オフコース
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オフコース(Off Course)は、日本の音楽グループ(フォークグループ)。
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[編集] 概略
小田和正・鈴木康博・地主道夫らが、神奈川県横浜市の聖光学院高校時代にフォーク・グループを結成したのがオフコースの始まりである。1970年にデビュー。当初は生ギターを中心としたフォークソング的な曲を歌っていた。当時から実力は評価されながらも長年ヒット曲に恵まれなかった。結成9年目の1979年に松尾一彦、清水仁、大間ジローが加わり、バンドサウンドとなる。結成10年目の『さよなら』を初め、数多くのヒット曲で時代を代表するビッググループになったが、音楽番組全盛の時代にあって、珍しくほとんどテレビ番組に出ないで、レコード制作とコンサートに力を注ぐ姿勢を貫いた。 シンプルで普遍的な愛の歌詞とニューミュージックと言われた洋楽のエッセンスを持ったポップな楽曲と美しいハーモニーは多くの人を魅了した。オフコースの曲は近年でも、多くのアーティストによってカヴァーされ、歌われ続けている。 鈴木の脱退後、一時活動を休止した後、4人での活動時もヒット曲を連発し、変わらぬ人気を博する。4人で5年近くの活動の末、結成から19年目にあたる1989年に解散。その後、小田と鈴木はソロとして、松尾、清水、大間はABCというグループで活動している。再結成を望む声は当初から多かったが、現在のところ、その可能性は薄いと見られている。
[編集] メンバー
[編集] 正式メンバー
- 小田和正(おだ かずまさ キーボード (結成~解散)) 1947年9月20日、神奈川県横浜市金沢区出身。東北大学工学部、早稲田大学理工学部建築家修士課程卒業。
- 鈴木康博(すずき やすひろ ギター (結成~1983年8月31日)) 1948年2月18日、静岡県田方郡修善寺町出身。東京工業大学工学部制御工学科卒業。小田とは対照的な男っぽい詞を書く。編曲にも大きな力を発揮してきた職人的存在。
- 清水仁(しみず ひとし ベース (1979年8月1日~解散)) 1950年11月25日、大阪府大阪市西成区出身。尊敬する人は“自分”というマイペースな人柄。ライブでもコーラスをこなす。ザ・バッドボーイズを経て、1976年10月よりオフコースに参加。
- 大間ジロー(おおま じろー (本名:大間仁世 おおま ひとせ) ドラムス、パーカッション (1979年8月1日~解散)) 1954年5月14日、秋田県小坂町出身。秋田県立大館鳳鳴高校卒業。高校時代に松尾と出会い音楽活動を共にする。ジャネットを経て、1976年5月よりオフコースに参加。
- 松尾一彦(まつお かずひこ ギター、ハーモニカ (1979年8月1日~解散)) 1954年8月7日、秋田県八森町出身。秋田県立能代高校卒業。幼い頃から音楽に目覚め、早5歳で作曲したという。オフコース在籍時から他のアーティストに曲を提供している。ジャネットを経て、1976年10月よりオフコースに参加。
[編集] 来歴メンバー
- 地主道夫(じぬし みちお ギター (結成~1971年2月頃)) 脱退後、竹中工務店に入社。有能な設計家として日刊ゲンダイ(平成6年6月16日号)で「超売れっ子設計家」として取り上げられたこともある。
- 須藤尊史(すどう たかふみ ドラムス (結成~1965年)) 高校3年時の聖光祭に小田・鈴木・地主とともにステージに立つ。
- 小林和行(こばやし かずゆき ベース (1970年10月頃~1972年5月19日)) 小田・鈴木の聖光学院時代の後輩。加入当時、早稲田大学学生でその後、小田らの勧めで学業に戻る。
- 吉田浩二(よしだ こうじ コーラス (1972年5月13日~同年5月19日)) 当時のオフコースのマネージャーで、第1回東京音楽祭出演のための助っ人として加入。
- 城間正博(しろま まさひろ ドラムス (1978年)) 1973年~1976年、ザ・バッドボーイズで“リンゴ”として清水とともに活動。1978年春のツアー時、病気の大間に代わり一時加入。
[編集] 略歴
[編集] ~1968年
- 1964年、高校2年のクリスマス・パーティーでバンドの生演奏をしたことがきっかけとなり、翌年の文化祭(聖光祭)のステージに立つことを目指しメンバーの中から小田和正、鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人でグループが結成される。
- 1965年(高校3年生)、聖光祭に出演。当初は本編の前座的な意味合いで午前中に登場、「グリーン・スリーブス」や「イエロー・バード」などフォークのヒット曲を演奏し歌ったが評判となり、閉会式の前にアンコールでステージに立った。このとき味わった喜びが、その後の小田・鈴木・地主の音楽を通じての交流に繋がった。
- 高校卒業後、鈴木康博は東京工業大学制御工学科に、小田和正は東北大学建築科にそれぞれ進学、離ればなれになる(千葉大学医学部に進学することも考えていたが、見学に行ったときに「カーテンが薄汚れていた」という理由でやめた)。しかし、休日に鈴木が車に機材を積み込んで仙台まで行って練習は続けられた。
- 大学時代、自主コンサートを毎年開催するほか、聖光学院時代の友達から頼まれて演奏したり、他の大学の文化祭に呼ばれるなど、3人は活発な演奏活動を続けた。
[編集] 1969年
- 7月20日、第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト(LMC)仙台地区予選(仙台西花園)に出場、第2位。仙台地区からの出場は、関東地区から出場すれば非常に競争が激しいだろうという計算もあってのことだった。このとき、グループ名が必要となり、「ジ・オフ・コース」と名付けた。そのころ、彼らを応援していた友人達が作っていた野球グループが「オフ・コース(OF COURSE)」だったので、それに“F”をひとつ足したのだった。
- 8月31日、宮城県予選(宮城県民ホール)に出場、第1位を獲得。
- 9月、東北地区本選大会(仙台電力ホール)に出場、第1位を獲得し、全国大会へ進出。
