那智駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
那智駅(なちえき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮382番地に所在する西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅である。那智観光の玄関口。
目次 |
[編集] 駅構造
相対式ホーム2面2線を有する行違い可能な地上駅。ホーム間は地下道で結ばれている。駅の裏手、2番ホームのすぐ裏側は那智丹敷浦(那智海水浴場、別名「ブルービーチ那智」)であり、ホームからも砂浜を眺めることが出来る。
1936年(昭和11年)12月竣功の駅舎は熊野那智大社を模し、社殿風のデザインとなっている。駅舎そのものは無人駅であるためがらんどうであるが、1998年(平成10年)8月、この駅舎に那智勝浦町営の那智駅交流センターが増築された。那智駅交流センターは2階建てで、1階にはくつろぎ広場という、マッサージチェアや飲み物等の自動販売機の設置された休憩室および、地元の農産物を直売する産品販売所や特産品を取り扱う特産品売場などが、2階には町営温泉「丹敷の湯」(入浴料は大人600円、子供300円)がある。
無人駅。駅舎内部に簡易な自動券売機が一台設置されており、近距離乗車券の購入が可能である。
- のりば
- 新宮・(新宮のりかえ)熊野市方面
- 紀伊勝浦・白浜・紀伊田辺方面
- なお、駅舎側が1番線、反対側が2番線である。
[編集] 特記事項
なお、駅前には「山口熊野頌徳碑」が建立されている。山口熊野(やまぐちゆや、1864年 - 1950年)は和歌山県議会議員を経て1898年(明治31年)に衆議院議員に当選、国会で紀勢本線の建設の提案を行い、1920年(大正9年)紀勢西線建設の決定にまでこぎつけた紀勢本線開通の功労者である。この碑はそれを記念するものであって、題字を世耕弘一が、碑文を郷土史家の田原慶吉が、書を古谷丈夫がそれぞれ担当し、1940年(昭和15年)8月6日に建立された。
[編集] 利用状況
1日平均100人(乗車人員、2004年。出典:平成18年刊行和歌山県統計年鑑)
[編集] 駅周辺
那智観光の拠点で、熊野那智大社や那智の滝、那智山方面への道が駅前から那智川沿いに延びている。また、夏は駅裏手の丹敷浦への海水浴客でにぎわう。
[編集] 歴史
- 1912年(大正元年)12月4日 - 新宮鉄道の手により開業。
- 1934年(昭和9年)7月1日 - 新宮鉄道が国有化、紀勢中線とされる。
- 1936年(昭和11年)12月 - 2代目駅舎(現在のもの)が竣功。
- 1940年(昭和15年)8月8日 - 紀伊木本駅(現在の熊野市駅)から和歌山駅(現在の紀和駅)までが紀勢西線とされる。
- 1959年(昭和34年)7月15日 - 亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線とされる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。
- 1998年(平成10年)8月 - 駅舎に町営の那智駅交流センターが増設される。
- 2005年(平成17年)12月7日 - 紀伊勝浦発新宮行き上り普通列車がホームで停止できずに安全側線に進入し、砂利盛りに突っ込んでようやく停止した。この事故で運休やダイヤの乱れが生じたが、人的被害は避けられた。
[編集] その他
- 当駅は、近畿の駅百選の第二回認定駅である。