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1964年の日本シリーズは、1962年以来2年ぶりのセ・リーグ優勝となった阪神タイガースと、3年ぶりのパ・リーグ優勝となった南海ホークスによる関西決戦(御堂筋シリーズ)として10月に阪神甲子園球場と大阪球場の2球場で行われた。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
10月1日 甲子園球場 入場者数:19904人(延長10回)
南海 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
阪神 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
(南) |
○スタンカ(1勝) - 野村 |
(阪) |
●村山(1敗)、若生 - 福塚、辻佳、山本哲 |
[編集] 第2戦
10月2日 甲子園球場 入場者数:19190人
南海 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
2 |
阪神 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
1 |
x |
5 |
(南) |
●杉浦(1敗)三浦、森中、林 - 野村 |
(阪) |
○バッキー(1勝) - 辻佳 |
[編集] 第3戦
10月4日 大阪球場 入場者数:29,932人
阪神 |
0 |
1 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
5 |
南海 |
0 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
4 |
(阪) |
本間、○石川(1勝)、バッキー - 辻佳 |
(南) |
●スタンカ(1敗)、林、皆川、新山、森中 - 野村 |
本塁打 |
(阪) |
藤井1号ソロ(2回スタンカ)、藤井2号ソロ(3回スタンカ) |
(南) |
ローガン1号ソロ(3回石川)、ハドリ1号ソロ(8回バッキー) |
[編集] 第4戦
10月5日 大阪球場 入場者数:30107人
阪神 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
3 |
南海 |
0 |
0 |
0 |
1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1X |
4 |
(阪) |
●村山(2敗) - 福塚 |
(南) |
杉浦、○新山(1勝) - 野村 |
本塁打 |
(阪) |
山内1号ソロ(1回杉浦)、山内2号2ラン(6回杉浦) |
(南) |
ハドリ2号ソロ(9回村山) |
[編集] 第5戦
10月6日 大阪球場 入場者数:26962人
阪神 |
0 |
3 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
|
6 |
南海 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
|
3 |
(阪) |
○バーンサイド(1勝)、渡辺省、バッキー - 辻佳 |
(南) |
●皆川(1敗)、森中、三浦、新山 - 野村 |
本塁打 |
(阪) |
辻佳1号ソロ(2回皆川)、安藤1号2ラン(2回皆川) |
(南) |
森下1号ソロ(7回バーンサイド) |
[編集] 第6戦
10月9日 甲子園球場 入場者数:25471人
南海 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
4 |
阪神 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
(南) |
○スタンカ(2勝1敗) - 野村 |
(阪) |
●バッキー(1勝1敗)、若生、渡辺省 - 辻佳 |
[編集] 第7戦
10月10日 甲子園球場 入場者数:15172人
南海 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
阪神 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
(南) |
○スタンカ(3勝1敗) - 野村 |
(阪) |
●村山(3敗)、バッキー、石川緑 - 辻佳、福塚 |
[編集] 各試合の概況
[編集] 第1戦 10月1日
- この年は東京オリンピックの開催に間に合わせるように日程調整され、全7試合がシリーズ大会史上初のナイトゲームで開かれた。またセ・リーグの優勝チームが当初第1戦が行われる予定だった9月29日に間に合わず(阪神がリーグ優勝を決めたのは9月30日)2日順延。阪神はリーグ優勝決定翌日からシリーズに臨むという強行軍となった。そのため甲子園も9月30日に阪神と中日のダブルヘッダーが終わった後、徹夜でシリーズの飾り付けが行われるという慌ただしさだった。
