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ザ・ドリフターズ - Wikipedia

ザ・ドリフターズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Disambiguationこの項目では日本のミュージシャン&コントグループについて説明しています。アメリカのコーラスグループについてはドリフターズ (アメリカ)をご覧ください。
ザ・ドリフターズ
基本情報
愛称 ドリフ
出身地 日本
ジャンル コミックソング
活動期間 1955年
レーベル 東芝EMI
事務所 イザワオフィス
メンバー
加藤茶ドラムス
高木ブーリードギター
仲本工事リズムギターボーカル
志村けんギターキーボード
旧メンバー
いかりや長介ベース
荒井注キーボード
すわ親治(ドラムス)

ザ・ドリフターズ(The Drifters)は、特に昭和40年代から50年代中頃をピークにテレビ番組TBS系の『8時だョ!全員集合』やフジテレビ系の『ドリフ大爆笑』など)で活躍し、一世を風靡したミュージシャン(後にコントグループ)である。略称「ドリフ」。

いかりや長介リーダーに就任した当時はドリフ同様に「ナベプロ3大タレント」と呼ばれたザ・ピーナッツハナ肇とクレージーキャッツらのいた渡辺プロダクションに所属、1979年より渡辺プロダクションより分社した「イザワオフィス」にいしだあゆみらとともに移籍。なお、先輩のクレージーキャッツと違ってリーダー死去後も解散はしていない。ただし、現在のところはドリフの正式な次期リーダーは決められていない。また、所属レコード会社は東芝EMIである(デビュー当初より在籍。ただし当時の社名は東芝音楽工業である)。

目次

[編集] 概要

一般的には、いかりや長介が正式リーダーになった1964年のドリフ再結成以降(新生ドリフ)が知られているが、結成は1957年。ただし、1955年または1956年説もある。

結成当初からいかりやがメンバー入りするまでは歴としたバンドとしての実績を持つ。楽曲主体による音楽ネタなどを得意としており、テレビや映画出演が多くなるにつれ、コミックソング、コントやギャグが主体となっていった。

いかりやが正式リーダーに就任した後も、1966年ビートルズ日本公演の前座を務めたほどにバンドとしての実績はあった。たった40秒の演奏時間ではあったが、前座用のステージが別に作られていたにもかかわらず、ドリフターズだけはビートルズと同じステージで演奏している。そういった意味でも、本来はミュージシャンではあったけれども、コメディアンとしての才能に優れたタレント集団、強いて言うなら「ミュージシャン」、かつ演技もできる「コントグループ」という位置付けが適切であろう。加藤茶の話では、ビートルズの前座はしたものの、警備が厳しくメンバーには会えなかったそうである。

[編集] メンバー構成

前期バンド時代のメンバーは、当時のバンド移籍文化もあり、移り変わりが激しかったが、新生ドリフになってからはメンバーはほぼ固定され、5人の構成が取られるようになった。ただし、荒井注の脱退宣言の際には志村けんが正式見習いとして加入し、一時的に6人構成となった。また、いかりやの著書にも記述されているように、すわしんじ(現・すわ親治)の活躍ぶりにより、正メンバーではないが彼を6人目のメンバーと見なす解釈もある(他に付き人は大勢在籍していたが、メンバーとして紹介されることは無い)。さらには、人形ながらもジャンボマックスがメンバー扱いされる記事も見受けられる。いかりや没後にはメンバーの補充は無く、現在4人の構成となっている。

※いかりやの著書によれば、いかりやは自分が加入した当初のドリフターズがそうであったように、メンバーを徐々に(強いていうなら、荒井が志村に交代したような形で)入れ替え、自分のようにネタを創れる志村とすわを中心にした新メンバーでドリフを継続することを計画していた。

[編集] 芸名の由来

新生ドリフ初期メンバーの名付け親は、当時の所属事務所・渡辺プロダクションの先輩格に当たる「クレージーキャッツ」のリーダー、ハナ肇であった。ドリフのメンバーにしてみると、ハナの独断に満ちた判断で適当に名付けられた感じがしたようだったが、逆にインパクトがあり、今でも各人の名が覚えられる結果となった。なお、後に加入した志村は自分の父親の名前より芸名を決め、すわの芸名はいかりやにより名付けられた(各人の芸名の由来は各人の項参照)。

[編集] ミュージシャンとしてのドリフ

前期バンド時代はともかく、新生ドリフはカバー曲や替え歌が主体のため、コミック・ソングとしては、「クレージーキャッツ」より低く見られがちだが、初期の多くの曲を手がけた川口真のアレンジは、独自の「ドリフサウンド」を作り上げた。また、1970年の「第12回日本レコード大賞大衆賞」を受賞し、同年「ドリフのズンドコ節」で「第1回日本歌謡大賞放送音楽賞」をそれぞれ受賞している(彼らの「ズンドコ節」は、1969年11月1日発売、オリコン最高位2位、売り上げ枚数115万枚以上という時代を考えるととてつもない大ヒットを記録。他にも、数十万枚のシングルヒット、または10位以内にランクインした曲は4~5はある)。その1970年には、他の民放などでもいくつかの賞を受賞をする。

[編集] お笑いとしてのドリフ

元々ドリフは純粋なバンドであり、お笑いとは程遠い存在であったが、桜井輝夫がリーダーになってからは、コミックの要素を音楽に取り入れるようになった。当時のドリフターズは出演の最初はメンバーが各ポジションでワンフレーズ演奏をして、いかりやの「全員集合」の一声で全員が舞台前面に出てきてコントを始めていた(後の彼らのキャッチフレーズとして使われる「全員集合」の由来)。コントの中身もそれぞれの楽器を使った音楽がらみの物が多かった。そして新生ドリフになった後からは、グループの活動はお笑いが中心となっていった。

お笑いとしては、グループを生かした色々なパターンを生み出す。特に『ドリフ大爆笑』の「もしもシリーズ」では、ボケと突っ込み以外の「呆然とするいかりや」で笑いを取るという新しいパターンを生んだ。いかりや自身は、自らのグループを「お笑いの能力は一流でない」と卑下し、新生ドリフ初期のライバルであるコント55号に対抗する意味で、アドリブ無しの徹底的に練られたストーリー作り、練習でカバーした。志村とすわを除き、師匠についていたわけでもなく、独自にここまでのお笑いレベルまで達したことは驚くほか無い。いわゆる土曜8時戦争と呼ばれるお笑い番組の視聴率争いで、長年にわたって王者を保ったほどである。

