ハナ肇とクレージーキャッツ
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ハナ肇とクレージーキャッツ(ハナはじめとクレージーキャッツ)は、日本のジャズ・バンド。元々は、「キューバンキャッツ」の名で、進駐軍相手に演奏していたが、アドリブが面白く"You are crazy."と言われたことから「クレージーキャッツ」に改名した。渡辺プロダクション所属。
バラエティ番組に出演し、コントを演じるようになってからコントグループと見られるようになってしまった。略称「クレージー」。
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[編集] 概要
1960年代に一世を風靡したコミックバンド。「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)「おとなの漫画」(フジテレビ)などのテレビ出演をきっかけに人気が爆発。映画にも進出し、クレージーの出演作は東宝のドル箱シリーズとなった。映画の挿入歌として発表されたシングル『スーダラ節』『ハイそれまでョ』『ドント節』なども軒並み大ヒット。しかし次第に植木・ハナ・谷らの主要メンバー個人での活動が多くなり、石橋エータローが1971年に脱退したころにはめっきりグループで活動する機会が減ってしまった。1980年代以降は、コメディアンというよりは各人俳優としての性格が濃くなり、実質的な解散状態になった。その後も幾度かグループで出演したこともあるが、1993年9月のハナ肇の死去により、正式な解散宣言が植木等より出された。この宣言は翌日には撤回されている。
事務所の後輩にザ・ピーナッツやザ・ドリフターズ(クレージーを含めたこの3グループで「ナベプロ3大タレント」と言われることもある)がいる。ドリフターズが1964年に再結成した時点で、メンバー全員の名付け親となったのはハナ肇である。
[編集] メンバー
- ハナ肇(ドラムス)
- 1930年東京府豊島郡(現豊島区)生まれ。山手通り沿い要町交差点付近の実家(水道屋)で育った。本名、野々山定夫。工学院大学卒。芸名の由来は鼻を膨らませる顔芸が好評であった事からきている。進駐軍のキャンプ地などでドラム奏者として活躍。その後犬塚弘、萩原哲晶らと、クレージーキャッツの前身である「キューバンキャッツ」を結成。その後、1956年「ハナ肇とクレージーキャッツ」を結成、バンドマスターとなる。「巨泉・前武のゲバゲバ90分!!」でのヒッピー姿で叫ぶ「アッと驚く為五郎」と言うギャグや新春かくし芸大会での銅像役はよく知られている。俳優ナレーターとしての評価も高かったが、本人はやはり音楽をやりたかったらしく、晩年は「ハナ肇とオーバー・ザ・レインボー」というバンドを結成し、活動していた。1993年肝臓ガンのため死去。
- 植木等(ボーカル、ギター)
- 1926年(戸籍上は1927年)、三重県の浄土真宗の寺の息子として生まれる。本名同じ。東洋大学卒。いくつかのバンドを経て、1957年3月渡辺晋とハナ肇によってシティ・スリッカーズからクレージーキャッツに引き抜かれた。「無責任男」をキャッチフレーズに数多くの映画に出演。ボーカルとして歴史に残る数々のコミックソングを産み出し、テレビでも「お呼びでない?」など歴史に残るギャグで爆発的な人気を得る。また、1990年には過去のヒット曲メドレー『スーダラ伝説』で人気が再燃し、紅白歌合戦にも出場し、この年の歌手別最高視聴率を獲得した。ハナ肇の告別式で「ハナ肇とクレージーキャッツは本日を持ちまして正式に解散いたしました」と解散宣言を行ったのも植木である。俳優としても評価が高く、多数の賞を獲得している。晩年は闘病しながら活動していた。2007年肺気腫のため死去。
- 谷啓(トロンボーン)
