幌筵島
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幌筵島(ほろむしろとう・パラムシルとうとも読む)は、千島列島の北東部にある島。、ロシア連邦の実効支配下にあるが、日本政府は国際法上は所属未定地であると主張している。ロシア名パラムシル島(о.Парамушир)
[編集] 地理
面積は2471㎢で、千島列島と北方四島を合わせると択捉島についで第2位の面積を持つ島である。北の占守島とはパラムシル海峡(ロシア名「第2クリル海峡・Второй Курильский пр.」)で、南の温禰古丹島とはオンネコタン海峡(ロシア名「第4クリル海峡・Четвертый Курильский пр.」)によって隔てられている。
海岸の僅かな平地を除くほぼ全島が急峻な山岳で構成されており、またその多くは火山で一部は現在も活動している。最高峰の千倉岳(ロシア名:チクラチキ山 влк.Чикурачки)は標高1,817mで、これは千島列島に北方四島を合わせると阿頼度島の阿頼度山(同:アライト山 влк.Алаид 2,339m)と国後島の爺爺岳(同:チャチャ山 влк.Тятя 1,822m)に次いで第3位の高さである。その他にも後鏃岳(同:フッサ山 влк.Фусса)、白煙山(同:カルピンスキー山 влк.Карпинского)、千島硫黄山(同:エベコ山 влк.Эбеко)など、千メートル級の山々が座している。
中心地の柏原は、現在セベロクリリスク(Северо-Курильск=セヴェロクリリスク「北千島の町」の意)という名で呼ばれ、人口約5000人。この島を実効支配しているロシア連邦サハリン州の北クリル地区の中心地であり、北千島で唯一民間人が定住している島である。また、セベロクリリスクはNHKラジオ第2放送の「気象通報」を聞いている人にはおなじみの地名でもある。戦前の日本領だった時代には、加熊別、村上湾、摺鉢などにも集落や工場があり、駐在所や郵便局(季節開業)も置かれて、漁業シーズンには季節労働者で賑わっていた。尚、当時の行政区画では北海道根室支庁占守郡に属し、夏期期間には函館や小樽から命令航路の船が通ってきて、柏原湾や加熊別、占守島の片岡湾などに寄港していた。
現在、セベロクリリスクに渡るにはカムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキーから空路で占守島(シュムシュ島)に渡り、そこで艀やヘリコプターに乗り換えるか、または樺太のコルサコフ(大泊)港からの船便で行くことになる。
[編集] 歴史
1875年の樺太・千島交換条約で樺太と交換により日本領となる。1945年の日本降伏に伴いソ連軍により占領された。1951年に日本はサンフランシスコ講和条約で同島の領有権を放棄した。日本政府は国際法上は所属未定地との立場を取っているが、現在はロシア連邦の実効支配下にある。
[編集] 関連項目
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