志村が正式メンバーになる前後でチームの笑いのパターンは変化している。ドリフ再結成直後は高木ブーを中心にした笑いであったが、すぐに加藤茶を中心としたコントに変更され、のっぽ(権力者役のいかりや)、でぶ(無芸大食の高木)、めがね(風見鶏、インテリ役の仲本工事)、はげ(ふてぶてしいおじさん役の荒井)、ちび(いじめられ役の加藤)という、吹き溜まりの集団内での人間関係というチームワークで、加藤がオチを取っていた。それと同時に「いかりやから加藤を中心として4人共にいじめられながらも表向きは従い、機会を見ては権力者であるいかりやに前述のキャラクターを生かしたそれぞれの方法で時には共謀して歯向かい、形勢がいかりやに戻るとその4人がそれぞれの個性をもった方法でばらばらになり、要領の悪いメンバー(加藤)だけがバレて犠牲になる」といった社会的な縮図を指摘する者もいる。時折、加藤といかりやとの権力争いの結果、リーダーの座が逆転したり始めから加藤がリーダーとなるパターンもあった。また、音楽の要素を残し、笑いに取り入れている時代でもあった。

後期は、まともでない役のメンバー(特に志村)に、いかりやが突っ込みを入れたり、振り回されるという笑いのパターンであった。イントロの高木、つかみの仲本、オチの加藤、さらに加藤のオチよりパワーアップした奇天烈な行為をする志村という各々の順番でいかりやが突っ込みを入れていき笑いを取っていたものの、実際には「志村けんショー」的要素が強くなり、ドリフはほとんどコント集団となった。しかしながら、荒井の脱退から志村への交代で定着するまでには2年近くもの時間がかかった。それまでの荒井の人気の高さと同時に、志村を前面に押し出すまでの他のメンバー、特にいかりやと加藤の力量とキャリアによるサポートによるものであり、この頃には3枚目としての仲本も強調されてきた。一方で志村はいかりやの演出を無視してアドリブでギャグを入れる事がしばしば見受けられた(リハーサルでダメ出しをされても、生放送のドサクサに実行してしまうこともあった)。これは、「緻密なストーリーと演出に基づいたドリフコント」を若干ながら崩すこととなる。

鶏卵や牛乳(撮影用ではあるが)ケーキなどといった食べ物を粗末にするネタ、下品なコントが多く(どのように真似るのか不明ながらも「金たらい落しや一斗缶で殴るなど、子供が真似ると危ない」などという名目の内容も含めて)PTAの目の仇にされたが、メンバー以外の他人の誹謗中傷をネタにすることはなく、かつ素人いじりをしなかったことは業界内でも評価されている。また、体を張ったギャグや音楽ネタが中心であるため、老若男女を問わず日本人以外からの受けも良い(トーク中心のギャグは、たとえ優秀な通訳がいたとしても日本人以外には受けない)。いかりやの著書によれば、いかりやが米兵相手にコミックバンドをしていた体験からこのような芸風を後々まで引き継ぐことになったという。日本だけでなく、台湾等でも彼等は人気がある。

番組にゲスト出演した一流俳優やアイドル歌手までが、番組内では本来のイメージを越えた役作りやギャグをすることをバーチャルなお笑いドラマやコント出演としてファンからも許されたばかりか、自ら希望して演じる者も多数出てきた。そういったゲストからお笑いとしての個性を引き出され、新たな方向性や個性をも作っていった者も少なくない。また、実際に主に立ち回りながら喋って笑いを引き出すのはメンバーであっても、ゲストが笑いの中心であるように見せる企画力や技術もあった。

[編集] 現メンバー

ここでは、ドリフメンバーとしての概要を紹介する。個人としての詳細は、各人の項目を参照のこと。いかりや長介は故人であるため、本記事では元メンバーとして紹介する。

[編集] 加藤茶

1943年3月1日 - 、本名加藤英文、かとう ひでゆき)

  • 1962年メンバー入り。1964年のドリフ再結成当初では最年少だった。いかりや没後、現行ドリフでは最も古いメンバー。ドラムボケ担当。
  • 志村が東村山音頭でブレークするまではメンバー内の一番人気であり、いかりやのギャグの落ちの期待を一身にかけられていた。その期間ドリフを引っ張っていき、メジャーに押し上げた功労者でもある。彼がいなければドリフは無名バンドに終わっていた可能性が高い。グループ内ではいかりやとぶつかることもあったが、メンバーの人間関係の調整役的(いわば総務部長的)な役割を果たしていた。また後述するように、ドリフの岐路に対して重要な役割を果たしている。いかりやの弔辞を読んだのも彼であった。
  • 1964年、後述するドリフ内部のクーデターの際、小野ヤスシ等と共にドリフを抜ける予定であった。ここで彼が辞めていたならばドリフは解散していたと思われる。
  • 荒井が脱退宣言をするまでが絶頂期であり、当時国民的人気者であったが、本人は限界を感じていた。また自分がドリフの支え役を行わないといけないというプレッシャー、及びワンマンいかりや、今一歩ギャグをやる気の無い仲本、高木への苛立ちから、1973年荒井と共にドリフを脱退する予定であった。しかし、荒井に抜け駆けされたためドリフに残留する。志村が東村山音頭でブレークした後は志村の後手にまわることが多かったが、それは本人が疲れと限界を感じていたため自ら志村のサポートに回った結果である。実際、「志村がいて助かった」と公言している。

[編集] 高木ブー

1933年3月8日 - 、本名高木友之助、たかぎ とものすけ)

  • 1964年新生ドリフメンバーの中では3番目にドリフ入り。自称、いかりや没後の四代目リーダー。初期ではリードギター担当。最も印象が薄いが、「ドリフの中では最も音楽性が高い」とのいかりやの評価もある。
  • 本人がNHKのトーク番組に出た際の証言によれば、元々お笑いというよりも音楽を求めてのドリフ参加であったため、志村がレギュラー入りしグループのお笑い色が濃くなってきたときに辞めそうになったという。余談であるが、その時後任を打診されたのが、サザンオールスターズ桑田佳祐だったらしい(1993年1994年のサザン年越しライブでの桑田の発言)。
  • ドリフが音楽活動をやめた理由を「志村がギターで自分がキーボードになった。しかし、自分はキーボードが荒井ほど弾けなかったのでドリフは音楽活動をやめた」と発言している。
  • 1984年9月14日、「全員集合」のリハーサル中にアキレス腱を断裂し、約4ヵ月の間活動を離脱したこともある。

[編集] 仲本工事

1941年7月5日 - 、本名仲本興喜、なかもと こうき)

  • 学習院大学卒。東京商工会議所に内定が決まっていたが、高木に誘われ1964年に内定を蹴って荒井の次にドリフ入り。しかし、高木の説によれば東京商工会議所でサラリーマンをしていた仲本の元に、脱退する小山威の後釜として高木からの誘いの電話が入って1965年にドリフ入りしたという(どちらが正しいかは不明)。初期のドリフでは、ギターとロックボーカル担当。ビートルズの前座で「ロング・トール・サリー」のボーカルを取ったのも彼である。
  • コントでは、「要領のいい、リーダーに媚を売る役」、「内心、何を考えているのか分からない役柄」を演じる事が多く、床運動(マット体操)での軽快な身のこなしで有名であった。
  • 1981年には競馬のノミ行為が発覚し、謹慎1ヶ月、書類送検の上略式起訴された。賭けた金額は当時の金額で約100万円だった。