- 11月2日、LMC全国グランプリ大会(新宿厚生年金会館大ホール)第2位(このときの第1位が赤い鳥)。この時のレパートリーは「One Boy」(ミュージカル『バーディー・バーディー』挿入歌)と「Jane Jane」(Peter,Paul&Mary)、小田和正は最優秀歌唱賞を受賞。自分たちの演奏には絶対の自信があり、優勝して「ジ・オフ・コース」とアマチュア音楽活動を終え社会人になるつもりだったが、2位にとどまったことで小田・鈴木は気持ちに決着がつかなくなった。鈴木はミュージシャンになることを親に反対されていたが、これで音楽で生きて行こうと決心が固まり、内定を取っていた安川電機への就職を辞退した。
[編集] 1970年
- 4月5日、シングル「群衆の中で(作詞:山上路夫 作曲:BETTY DEAN) / 陽はまた昇る(作詞:山上路夫 作曲:上条友章 補作曲:村井邦彦)」(ジ・オフ・コース:小田・鈴木・地主道夫)でデビュー。キャッチフレーズは美しいハーモニーをアピールする“日本のカーペンターズ”であった。
- 10月、ベーシストの小林和行が加入。
- 11月14日、赤い鳥と“8人の音楽会”開催(大手町サンケイホール)。
[編集] 1971年
- 2月、地主道夫が建築の道へ進むためにグループを脱退。
- 5月、“パシフィック・エンタープライズ”に所属。
- 10月5日、シングル「夜明けを告げに(作詞:山川啓介 作曲:加藤和彦) / 美しい世界(作詞・作曲:小田和正)」(小田・鈴木・小林和行)発売。
[編集] 1972年
- 4月25日、シングル「おさらば(作詞・作曲:東海林修) / 悲しきあこがれ(作詞:山上路夫 作曲:東海林修)」(小田・鈴木・小林・吉田浩二)発売。グループ名を「オフ・コース」とする。
- 5月13日、コーラスの吉田浩二が加入。第1回東京音楽祭出場、「おさらば」を歌う。
- 5月19日、メンバーが小田・鈴木の二人となる。
- 6月9日、ラジオ関東“ヤングヤングミュージック・イン・テクニクス”初出演。のちに“オフコースの小さな部屋”のテーマソング「小さな部屋」を生んだ番組。
- 9月13日、第1回リサイタル“オフコース・コンサート・イン・横浜”開催(横浜市教育会館)。
[編集] 1973年
- 2月1日、杉田二郎と“サブミュージック・パブリッシャーズオフィス”を設立。
- 2月20日、シングル「僕の贈りもの / めぐり逢う今」発売。
- 5月1日、“ラブ・ジェネレーション・コンサート”を全国12箇所で開催(~5月25日まで)。東芝レコード所属アーティストによるイベントコンサート。サディスティック・ミカ・バンド, チューリップ, 赤い鳥らとともにオフコースも出演した。
- 6月5日、ファースト・アルバム『オフ・コース1 / 僕の贈りもの』発売。
- 9月9日、第2回オフコース・リサイタル“グリーン・ラブ”開催(日仏会館)。
- 11月26日、アルバム・レコーディング開始(~1974年3月10日まで)。
[編集] 1974年
- 4月5日、シングル「もう歌は作れない / はたちの頃」発売。
- 5月5日、アルバム『この道をゆけば / オフ・コース・ラウンド2』発売。
- 5月7日、第3回オフコース・リサイタル“明日への歩み”開催(日本青年館大ホール)。
- 10月20日、シングル「忘れ雪 / 水いらずの午後」発売。
- 10月26日、第4回オフコース・リサイタル“秋ゆく街で”開催(中野サンプラザホール)。
- 12月20日、アルバム『秋ゆく街で / オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』発売。
[編集] 1975年
- 3月22日、“オフコースの小さな部屋 Vol.1”–なぜ音楽活動を続けるか– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:山本コータロー, 南高節, 斉藤哲夫, イルカ)。当時のマネージャー上野博の発案で計画された。一味違った人たちと触れ合う中で何か新鮮なものを見つけ、色彩の豊かなコンサートにしようという目的でこの年に5回、全部で計8回開かれた。
- 4月、武藤敏史がオフコースの担当ディレクターとなる。
- 4月27日、“オフコースの小さな部屋 Vol.2”–お帰りなさいジローちゃん– 開催(神田共立講堂 ゲスト:杉田二郎)。
- 6月8日、“オフコースの小さな部屋 Vol.3”–みつはしちかこさんを迎えて– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:みつはしちかこ, イルカ)。
- 7月2日、シングル、アルバム・レコーディング開始(~11月6日まで)。
- 8月17日、“オフコースの小さな部屋 Vol.4”–フォーク史をたどる– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:石川鷹彦, 新田和長)。
- 10月4日、第5回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でⅡ”開催(中野サンプラザホール)。
- 11月24日、“オフコースの小さな部屋 Vol.5”–コーラスの世界– 開催(日本青年館大ホール)。
- 12月20日、シングル「眠れぬ夜 / 昨日への手紙」とアルバム『ワインの匂い』を同時発売。
[編集] 1976年
- 1月28日、「オフ・コースとイルカの年賀状コンサート」開催(日本青年館 ゲスト:なぎら健壱)。
- 2月、小田、早稲田大学大学院を卒業。
- 2月26日、シングル「ひとりで生きてゆければ」レコーディング開始(~2月29日まで)。プロデューサーである武藤敏史が以前ディレクターを担当していた「ジャネット」の元メンバー大間ジローをレコーディングに参加させる。
- 5月5日、シングル「ひとりで生きてゆければ / あいつの残したものは」発売。同日、大間ジロー加入。
- 5月23日、“オフコースの小さな部屋 Vol.6”–音楽の多様性その1:音楽はいかに映像を助けるか、また映像はいかに音楽を助けるか– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:加藤和彦)。
- 8月1日、それまで所属していた“サブミュージック・パブリッシャーズオフィス”から独立、“オフコース・カンパニー”を設立。
- 8月15日、アルバム・レコーディング開始(~9月15日まで)。
