得撫島
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得撫島(うるっぷとう・ロシア名・ウループ о.Уруп)は、千島列島の中央にある島。活火山がある。面積は1400㎢で、択捉水道(ロシア名フリーズ海峡 пр. Фуриза)を隔てて択捉島と相対する。かつては北海道根室支庁得撫郡に属していた。現在はロシア連邦が実効支配しているしているもののサンフランシスコ講和条約に調印しておらず、日本政府は国際法上、所属未定地であるとしている。
[編集] 歴史
- ウルップ島を含め、千島列島全域には先住民としてアイヌ民族が居住していた。
- 1643年、オランダ東インド会社のフリースが上陸し、アイヌ以外では初の「発見者」となる。
- 18世紀に入り、ロシア人がカムチャツカ半島から南下し、毛皮目的のラッコの捕獲などを開始。
- 1772年、千島アイヌとロシア人が衝突し、ロシア人が島から退去。しかし、その後もロシア人の活動は続く。
- 1786年、最上徳内が日本人として初の本格的な調査を実施。
- 1801年、富山元十郎・深山宇平太が領有宣言を意味する「天長地久大日本属島」の柱を建てる。以後、日露両国の活動が交錯する。
- 1855年(安政元)、日露通好条約によりロシア領として確定(択捉水道が国境線になる)。
- 1875年(明治8)、樺太・千島交換条約により日本領になる。
- 日本政府は明治後期に先住のアイヌ民族を島から退去させる。以後、北海道根室支庁の直轄地として支配される。
- 1945年(昭和20)、8月、日ソ中立条約を破ってソ連軍が侵攻し、占領する。
- 1946年(昭和21)、ソ連が領有を宣言する。ソ連はヤルタ協定とポツダム宣言を領有の根拠に挙げる。
- 1952年(昭和27)、日本国との平和条約で日本は領有権を放棄する(※注:しかし、ソ連は調印していない)。以後、日本はウルップ島の帰属は未確定と主張する。
- 1991年(平成3)、ソ連が崩壊し、ロシア連邦が領有の継続を宣言する。
[編集] 気象通報の島
かつて得撫島は、NHKラジオ第2放送の「気象通報」で「ウルップ島」としておなじみの島だった。しかし1997年7月19日を最後に観測結果の入電が途絶え、2001年12月3日に正式に観測地点から除外される。その理由は公表されていないが、島の気象測候所が廃止されたという説が支配的である。
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