[編集] 志村けん

1950年2月20日 - 、本名志村康徳、しむら やすのり)

  • 1968年、いかりやに直々に懇願しドリフの付き人となる。しかし、1年余りであっけなく脱走し(志村の著書では、あくまで「社会勉強の為の休養」となっている)、加藤の口添えで出戻り。加藤の付き人兼加藤家居候を経て、お笑いコンビ「マックボンボン」を結成し、TV番組(日本テレビぎんぎら!ボンボン!」)も担当したが、人気が出ず2年余りで解散。しかし、脱退する荒井の後釜として1973年12月にドリフ見習いとなり、1974年4月に正式メンバーになる。
  • 交代後2年近くはギャグが全く受けずスランプ状態に陥っていたが、東村山音頭で一気にブレークして子供たちの人気を獲得し、さらに新たなネタやギャグを連発。やがてドリフ内では加藤を超える人気者になった。
  • ドリフでは付き人から昇格した彼は、映像では荒井の脱退後にキーボードを弾いていたとはいえ元々コメディアン志望であり、ミュージシャンと呼んで良いかどうかは疑問があるが、ソウル・ミュージックに精通し、数々のギャグや新しいファン層ばかりでなく、ドリフの中に時代や流行を取り入れた功績は大きいともいえる。
  • ドリフメンバー内では、荒井がいた頃の全員集合で加藤が担当していた役(一人になったとき、幽霊やミイラが出てくるパターン)、及びいかりやの代わりの突っ込み役を担当。

[編集] 元・新生ドリフメンバー

[編集] いかりや長介

1931年11月1日 - 2004年3月20日、本名碇矢長一、いかりや ちょういち)

  • 初代リーダーと思われているが、三代目リーダー。1962年にドリフのメンバーとなり、1964年より正式リーダーとなる。新生ドリフでは最古参メンバーであった。ベース担当。
  • コントでは、わざと嫌われ役汚れ役の権力者を演じ、加藤(後には志村)の仕返しというパターンで笑いを取ることが多かった。
  • ワンマンな一面があり、他メンバーと衝突することもあったが、新生ドリフを立ち上げてメンバーの采配、特に志村にチャンスを与えたと言う意味での功績は大きい。
  • 2004年3月20日午後3時30分、原発不明頚部リンパ節がんのために都内の病院で死去。享年72。

[編集] 荒井注

1928年7月30日 - 2000年2月9日、本名荒井安雄、あらい やすお)

  • 元・正メンバー。1964年高木の次にドリフ入り。ドリフ入りした当初は「リーダーより年上では何かと問題がある」ということで、加入後しばらくは高木とほぼ同年代(1934年生まれ)とサバを読んでいた。なお、当初はドリフのメンバーですら彼の正確な年齢を知らなかった。
  • レパートリーの少ないキーボードピアノ)担当(いかりやの著書によれば、いかりやは彼のレパートリーの少ないことを知らないままヘッドハンティングしたことを後悔したという)。
  • コントでは「威張り散らすいかりやをシラっとした目で見、シカトし、いかりやに怒られてふてくされながらギャグを言う」というパターンがウケた。「なんだ、バカヤロー!」と「This is a pen!」のギャグは伝説となっている。
  • 1974年3月に「体力の限界」を理由にドリフを脱退。
  • 荒井の亡くなる直前の2000年の正月放送の「フジカラー・フィルム」のCM撮り(七福神をモチーフとしたもの。撮影自体は、その前年の暮れ頃と推測される)が、彼ら6人が全員集合した最後の映像となった。

[編集] すわしんじ

(現・すわ親治)(1952年11月14日 - 、本名諏訪園親治、すわぞの ちかはる)

  • 元付き人・見習い。幻のドリフ第六の男。ただし正式なメンバーではない(ファンの間では「5人のメンバー+荒井+すわ」をドリフメンバーと認識する人が多い)。日劇でのドリフ公演では、すわを含めた6人構成のコントが披露されていた。
  • 1970年と思われる)加藤の運転手として採用され、それから付き人に昇格(1972年と思われる)。「(荒井時代の)全員集合」に志村より先に出演し、「(加藤とからむ)やたら走りまくってズッコケるブルース・リー」役で受ける。その役のインパクトが強く、ファンの多くは荒井脱退後は正メンバー昇格と思っていた。グループ内の音楽では、ドラムを担当することもあった。結果としては先輩に当たる志村がドリフに加入することとなった。その後、正メンバーになることなく1985年にドリフを辞める(いかりやは、メンバー昇格を延ばし延ばしにした結果すわを脱退に追い込んでしまったと悔やみ、その才能を惜しんでいた)。
  • 2001年でのNHKの特別歌番組で、ドリフターズが全員集合した際、歌やコントをするにあたって、彼も一緒に集合をかけられた。元付き人の特別出演というよりメンバーの一人としての扱いに近かった(同番組、ドリフのコーナーの最後の歌の時に「馬」のふん装で出演。伏線は後述する「主な出演番組」の項目の「飛べ!孫悟空」を参照)。
  • いかりやの葬儀のときには、残された4人の現メンバーとともにいかりやの棺を運んでいた。