- 10月5日、シングル「めぐる季節 / ランナウェイ」発売。
- 10月23日、第6回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でⅢ”開催(中野サンプラザホール)。松尾一彦と清水仁が加入。清水の参加に鈴木は「技術力が無い」として反対したが、小田が「絶対オフコースには仁のような人柄の人間が必要だ」として引き下がらなかった。鈴木は多少納得しきれないところもあったがこれを了承、清水の人間的な雰囲気の良さに「結果的には小田の言う通りになった」と後に語っていた。
- 11月5日、アルバム『SONG IS LOVE』発売。清水は「バッド・ボーイズ」としての契約がまだ残っていたためレコーディングでは演奏には不参加だが、この頃から実質的に5人のバンドとなった。
- 11月10日、シングル・レコーディング開始(~12月7日まで)。
[編集] 1977年
- 2月5日、シングル「こころは気紛れ / あなたがいれば」発売。
- 4月8日、「春のコンサート・ツアー」開始(~9月28日まで:全国37ヶ所)。
- 4月25日、“オフコースの小さな部屋 Vol.7”–音楽の多様性その2:弦カル・トマトを迎えて。ひとつの音がいくつか集まるとどのような音楽において、どんな風に音の広がりが出てくるか– 開催(九段会館)。
- 5月9日、シングル、アルバム・レコーディング開始(~7月22日まで)。
- 8月5日、シングル「秋の気配 / 恋人よそのままで」発売。このシングルより「オフコース」名義(オフとコースの間のコンマがなくなる)になる。
- 9月5日、アルバム『JUNKTION』発売。
- 10月9日、「秋のコンサート・ツアー」開始(~1978年2月27日まで:全国39ヶ所)。
- 10月23日、第7回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でⅣ”開催(中野サンプラザホール)。
- 11月20日、シングル「ロンド / 思い出を盗んで」発売。
[編集] 1978年
- 1月18日、シングル・レコーディング開始(~2月22日まで)。
- 3月10日、「春のコンサート・ツアー」開始(~7月24日まで:全国41ヶ所)。このツアー中、大間ジロー病気のため城間正博が一時加入。
- 4月5日、“オフコースの小さな部屋 Vol.8”–78年度オフコース大賞– 開催(渋谷公会堂 ゲスト:財津和夫)。
- 4月5日、シングル「やさしさにさようなら / 通りすぎた夜」発売。
- 4月19日、アルバム・レコーディング開始(~8月8日まで)。
- 5月5日、アルバム『SELECTION 1973-78』発売。
- 7月20日、シングル「あなたのすべて / 海を見つめて」発売。
- 9月20日、「秋のコンサート・ツアー」開始(~1979年1月31日まで:全国60ヶ所)。
- 10月5日、アルバム『FAIRWAY』発売。
- 10月21日、シングル・レコーディング開始(~11月7日まで)。
[編集] 1979年
- 1月20日、シングル「愛を止めないで / 美しい思い出に」発売。
- 3月14日、シングル・レコーディング開始(~4月2日まで)。
- 3月22日、「春のコンサート・ツアー」開始(~8月5日まで:全国61ヶ所62回公演)。
- 5月16日、アルバム・レコーディング開始(~8月28日まで)。
- 6月5日、シングル「風に吹かれて / 恋を抱きしめよう」発売。
- 8月1日、松尾一彦、清水仁、大間ジローが、正式にバンドメンバーとなる。
- 8月4日、「オフコース田園コロシアム」開催(~5日まで)。
- 9月24日、シングル・レコーディング開始(~10月8日まで)。
- 10月16日、「OFF COURSE CONSERT “Three and Two”」開始(~1980年2月25日まで:全国51ヶ所63回公演)。
- 10月20日、アルバム『Three and Two』発売。表ジャケットには新加入の清水・大間・松尾の3人が登場し、小田と鈴木は裏ジャケットに写った。
- 12月1日、シングル「さよなら / 汐風のなかで」発売。大ヒットとなりオリコンシングルチャート第2位を記録。一躍人気「ニューミュージック・バンド」と呼ばれるようになる。
[編集] 1980年
- 3月3日、シングル・レコーディング開始(~4月21日まで)。
- 3月5日、シングル「生まれ来る子供たちのために / この海に誓って」発売。
- 5月1日、「OFF COURSE CONSERT “LØVE”」開始(~6月28日まで:オフコース初の日本武道館公演を含む全国15ヶ所21回公演)。
- 5月5日、アルバム『LIVE』発売。
- 6月21日、シングル「Yes-No / 愛の終わる時」発売。
- 8月6日、アルバム・レコーディング開始(~9月25日まで)。
- 10月21日、伊豆エメラルドタウンにて、ツアー・リハーサル合宿(~11月7日まで)。
- 11月10日、「OFF COURSE CONSERT “We are”」開始(~1981年3月28日まで:日本武道館4日間公演を含む全国47ヶ所58回公演)
- 11月21日、アルバム『We are』発売。初めてオリコンチャートで1位を獲得する。
- 11月25日、小田和正サウンドプロデュースシングル「夜明けのグッドバイ」(イルカ)発売(SIDE A のみ)。
- 12月1日、シングル「時に愛は / 僕等の時代」発売。
- 12月21日、小田和正サウンドプロデュースアルバム『我が心の友へ』(イルカ)発売(11曲中6曲)。
- 年末、鈴木がメンバー、そしてスタッフへ脱退を表明。小田の懸命の説得にも関わらず鈴木の意志は変わらなかった。
[編集] 1981年
- 4月、シングル・レコーディング開始。
- 5月25日、小田和正サウンドプロデュースシングル「Follow Me」(イルカ)発売(SIDE A のみ)。
- 6月5日、鈴木康博プロデュースシングル「君が好き」(あんべ光俊)発売。
- 6月21日、シングル「I LOVE YOU / 夜はふたりで」発売。
- 8月16日、アルバム製作開始(~10月30日まで)。L.A.にてトラックダウン。
- 9月1日、アルバム『SELECTION 1978-81』発売。
- 10月5日、小田和正サウンドプロデュースアルバム『FOLLOW ME』(イルカ)発売(「Follow Me」のみ)。