- 甲子園での第1戦は南海・スタンカが阪神打線を3安打完封の好投を見せる。一方阪神も村山が好投を見せるが、2回と5回に南海打線につかまり2失点を許し、2-0のスコアで南海が先勝。
[編集] 第2戦 10月2日
- 阪神が1回・吉田の2塁打と相手のエラーで1点を先制。4回にも1点を追加し試合を優位に進める。更に6回には山内、並木、浅越の各選手がヒットを放って2点を奪う。
- 南海は7回にハドリ、8回に樋口がそれぞれタイムリーヒットを打って追い上げるも、8回の三宅のショートライナー崩れからの決勝点(5-2)で阪神が1勝目を挙げる。
[編集] 第3戦 10月4日
- 大阪球場に会場を移しての第3戦は藤井が2回のソロと4回の3ランの2打席連続ホームランで一気に5点を獲得し優位に進める。
- 南海も2回に広瀬のタイムリー、3回にローガンのソロホームラン、8回にはハドリがやはりソロホームランで追い上げるも、後1点が届かず、5-4のスコアで阪神が2勝目。
[編集] 第4戦 10月5日
- この試合、山内が先制ソロホームランを1回に打つが、4回・南海は広瀬の3塁打を活かしてローガンが犠牲フライ。5回にも小池、国貞の連続ヒットや杉浦の犠牲バントなどで2点を挙げ試合をひっくり返す。
- だが6回、阪神・山内がこの試合2本目の2ランホームランを打ち、試合を振り出しに戻すが、9回・南海のハドリがサヨナラソロホームラン(5x-4)を打って打撃戦を制した。
[編集] 第5戦 10月6日
- 2回・阪神は辻(佳)が先制ソロ、更に2アウト2塁から安藤が2ランと2本のホームランで3点を獲得。4回にも吉田のタイムリーヒットで3-0とリードする。
- 7回には安藤、山内、遠井、藤井の4連打で2点を追加し、勝負を決めたかに思えたが、その裏の南海も森下のホームランと広瀬のタイムリー2塁打で3点を返し反撃に出る。
- しかし8回・9回と阪神の抑え・バッキーの好投で南海に得点を許さず、6-3のスコアで悲願の日本一に王手をかける。
[編集] 第6戦 10月9日
- 移動日と、当初予定された10月8日の試合が雨天中止になり、2日間試合が開いた形となった第6試合は、2回に堀込と国貞が相次いでタイムリー2塁打を放ち2点を先制。4回と9回にもそれぞれ小刻みに1点ずつを取り試合をリード。
- 投げてはスタンカが阪神打線を2安打完封にしとめ4-0のスコアで南海が逆王手をかける。
[編集] 第7戦 10月10日
- 東京オリンピックに間に合わせる予定が、雨天中止が発生したこともあり結局開会式の夜に開かれる形となった第7試合。南海は初回から広瀬、ハドリの連打から野村が貴重な先制タイムリー2塁打を放つ。4回にも2本の連続ヒットと送りバントで1アウト2・3塁にして堀込がタイムリーヒット。
- 投げては前日から連投したスタンカが再び阪神打線を完封し3-0で快勝。南海は1959年以来2度目の日本シリーズの戴冠に輝いた。
[編集] エピソード
- 最優秀選手 南海・スタンカ
- このシリーズは外国人シリーズと歌われ、先述のスタンカの他、南海はハドリ、ローガン、阪神はバッキー、バーンサイド(いずれも投手)らが活躍した。
- またこの年のシリーズは全てナイターで開かれたが、東京オリンピックの影響からか観客動員が伸び悩んだ。各試合の有料入場者は
試合 |
有料入場人員 |
第1戦 |
19904人 |
第2戦 |
19190人 |
第3戦 |
29932人 |
第4戦 |
30107人 |
第5戦 |
26962人 |
第6戦 |
25471人 |
第7戦 |
15172人 |
合計 |
147548人 |
1試合平均 |
21078人 |
- と、日本シリーズ史上全試合の総入場者、並びに平均入場者のワーストを記録した。特に大阪球場は3試合とも満員の盛況(第4戦だけ3万人を越えた)となったが、対照的に5万人を収容する甲子園ではスタンドに空席が目立ち、阪神の優勝がかかった第6戦でようやく25000人を越えるも、他3試合は2万人割れという惨状だった。この為翌年から日本シリーズは再び全試合デーゲームで開かれる形となる。また、第7戦は東京オリンピックの開会式と同日であり、夜も各テレビ局とも昼間の開会式の再放送を流したため、テレビ中継なしという事態になった。「第7戦の開催日を10月10日ではなく10月11日にした方が良かったのかもしれない。」とか「第6・7戦の開催日は10月9日にし、ダブルヘッダーにした方が良かったのかもしれない。」などという声が少なくない。
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[編集] ラジオ中継
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[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク