湖西線
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湖西線(こせいせん)は、京都府京都市山科区の山科駅から滋賀県伊香郡西浅井町の近江塩津駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。全線が大阪近郊区間に含まれる。
琵琶湖の西岸を通っているため、湖西線という。起点は山科駅だが、後述の通り、利便性を考慮して京都駅まで全ての列車が直通しており、関西から北陸へ向かう特急列車や貨物列車が通り抜ける。永原まではアーバンネットワークに含まれ、大阪・姫路方面から新快速の乗り入れもあり、京都・大阪方面への通勤・通学路線ともなっている。
全線でICOCA及び東日本旅客鉄道(JR東日本)のSuica、またスルッとKANSAIのPiTaPaが使用できる。また、山科~近江舞子間の各駅のみJスルーカードが利用できる(北小松~近江塩津間での利用はできない)。
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[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)・日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):74.1km
- 軌間:1067mm
- 駅数:21駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:複線自動閉塞式
- 運転指令所:新大阪総合指令所
- 最高速度:130km/h
2006年9月24日から北陸本線長浜~敦賀間とともに、交流電化であった湖西線永原~近江塩津間も直流化され、10月21日から一部の新快速が北陸本線敦賀駅まで直通運転している(後述)。
なお、全区間とも西日本旅客鉄道京都支社の管轄である。
[編集] 概要
関西と北陸の短絡という目的から高速走行を狙う路線とされたため、ほとんどの区間がトンネルや高架線となっており、湖西線内に踏切は全くない。三井寺や白髭神社などでは境内通過を巡って騒動が起きたほか、江若鉄道(後述)との関係で路線決定に難航した部分もあるが、最小曲線半径は1400mを基本とし、勾配も19‰以下と在来線としては高規格で建設されている。
計画時は東海道線の線路容量が限界になるであろうとの予測により、山科から片町線長尾に抜ける新線を作り、貨物列車を新設の長尾操車場に、特急列車を片町線から片福連絡線経由で大阪に入れる構想であった。そのため、山科駅は西側も分岐できる構造になっている(西側の新線は国鉄の財政事情悪化により計画中止されている)。
現在は特急「サンダーバード」などが、ほぼ全線で最高速度130km/hで駆け抜ける。また、ブレーキ性能上120km/hを最高速度とする485系電車で運転される「雷鳥」は、踏切のない湖西線内では最高速度130km/h運転が特別に認められている。「サンダーバード」で京都~敦賀間無停車の場合の所要時間は、下りが51分、上りが53分程度である。
高速運転に最適な路線であるため、国鉄時代から、湖西線を利用して381系電車・221系電車・JR四国8000系電車などが速度向上試験に取り組んだ。
JR西日本発足後、湖西線内と北陸トンネル内にて最高速度を160km/hに引き上げることが検討され、その一環として681系電車が製造されたが、信号機改良(北越急行ほくほく線のように6灯式信号機の設置)等のコストが嵩むこと、一方足の遅い普通電車や電気機関車が牽引する貨物列車や客車列車が存在することなどにより、結果として5~10分程度の短縮にしかならず、費用対効果が薄いと判断されて見送られるに至った。
ちなみに「新幹線並み」と称されることもあるが、新幹線としては比較的低規格の東海道新幹線でも最小曲線半径は2500mが基本となっているため、実際に新幹線並みのスピードで列車を走らせることは不可能である。
湖西地域は北陸から続く多雪地帯のため、スプリンクラーや雪落とし溝を設けるなどの設備を持っている。近江今津には電留線設備があるが、留置時パンタグラフの位置には屋根を設け、降雪から車両を保護している。
一方で、比良おろしと呼ばれる山からの強風により速度規制や運転見合わせになることも多く、「サンダーバード」など湖西線を通過する特急が米原経由で迂回運転されることもある。過去に貨物列車が停車中に倒された例があるほか、昨今の風による列車事故例などから速度規制や運転抑止の回数が増える傾向にある。
また、関西方面と北陸方面を経由する貨物列車も多数運行されている。開業前には堅田と近江今津で貨物扱いを行う計画もあったが、結局実現しなかった。そのため、湖西線内の貨物列車はすべて山科から近江塩津まで無停車で通り抜けている(ダイヤ上特急等を待避する停車はある)。貨物側線用地は保守用基地等に現在利用されている。
西大津・雄琴・堅田・近江舞子・安曇川・近江今津・永原に待避設備を持ち、マキノに場内・出発信号機を持つほかは停留所扱いである。高架構造でスラブ軌道を多用したため、保線も大型機械を導入した。その大型機械を使う保守間合いを確保するため、深夜に通過する貨物列車を単線で使用をするための設備(単線並列)を設けた。雄琴を除く待避可能駅とマキノにはシーサスを、上下線との両方向で使用できる信号設備(複線利用では閉塞区間があるが、単線で使用時は1閉塞扱い)を配置した。が、その後貨物列車の減少などもあり、設備を維持する必要性が薄れたため、2004年に単線用信号設備の使用を停止した。
この単線運転を考慮した構造のため、堅田・近江舞子・安曇川・近江今津・永原の各駅は待避線が内側に入る構造で、シーサス配置と相まって結果的に電車の折り返し運転に便利な配線になっている。
北陸新幹線の敦賀駅以南(以西)の計画案の一つとして湖西線を改軌しミニ新幹線で運行しようという構想もある。
[編集] 沿線風景
湖西線は活断層(琵琶湖西岸断層帯)が活動した結果できた細長い平地に沿って走る。そのため、西に比叡・比良の山脈を見上げ、東はほぼ全線に渡って琵琶湖の湖面を眺めることができる。線路の周囲は静かな田園地帯ではあるが、堅田以南では周辺に住宅も多い。 近江塩津駅付近は琵琶湖の湖面より線路が高い位置にあり、約20mの高さの高架橋が連なっている。 山科~西大津間の長等山トンネルは、西大津方が複線断面であるが、山科方は単線3つの変形トンネルである。
[編集] 運行形態
関西~北陸の短絡線という目的に即して、北陸へ向かう優等列車は現在、夜行列車の急行「きたぐに」を除く特急「サンダーバード」・「雷鳥」・「日本海」・「トワイライトエクスプレス」のすべてが湖西線を経由している。一部の特急列車は堅田と近江今津に停まり、湖西と京阪神間の速達サービスや通勤利用に対応している。また、かつて東海道線時代に北陸線への優等列車が大津に停車していたことから、西大津に停まる特急もある。
山科が路線としての起点であるが、同駅の線路設備や乗客流動により京都まですべての列車が直通し、さらに快速・新快速列車が大阪・姫路方面と直通している。 開業当初、普通電車が京都~近江今津または永原間で1時間あたり1本というわずかな運転本数であったが、その後沿線の住宅増加に伴い、普通電車の本数は徐々に増加している。ただ、乗客増加が堅田、小野付近までに偏っているため、多くの普通電車は堅田または近江舞子で折り返す。朝には京都を越え大阪方面へ直通する普通電車も設定され、4扉ロングシートの通勤型電車も顔を出す。 また、開業時から新快速が堅田まで日中時間1本京阪神から直通していたが、のちに近江今津まで延長された。とはいえ、普通電車の少ない近江舞子以北は各駅停車扱いである。
