紀和駅
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紀和駅(きわえき)は、和歌山県和歌山市中之島834番地にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線の駅。
昔はこちらが和歌山駅であったが、和歌山市駅や和歌山駅に主要駅としての地位を奪われた。
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[編集] 駅構造
かつては島式・相対式2面3線のホームを有していたが、1985年(昭和60年)3月からは単式ホーム1面1線のみをもつ構造となった。現在は高架化工事に伴い2両分しかない仮ホームを使用している。
また、かつての和歌山県の玄関駅らしい、立派な駅舎を有していたが、高架化工事のため解体された。両隣の駅(JR和歌山駅・南海和歌山市駅)には自動改札機が設置されているが、この駅には設置されていない。
無人駅である。全列車ワンマン運転だが、すべてのドアが開く。
[編集] 駅周辺
和歌山市駅から和歌山駅へ向かうには、当駅を経由した電車に乗るより(1時間に1~2本)も、和歌山バスに乗る方が本数が多く(1時間に10本)、そのことも当駅の衰退に拍車をかけている。[1]。
[編集] 利用状況
1日平均66人(乗車人員、2004年) 1時間に上下各1~2本の列車しかなく、繁華街からも外れており、市街地に面しているにもかかわらず利用者は少ない。
[編集] 歴史
この駅は今でこそ紀勢本線の一中間駅に成り下がっているが、開業当初は和歌山市におけるターミナル駅であった。この駅ができたのは明治31年(1898年)のことで、船戸仮駅から伸びてきた紀和鉄道(現在のJR和歌山線)が和歌山駅(わかやまえき)として開業させたのである。
しかしこの駅ができてからわずか5年後の明治36年(1903年)3月には紀ノ川駅から伸びてきた南海鉄道(現在の南海本線)が和歌山市駅を開業させた。これにより大阪への便がよい和歌山市駅が和歌山市のターミナル駅となる一方、当駅の地位は下がった。なおこの和歌山市駅の開業と同時に、貨客連絡のため紀和鉄道は路線を当駅から和歌山市駅まで延伸している。
紀和鉄道は明治37年(1904年)8月関西鉄道に買収されたのち、明治40年(1907年)10月に国有化され、明治42年(1909年)10月の線路名称の制定により王寺駅から当駅を経て和歌山市駅までが和歌山線とされたため、国鉄和歌山線の駅となった。
その後、大正13年(1924年)2月28日に紀勢西線が当駅から東和歌山駅を経て箕島駅までが開業し、和歌山線と紀勢西線の分岐駅となった。しかし、昭和5年(1930年)6月16日に阪和電気鉄道が開業して東和歌山駅(現 和歌山駅)をターミナルかつ紀勢線の接続駅とするとますます当駅の地位は下がり、この阪和電気鉄道が南海鉄道山手線を経て昭和19年(1944年)11月に国有化(阪和線)されると、大阪から和歌山を経て紀勢線までが国鉄のみでつながるようになると、大阪~南紀ルートから外れた当駅に代わり、国鉄における和歌山のターミナル駅の座は東和歌山駅へ移ることなった。
戦後、和歌山の中心駅としての地位を完全に失った当駅は、その駅名もまた東和歌山駅に譲ることとなり、昭和43年(1968年)2月1日紀和駅に改称された(同年3月1日に東和歌山駅が和歌山駅に改称)。
昭和36年(1961年)7月1日に、和歌山線田井ノ瀬駅から直接東和歌山駅に行く路線が開通。当初は貨物支線だったが、のち旅客列車も運転されるようになり、昭和47年(1972年)3月15日から和歌山線のメインルートとなる一方、従来からあった田井ノ瀬駅から当駅までの方が支線となり、昭和49年(1974年)9月に正式に廃止。当駅は和歌山線から外れ、紀勢本線の一中間駅となった。
昭和53年(1978年)には紀勢本線の新宮駅~和歌山駅間が、和歌山駅から和歌山市駅を残す形で電化され、箕島方面からの直通列車が激減した。昭和60年(1985年)には交換設備(列車の行き違いをするための設備)を撤去、無人化。高架化工事前にあった駅舎は、木造モルタル塗りの大きなものだったが、解体直前には無人化の影響もあって荒れた状態となっていた。
なお、1968年の改称時になぜ駅名を「紀和」としたのかははっきりしない。当駅を開業させた紀和鉄道の社名に因んだという説が有力であるが、当時の国鉄に買収元の社名を付けるような先例がないことも確かである。駅の周囲に「紀和」という地名も存在せず、その正確な理由は、資料からは詳らかではない[2]。
[編集] 年表
- 1898年(明治31年)5月4日 - 紀和鉄道の船戸仮駅から当駅までの開通に伴い同線の終着駅の和歌山駅(わかやまえき)として開業する。
- 1903年(明治36年)3月21日 - 紀和鉄道が当駅から和歌山市駅までを開業させ中間駅化。
- 1904年(明治37年)8月27日 - 紀和鉄道が関西鉄道に買収され関西鉄道の駅となる。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化となり国鉄の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称の制定により国鉄和歌山線の駅となる。
- 1924年(大正13年)2月28日 - 紀勢西線が当駅から東和歌山駅(現在の和歌山駅)をへて箕島駅まで開業し分岐駅となる。
- 1959年(昭和34年)7月15日 - 三木里駅から新鹿駅までの開通をもって現在の紀勢本線が全通し新たに亀山駅と当駅の間が紀勢本線となり、当駅も国鉄紀勢本線および和歌山線の駅となる。
- 1961年(昭和36年)7月1日 - 国鉄和歌山線の貨物支線が田井ノ瀬駅から東和歌山駅まで開通する。
- 1968年(昭和43年)2月1日 - 東和歌山駅に和歌山の名を譲るため現在の名称たる紀和駅(きわえき)に改称となる。東和歌山駅はこの一ヵ月後に和歌山駅となった。
- 1972年(昭和47年)3月15日 - 国鉄和歌山線の貨物支線であった田井ノ瀬駅から当駅までの旅客営業が開始となり和歌山線の旅客列車が和歌山駅(旧東和歌山駅)に直通となり同時に和歌山線の当駅から和歌山市駅までが紀勢本線に編入となる。
- 1974年(昭和49年)9月30日 - 和歌山線の支線となっていた田井ノ瀬駅から紀伊中ノ島駅をへて当駅までの路線が廃止となる。
- 1980年(昭和55年)4月1日 - 紀和駅荷物センターが開設される(1986年に廃止)。
- 1985年(昭和60年)3月14日 急行「きのくに」廃止に伴い、当駅を発着する優等列車が消滅。
- 1985年(昭和60年)3月 - 交換設備撤去につき無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線の駅となる。
- 2006年(平成18年)2月10日 - 高架化工事に伴い、仮ホームを使用開始する。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ 参考:「全国鉄道事情大研究 大阪南部・和歌山編」(草思社 1993年 川島令三著)
- ^ 「国鉄全駅ルーツ大辞典」(竹書房 昭和53年 池田末則監修 村石利夫編著)によると、「紀州の紀と和歌山の和をとったもの」とある。