[編集] ドリフターズ前期バンド時代のメンバー

ドリフは元々バンドであり、コントを行っていたわけでなく、前期バンド時代には、現在のドリフ構成からは考えられない大御所ミュージシャンが在籍していた。

岸辺清(1931年1月3日 - )
初代リーダー。元、東京ウエスタンボーイスのメンバー。マウンテンボーイズとの合併により、サンズ・オブ・ドリフターズのリーダーとなる。1960年、桜井輝夫にリーダーの座を譲り、渡辺プロマネージャーを経て、現在は芸能事務所「第一プロダクション」社長。MPA音楽出版社協会副会長、音事協の名誉理事を兼任。
山下敬二郎1939年2月22日 - )
ドリフ脱退後にブレークし、一世を風靡したロカビリー歌手。平尾昌晃ミッキー・カーチスと並んで「ロカビリー三人衆」と呼ばれる。
井上ひろし(1941年8月23日 - 1985年9月12日
水原弘守屋浩と並んで「三人ひろし」と呼ばれるロカビリー歌手。長身と甘いマスクで女性ファンを魅了した。映画「青春を賭けろ」にも出演。代表曲は「雨に咲く花」。
坂本九(1941年12月10日 - 1985年8月12日
雑誌「ミュージックライフ」1958年10月号によれば、1958年5月にドリフの正メンバーとなり、ボーカルをやっていた。同年8月、第3回日劇ウエスタンカーニバルにメンバーとして出演し、12月に「パラダイスキング」に移籍の形で脱退。脱退後の活躍は言うまでも無い。1985年、日本航空123便墜落事故に遭い、帰らぬ人となった。なお、「8時だョ!全員集合」の第1回放送にゲスト出演。
桜井輝夫
2代目リーダー。ボーカル担当。1964年頃、リーダーの座をいかりやに譲り脱退。
寺内タケシ(1939年1月17日 - )
日本でのエレキギターの神様。
田中良夫
桜井輝夫とザ・ドリフターズ時代のメンバー。テナー担当。桜井がいかりやに形式的にリーダを譲り完全にコミック色が強くなった頃に脱退。
三好明
桜井輝夫とザ・ドリフターズ時代のメンバー。ピアノ担当。桜井がいかりやに形式的にリーダを譲り完全にコミック色が強くなった頃に脱退。
ポン青木
1960年メンバー入り。ビブラフォン担当。いかりやがドリフに加入して暫くの後に脱退。いかりやの著書では、青木はコミックに前向きだったと述べている。脱退原因は不明。
高松秀晴
1962年頃木の実ナナと共にドリフターズの専属シンガーであった。
木の実ナナ1946年7月11日 - 、本名池田鞠子
意外に思われるが高木の証言によれば元メンバー。本人の証言、いかりやの著書、加藤の証言では、前歌を歌っていたという。1962年頃専属シンガーであった。彼女は、いかりや、加藤等のバックミュージックの元前歌を歌っており、いかりやからは「ナナすけ」と呼ばれていた。彼女は恐らく歴代ドリフメンバーの中で唯一の女性だったと思われる。
小野ヤスシ1940年2月11日 - )
元・正メンバー(1960年~1964年)。ボーカル担当。1964年に碇矢とそりが合わず、ドリフを脱退。後述するクーデターにより、現ドリフメンバー構成となるきっかけを作った人物である。小野脱退以後のメンバー構成が、世間では「ドリフターズ」と認知されている為か、彼がドリフメンバーだった事を知っている人は少ない。脱退後、後述する他のドリフ脱退メンバーと共にドンキーカルテットを結成。1970年よりソロ活動となり、バラエティーで活躍。加藤の親友であり、1993年加藤、仲本と共に「加トちゃんBAND」を結成。
飯塚文男(1940年11月23日 - 2003年3月27日
小野ヤスシと共にクーデターを起こし脱退。ドンキーカルテットを結成。後に11PMの水曜日のレポーターとして活躍。既に故人。
ジャイアント吉田1936年1月25日 - )
いかりやが在籍していた「ジミー時田とマウンテンボーイズ」から、いかりやに誘われ1962年ドリフ入り。1964年、小野ヤスシと共にクーデターを起こし脱退し、ドンキーカルテットを結成。現在は芸能界の他、催眠術師として、執筆活動や催眠法のクリニック等で活躍している。
猪熊虎五郎( - 2001年11月4日
ドンキーカルテットに移籍。後に声優もこなしたが芸能界から引退。既に故人。
小山威
二代目リーダー桜井の腹心。ギター担当。桜井が正式にドリフから身を引いたと同時期に脱退。彼と入れ替わりで仲本が加入したのか、仲本加入後も在籍していたかは定かではない。
綱木文夫
二代目リーダー桜井の腹心。サックス担当。ナベプロのオーナーの要請でドリフに参加。後述するクーデター後も暫くはドリフに在籍し、新生ドリフがお笑いを確立する前のれっきとした正メンバーであった(1964年~1966年頃)。彼は正メンバーとして残りたがったが、ドリフが渡辺プロに移籍して数年でいかりやにお笑いができないとして脱退を命じられる。

[編集] 関係者

ここでは、ドリフと関係の深い番組スタッフ、プロダクションマネージャー、新生ドリフから派生したコメディアン(すわ親冶を除く)、および新生ドリフにスカウトされそうになった芸能人を紹介する。

水木一郎1948年1月7日 - )
徹子の部屋」出演時の本人の証言によれば、1963年頃付き人をやっていた。その後は、アニメシンガーとして数多くのアニメソングを歌っている。
一の宮はじめ
ドリフの振り付けを担当した。当時の振付師の草分け的存在で西城秀樹の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」やジュディ・オングの「魅せられて」も彼の振り付けによるもの。最近は専門学校で俳優の育成の他、脚本家としても活躍している。
井山淳
元付き人。1972年に志村が結成したマックボンボンの最初の相手方。志村と共に、「ぎんぎら!ボンボン!」にTV出演していた。また1969年、ドリフの映画「ドリフターズですよ!全員突撃」にガードマン役として出演。マックボンボンの失敗により失踪。
福田正夫
元付き人。志村が結成したマックボンボンの井山失踪後の相手方。自衛隊出身であり、自分はコンビを組まなくてもやっていけると強気で、コンビ結成後の練習に身が入らずマックボンボンは自然消滅的な形で解散の道をたどる。
桑田佳祐1956年2月26日 - )
サザンオールスターズは、デビュー当時コミックバンドと思われていた。いかりやは桑田に目を付け、TBSプロデューサー居作昌果を通して高木が辞めそうになった時に桑田にドリフ加入を打診していた。なお、サザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」の名前は、1977年9月に志村がギャグで使用していた。
居作昌果(いづくり よしみ、1934年3月31日 - 2005年4月10日
元TBSテレビプロデューサーで、独立後テレビ制作会社「タイクス」を設立、同社の代表取締役社長を務めた。「8時だョ!全員集合」や前枠番組の「お笑い頭の体操」、「クイズダービー」をプロデュースした。2005年4月10日没。享年72。
井澤健1935年9月9日 - )
ドリフが渡辺プロに在籍していた時のマネージャー。いかりやによれば、ドリフの営業面をサポートし、影のドリフメンバーと呼んでいた程ドリフに貢献した人物。現在ドリフの所属するプロダクション「イザワオフィス社長ワタナベエンターテインメント社長。
久世光彦(1935年4月19日 - 2006年3月2日
元TBSテレビプロデューサーで、作家・演出家。演出面でいかりやのコントに感心し、いかりやの弟子となった。荒井の芸能界復帰に力を尽くした。「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」などのテレビドラマの演出を手掛けたことで知られる。2006年3月2日没。享年70。
たかしまあきひこ
音楽面のブレーン的存在。ドリフ及び志村の冠番組の大半で作曲を担当。「全員集合」の少年少女聖歌隊コーナーではピアノ伴奏者として出演もしていた。
山田満郎
全員集合のコントの仕掛けを作っていた美術スタッフ。後に番組の回顧として「8時だョ!全員集合の作り方―笑いを生み出すテレビ美術」を執筆。
ビートルズ
来日公演の際にドリフが前座をつとめた。演奏曲は「Long Tall Sally」。6/30夜公演、7/1昼公演ともに映像が残されている。当時テレビでドリフの演奏が見られることはなかったが、近年になり日本テレビ番組「いつみても波瀾万丈」に加藤茶、高木ブーが出演した際にその一部が放映されついに日の目を見た。
小泉孝太郎
いかりや長介に弟子入りし、ドリフの6番目のメンバー入りも計画されていた。そのときの父・小泉純一郎のコメントは「力をつけてもらわないと・・・」であった。