一方、近江今津から近江塩津までは途中交流電化に変わること、もとよりローカルの交流があまりなかったことなどから普通列車は当初日3本と極めて少ない本数であった。JRになってから徐々に本数は増え、電車化後は敦賀を越え福井方面へ直通する列車や、近江塩津から長浜・米原へ北陸線を南下する列車も設定された。 敦賀までの直流区間延伸により、2006年10月21日のダイヤ改正から日中の新快速は敦賀まで延長された。朝晩は近江今津~近江塩津間の区間運転が主であるが、一部は福井や米原に直通するほか、朝の湖西線からの大阪方面直通、夜の大阪発湖西線快速が敦賀発着に延長されている。これらの列車設定により、永原~近江塩津間もほぼ1時間1本運転となった。
なお当初より新快速の設定のある昼間帯が夕方ラッシュ帯より本数が多いという珍しい設定で、現在でも日中が新快速を含めて毎時5本、新快速のない夕方ラッシュ時は毎時4本運転である。
[編集] 京都駅での東海道線との接続
開業時は発着ホームを東海道線に間借りしていたが、京都駅構内の改良工事により、湖西線電車の発車はほぼ3番ホームと固定され、多くの電車は3番線着発の折り返し運転となり現在まで続いている。京都着の一部電車の中には5~7番線ホームに到着後、向日町運転所(現在の京都総合運転所)へ回送されるものもある。 この運転形態のため、大阪方面から湖西線へは京都でホーム対面、湖西線から大阪方面へは山科でホーム対面での乗り換えが可能で、利便性は高い。 なお、2002年3月改正では、湖西線電車が大阪方面からの新快速を受け発車する便利なダイヤとなった。が、新快速の軽微な遅れによる湖西線への影響が大きかったため、2006年3月のダイヤ改正(いわゆるゆとりダイヤ導入)では、新快速の到着前に湖西線が発車するように改められ、待ち時間が増加する結果になっている。
[編集] 湖西線内の新快速の追い抜き(緩急接続)
2006年3月ダイヤ改正以降、京都方面から来る新快速(近江今津行)は、西大津駅で緩急接続して、普通列車を追い抜くパターンである。また、京都方面へ向かう新快速(姫路・網干行き)は、堅田駅で緩急接続して、普通列車を追い抜くパターンである。
[編集] 新快速の分割併合
2006年10月の新快速敦賀延長では、近江塩津・新疋田各駅と敦賀駅中線(4番ホーム)の有効長を4両分のみとしたため、近江今津駅(一部の列車は京都駅で)で列車の分割併合を行うことになった。そのため近江今津駅構内に誘導信号機が新設された。 なお、その作業のため10分前後の停車時間があり、その間に特急「サンダーバード」などに抜かれる列車がある。同様の例は姫路の分割中にスーパーはくとに抜かれる例があるのみで、新快速が特急待避となることはまれである。
余談ではあるが、新快速は近江舞子・米原以北の各駅停車区間でも「新快速」の表示を出し、駅時刻表も新快速と表記されている。京阪神の快速が明石以西・京都以東で「普通」となるのに対して、新快速は各駅停車でも新快速である。これは新快速が一種のブランド化している現象で、地元自治体にとっては、実体が各駅停車であっても、「新快速が直通する」ことが大事なこと、なのである。
[編集] 直流化工事
湖西線建設当時には近江塩津駅は交流電化されており、湖西線の永原~近江塩津間に交直セクションを設けた。これにより、湖西線を北陸方面に直通する電気車両は車上で交流と直流の切り替えのできるもの、つまり485系などの交直流電車と交直流両用のEF81形電気機関車に限られた。また、需要の見込めない湖西~北陸のローカル列車には高価な一般用交直流電車は投入されず、近江今津~敦賀間の普通列車は電化区間でありながら1991年9月まで気動車で細々と運転されていた(それ以降は交直流電車で運転された。他方、永原までは直流電化で、京都方面から直流電車が入っていた)。