- 10月21日、鈴木康博プロデュースアルバム『Born to be Wild』(あんべ光俊)発売。
- 11月15日、アルバム製作開始(~1982年6月6日まで)。
- 11月23日、NHK教育テレビのドキュメンタリー番組『若い広場』に出演。
- 12月1日、シングル「愛の中へ / Christmas Day」とアルバム『over』を同時発売。
- 12月31日、『We are』が「第23回 輝く!日本レコード大賞」の“ベスト・アルバム賞”を受賞(他に松任谷由実『水の中のASIAへ』、大滝詠一『A LONG VACATION』も同賞を受賞)。
[編集] 1982年
- 1月3日、NHK教育テレビのドキュメンタリー番組『若い広場』にて「オフコースの世界」放映。アルバム『over』の製作過程を追ったもの。
- 1月22日、「Off course Concert 1982 “over”」開始(~6月30日まで:全国28ヶ所69回公演)。観客動員数はのべ10万人を越えた。
- 2月1日、シングル「言葉にできない / 君におくる歌」発売。
- 6月10日、シングル「YES-YES-YES / メインストリートをつっ走れ」発売。
- 6月15日、前人未踏の日本武道館連続10日間公演実施(~6月30日まで)。コンサートへの申し込みは約53万通にも及んだ。その後約3年間、ライブ活動を休止する(最終日には小田が、感極まり「言葉にできない」で涙を流し、歌に詰まっている)。
- 7月1日、アルバム『I LOVE YOU』発売。
- 7月、オフコース初のTVスペシャル『NEXT』の製作開始。
- 9月21日、アルバム『NEXT SOUND TRACK』発売。
- 9月29日、TBS系特別企画オフコース・スペシャル『NEXT』放映。ストーリーは1982年夏の武道館コンサート後に解散し、それぞれの道を歩んでいたメンバーが5年後の1987年夏に無理矢理再結成させられ9月21日に5年前と同じ設定で再び武道館でコンサートを行うというもの。6月30日の武道館のライヴ映像をダイジェストで使用、「マジカル・ミステリー・ツアー」の影響が感じられる作品であった。共演は謎の男役に中村敦夫、再結成についてコメントをする近藤真彦 (声は田原俊彦)・具志堅用高・小森和子(の物真似)で片岡鶴太郎がそれぞれ出演したほか、メンバーを連れ去る2人組としてスタッフの富樫要と上野博も出演した)。
- 9月29日、フィルム・コンサート「Off Course Consert 1982.6.30」開始(~1983年1月31日まで:全国240ヶ所393回上映)。
[編集] 1983年
- 3月、海外用デモテープレコーディング。
- 3月21日、大間ジロープロデュースシングル「tomorrow –すべては時の中に–」(あんべ光俊)発売。
- 8月21日、鈴木康博ソロデビュー、シングル「愛をよろしく / ラララ~愛の世界へ~」とアルバム『Sincerely』を同時発売。
- 8月21日、大間ジロープロデュースアルバム『HEARTS』(あんべ光俊)発売。
- 8月29日、栃木県・ジュンクラッシックゴルフ場にて行われた合宿でメンバー、スタッフを含むミーティング実施。“4人での再出発”を決める(~9月1日まで)。
- 10月21日、アルバム・プリプロダクション開始(~1984年5月4日まで)。
- 10月29日、日中文化交流協会主催による中国旅行(~11月22日まで)。
- 11月3日、アルバム『YES-YES-YES』発売。
- 12月8日、清水の友人、リッキー&リボルバーの誘いで急遽、渋谷エッグマンで行われた“ジョン・レノン追悼コンサート”に飛び入り出演。「Long Tall Sally」など3曲を演奏。
[編集] 1984年
- 2月14日、小田、フジテレビ系『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に明石家さんまからの紹介で出演、翌15日の“お友達”に星野仙一を紹介する。
- 4月21日、シングル「君が、嘘を、ついた / 愛よりも」発売。これも同じくオリコンシングルチャートで第2位。このシングルより、小田・松尾・清水・大間の4人となる。
- 4月26日、「君が、嘘を、ついた」プロモーションビデオ制作(~6月21日まで)。
- 6月21日、アルバム『The Best Year of My Life』発売。
- 6月23日、フジテレビ系『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」に第1位で出演、「君が、嘘を、ついた」のプロモーションビデオ・プレミアム鑑賞会を行う。
- 7月6日、「夏の日」プロモーション・フィルム制作(~7月20日まで)。
- 7月18日、シングル「夏の日 / 君の倖せを祈れない」発売。
- 8月30日、「緑の日々」プロモーション・フィルム制作(~9月24日まで)。
- 9月21日、シングル「緑の日々 / CITY NIGHTS」発売。
- 11月21日、シングル・レコーディング開始(~1985年1月14日まで)。
[編集] 1985年
- 1月、アメリカでのアーティスト契約への足がかりとして自身の曲を全て英訳したアルバムのレコーディングを開始(~3月8日まで)。
- 2月3日、シングル・レコーディング開始(~3月8日まで)。
- 2月21日、シングル「call / 2度目の夏」発売。
- 4月26日、「OFF COURSE CONSERT ’85 “The Best Year of My Life”」開始(~10月17日まで:全国42ヶ所56回公演)。約26万人動員。
- 5月22日、シングル「たそがれ / LAST NIGHT」発売。
- 6月1日、松任谷由実・小田和正・財津和夫共作のシングル「今だから」発売。
- 6月15日、国立競技場で行なわれた国際青年年記念イベント“All Togather Now”に出演。吉田拓郎のバックバンドを担当したほか、小田は同イベントのテーマソング「今だから」を松任谷由実, 財津和夫とともに歌った。
- 7月31日、シングル・レコーディング開始(~8月8日まで)。
- 8月1日、アルバム『Back Streets of Tokyo』発売。同年初頭にレコーディングされた英語詩の楽曲をまとめたもの。結果的に契約実現までには至らなかった。
