1950年の日本シリーズ
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1950年の日本シリーズ(第1回プロ野球日本選手権試合・日本ワールドシリーズ)は、セントラル・リーグ代表・松竹ロビンスと、パシフィック・リーグ代表でこの年創部した毎日オリオンズとの間で、11月22日よりワールドシリーズを参考に7戦4勝制によって開かれた。
この年はフランチャイズ(いわゆるホームタウン)がまだ制度化されておらず、シリーズは1試合ごとに会場を代えて行われた。またホーム扱い(後攻め)は奇数試合が松竹、偶数試合は毎日がそれぞれ当たった。
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[編集] 各試合概況
[編集] 第1戦(11月22日 神宮球場) 毎日3-2松竹
- 第1戦は松竹・大島、毎日・若林の両投手の先発で試合開始。2回、毎日はフォアボールとヒットでランナー1・2塁のチャンスに片岡がタイムリーヒットを放ち先制。その後は膠着した試合展開が続いたが、8回、松竹が2本のヒットでチャンスを広げ、三村のタイムリーヒットで同点に追いつき、試合は延長戦にもつれる。
- 延長戦12回、毎日はヒットと四球で満塁にし、伊藤がタイムリー2塁打を放って均衡を破り、その裏の松竹も1点を返すも反撃及ばず。記念すべき第1戦は毎日が先勝した。
[編集] 第2戦(11月23日 後楽園球場) 毎日5-1松竹
- 第2戦は一転して毎日のペースで試合が流れていく。1回に呉のシリーズ第1号ホームランを打つと、更に別当、戸倉の2連打で、再び得点圏のチャンスを広げる。そして本堂がレフト前にタイムリー安打を打って2点目。
- 3回にも別当(2塁打)と戸倉、土井垣の3連打で2点を追加。5回にも土井垣の2塁打で1点を挙げ勝利を決定的にした。
- 松竹は8回に小鶴の3塁ゴロエラーでの出塁を活かして岩本がレフトライナーの2塁打を放って反撃するもこれが唯一の得点となり、毎日が2連勝。
[編集] 第3戦(11月25日 甲子園球場) 松竹7x-6毎日
- 1日の移動日を挟んだ第3戦からは関西・中京圏シリーズとなった。
- 1回、4回に毎日がそれぞれ1点ずつを挙げて試合をリードするが、松竹は4回岩本(2塁打)、大岡が連打し、更に荒川(昇)がライトへのタイムリー3塁打と宮崎(仁)の連打で一気に4-2と試合をひっくり返す
- 7回、毎日は先発投手荒巻が再び試合をひっくり返す2ランホームランで4-6とするが、9回の松竹はヒットと2人の四球で満塁のチャンスに三村が再逆転のサヨナラタイムリーを放ち、大接戦の末松竹の初勝利と至った。
[編集] 第4戦(11月26日 西宮球場) 松竹5-3毎日
- 第4戦は前日のサヨナラ勝ちで勢いに乗った松竹が4回岩本の2ランホームランと、宮崎のタイムリーヒットで4-1と追い上げる。更に6回にも木村(勉)のタイムリーヒットで1点を追加。
- 毎日は9回に別当のライトオーバー2塁打を皮切りに、本堂、片岡、土井垣の3連打で2点差まで詰め寄るが、野村(武)のダブルプレーで万事休す。2勝2敗のタイとなる。
[編集] 第5戦(11月27日 中日球場) 毎日3-2松竹
- 勝ったチームが初代覇者に王手をかける第5試合は初回、毎日が1・3塁でこのシリーズ当たっている土井垣がセンター前タイムリー安打で先制すると、松竹も相手のゴロの間に1点を取り1-1の同点でスタート。
- 試合は4回に動き、岩本の2塁打ののち、やはり相手のフライとゴロの間に岩本がホームインし松竹リード。
- しかし、7回の毎日は今久留が四球で出塁すると、野村(武)が犠牲バントで進塁。更に呉のタイムリーヒットで同点に追いつく。そして9回西本のヒットから、今久留の犠打で進塁。更に四球と相手のエラーで満塁のチャンスを迎え、別当が押し出し四球を選んでこれが決勝点。毎日が初優勝に王手をかけた。
[編集] 第6戦(11月28日 大阪球場) 毎日8x-7松竹
- 毎日の初優勝がかかった第7戦。先手を取ったのはこの試合で逆王手をかけたい松竹で、2回・岩本のホームランで先制点を挙げる。更に3回にも岩本が2打席連続の2ランホームランで2点を取り試合を優位に進める。
- その裏の毎日は呉、別当の2本連続2塁打等長短合わせて4本のヒットと3つの四球で一気に6点を取り形勢逆転したかに思えた。
- だが松竹も5回に2点、6回と8回にも1点ずつを取り試合は7-7の同点となり、今大会2回目の延長戦に突入した。
- 試合を決めたのは11回の毎日。相手のエラーとヒットで得点圏にランナーを送った毎日は伊藤が3塁ゴロ。しかしこれがまたも松竹のエラーを誘い河内がホームイン。8x-7のスコアで毎日が4勝目を挙げ、記念すべき第1回日本シリーズはあっけない形で、創部初年度の毎日が初代日本一の座を獲得した。
[編集] エピソード
- 延長戦2試合、1点差ゲームもサヨナラゲームを含め4試合と非常に大接戦のシリーズを印象付けた。
- 最優秀選手賞は別当薫(毎日)が選ばれた。
- 第7戦が開催される場合は、後楽園を再び使用することが予定されていた。
[編集] ラジオ中継
(第7戦の放送予定については書きかけです。)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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