1978年の日本シリーズ
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[編集] 戦前の評価
上田利治監督率いる4年連続出場の阪急ブレーブスと、広岡達朗監督率いる初出場のヤクルトスワローズの対決となった。戦前の予想では、3年連続日本一の阪急が断然有利と見られた。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
10月14日 後楽園 入場者34218人
阪急 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ヤクルト | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 5 |
(急)○山田(1勝)-中沢、宇野
(ヤ)●安田(1敗)、井原、梶間-大矢
本塁打
(急)高井1号ソロ(5回安田)、河村1号2ラン(8回安田)
(ヤ)船田1号ソロ(5回山田)、マニエル1号ソロ(6回山田)、大矢1号ソロ(6回山田)
[審判]セ岡田和(球)パ斎田 セ富澤 パ藤本(塁)セ山本文 パ久保山(外)
ヤクルトの本拠地である神宮球場が、大学野球と開催日が重複していたため、日本シリーズのナイター開催またはその逆で大学野球のナイター開催を双方が提案したが折り合いが付かず、ヤクルトのホームゲームは全て後楽園球場での代替開催となった。そのような状況で迎えた第1戦の先発は阪急がエース山田久志、一方のヤクルトは松岡弘ではなく、シーズンの開幕投手も務めた安田猛を持ってきた。 阪急は2回表、水谷新太郎の失策から作った1死1、3塁のチャンスに山田が中前打し1点を先制。しかしヤクルトは3回裏、大橋穣、中沢伸二の連続失策で作った1死2、3塁のチャンスで船田和英がレフトへ犠飛を放ち同点。なおもチャンスが続いたが、若松勉の走塁ミスで追加点機を潰す。5回表、阪急は高井保弘のソロ本塁打で勝ち越すが、すかさずその裏に船田のソロ本塁打でヤクルトが追いつく。さらに6回、ヤクルトはチャーリー・マニエルと大矢明彦の本塁打で2点を勝ち越す。7回にも杉浦亨の適時打で5-2とするが、マニエルのオーバーランで1点止まり。すると8回表、阪急打線が遂に安田を捕らえ、島谷金二の2点適時打のあと、代打の河村健一郎の2ランで6-5と逆転。山田は10安打を打たれながらも踏ん張り、9回裏の2死満塁のピンチも杉浦に11球投じた末に二邪飛に打ち取り、何とかヤクルトを振り切った。ヤクルトは再三の走塁ミスが響いた。
[編集] 第2戦
10月15日 後楽園 入場者39406人
阪急 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ヤクルト | 0 | 2 | 4 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | X | 10 |
(急)●今井雄(1敗)、三枝、稲葉-中沢、宇野、河村
(ヤ)○松岡(1勝)、井原-大矢
本塁打
(急)福本1号ソロ(1回松岡)、マルカーノ1号3ラン(7回松岡)
(ヤ)マニエル2号2ラン(2回今井雄)、角1号ソロ(6回三枝)、大杉1号ソロ(8回稲葉)
[審判]パ久保山(球)セ山本文 パ斎田 セ富澤(塁)パ前川 セ谷村(外)
ヤクルトは松岡がここで登場、一方阪急はこの年の8月31日に完全試合を達成した今井雄太郎が先発。 1回表に阪急は福本豊の先頭打者本塁打で先制。しかしヤクルトは2回裏にマニエルの2試合連続となる超特大の2ラン本塁打で逆転。これですっかり萎縮した今井に対し、ヤクルトは3回裏に右中間方向に5安打を浴びせ4点を奪い今井をKO。4回に両軍1点ずつ追加のあと、6回裏にヤクルトは途中出場の角富士夫が三枝規悦からソロ本塁打、さらに大杉勝男の適時打で9-2と突き放す。一方阪急は7回表、今一つ調子に乗れない松岡に対しボビー・マルカーノが3ラン本塁打を放ち追撃。しかし8回裏に大杉のソロ本塁打で得点を2ケタとしたヤクルトは、2番手の井原愼一朗が9回表のピンチを1点に抑え逃げ切った。 翌日の移動日の練習で阪急の山口高志が腰痛を発症し戦線離脱。佐藤義則も肘痛で欠いていた阪急の投手陣は一気に苦しくなる。
[編集] 第3戦
10月17日 西宮 入場者20296人
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
阪急 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | X | 5 |
(ヤ)●鈴木康(1敗)、西井、小林-大矢、八重樫
(急)○足立(1勝)-中沢
[審判]セ谷村(球)パ前川 セ山本文 パ斎田(塁)セ岡田和 パ藤本(外)
この年に人工芝を敷いた西宮球場に舞台を移して行われた第3戦の先発は阪急が足立光宏、ヤクルトが鈴木康二朗。 1回裏に加藤秀司の二ゴロで阪急が先制、さらに3回にも加藤の中前打で1点追加。いずれも福本の盗塁が絡んでの得点だった。4回にも島谷の適時打で3-0とし、7回にも中沢の2点適時打で突き放した。 膝の故障でシーズン後半を棒に振り、シリーズでの登板も心配された足立だったが、蓋を開ければ5回1死までパーフェクト、許した安打はわずか3本と完璧な出来。9回表も、角、若松、大杉をいずれも投ゴロに打ち取り完封。1976年の第7戦から続くシリーズ連続無失点記録を21イニングに伸ばした。 試合後のインタビューで足立は「日本シリーズは西宮で終わりますよ」と余裕のコメントを残した。
[編集] 第4戦
10月18日 西宮 入場者20456人
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
阪急 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 |
(ヤ)安田、井原、梶間、○西井(1勝)、S松岡(1勝1S)-大矢
(急)●今井雄(2敗)-中沢
本塁打
(ヤ)ヒルトン1号2ラン(9回今井雄)
[審判]パ藤本(球)セ岡田和 パ前川 セ山本文(塁)パ久保山 セ富澤(外)
試合前、広岡監督が「ウチを強いと思うなら山田、ナメてくるなら今井」と語っていた阪急の先発は今井。一方のヤクルトは安田。 試合は阪急が1回にマルカーノの適時打で1点、2回に中沢、今井、簑田浩二の適時打で4-0とし早々に安田をKO。さらに2番手井原も5回に簑田の三塁打をきっかけに1点を許す。今井も第2戦で見せた弱気な一面を見せることなくヤクルト打線を抑え、試合は一方的な展開になるかと思われた。しかし6回表、代打永尾泰憲とデーブ・ヒルトンの連打で無死1、2塁とすると、船田のショートへのゴロを2塁走者永尾が守備妨害スレスレの走塁で大橋のエラー(シリーズ3つめ)を誘い満塁に。ここで若松の右前打、大杉の遊ゴロ、マニエルの一ゴロ、杉浦の右前打であっという間に5-4に。そして9回表、2死無走者から代打伊勢孝夫が内野安打で出塁した所で上田監督が投手交代のためマウンドへ向かうが、今井は続投を志願。その結果、今井は続くヒルトンに逆転2ランを打たれてしまう。逆転された阪急はその裏、リリーフ登板した松岡を攻め1死1塁、走者福本の場面を作るが、大矢が福本の盗塁を刺し、後続を松岡が抑えゲームセット。ヤクルトがシリーズの流れを一変させる大きな1勝を手にした。
[編集] 第5戦
10月19日 西宮 入場者18298人
ヤクルト | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 3 | 7 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
阪急 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 |
(ヤ)梶間、○井原(1勝)、小林、S松岡(1勝2S)-大矢
(急)●山田(1勝1敗)-中沢、河村、宇野
本塁打
(ヤ)若松1号ソロ(8回山田)、大杉2号3ラン(9回山田)
(急)マルカーノ2号ソロ(8回松岡)
[審判]セ富澤(球)パ久保山 セ岡田和 パ前川(塁)セ谷村 パ斎田(外)
阪急の先発は山田。満を持しての登板のはずだったが前日に今井のリリーフの準備をしており、その疲労からか、前日の逆転勝利で波に乗るヤクルト打線に初回から捕まり、大杉の2点適時打で先制を許す。一方の阪急はヤクルト先発の梶間健一にノーヒットに抑えられていたが4回にようやく梶間を攻略し、2死満塁から2番手井原のワイルドピッチで1点を返す。6回表にヤクルトが、7回裏に阪急がそれぞれ1点を加点。8回表にヤクルトが若松の右越え本塁打で突き放すと阪急もその裏、連日のリリーフとなる松岡からマルカーノが左越え本塁打を放ち4-3。しかし9回表、ヤクルトは松岡の内野安打から作った2死1、2塁で大杉が左越え3ランを放ち勝負あり。山口が使えず、山田を最後まで投げさせた阪急とは対照的に、連日の松岡のリリーフが功を奏したヤクルトが先に王手をかけた。
