第9回選抜中等学校野球大会
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出場校 | 20校 |
優勝 | 愛媛県立松山商業学校(初) |
試合数 | 19試合 |
選手宣誓 | --- |
総入場者数 | --- |
本塁打数 | --- |
第9回選抜中等学校野球大会は、1932年(昭和7年)3月30日から4月5日までの間、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われた選抜中等学校野球大会である。
野球統制令(昭和7年3月28日文部省訓令第4号)が4月1日に施行され、第4回大会以来続いてきた優勝校のアメリカ旅行が中止された。毎日新聞社は、これに代わって最多本塁打の打者に贈る「ベーブ・ルース賞」を設定した。
また、第1回以来の優勝校の校章と校名を記したプレートを、外野フェンスに掲示することを始めた。
目次 |
[編集] 出場校
- 早稲田実(6年ぶり3回目、東京府)
- 長野商(7年ぶり2回目、長野県)
- 静岡中(7年連続7回目、静岡県)
- 中京商(2年連続2回目、愛知県)
- 岐阜商(初出場、岐阜県)
- 平安中(5年連続5回目、京都府)
- 京都師範(初出場、京都府)
- 浪華商(初出場、大阪府)
- 八尾中(4年連続5回目、大阪府)
- 甲陽中(3年連続6回目、兵庫県)
- 明石中(3年連続3回目、兵庫県)
- 和歌山中(9年連続9回目、和歌山県)
- 海草中(2年連続3回目、和歌山県)
- 鳥取二中(初出場、鳥取県)
- 広島商(4年連続4回目、広島県)
- 広陵中(3年ぶり6回目、広島県)
- 坂出商(2年連続2回目、香川県)
- 松山商(3年連続8回目、愛媛県)
- 小倉工(2年連続2回目、福岡県)
- 大分商(初出場、大分県)
[編集] 試合結果
[編集] 1回戦
- 明石中 3 - 0 広陵中
- 小倉工 3 - 2 鳥取二中
- 中京商 3 - 1 平安中
- 坂出商 4 - 1 広島商
[編集] 2回戦
- 明石中 16 - 1 小倉工
- 京都師範 2 - 0 海草中
- 和歌山中 2 - 0 甲陽中
- 浪華商 3 - 1 大分商
- 中京商 3 - 2 坂出商
- 長野商 2 - 0 早稲田実
- 松山商 8 - 0 岐阜商
- 八尾中 1 - 0 静岡中
[編集] 準々決勝
- 明石中 1 - 0 京都師範
- 和歌山中 3 - 2 浪華商
- 中京商 8 - 0 長野商
- 松山商 8 - 0 八尾中
[編集] 準決勝
- 明石中 4 - 2 和歌山中
- 松山商 3 - 2 中京商
[編集] 決勝
- 松山商 1 - 0 明石中
(松山商)三森-藤堂 (明石中)楠本-福島
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
松山商 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
明石中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
松山商は4回表、5番三森の適時打で先制。この虎の子の1点を三森自らがドロップの連投で守りきり、2回目の優勝を遂げた。明石中は松山商を上回る6安打を放ちながら散発に終わり、唯一のチャンスであった6回裏の二死三塁も活かせなかった。
なお、明石中の楠本は今大会2度(広陵中戦、京都師範戦)の全員奪三振を記録した。
[編集] 出場した主な選手
- 日野弘美(早稲田実-明治大-ライオン軍)
- 土肥省三(長野商-専修大-藤倉電線-阪急)
- 吉田正男(中京商-明治大-藤倉電線)
- 杉浦清(中京商-明治大-中日-大洋-国鉄)
- 野口明(中京商-明治大-東京セネタース-大洋-西鉄-阪急-中日)
- 本田親善(平安中-慶應大-名古屋軍)
- 黒沢俊夫(八尾中-名古屋金鯱軍-大洋-西鉄-巨人)
- 北浦三男(浪華商-関西大-東京セネタース-西鉄)
- 納家米吉(浪華商-法政大-南海)
- 楠本保(明石中-慶應大)
- 藤田宗一(甲陽中-法政大-川崎コロムビア-国鉄)
- 濃人渉(広陵中-広島専売局-名古屋金鯱軍-大洋-西鉄-金星)
- 田部輝男(広陵中-立大-結城-西日本-芝浦工大監督)
- 三森秀夫(松山商-法政大-巨人)
- 景浦将(松山商-立教大-阪神)
- 坪内道典(松山商-立教大-大東京軍(ライオン軍、朝日軍)-ゴールドスター-中日)
- 新富卯三郎(小倉工-門司鉄道管理局-阪急)
[編集] 関連項目
高校野球 | ||
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1924 |
1915 | 1916 | 1917 | (1918)中止 | 1919 |
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