[編集] ドリフの歴史

[編集] 前期バンド時代

以下、雑誌「ミュージックライフ」、いかりや長介著「だめだこりゃ」、高木ブー著「第5の男」、および加藤茶の証言等を元に極力矛盾が少なくなるように整合させた、いかりやが正式リーダーになるまでの経緯を紹介する。なお、新生ドリフ結成の解釈には、おなじみ5人のメンバーが揃った時と、(桜井輝夫と小山威が抜けた時である)渡辺プロ移籍時の2通りがあるが、本記事ではイザワオフィスの公式発表に従い後者とする。

  • サンズ・オブ・ドリフターズ
    • 1957年(1955年または1956年説もある)、「マウンテンボーイズ」と「東京ウエスタンボーイズ」が合併し「サンズ・オブ・ドリフターズ」として結成(参考[1])。岸辺清がリーダー。メンバーは、グループ名は、アメリカThe Driftersに傾倒していた岸辺が、自分達のグループをDriftersの息子たちと自負して命名したという説がある。駐留米兵相手のウエスタンバンドとして活躍し、山下のボーカルが人気を集める。後期には、桜井も加入。なお、初代リーダーは大野という説もある(大野と親交のある高木は[2]にて、いかりやが3代か4代目のリーダーと語っている。大野が初代とすればいかりやは4代目となる。)。
    • この時のメンバー:岸辺、大野義夫、多田正幸、新井利昌、鈴木修、根本節夫、吉田博、能勢武、清水一夫、斉藤任弘、山下敬二郎
  • 井上ひろしとザ・ドリフターズ
    • 1958年、山下の脱退と共に、名称を「ザ・ドリフターズ」に変更。山下の代わりのボーカルとして井上ひろしが付き人より昇格。一時期は坂本九も在籍。当時ドリフは、ロカビリーが売りのバンドであり、井上のバックバンド的な存在であった。
  • 桜井輝夫とザ・ドリフターズ
    • 1960年、井上の独立と共に、岸辺から桜井へとリーダーが交替し、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」となる。また、ポン・青木、小野ヤスシが加入。当時はロックバンドであったが、この頃から音楽主体のコミカル路線を歩むこととなる。寺内タケシも在籍していたことがある。
    • この時のメンバー1:桜井、青木、小野の3人
    • この時のメンバー2:桜井、寺内、青木、田中、三好、小野の6人
    • この時のメンバー3:桜井、青木、田中、三好、小野、小山の6人
  • 碇矢と加藤の加入
    • 1962年二代目リーダー桜井がグループのお笑いを強化するため、「ジミー時田とマウンテン・ボーイズ(上記前身のバンドとは別バンド)」のベーシスト碇矢長一(当時は芸名でなく本名)をヘッドハンティングした。その直後に「クレイジー・ウエスト」(ミッキー・カーチスのバンド)のメンバーだった加藤英文(同じく当時は芸名でなく本名)もドラマーとして参加。そして、桜井より碇矢がリーダー代行という形で、「ザ・ドリフターズ」を本格的なコミック・バンドとして再々編して出発することになる。
    • 碇矢がメンバー入りしドリフがコミックへと完全に方向転換した際、青木とコミックを嫌うメンバー(田中、三好)は脱退し、代わりに飯塚文男とマウンテン・ボーイズのジャイアント吉田に加え、猪熊虎五郎もメンバー入りした。当時のメンバーの中には、加藤もいたが、小野も、フィーチャーリングボーカリストとして在籍していた。さらには、桜井がボーカルを行ったり、木の実ナナや高松秀晴がドリフ演奏の下で前歌を歌うこともあった。これが、現在我々が知っているドリフの母体、原形である。
    • この時のメンバー1(昭和38年頃):桜井、青木、田中、三好、小野、小山、いかりや、加藤、※木の実、※高松(※後述2人は専属シンガー)の10人
    • この時のメンバー2:桜井、小野、小山、綱木、いかりや、加藤、猪熊、飯塚、吉田の9人
  • ドンキーカルテットとの分裂
    • 1964年桜井はライブに出演しなくなり、オーナーの立場となった。そして碇矢の影響力が強まり(ただし、桜井はオーナーとしてバンドの采配を握っており、碇矢は依然雇われリーダーの形式)、碇矢は練習の鬼と化した。そのワンマンぶりに対し小野は一種のクーデターを起こし、吉田、猪熊、飯塚を誘って脱退して、「ドンキー・カルテット」を結成する。彼らの脱退に際して加藤も誘われ悩んだが、小野から「ドリフに残った方が良いのではないか?」とのアドバイスを受けていた。また、碇矢からも残留の説得、及び説得時の碇矢の顔の迫力により残留を決めたそうである(ただし、碇矢の顔の迫力についてはウケを狙った可能性がある)。なお、いかりやによれば、この時、加藤が自分の顔の迫力に負けたというのは加藤の幻覚だとしている。結局、加藤はドリフに残った。残されたメンバーは、リーダー(代行)の碇矢、ドラムの加藤、ギターの小山、サックスの綱木(後の2人は桜井の腹心)であった。ここで、オーナー桜井の腹心を除いた実質のメンバーは、碇矢と加藤だけであった。
    • この時のメンバー1:桜井(オーナー)、小野、小山、綱木、いかりや、加藤、猪熊、飯塚、吉田の9人
    • この時のメンバー2:桜井(オーナー)、小山、綱木、いかりや、加藤の5人
  • 高木・荒井・仲本の加入
    • 主力メンバー大量脱退でピンチになった桜井を含むドリフの母体側(逆にいうなら「残された側」)は、この時点で急遽「シャドウズ」、「パップコーン」などに在籍していた高木友之助を引き入れ、さらに「クレイジー・ウエスト」のピアニストであった荒井安雄が加入し、正メンバーであったギターの小山が抜けた後に「クレイジー・ウエスト」でのボーカル経験もあった仲本コージ(ジェリー藤尾のバンド「パップ・コーン」にも在籍)が参加し、ご存知の5人のメンバーが揃った。1964年9月頃のことであった。この当時は綱木が正メンバーとして在籍し、ドリフは6人構成であったことはあまり知られていない(綱木在籍時の6人ドリフのブロマイドがある。写真→[3]写真後方左が綱木)。
    • この時のメンバー:桜井(オーナー)、いかりや、加藤、高木、荒井、仲本、綱木の7人
  • 新生ドリフ誕生
    • 桜井はバンドを渡辺プロに譲り、碇矢が正式に三代目リーダーとなる。それからしばらくして綱木が抜け(綱木は在籍の意思あるも笑いのセンス無しとして碇矢に強制脱退させられる)ドリフといえば通常、碇矢が正式にリーダーに就任した(桜井の影響の無くなり)この時期以降のことを指す。しかし、新生ドリフターズは結成当初は正メンバーとして綱木文夫がいたので6人構成であり、5人となったのは新生ドリフ結成後2年経った1966年頃である。TVでいかりやが「ドリフ40周年」と言っていたが、西暦を数えるとちょうどこの年に当たる。なお、渡辺プロに移った年が1965年という説もあることや、加藤の「20歳でドリフに入った」との証言(彼が入ったのは19歳で、1964年の秋は21歳)から、ドリフ再結成(新生ドリフ結成)年の解釈に疑問も残る。
    • この頃までは、ドリフターズはジャズ喫茶出演が中心で、全国的には無名に近いバンドであり、かろうじて加藤の「カトちゃんぺっ」のギャグがTV放映でわずかに知られていた程度である。
    • この時のメンバー1:いかりや、加藤、高木、荒井、仲本、綱木の6人
    • この時のメンバー2:いかりや、加藤、高木、荒井、仲本の5人