- 9月21日、シングル「夏から夏まで / ぜんまいじかけの嘘」発売。
- 10月15日、国立代々木競技場・第一体育館にて追加公演(~17日まで)。
- 11月30日、シングル「ENDLESS NIGHTS / EYES IN THE BACK OF MY HEART」発売。
[編集] 1986年
- 5月8日、小田渡米(~11月24日まで)
- 7月2日、松尾一彦ソロシングル「普通のオフィスレディ」発売。
- 7月17日、大間ジロープロデュースシングル「センターラインが終わる時」(勇直子)発売。
- 7月23日、松尾一彦ソロアルバム『WRAPPED WOMAN』発売。
- 9月29日、清水仁ソロシングル「上を向いて歩こう」発売。
- 10月6日、清水仁ライブハウスツアー開始(~10月31日まで:全国9ヶ所10回公演)。
- 10月22日、清水仁ソロアルバム『ONE』発売。
- 11月1日、小田和正ソロシングル「1985」発売。
- 11月21日、大間ジロープロデュースアルバム『アスファルトの天使たち』(勇直子)発売。
- 12月3日、小田和正ソロアルバム『K.ODA』発売。
- 12月15日、アルバム『as close as possible』レコーディング開始(~1987年2月21日まで)。
[編集] 1987年
- 3月4日、シングル「IT’S ALL RIGHT(ANYTHING FOR YOU)/ IT’S QUITE ALL RIGHT(INSTRUMENTAL)」発売。
- 3月28日、アルバム『as close as possible』発売。
- 4月17日、「OFF COURSE TOUR 1987 “as close as possible”」開始(~9月6日まで:全国50ヶ所69回公演)。
- 5月25日、シングル「もっと近くに(as close as possible)/Tiny Pretty Girl」発売。
- 7月5日、アルバム『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION Ⅲ 1984-1987』発売。
- 7月15日、シングル・レコーディング開始(~7月17日まで)。
- 11月5日、清水仁ソロ・プロジェクト“Project ONE”シングル「二人だけの海 / 二人だけの海(Instrumental Version)」発売。
- 11月25日、Project ONEミニ・アルバム『ONE NIGHT』発売。
- 11月25日、ビデオ『OFF COURSE TOUR 1987 –as close as possible–』発売。
[編集] 1988年
- 1月25日、シングル「君住む街へ / 君住む街へ –INSTRUMENTAL VERSION–」発売。
- 3月5日、小田和正ソロシングル「僕の贈りもの / After Forever」発売。
- 3月5日、小田和正ソロアルバム『BETWEEN THE WORD & THE HEART』発売。
- 3月30日、アルバム『Still a long way to go』レコーディング開始(~5月2日まで)。
- 6月9日、アルバム『Still a long way to go』発売。
- 6月9日、「OFF COURSE TOUR 1988-’89 “STILL a long way to go”」開始(~1989年2月3日まで:全国83ヶ所102回公演)。
- 7月25日、シングル「she’s so wonderful / 陽射しの中で」発売。
- 10月25日、シングル「夏の別れ / 逢いたい」発売。
- 11月、ファンクラブの会員に向けて解散を正式に発表。
[編集] 1989年
- 2月26日、スペシャルライブ“The Night with Us”東京ドーム公演を実施。これはファンや長く務めて来たオフコースのスタッフらの強い働きかけにより実現した。ここでも小田は「言葉にできない」で涙を流して歌に詰まった(このコンサートの映像化を希望する声は多いが未だに実現していない)。このコンサートをもってオフコース解散。
[編集] 1990年~
- 1999年3月、清水仁、松尾一彦、大間ジローがA.B.C.(Acoustic Beatles Club)を結成。
- 1996年2月1日、小田和正『LOOKING BACK』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム。
- 1996年10月23日、鈴木康博『BeSide』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム。
- 2000年11月2日、A.B.C.『ABC VOL.1』発売。
- 2001年5月26日、小田和正『LOOKING BACK 2』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム第2弾。
- 2001年9月26日、DVD『Off Course 1969-1989 Digital dictionary』発売。
- 2003年12月22日、A.B.C.『ABC VOL.2』発売。
- 2004年12月8日、鈴木康博『FORWARD』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム第2弾。
- 2006年12月6日、ベストアルバム『i(ai)』発売。グループ解散後初の、全メンバー公認のオール・タイム・ベストアルバム。
[編集] 音作り
最初にコード進行を作り、そこにみんなでアレンジを加えて行き、最後に詞を作るという。 オフコースは5人で演奏可能なアレンジでレコーディングする方針を取っていた。小田によると、オーバープロデュースは嫌うので、音的には足りない部分もあるが、聞く人が足して聴いてくれればいいという。
[編集] エピソード
- 「オフコース」の名前の由来は「もちろん(of course)」ではなく、「道を外れる(off course)」という意味であるが、命名のヒントになったのは聖光野球部OB草野球チーム「of course」(勝って当然(of course)、もちろん(of course)勝つ)である。