一方、北陸線では1991年に長浜まで直流化を行い、京阪神からの新快速が長浜まで直通することになった。この直通電車は観光客の増加と人口増加という経済効果をもたらした。そこから交流電化で列車本数が少なく、米原以西への直通がなかった湖北地区に「新快速の直通を」という機運が高まった。また、湖西と湖北地区の相互交流も、この交直セクションのために直通電車が少なく不便であった。一方、敦賀市も新快速の直通による観光客の増加をもくろんだ。そこで鉄道整備の一環として、(1)新快速を湖北に直通させる、(2)湖西湖北の列車利用による移動をより便利にする、(3)敦賀へ京阪神から直通の新快速を走らす、という狙いで、湖西線と北陸線の直流化工事が行われた。工事は地元の請願という形で、滋賀県側(県と地元自治体)と福井県側(県と敦賀市)がほぼ折半の形で工事費の負担をしている。
直流化工事は長浜~虎姫間、永原~近江塩津間にあったデッドセクションを敦賀~南今庄間(敦賀駅~北陸トンネル敦賀口間)に移設し、北陸線長浜~敦賀間、湖西線永原~近江塩津間を直流き電とするもので、2006年9月24日に完成した。 同年10月21日のダイヤ改正で、敦賀まで223系直流電車による新快速が運転され、また湖西線と北陸線長浜方面との接続改善も図られた。昼間帯を中心に1日25本(湖西線経由17本、琵琶湖線(北陸本線)経由8本)が近江今津・長浜から延長される形で敦賀まで、1日18本が近江塩津(琵琶湖線・北陸本線経由)まで乗り入れるようになった。近江塩津では、日中に湖西線経由の敦賀行きから近江塩津発の米原経由姫路方面行きに、また米原経由の近江塩津止めから敦賀発湖西線姫路方面行きに同一ホームで乗り換えができるようになり、湖北・湖西間の接続改善がなされた。近江塩津で湖西線経由敦賀行きの新快速と接続する米原経由の同駅止まり新快速が一日に1例だけあるが、この近江塩津止まりの電車はホームで客扱いのまま近江今津行きとなるものである。
なお、北陸線に乗り入れする新快速の標準的な運転時分は、湖西線経由で敦賀~京都間で約95分、大阪間で約125分、三ノ宮で約145分、姫路で約185~190分である。また米原経由は更に15分ほど所要時間が延びる。もともと湖西~敦賀のローカル流動はほとんどなく、湖北~敦賀の流動はそれなりにあるため、敦賀発着の新快速は昼間は湖西線経由での運転に、それ以外は米原経由になっている。そのため朝夕時間帯には米原経由のほうが早くなる場合もある。山科~近江塩津間をまたぐ場合、普通乗車券では湖西線経由運賃で米原経由にも乗車できる特例があるが、定期券の場合は経路の指定がされ、選択乗車はできない。また午前中の上り敦賀ゆき、夕方以降の下り敦賀発列車の設定が少ない。そのために敦賀市は増発や乗車経路の特例を認めるようJR西日本に働き掛けているが、実現に関しては不透明である。
[編集] 使用車両
- 特急列車
- 普通列車
- 全区間
- 223系電車
- 普通電車に使用されるほか、湖西線内の快速・新快速電車はすべて223系の運転になっている。
- 223系電車
- 山科~永原間
- 近江今津~近江塩津間
かつては201系電車や221系電車も湖西線に入線していたが、現在は定期運用はない。 また、食パン電車として特異な姿を持つ419系電車や、急行から転用の475系電車が近江今津以北で1991年以降使用されていたが、敦賀直流化の改正以降湖西線に定期運用で姿を現すことはなくなった。
[編集] 歴史
大阪と北陸方面を結ぶ短絡線として建設された。元々浜大津~近江今津間に地元資本による江若鉄道が開業しており、路線計画時にほぼ並行する形のこの江若鉄道の扱いが問題となった。最終的に江若鉄道は廃止し、その路盤を買い上げ(いわゆる手切れ金として)て転用することで決着した。が、競合路線の買い上げ救済が真の目的であって実際の転用率は低く、車窓から廃線跡が確認できる区間も多い。江若鉄道は1969年(昭和44年)10月に鉄道事業を廃止後、江若交通に社名変更している。
- 1964年(昭和39年) 湖西線の基本計画が策定。
