治)
- 1989年 THE HIT SOUND SPECIAL(指揮:服部隆之)
- 1990年よりオーケストラ制度が廃止されたが、徐々に生演奏の良さが見直され、2002年頃より小規模ながら復活した。しかし、1989年までのオーケストラの編成の形はとられず、バイオリンのみというのが多い。指揮者も設置されず。
- 2005年では紹介された楽曲のうち半数がハウスバンドによる生演奏となる。最後のSMAPの曲のみ指揮者が設置され、1989年に指揮を担当していた服部隆之が担当した。2006年についても、大半の楽曲が生演奏であった。
[編集] 補足
- 木曜日時代の1999年~2002年までの4年間、裏番組のTBSテレビ『うたばん』が『うたばんF・N・S歌謡祭(フレッシュ・ノーギャラ・スペシャル)』と題した企画を放送していた(2002年にこの回に出演しなかったSMAPが出演したらしく、これに関する苦情が多かったらしい)。
- FNS歌謡祭テーマソング「花咲く歌声」は「オレたちひょうきん族」内のパロディー企画『ひょうきん歌謡大賞』のテーマソングにも流用されていた。しかし『ひょうきん歌謡大賞』は「FNS歌謡祭」よりも、「日本歌謡大賞」をモチーフにしている。
- 『ワンナイR&Rスペシャル』で2005年4月6日の21:30~23:48(JST)に、松浦ゴリエプロデュースによる「FNS志賀歌謡祭」という企画を放送していた。APの志賀直哉に対して離婚経験芸能人が判定する「行列ができる離婚相談所」や生放送部分もあった。(この企画に関してはFNS歌謡祭責任者の港浩一の許可もあり実現)
- 「秘蔵VTR感動の名曲集」(1974年からその年の昨年放送分まで)は2002年放送分からオンエアされている(2002年の放送分よりようやく1974年~1990年までのいわゆるコンテスト形式の名場面も含まれて放送されるようになった)。それに加えて2004年では歴代司会者のうち初代の小川宏・吉永小百合、黄金期であった1978年~1986年の司会コンビ、芳村真理・露木茂のトークの名場面が放送されたが、2005年では草彅剛・黒木瞳を除く全ての歴代司会者のトークの名場面が放送されていた。また2005年ではコンテスト形式時代の「グランプリ」「最優秀新人賞」受賞シーンの名場面をピックアップして放送している。2003年より2005年まではジャニーズ事務所所属タレントやOBを中心とした「ジャニーズ名曲セレクション」(2003年-2004年)「ジャニーズヒストリー」(2005年)も併せて放送されていた。
- 歌謡ショー形式に変更されてからの数年間は、「ベストヒットセレクション」として1990年代のみの形式変更後の名曲しか放送されていなかった。
- 2001年では「2001FNS歌謡祭・放送10周年記念」と題していたが、これはコンテスト形式の年数を含まない形で「10周年」としていた。しかし、コンテスト形式時代を歴史から抹消されたことに対し、しかも「10周年」と題しながらオープニングと提供バックにコンテスト形式時代の映像が流れていたことに対して、一部から抗議の声も上がったのか、次第にコンテスト形式時代からの歴史が尊重されるようになり、2004年は「30周年記念・2004FNS歌謡祭」と題し、1974年の第1回の放送から通算した年数のタイトルで放送された。
<※提供スポンサーの題目については「ノートの項目」に記載されているとおりの条件により一切省略させて戴きます。また番組放送枠の経緯についても番組の内容とは直接関係のないスポンサーの記事等が表現されているため、これについても省略させて戴きます。極端に無駄な行数となり、しかもプリンター出力の際の紙面の無駄遣いを省きたいという意見が多数ある為、当サイトの項目「FNS歌謡祭」での投稿はされませんよう厳粛にお願い致します。>
[編集] 2006FNS歌謡祭(第35回)
- 放送日時 2006年12月6日(水曜日)19:00~23:18(JST)
- 放送局 フジテレビ系列27局ネット(テレビ大分を除く)
- 会場 新高輪プリンスホテル「飛天」
- 司会 草彅剛、黒木瞳
- 進行役 川端健嗣、高島彩(フジテレビアナウンサー)
- 出演者