- 「オフ・コース」時代の1974年10月26日、中野サンプラザでのコンサートで、新曲『忘れ雪』(作詞・松本隆、作曲・筒美京平)を演奏予定だったが、レコード会社の幹部が来ていたにもかかわらず「自分たちが作った曲ではない」という理由で演奏しなかった。その後、この出来事はファンのあいだで「『忘れ雪』事件」と呼ばれるようになり、この曲はその後も生演奏されることはなかった。ライブ・アルバム『秋ゆく街で』は、この時のステージが収録されたものである。
- アルバム「ワインの匂い」の制作にかけた500時間はサディスティック・ミカ・バンドが持っていた当時のレコーディング時間の記録を更新した。小田と鈴木は新たにプロデューサーの武藤敏史に「お金も何も要らないからスタジオ時間だけ欲しい」と言ったという。
- 同アルバム中の『愛の唄』をカーペンターズは非常に気に入り、レコーディングを検討した。
- 『老人のつぶやき』は元々、NHK「みんなのうた」のために作ったがボツになった。
- 『さよなら』『Yes-No』『YES-YES-YES』『君が、嘘を、ついた』などがヒットし、当時のTBSの人気番組ザ・ベストテンに何度となくランクインしたが、この番組を含めテレビの音楽番組には一切出演しなかった。「オフコースの皆さんはコンサート活動に専念するため…」とお詫びのお辞儀をする久米宏の姿が毎週のように見られたが、一度だけ『YES-YES-YES』の時に、レコーディングスタジオから中継で小田のみがコメントを出した事がある。
- 1982年の武道館10日間コンサートのチケット抽選応募葉書は50万通を超えた。
- オリコンシングルチャートにおいては『さよなら』、『君が、嘘を、ついた』が最高で、2位止まりだった。アルバムチャートでは『We are』と『over』が1位に輝いている。なお、小田和正が作った曲がシングルチャートで第1位を獲得するのは、彼がソロシンガーとしてデビュー後の1991年、『ラブ・ストーリーは突然に』で達成される。
- シングル『YES-YES-YES』に妙な女性の声(ねぇ、私のこと好き?)が入っていると、テレビのオカルト番組で取り上げられることがあるが、この声は意図的に録音されていることが、当時の音楽雑誌「ギターブックGB」の記事に掲載されている。声の主はレコーディングのとき、同じ録音スタジオを使っていたレモンツリーという男女デュオの女性である。
- 後にゴダイゴが担当したことで有名な「銀河鉄道999」の映画主題歌は最初はオフコースにオファーが来ていたが、小田和正の自著によると「レコード会社」や「映画会社」の関係で実現しなかったという。
- 鈴木が脱退した経緯は山際淳司著によるドキュメンタリー『Give Up』に詳述されている。これによると、当時のマネージャー上野博が「オフコースが売れるにはまず一人、象徴となる人物を立てて、その人物をメインに押し立てていくべき」という方針を立て、小田が選ばれた。実際、そのころからメディア露出は小田がメインになっているのだが、このことに鈴木が反発したことによるという。
- 1982年、伝説となった武道館10日間公演の後、追加公演として横浜スタジアムでのコンサートも予定されていたが、鈴木の脱退に伴い、取りやめとなった。
- 1981年3月28日宮城県民会館で行われた「OFF COURSE CONSERT “We are”」最終公演のアンコール、「愛を止めないで」のエンディングにさしかかった瞬間、舞台の袖から200本のカーネーションがスタッフの手によって投げ入れられた。これについて小田は「僕たちの制作するものの中で特に、レコーディングとステージに関しては何がどうなっているか知らぬ部分はない。だから、僕らの想像を超えて何かが創造されるということは全く考えたことがなかった。しかしそれは起こった。他人が聞けば他愛のないシャレに過ぎないかも知れないが、それが僕にとっては今度のアルバム・レコーディング、そしてこのコンサート・ツアーのすべてが覆されるほどの衝撃だった。だから僕は『ヤラレタ…』と思ったのだった。そして、あんなことが起こったのが心から嬉しかった」と語っている。
- 1981年6月21日に発売されたシングル『I LOVE YOU』(ETP-17169)ではエンディングのコーラスは当初、少年合唱団によるテイクを予定していたが、結果的にはレコーディングスタジオ近くの公園にいた子供たちやその親を迎え、さらにそこにメンバーやスタッフも加わってレコーディングしたテイクに変更された。また、この曲は1982年7月1日発売の『I LOVE YOU』(ETP-90180)にアルバムバージョンとして収録され、間奏部にジョン・レノン死亡のニュースを伝えるナレーションが挿入された。このアルバムのミキサーであるビル・シュネーの友人が新聞記事を読み上げたものである。
- 2006年、河村隆一によって「YES-YES-YES」がカヴァーされた。河村は2006年5月13日発売の『CDでーた』で、「純粋に小田和正さんの声が素晴らしいと感じた」と話している。また、同年5月18日配布のフリーペーパー『R25』で、「音楽に携わるものとしての自我に目覚めた」と語っている。
- 「僕等の時代」は一時期、名古屋テレビのオープニング・クロージングのBGMだった。
- 「僕等の時代」の詞が現在、国語の教科書に採用されている。
- 「言葉にできない」の終わりの部分に、小田和正による当時の解散発言的なメッセージ「We are over thank you」が収録されている。アルバムレコードoverの回転数を上げるとはっきり聴こえる。
[編集] 主な作品
- 以降、順位、売上げは全てオリコンを参考にしています。
[編集] シングル
- 群衆の中で / 陽はまた昇る (1970年4月5日)
- 夜明けを告げに / 美しい世界 (1971年10月5日)
- おさらば / 悲しきあこがれ (1972年4月25日)
- 僕の贈りもの / めぐり逢う今 (1973年2月20日)
- もう歌は作れない / はたちの頃 (1974年4月5日)
- 忘れ雪 / 水いらずの午後 (1974年10月20日)
- 眠れぬ夜 / 昨日への手紙 (1975年12月20日) 最高位48位 売上げ4.6万枚
- ひとりで生きてゆければ / あいつの残したものは (1976年5月5日)
- めぐる季節 / ランナウェイ (1976年10月5日)
- こころは気紛れ / あなたがいれば (1977年2月5日)
- 秋の気配 / 恋人よそのままで (1977年8月5日)