- 1966年(昭和41年) 山科~西大津間、近江今津~近江塩津間着工。
- 1974年(昭和49年)7月20日 山科~近江塩津間が開業。新快速が山科から近江今津まで乗り入れ開始。
- 1975年(昭和50年)3月10日 大阪~北陸・東北間の特急と急行「立山」が湖西線経由となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。日本貨物鉄道が全線の第二種鉄道事業者となる。
- 1988年(昭和63年)12月4日 堅田~和邇間に小野駅が開業。
- 1994年(平成6年)9月4日 叡山駅を比叡山坂本駅に改称。
- 2006年(平成18年)9月24日 永原~近江塩津間を交流電化から直流電化に変更。
- 2006年(平成18年)10月21日 新快速が敦賀まで延長され湖西線全区間運転となる。
[編集] 駅一覧
- ●:停車、|↑↓:通過、↑↓:片方向のみ運転
- 快速(朝):朝に平日は姫路行(京都まで快速、京都から新快速)、土曜・休日は大阪行(大阪まで快速)のみ運転
- 快速(夕):夕方に平日は大阪発(京都まで新快速、京都から快速)、土曜・休日は京都発のみ運転
駅名 | 山科からの営業キロ | 普通 | 快速(夕) | 快速(朝) | 新快速 | 接続路線 | 所在地 | |
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東海道本線 | ||||||||
京都駅 | 5.5 | ● | ● | ● | ● | 東海旅客鉄道:東海道新幹線 西日本旅客鉄道:東海道本線(JR京都線・直通あり)・山陰本線(嵯峨野線)・奈良線 近畿日本鉄道:京都線 京都市営地下鉄:烏丸線 |
京都府京都市下京区 | |
湖西線 | ||||||||
山科駅 | 0.0 | ● | ● | ● | ● | 西日本旅客鉄道:東海道本線(琵琶湖線) 京都市営地下鉄:東西線 京阪電気鉄道:京津線(大津線)(京阪山科駅) |
京都府京都市山科区 | |
西大津駅 | 5.4 | ● | ● | ● | ● | 京阪電気鉄道:石山坂本線(大津線)(皇子山駅) | 滋賀県 | 大津市 |
唐崎駅 | 8.5 | ● | ↓ | ↑ | | | |||
比叡山坂本駅 | 11.1 | ● | ● | ● | ● | |||
雄琴駅 | 14.5 | ● | ● | ● | | | |||
堅田駅 | 17.7 | ● | ● | ● | ● | |||
小野駅 | 19.8 | ● | ↓ | ↑ | | | |||
和邇駅 | 22.5 | ● | | | | | | | |||
蓬莱駅 | 24.9 | ● | | | | | | | |||
志賀駅 | 27.3 | ● | | | | | | | |||
比良駅 | 30.0 | ● | ↓ | ↑ | | | |||
近江舞子駅 | 32.2 | ● | ● | ● | ● | |||
北小松駅 | 34.5 | ● | ● | ↑ | ● | |||
近江高島駅 | 40.9 | ● | ● | | | ● | 高島市 | ||
安曇川駅 | 45.0 | ● | ● | ● | ● | |||
新旭駅 | 48.3 | ● | ● | ↑ | ● | |||
近江今津駅 | 53.2 | ● | ● | ● | ● | |||
近江中庄駅 | 58.0 | ● | ● | ● | ● | |||
マキノ駅 | 61.2 | ● | ● | ● | ● | |||
永原駅 | 68.3 | ● | ● | ● | ● | 伊香郡西浅井町 | ||
近江塩津駅 | 74.1 | ● | ● | ● | ● | 西日本旅客鉄道:北陸本線(直通あり) |
[編集] 関連項目
- 日本の鉄道路線一覧
- アーバンネットワーク
- 琵琶湖若狭湾快速鉄道(若狭リゾートライン)
- 双単線