- 1932年、東京府荏原郡(現大田区)生まれ。広島と横浜で育つ。本名は、渡部泰雄(わたべ やすお)。芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを日本語風にしたもの。中央大学中退。大学在学時からトロンボーン奏者として各種バンドで活躍していた。1956年2月シティ・スリッカーズからクレージーキャッツに参加。「ガチョン」(現在は「ガチョーン」)や「ビローン」、「あんた誰?」といった各種ギャグで不動の人気を獲得。トロンボーン奏者・コメディアンとしてだけではなく、俳優としても活躍し、映画『釣りバカ日誌』シリーズの佐々木役は当たり役である。ナレーターとしての活動も多い。現在クレイジーメンバーで最も露出が多く若年層にも知名度が高い。トロンボーン奏者としての実力は非常に高く、現在も「谷啓とスーパー・マーケット」というバンドを持ち、不定期ながらも音楽活動を行っている。
- 犬塚弘(ベース)
- 1929年東京大森の生まれ。文化学院卒。IBM勤務などを経て、クレージーキャッツに参加。キューバンキャッツ時代から参加していた最古参メンバーである。俳優としても評価が高く、現在は舞台を中心に活躍中である。
- 安田伸(テナーサックス)
- 1932年東京都中野区の生まれ。東京芸術大学卒。石橋エータローらと、バンドで活躍後、1957年9月、石橋エータローの紹介でクレージーに参加。サックス奏者以外にも、俳優として映画/舞台などで活躍したが、晩年はガンとの闘病が続いた。ブリッジしながらサックスを吹き鳴らす荒芸も有名。夫人は竹越美代子。愛妻家で知られ、そこから「ミヨコ~」というギャグが生まれたほど。1996年に急性心筋梗塞で死去。
- 石橋エータロー(ピアノ)
- 1930年東京・新橋の生まれ。父親は、作曲家で尺八奏者の福田蘭堂。祖父は洋画家の青木繁。東洋音楽大学(現東京音楽大学)卒。安田伸らとバンド活動後、1956年に世良譲の紹介でクレージーに参加する。1960年に結核で一時離脱。代わりに、ピアノ奏者として桜井センリが加わる。その後、クレージーに復帰するも、1971年に引退。料理研究家に転進、渋谷で「三漁洞」という小料理屋を経営していた。1994年に胃ガンのため死去。
- 桜井センリ(ピアノ)
- 1924年(公称は1930年)ロンドンの生まれ。早稲田大学第一政治経済学部に学ぶ。植木等らとバンドのピアノ奏者として活躍。石橋エータローの結核療養による活動休止のため、クレージーに参加。石橋エータロー復帰後もメンバーとして活躍。金鳥の殺虫剤「キンチョール」のCMに出演した際、「ルーチョンキ」のギャグでも好評を博す。コントやCMで披露した「センリばあさん」役は当時一世を風靡した。現在も俳優として活躍中である。
[編集] 出演作品
[編集] 映画
- 竜巻小僧
- クレージーの花嫁と七人の仲間
- スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ
- サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ
- ニッポン無責任時代
- ニッポン無責任野郎
- クレージー作戦 先手必勝
- クレージー作戦 くたばれ!無責任
- 香港クレージー作戦
- 日本一の色男
- 日本一のホラ吹き男
- 無責任遊侠伝
- ホラ吹き太閤記
- 花のお江戸の無責任
- 日本一のゴマすり男
- 大冒険
- クレージーの無責任清水港
- クレージーだよ奇想天外
- クレージー大作戦
- クレージーだよ 天下無敵
- 日本一の男の中の男
- クレージー黄金作戦
- クレージーの怪盗ジバコ
- クレージーメキシコ大作戦
- クレージーの大爆発
- クレージーのぶちゃむくれ大発見
- クレージーの殴り込み清水港
- 会社物語
[編集] テレビ
- おとなの漫画
- 8時だョ!出発進行
- クレージーキャッツショー
- 週刊クレージー
- シャボン玉ホリデー
- 7時半だよクレージー
- センリばあさんのクレージー大変記
- ハイ、やりました!!
- おれの番だ!