※1965年以前は、各文献で記述と年代の矛盾があり、正確な年次は不明な部分がある。ドリフは、渡辺プロとイザワオフィスの公式発表では1964年の新生ドリフ結成、小野や加藤の出演するバラエティー番組では1960年の桜井輝夫とザ・ドリフターズ結成、坂本が紹介される番組では1957年のサンズ・オブ・ドリフターズ結成を起源として紹介されている。

[編集] 新生ドリフ時代

  • 全員集合まで
    • 渡辺プロ移籍直後、事務所の先輩ハナ肇に芸名を付けられる。その後に「いかりや長介とザ・ドリフターズ」と名乗ることもあった。
    • 初期新生ドリフは、ポスト「クレージーキャッツ」を自負するコミックバンドとしてジャズ喫茶出演やTV出演を行っていた。1966年はビートルズの前座を務めるほどであった(ちなみに、当時高校生の志村けんがこの前座を観客として見ていた、とする記述が居作昌果の著作などに見られるが、志村本人は否定。また志村が隠し撮りしたビートルズライブの写真からも志村が見たのはドリフターズが出演しなかった日であることがわかる)。しかし、後述する『大正テレビ寄席』出演の頃からコントに軸足を移すようになる。この番組で、後のライバルとなるコント55号と出会う。この頃から徐々にドリフの人気が高まる。そして、1967年には映画『なにはなくとも全員集合』で初主演を果たす。
    • 1968年、『大正テレビ寄席』や『あなた出番です!』を見ていたコメディアン志望の志村康徳が付き人として加入。この頃のドリフの番組は、コント55号に押され気味であった。
  • 全員集合開始から荒井注脱退まで
    • 1969年居作昌果の誘いにより『8時だョ!全員集合』のメインを努め、コント55号に人気の面で圧倒し、ドリフは一大スターとなった。と同時に、全員集合は俗悪番組のレッテルを貼られ、ドリフは人気と引き換えにPTAの目の仇にされる。この番組を見ていたお笑い好きのバンド青年、諏訪園親治が1970年に加藤の運転手として加入(2年後に見習いとして全員集合に出演)。
    • 1973年秋、荒井が体力の限界を理由に脱退宣言を行い、志村が荒井の後釜として見習いとなる。加藤の証言では、そのとき加藤も抜ける予定であり、二人で脱退宣言をする約束をしたらしいが、先に荒井が脱退宣言をし大騒ぎとなったため、加藤は辞められなくなってしまった。また、荒井の後釜選びのとき、加藤がいかりやに志村を推薦し、悩んでいたいかりやも付き人の中で最も才能のある志村を選んだ。ファンは「荒井の後釜はすわである」と思っていた人が多く、当時無名の志村が後釜ということで違和感を感じた人が多かった(当時、すわは付き人の中で最も世間に顔が売れており、かつ全員集合ではブルース・リーのものまねにより人気が出ていた)。
  • 志村けん加入から全員集合終了まで
    • 1974年3月、荒井が脱退し、志村が正メンバーとなる。しかし、新人志村が軌道に乗らず人気に陰りが見え、萩本欽一の番組に再び押され気味となる。その状況に危機感を募らせたいかりやは、1975年に「全員集合」に注力するため8年間続いた主演映画シリーズを終了させる。
    • 1976年、志村は東村山音頭をヒットさせ、再びドリフはお笑い界の頂点に返り咲く。また、翌1977年には『ドリフ大爆笑』、すわを含めた6人構成の『飛べ!孫悟空』が開始される。この絶頂期は1980年台初頭まで続く。
    • 1983年頃には、いかりやとスタッフ、およびいかりやと加藤&志村組の不協和音が見られるようになり、全員集合は視聴率で『オレたちひょうきん族』に抜かれ、ドリフ人気に再び陰りが見え始める。そして1985年には16年間続いた全員集合が終了、さらにすわが付き人を辞めた。
  • 全員集合終了後
    • 全員集合終了後には、ドリフメンバーが全員揃っての活躍は一時停止状態となる。そして、加藤と志村は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(その後志村のみで『志村けんのだいじょうぶだぁ』)、いかりやは俳優、高木はミュージシャン、仲本は舞台とそれぞれの活動に励むようになる。
    • 志村のゴールデンタイムのレギュラー番組が終了すると、ドリフ大爆笑にて徐々に5人のコントが復活するようになる。
    • 平均年齢60歳を超えた頃からは「ザ・ドリフターズ」として全員集合することは少なくなったが、メンバー個人での活動は減るどころか、それぞれテレビドラマ映画、トーク番組やCM出演などで色褪せることのない活躍ぶりをみせていた。1999年末に富士フイルムのテレビCMで荒井を含む6人と田中麗奈が七福神姿で共演して話題になった。荒井は翌年2月に死去。2004年3月20日にはリーダーのいかりやがリンパ節がんのため死去(志村加入後の、5人最後の映像については後述)。解散は最後の1人が死ぬまでしない模様。

[編集] TV出演

[編集] 主な出演番組

(ドリフターズ全員出演のものに限る)