[編集] 第6戦
10月21日 後楽園 入場者44956人
阪急 | 0 | 0 | 6 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 12 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
(急)○白石(1勝)-中沢
(ヤ)●鈴木康(2敗)、小林、西井-大矢
本塁打
(急)中沢1号3ラン(3回鈴木康)、島谷1号ソロ(5回西井)、ウイリアムス1号ソロ(5回西井)、福本2号2ラン(5回西井)
(ヤ)船田2号2ラン(5回白石)
[審判]パ斎田(球)セ谷村 パ久保山 セ岡田和(塁)パ藤本 セ山本文(外)
後がない阪急の先発は、顔面に打球を受け戦線離脱していたベテラン白石静生。第6戦でのシリーズ初先発は初めてだった。一方のヤクルトは鈴木。しかし鈴木は3回に四球で崩れ、2死満塁から島谷、ウィリアムスの連続適時打に続き中沢に3ランが飛び出しこの回6点。さらに5回には3番手の西井哲夫が島谷、ウィリアムス、福本に計3発を浴び勝負は一方的に。広岡監督は第7戦に備え投手を温存するため西井を最後まで投げさせた。一方ヤクルト打線は白石の前に3点を返すのが精一杯。結局白石は完投し、阪急は第2戦を除く5試合で完投を記録した。
[編集] 第7戦
10月22日 後楽園 入場者36359人
阪急 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
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ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 1 | X | 4 |
(急)●足立(1勝1敗)、松本、山田-中沢、宇野
(ヤ)○松岡(2勝2S)-大矢
本塁打
(ヤ)大杉3号ソロ(6回足立)、マニエル3号ソロ(6回松本)、大杉4号ソロ(8回山田)
[審判]セ山本文(球)パ藤本 セ谷村 パ久保山(塁)セ富澤 パ前川(外)
ヤクルトは3度の登板がいずれも勝利に結びついている松岡、一方の阪急は第3戦完封の足立と、互いにもっとも信頼の置ける投手を先発に持ってきた。
試合は投手戦のまま5回裏へ。この回先頭の大矢がプッシュバントで出塁、2死2塁からヒルトンの内野安打の間に一気に生還しヤクルトが先制、足立のシリーズ連続無失点記録は25イニングでストップした。そして6回裏、1死から大杉が放った左翼ポール際の大飛球がホームランと判定され上田監督が猛抗議。「ポールの外だからファール」とする上田監督と「ポールの上を通過しているから本塁打」とする線審の富沢宏哉の主張は平行線を辿ったまま、抗議による中断は史上最長の1時間19分にも及んだ(外部リンクを参照)。待機中に足立は膝に水が溜まり投げられる状態ではなく降板(シリーズ中にも1度膝に溜まった水を抜くなど、故障を押しての出場だった)、代わって登板した新人の松本正志がマニエルにソロ本塁打を浴び3-0に。阪急は7回から山田が登板し意地を見せていたが8回裏、大杉が打ち直しだと言わんばかりに2打席連続本塁打を放ち、日本一を決定付けた。中断中もキャッチボールで肩を暖めていた松岡は意気消沈した阪急打線を7安打に抑え完封。最終打者の井上修が遊ゴロに打ち取られた瞬間、ヤクルトの球団創立29年目で初の日本一が決定した。
[編集] 表彰選手
[編集] テレビ・ラジオ中継
[編集] テレビ中継
- 第1戦:10月14日
- 第2戦:10月15日
- 第3戦:10月17日
- 第4戦:10月18日
- 第5戦:10月19日
- 第6戦:10月21日
- 第7戦:10月22日
[編集] ラジオ中継
- 第1戦:10月14日
- 第2戦:10月15日
- 第3戦:10月17日
- 第4戦:10月18日
- 第5戦:10月19日
- 第6戦:10月21日
- 第7戦:10月22日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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