- クレージーの待ッテマシタ!
- クレージーの奥さ~ん
- 植木等ショー
[編集] CM
(出演依頼はメンバー全員に対してだったが、植木等は不参加(当時クレイジーキャッツの植木というイメージに嫌気が差していたためだと囁かれている)、また石橋エータローは既に脱退したことから、最終的に5人での出演となった)
[編集] ディスコグラフィ
コミックソングがほとんど。CDなどでは、植木等や谷啓名義の場合もある。
- スーダラ節(約50万枚を売り上げた)/ こりゃシャクだった
- ドント節 / 五万節(オリジナルヴァージョンは歌詞の一部が問題視され発売禁止になった。その直後に3番と6番の歌詞が変えられて発売。1995年にオリジナルヴァージョンもCD化され発売された)
- 無責任一代男 / ハイそれまでョ
- これが男の生きる道 / ショボクレ人生
- いろいろ節 / ホンダラ行進曲(クレージーの最高傑作との呼び声も)
- どうしてこんなにもてるんだろう / ギターは恋人(植木等作詞・作曲のバラード)
- 図々しい奴 / 愛してタムレ(谷啓ソロとしては初のシングル)
- クレージーのクリスマス
- 学生節 / めんどうみたョ
- 馬鹿は死んでも直らない(余談であるが、イントロの部分はテレビ東京系の情報番組「出没!アド街ック天国」の名物コーナー「薬丸印の新名物」のBGMとして使われている)/ ホラ吹き節(前奏、間奏、後奏に疑似ステレオ処理が施してある)
- あんた誰? / 天下の若者(谷啓ソロ第2弾シングル)
- だまって俺について来い(2001年には天童よしみによってカヴァーされたものが、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のテーマソングとして使われた) / 無責任数え歌
- ゴマスリ行進曲 / 悲しきわがこころ(クレージーキャッツの全員の単独パートがある曲)
- ヘンチョコチンなヘンテコリンな娘 / 小指ちゃん(谷啓ソロ第3弾)
- 遺憾に存じます(寺内タケシとブルー・ジーンズが参加) / 大冒険マーチ
- あんたなんか(園まりと植木のデュエット)
- 何が何だかわからないのよ / シビレ節(3番の歌詞の一部に問題があり放送禁止(局によっては要注意曲)になった。長らくベスト盤等には問題箇所を編集したものを収録されてきたが、現在発売されているベスト盤ではオリジナル音源が収録)
- ブンブン野郎(谷啓) / 虹を渡ってきた男
- それはないでショ / 笑えピエロ(植木得意のバラードで、1990年にもリバイバル)
- ウンジャラゲ(1988年に志村けんによってリメイクされたのも有名)
- アッと驚く為五郎(「萩原哲晶ヴァージョン」も存在する)
- これで日本も安心だ / スーダラ節'79
- 実年行進曲 / *新・五万節(前述の五万節のニューバージョン)
- おらぁグズラだど(同名アニメの主題歌。谷啓名義)
- Still Crazy For You(2006年4月12日発売、松任谷由実とのコラボレーション曲。亡きメンバーたちのパートは、それぞれのサンプル音源を使用した。フジテレビ系「ウチくる!?」エンディング・テーマ)
など多数
[編集] 主な共演者
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
渡辺プロダクション3大タレント | |
ハナ肇とクレージーキャッツ(1955年 - 1993年): | ハナ肇(リーダー)・植木等・谷啓・犬塚弘・安田伸・石橋エータロー(1971年脱退)・桜井センリ(1960年加入) |
ザ・ドリフターズ(1964年 - 活動中): | いかりや長介(リーダー)・高木ブー・仲本工事・加藤茶・志村けん(1974年加入)・荒井注(1974年脱退) |
ザ・ピーナッツ(1959年 - 1975年): | 伊藤エミ(姉・ハーモニー)・伊藤ユミ(妹・メロディー) |