『ホイホイ・ミュージックスクール』(1962年~1965年、日本テレビ系)
ドリフ初のレギュラー番組。鈴木ヤスシと木の実ナナが司会のオーディション番組。ドリフは1964年5月より、コーナーレギュラーで音楽コントを披露していた。この番組で全員集合など座付き作家となった田村隆や以後の日テレドリフ番組を全て演出した白井荘也と出会うことになる。初めの頃は小野等も出ていたが、前述したクーデターの後には出演メンバーの変遷が見られ、後におなじみの5人のみの出演となる。この番組の後、ドリフはTVレギュラー出演が増える。
『歌え!一億』(1965年、フジテレビ系)
伊東ゆかりとドリフによる歌謡番組。視聴率が伸びず、スポンサーと局スタッフを集めた会議にて、高木が大いびきをかきながら居眠りをしてしまい、スポンサーを怒らせて番組終了となった。
『あなた出番です』(1966年~1969年、日本テレビ系)
伊東とドリフによる、オーディション番組。後に「ドリフターズ大作戦!」と番組名が変更される。「歌え!一億」の雪辱を果たし、視聴率がアップした結果、ドリフに海外旅行のプレゼントがあった。それまで、メンバーにも秘密だった荒井の真の年齢が、パスポートに生年月日を記入する際に加藤に盗み見され暴露される。
大正テレビ寄席』(1966年、NETテレビ(現テレビ朝日系))
牧伸二の司会で渋谷東急文化会館にて収録。毎週日曜日の正午に放送された。「3分に1回笑わせる」事をキャッチフレーズとして、様々な芸人による芸を披露した公開演芸番組。いかりやは、この番組で東西の寄席芸人やストリップ小屋のコメディアン、キャバレー主体の芸人といったあらゆるお笑い芸人と知遇を得て懇意にし、また彼等の様々な芸に触発され自分達のコントの形態を研究。その結果、今日に至るドリフのコント戦略の方針が出来上がった。また、コントグループとしてのドリフの知名度が上がった番組でもある。大正製薬提供。
※当時、ドリフは純然たるコミックバンドとして主に演芸番組にゲスト出演していた。『お茶の間寄席』(フジテレビ系)『テレビ演芸場』(テレビ朝日系)『かねてつトップ寄席』(ABC)等。第一次演芸ブームのメンバーとして、ドリフも含まれていたのである。
『ドリフターズドン!』(1967年TBS系)
ドリフのTV初主演でもあるお笑い番組。藤村俊二が主題歌の振り付けとギャグアドバイザーを行う。
『進め!ドリフターズ』(1968年、TBS系)
公開番組。職を探すドリフが毎回いろんな職に就いては失敗する内容。トクホン本舗提供。この番組の収録中にいかりやは首に下げていた笛が体に突き刺さり肋骨を損傷。この事故が原因でいかりやが倒れ、番組はそのまま打ち切りに。後番組は「チータ55号」。
『突撃!ドリフターズ』(1968年、TBS系)
チータ55号』の後を受けて登場した公開番組。ドリフが扮するガードマン会社『世界おたすけ商会』(SOS)に、毎回ゲストが仕事を依頼。トクホン本舗提供。後番組は「みんなで出よう!!55号決定版」となり、TBSにコント55号と両天秤にかけられたドリフは55号に敗れた形となる。
『ドリフターズ大作戦!』(1969年,本テレビ系)
副題は『あなた出番です!』。元々は副題が正式タイトルだった公開視聴者参加番組。出場者がのど自慢や珍芸を披露。ドリフは司会進行役兼出場者の応援団。
8時だョ!全員集合』(1969年~1985年、TBS系)
平均視聴率30%超(人気絶頂の数年間の平均視聴率は、40%を超えた)という、現在では考えられない怪物公開生番組。最高視聴率は、ボクサー輪島功一をゲストに迎えた1973年4月7日の50.5%。この番組によって、ドリフは「土曜8時戦争」と呼ばれる視聴率戦争を長い間生き抜く。当時は、家庭用ビデオの普及していない(そして風呂付きの家も今より少なかった)時代で、その放送時間だった「土曜日の夜8時からの約1時間」は、がら空き状態の銭湯も多かった。キャンディーズも、その第二期より準レギュラー化する。膨大な生放送分を録画したものの中からセレクトされたものが、最近になってDVD化された。
『ドリフのドパンチ学園!!』(1970年、日本テレビ系)
ゲストが校長、いかりやが教頭役に扮し、収録会場近辺の視聴者が生徒役。ドリフの他のメンバーが落ちこぼれ生徒役の公開学園コント。いかりやがこの番組で腹話術を披露。第1回の新聞発表タイトルは「いかりやに隠し子発覚!?」。津村順天堂提供。
日曜日だョ!ドリフターズ!!』(1971年、日本テレビ系)
渡辺プロが強引にTBS系の『8時だョ!全員集合』を打ち切ってまで製作した公開生番組。内容・構成は「全員集合」とほぼ類似。セットは後に同局の『ハッチャキ!マチャアキ』や『金曜10時うわさのチャンネル』に流用された。
『ドリフ大爆笑』(1977年~1998年、フジテレビ系)
医師のコントで、若い女性の患者(AV女優中村京子)がTシャツをまくりあげるシーンがあったが、その下から現れたのがまるでラグビーボールを二つ並べたかのような余りに豊かな乳房であった。このようなシーンがゴールデンタイムのお茶の間に流れていた時代でもあった。現在、新作は製作されていないが、2003年12月23日、年末特番として編集版放送の際、オープニングとエンディングが新しく撮り直された。2003年では、1983年の時に踊っていたスクールメイツの娘がスクールメイツとして踊ったりと、歴史を感じさせた。リーダーのいかりやが翌2004年に死去したため、この映像がメンバー5人が一堂に会した最後のものとなった(註:なお、このドリフとしての最後の映像は、2003年12月8日に撮影されたものである。このタイトルの後ろに、その年の西暦のうちの下2桁の数字が付く。例:「ドリフ大爆笑'77」等)。
飛べ!孫悟空』(1977年10月~1979年3月、全74回、TBS系)
人形劇のアテレコではあるが、毎回のゲストも本物そっくりの人形でその本人がアテレコを担当した。ピンクレディーが主題歌を歌う(エンディングも同じ歌)。すわしんじは馬の役で、そのいななきというべきか、笑い声だけの出演。
ドリフと女優の爆笑劇場』(1977年~1989年、テレビ朝日系)
水曜スペシャル枠で3か月毎に放送。
TVプレイバック』(1985年1989年、フジテレビ系)
日曜22:00~22:30放送。萩本欽一司会、石田純一向井亜紀がレギュラー回答者であったが、その他、ゲスト回答者とともに「ドリフターズゲスト」として各人が2週連続で出演のローテーションを組んだ。