- ロンド / 思い出を盗んで (1977年11月20日) 最高位89位 売上げ1.5万枚
- やさしさにさようなら / 通りすぎた夜 (1978年4月5日)
- あなたのすべて / 海を見つめて (1978年7月20日) 最高位82位 売上げ0.7万枚
- 愛を止めないで / 美しい思い出に (1979年1月20日) 最高位31位 売上げ9.8万枚
- 風に吹かれて / 恋を抱きしめよう (1979年6月5日) 最高位41位 売上げ3.7万枚
- さよなら / 汐風のなかで (1979年12月1日) 最高位2位 売上げ71.7万枚
- 生まれ来る子供たちのために / この海に誓って (1980年3月5日) 最高位48位 売上げ3.7万枚
- Yes-No / 愛の終わる時 (1980年6月21日) 最高位8位 売上げ35.4万枚
- 時に愛は / 僕等の時代 (1980年12月1日) 最高位35位 売上げ7.0万枚
- I LOVE YOU / 夜はふたりで (1981年6月21日) 最高位6位 売上げ18.3万枚
- 愛の中へ / Christmas Day (1981年12月1日) 最高位23位 売上げ7.0万枚
- 言葉にできない / 君におくる歌 (1982年2月1日) 最高位37位 売上げ3.6万枚
- YES-YES-YES / メインストリートをつっ走れ (1982年6月10日) 最高位6位 売上げ19.4万枚
- 君が、嘘を、ついた / 愛よりも (1984年4月21日) 最高位2位 売上げ31.6万枚
- 夏の日 / 君の倖せを祈れない (1984年7月18日) 最高位15位 売上げ6.9万枚
- 緑の日々 / CITY NIGHTS (1984年9月21日) 最高位14位 売上げ8.3万枚
- call / 2度目の夏 (1985年2月21日) 最高位7位 売上げ12.7万枚
- たそがれ / LAST NIGHT (1985年5月22日) 最高位7位 売上げ12.0万枚
- 夏から夏まで / ぜんまいじかけの嘘 (1985年9月21日) 最高位9位 売上げ6.5万枚
- ENDLESS NIGHTS / EYES IN THE BACK OF MY HEART (1985年11月30日) 最高位26位 売上げ5.3万枚
- IT'S ALL RIGHT(ANYTHING FOR YOU) / IT'S QUITE ALL RIGHT(INSTRUMENTAL) (1987年3月4日) 最高位20位 売上げ2.7万枚
- もっと近くに(as close as possible) / Tiny Pretty Girl (1987年5月25日) 最高位29位 売上げ1.7万枚
- 君住む街へ / *君住む街へ—INSTRUMENTAL VERSION— (1988年1月25日 CD-S:1988年2月25日 *CD-Sでは「君住む街へ—Another Version—」) 最高位11位 売上げ3.8万枚
- she's so wonderful / 陽射しの中で (1988年7月25日) 最高位80位 売上げ0.3万枚
- 夏の別れ / 逢いたい (1988年10月25日) 最高位82位 売上げ0.4万枚
[編集] オリジナルアルバム
- オフ・コース1 / 僕の贈りもの (1973年6月5日)
- この道をゆけば / オフ・コース・ラウンド2 (1974年5月5日)
- ワインの匂い (1975年12月20日)
- SONG IS LOVE (1976年11月5日)
- JUNKTION (1977年9月5日) 売上げ3.8万枚
- FAIRWAY (1978年10月5日) 売上げ9.1万枚
- Three and Two (1979年10月20日)
- We are (1980年11月21日) 最高位1位 売上げ46.2万枚
- over (1981年12月1日) 最高位1位
- I LOVE YOU (1982年7月1日) 最高位1位
- NEXT SOUND TRACK (1982年9月21日) 最高位1位
- The Best Year of My Life (1984年6月21日)
- Back Streets of Tokyo (1985年8月1日)
- as close as possible (1987年3月28日) 最高位2位
- Still a long way to go (1988年6月9日)
[編集] ライブアルバム
[編集] ベストアルバム
- SELECTION 1973-78 (1978年5月5日) 売上げ11.8万枚
- SELECTION 1978-81 (1981年9月1日) 最高位1位 売上げ47.1万枚
- YES-YES-YES (1983年11月3日) 売上げ21.6万枚
- BEST COLLECTION (1985年8月31日)
- IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION Ⅲ 1984-1987 (1987年7月5日)
- 君住む街へ 1984→1988 (1989年2月1日)
- OFF COURSE Singles (1998年3月28日)
- Off Course GREATEST HITS 1969-1989 (1998年5月21日)
- i(ai) (2006年12月6日)
[編集] 映像作品
- NEXT VIDEO PROGRAM (1982年11月21日)
- Off Course 1982·6·30 -Concert in Budokan- (1983年4月21日)
- Movie The Best Year of My Life (1984年12月1日)
- RUNNING THROUGH ’84 (1985年4月)
- OFF COURSE TOUR 1987 as close as possible (1987年11月25日)
- Off Course 1969-1989 Digital dictionary (2001年9月26日)
- Off Course 1981.Aug.16~Oct.30 若い広場 オフコースの世界 (2002年1月30日)
[編集] 関連アルバム
- 第3回全日本ライトミュージック・コンテスト グランプリ1969 3rd ALL JAPAN LIGHT MUSIC CONTEST GRAND PRIX / FOLK (1970年4月 (MR-1059)) (1969年11月2日新宿厚生年金会館大ホールにて開催されたLMC全国グランプリ大会フォーク部門を収録したライブアルバム。ジ・オフ・コースが2位に入賞したステージより「Jane Jane」,「One Boy」を収録)
- ラブ・ジェネレーション LOVE GENERATION LIVE IN CONCERT (1973年8月5日 (ETP-7695~6)) (73年に全国12箇所で行われた東芝レコード所属アーティストによるイベントコンサートのうち、5月1日の日本武道館でのステージを収録したライブアルバム。「僕の贈りもの」,「でももう花はいらない」を収録)
- RONIN ~ORIGINAL SOUND TRACK~ (1986年1月18日 (28K-100)) (86年製作の映画『幕末青春グラフィティ RONIN坂本龍馬』のサウンドトラックアルバム。「時代のかたすみで(せめて今だけ)」を収録)
[編集] 写真集
- オフコース写真集[We are] 小学館 (1980年12月19日 ISBN;4-09-363045-3)
- Off Course 1969~1982 新興楽譜出版社 (1982年10月1日 ISBN;4-401-62037-2)
- OFF COURSE YEAR BOOK’84 扶桑社 (1984年10月31日 ISBN;4-89353-062-3)
- OFF COURSE YEAR BOOK’85 扶桑社 (1985年12月18日 ISBN;4-89353-064-X)
- OFF COURSE as close as possible 学習研究社 (1987年12月20日)
- 1989.2.26 OFF COURSE FINAL ワニブックス (1989年4月20日)
[編集] カヴァーされた曲
- 曲名は50音順、アーティスト名は発売順に列記、セルフカヴァーは除外しています。
[編集] 愛の唄
[編集] 愛を止めないで
[編集] 秋の気配
- Scudelia Electro 『ULTRA SONIC』 (1997年8月27日発売 (PSCR-5635))
- 槇原敬之 『Listen To The Music』 (1998年10月28日発売 (SRCL-4387))
- 辛島美登里 『Eternal-One』 (2001年2月21日発売 (TOCT-24541))
- 鈴木真仁 『いちご白書をもう一度』 (2001年10月21日発売 (COR-14908))
- 諫山実生 『ハナコトバ~花心詩~』 (2003年9月10日発売 (TOCT-25157))
- 渡辺美里 『うたの木 seasons “秋”』 (2005年8月24日発売 (ESCL-2702))
[編集] YES-YES-YES
- 中西圭三 「bug」 (2000年2月16日発売 (PIDL-1289))
- 河村隆一 『evergreen ~あなたの忘れ物~』 (2006年5月24日発売 (COCP-33643))
- 平川地一丁目 『歌い手を代えて』 (2006年9月20日発売 (DFCL-1291))
[編集] Yes-No
[編集] 生まれ来る子供たちのために
[編集] 君が、嘘を、ついた
[編集] 君住む街へ
- 佐藤竹善 『THE HITS ~CORNERSTONES 3~』 (2004年10月27日発売 (UPCH-1388))
- POSITION 『POSITION』 (2006年4月19日発売 (CRCP-40146))
[編集] 言葉にできない
- 辛島美登里 『Snowdrop』 (1999年12月8日発売 (TOCT-24287))
- 槇原敬之 『Listen To The Music 2』 (2005年9月28日発売 (TOCT-25748))
- 平原綾香 『From To』 (2005年11月2日発売 (MUCD-1131))
- 岩崎宏美 『Dear Friends Ⅲ』 (2006年9月27日発売 (TECI-1136))
[編集] さよなら
- 鈴木康博 & 細坪基佳 『四月になれば僕らは』 (2000年3月20日発売 (ENCM-2001))
- LISA 「Only if ~Diamonds in the Snow e.p.」 (2004年12月8日発売 (RZCD-45149))
[編集] 夏の終り
[編集] 眠れぬ夜
- 西城秀樹 「眠れぬ夜」 (1980年12月21日発売 (RHS-15))
- 山本潤子 『Slow Down』 (1995年9月1日発売 (SRCL-3303))
- the Indigo 『ワンスモア』 (2006年6月7日発売 (GNCZ-1004))
[編集] 僕等の時代
[編集] めぐる季節
[編集] やさしさにさようなら
[編集] ワインの匂い
[編集] 私の願い
[編集] 参考文献
- 『FAIRWAY フォト&楽譜集』 ペップ出版 (1978年10月5日)
- 『OFF COURSE Three and Two』 八曜社 (1979年10月30日発行 ISBN;0095-00102-6998)
- 『Off Course—Now The Time』GB-SPECIAL CBS・ソニー出版 (1982年7月15日発行 雑誌62935-16)
- 『スナップ・ショット—オフコースその夏まで』藤沢映子 著 CBS・ソニー出版 (1982年7月25日発行 ISBN;4-7897-0046-1)
- 『はじめの一歩』オフコースファミリー 著 サンリオ出版 1983年8月15日)
- 『Give up オフコース・ストーリー』山際淳司 著 角川文庫 (1983年6月 ISBN;4041540011)
- 『INNER DOCUMENT OFF COURSE』藤沢映子 著 旺文社 (1984年4月14日 ISBN;4-01-009811-2)
- 『Maybe The Best Year of My Life』オフコース詩集 新潮文庫 (1985年12月20日 ISBN;410143901X)
[編集] 外部リンク
- Off Course(東芝EMIによるオフコース公式ページ)
- Far east cafe(小田和正の公式ページ)
- 鈴木康博オフィシャルページ
- Acoustic Beatles Club(松尾・清水・大間によるバンド「ABC」の公式ページ)