他、単発物や特別番組や特集物を含めると多数存在する。

[編集] 最近のCM

メンバー個人での活動が主になった近年でも、TV番組や映画出演同様、絶えることがない(ほんの一例)。

  • いかりや:ビール、胃腸薬
  • 加藤:(パソコン)専門学校、銀行ローン、食品用ラップ
  • 志村:インスタント麺、(スナック)菓子、ドリンク剤、ゲルマニウム医療品、発泡酒、パチンコ台メーカー
  • 高木:(スポーツ)飲料、ゲーム
  • 志村+高木:保険会社
  • 仲本+高木:エアコン

等々

2006年7月1日から、いかりや長介の没後初めて4人が揃って出演した「ケーズデンキ」のCMが放映された。

[編集] 補足

前述のCM出演(2000年放送)や、NHKの歌番組(第32回思い出のメロディー)でのコントと歌のコーナー出演(2001年)、同じく2001年のNHK紅白歌合戦への歌手としての出演、「ドリフ大爆笑」の総集編のオープニングとエンディング新収録(2004年放送)等、偶然か意図的にかは不明だが、2000年以降に於いてほぼ一年に一度は、メンバーが全員集合する機会や企画がとられていた。2004年が結成40周年に当たり、様々な番組企画、イベント等が事務所やTVで予定されていたが、前述のとおり、2000年に初期メンバーの荒井と2004年にリーダーいかりやの死去により、完全な「全員集合」の実現は不可能となってしまった。

[編集] 主な共演者

  • ゴールデンハーフ
  • キャンディーズ
    • キャンディーズとは「8時だョ!全員集合」や「新春かくし芸大会」など、多数の番組でドリフとの共演を果たしている。このためドリフの「盟友」とされることもある。

[編集] 代表曲(ドリフターズ名義)

  • いい湯だな(「にほんのうた」シリーズ。別バージョン・ビバノンロック。元来デューク・エイセスの歌ではあるがドリフの方が有名)
  • ミヨちゃん(元来平尾昌晃の歌。後年加藤茶が別バージョン・ラップミヨちゃんを発表)
  • ズッコケちゃん
  • ドリフのズンドコ節(海軍小唄。荒井注脱退により差し替えられた、「志村けんバージョン」も有り)
  • ゴー・ウエスト(「飛べ!孫悟空」挿入歌)
  • ヒゲのテーマ(ドゥー・ミー)
  • 東村山町内音頭(東村山音頭
  • ドリフ音頭(北海盆歌)
  • ドリフのツーレロ節(シャンラン節)
  • ドリフのツンツン節
  • ドリフのバイのバイのバイ(東京節)
  • ドリフのほんとにほんとにご苦労さん(軍隊小唄)
  • ドリフのラバさん(酋長の娘)
  • ドリフの真赤な封筒(真赤な封筒)
  • ドリフの英語塾
  • のってる音頭(秋田音頭)
  • 大変歌い込み(大漁歌い込み)
  • 誰かさんと誰かさん(故郷の空)

等々。

[編集] CD

2000年に、「ドリフだよ!全員集合(赤盤)」「ドリフだよ!全員集合(青盤)」(共に2枚組CD、東芝EMI)がリリースされたので、レコードソノシートでのほとんどのリリース曲が網羅されている。なお、前期バンド時代のCDとしては、「東芝レコード・アーカイブスVOL.1・ウエスタンカーニバルの時代」に「井上ひろしとドリフターズ」名義で「白い霧のブルース」が収録されている。

[編集] 書籍

分析本や映画について解説された本が出版されたが、現在、古本屋でもほとんど入手不可能。近年では、

  • いかりや長介自伝『だめだこりゃ』(新潮社)
    2003年に表紙の写真も一新され、文庫本で再出版されている。また、2004年のいかりやの死去直後に、再出版されているので、入手可能。
  • 志村けん『変なおじさん』(新潮社, 1998年
    続編「変なおじさんリターンズ」(2000年)、文庫版「変なおじさん完全版」(新潮文庫)と出版。現在、「変なおじさんリターンズ」との抱き合わせの文庫本「変なおじさん 完全版」が入手可能。
  • 高木ブーの自伝『第5の男』(朝日新聞社, 2003年)
    ドリフ結成年次がちょうど一年ずれている。一年プラスすれば、他の文献と整合が取れるため、誤植と思われる。大型書店での発注にて入手可能。
  • 居作昌果の『8時だョ!全員集合伝説』(双葉文庫,2001年)
    全員集合のプロデューサーからの視点が記されている。現在入手可能。

※各文献間で、記述の矛盾が有る(例えば「高木ブーの中央大学卒業」)。

[編集] 主演映画作品

主演映画については、「ザ・ドリフターズの映画」を参照のこと。

[編集] 加藤茶によるいかりや長介への弔辞

長さん・・・随分急いで向こうに行っちゃったんだね。アンタ、最後の最後に嘘ついたよなぁ。去年の12月に『大爆笑』のオープニング撮るときに久しぶりに会って、「40周年の記念で『全員集合』と『大爆笑』、この2本撮りたいね」って。長さん「いいね」って、「やろうよ」って、そう言ったよね。うちのメンバー4人もその気になってたんだよね。だけどその約束を守れないうちに逝っちゃったね。40年間一生懸命、一生懸命走ってきて絶対に妥協を許さない長さんだったよな。でも40年間本当に気を抜かないで一生懸命やってきたんだと思う。本当にご苦労さん。これから俺たち4人でドリフターズまだやっていくよ。アンタが残した財産だからね。

荒井注さんが亡くなった時、長さん言ってたよな。俺も、もうじきそっちに行くから、一緒に酒飲もうって。本当にそんな日が来てしまったな。でもちょっと早すぎたんじゃないか? もう少し我慢してほしかったな。まぁ、2人してつもる話もあるだろうけど、あまり深酒しないように。

それから、いきなりそっちから「全員集合!」といわれても俺たち4人は集まれないからね。たぶんそのうち本当に「全員集合」になるかもしれないけど、その時はやっぱりまた向こうでコントをやろうよ。

40年間本当にありがとう。そしてご苦労さんでした。何も心配なくゆっくり休んでちょうだい。さようなら。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ザ・ドリフターズ
現メンバー: 加藤茶高木ブー仲本工事志村けん
元・新生ドリフメンバー: いかりや長介荒井注すわ親治
所属レコード会社: 東芝EMI
所属事務所: イザワオフィス渡辺プロダクション

渡辺プロダクション3大タレント
ハナ肇とクレージーキャッツ1955年 - 1993年): ハナ肇(リーダー)・植木等谷啓犬塚弘安田伸石橋エータロー1971年脱退)・桜井センリ1960年加入)
ザ・ドリフターズ1964年 - 活動中): いかりや長介(リーダー)・高木ブー仲本工事加藤茶志村けん1974年加入)・荒井注(1974年脱退)
ザ・ピーナッツ1959年 - 1975年): 伊藤エミ(姉・ハーモニー)・伊藤ユミ(妹・メロディー
他の言語

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