イーグルス
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イーグルス(The Eagles)は、1971年にデビューしたアメリカのカントリー・ロック・バンド。アメリカ西海岸を拠点に活動しながら、全世界的人気を獲得した米国のトップ・バンドのひとつである。
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[編集] 結成から現在まで
イーグルス(The Eagles)は、ロサンゼルスを拠点とするアサイラム(Asylum)レーベルのヴォーカリストであったリンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt )のバンド Linda Ronstadt & Her Band のメンバーとして集められたグレン・フライ(Glenn Frey )、ドン・ヘンリー(Don Henley )、ランディー・マイズナー(Randy Meisner )、バーニー・リードン(Bernie Leadon )の4名が独立して1971年8月に結成されたバンドである。当時同一のアパートに居住していたジャクソン・ブラウン(Jackson Browne )とグレン・フライによる共作であり、デビューアルバム『Eagles (イーグルス~邦題:「イーグルス・ファースト」)』のタイトル曲となった軽快なナンバー「Take It Easy (テイク・イット・イージー~「気軽に行こう」の意)」がいきなりヒットし、瞬く間に1970年代に一世を風靡したウエストコースト・サウンドの代表の仲間入りを果たした。
1976年に発売されたベストアルバム『Their Greatest Hits 1971-1975 (グレイテスト・ヒッツ 1971-1975」)』は、全米だけでも2,900万枚以上の売り上げを記録して全米歴代で最も売れたアルバムとして君臨し、プラチナ・ディスク認定第1号ともなった記念碑的作品となるなど、バンドの確固たる地位を築いた。
次いで同年発表され、彼らのアルバムのうち代表作とされている『Hotel California (ホテル・カリフォルニア)』(1976年)においては、当時の都市社会の矛盾を揶揄したかのような歌詞と13本ものギターを重ねた完璧なサウンド・ワークによって、1970年代のアメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなったタイトル曲「Hotel California (ホテル・カリフォルニア)」、かつての勢いを失いつつあったウェストコースト・ロックの凋落を皮肉るように、田舎町にやって来た新参者へ向けられた地元民の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を唱った「New Kid In Town (ニュー・キッド・イン・タウン)」、エゴ社会に警鐘を鳴らすかのように、好き勝手にふるまう無頼者が実は虚勢に満ちており内面に苦悩を持つことを言外ににじませた「Life In The Fast Lane (ライフ・イン・ザ・ファースト・レーン ~邦題:「駆足の人生」)」など、単に人間の性(さが)や振る舞いを唱っているように見えながらも暗に根深い社会問題を提起するような深みのある歌詞を、角度を替えた音響アレンジに乗せて展開した曲にちりばめてバンドとしての頂点を醸成し、全世界的な大セールスを記録してバンドを押しも押されぬアメリカン・ロックの代表格にまで押し上げた。
1981年に一旦活動を停止するまでのおよそ10年間で、6枚のオリジナル・アルバムと1枚のライブ・アルバムを制作しており、ここまでをおおまかにバンド活動の第1期として総括できる。
バンドの活動停止後は各メンバーが個別の活動に入り、各自のソロ・アルバムを発表したり、繋がりの深いウエストコースト系のアーティストを中心にレコーディングへのゲスト参加などを行っている。
その後1994年に第1期最終メンバーによってバンドが再結成され、4曲の新曲とライブ収録曲を併収した変則アルバムを1枚発表し、これ以後世界規模でのツアーを繰り返し展開しており、この1994年以降をバンド活動の第2期と定義付けることができる。2004年から2005年にかけては、「Farewell I Tour」(第一回さよならツアー)と題されたツアーが行われたが、「さよなら」というのはジョークであり、その後も米国内外で公演が行われている。このツアーでも相変わらずの高い人気ぶりを見せつけ、各地のコンサートは大成功に終わり、収益面でも年間ランキングに顔を出すほどであった。
これまで来日公演は4回行われている。1976年に日本武道館を含む初来日、1979年に日本武道館を含む2度目の来日、1995年に16年振り3度目の来日公演を東京、横浜、大阪、福岡で行ない成功をおさめ、2004年には東京、名古屋、大阪、福岡、札幌の5大ドームと、横浜アリーナにおいて9年振り4度目の公演が行われた。
また、2006年中盤において新作を発表することを示唆するような発言もしており、ライブ音源を含まない形の作品であれば、12年ぶりの新作であるものと期待されている。
[編集] 各アルバムに見るメンバーの異動とサウンドの変遷
デビュー当初は、もっぱらカントリー・ロックのイメージが強く、ファーストアルバム『Eagles (イーグルス~邦題:「イーグルス・ファースト」)』に見られるようにバーニー・リードンが演奏するバンジョー、ペダル・スティール・ギター、マンドリンがのサウンドがバンドのイメージをを決定づけていた。ただ、このころから既に「Witchy Woman (ウィッチー・ウーマン~邦題:「魔女のささやき」)」「Tryin' (トライイン')」といったハードロック的要素をもった楽曲を示すなど、単なるカントリーロックにとどまることのない成長性を予感させていた。
2枚目のアルバム『Desperado (デスペラード~邦題:「ならず者」)』においては、メンバー変更もなく基本的にはファーストアルバムと同様のサウンド構成にとどまり、バーニー・リードン色が強いブルーグラス的な楽曲と、ハード・ロック曲が共存しているものの、その音楽的成熟度としては格段の向上を見せた。ちなみにタイトル曲の哀愁を帯びたバラード「Desperado (デスペラード~「ならず者」)」は、後にリンダ・ロンシュタットやカーペンターズ(Carpenters )から近年の平井堅に至るまで数多くのアーティストたちにカバーされるスタンダード・ナンバーとなっっている。
3枚目の『On The Border (オン・ザ・ボーダー ~「国境線で」の意)』においては、2曲を収録したところでプロデューサーがハードロック志向の強いビル・シムジク(Bill Szymczyk ) に替わり、またフロリダ出身のギタリスト、元フロウ(Flow )のメンバーであったドン・フェルダー(Don Felder )が収録曲中2曲において参加しており、よりハードロック的色彩を強めることとなった。
続く4枚目の『One Of These Nights ワン・オブ・ズィーズ・ナイツ~邦題:「呪われた夜」)』においては、いまだカントリー色の濃い楽曲も見られるものの、リード・ギタリストは完全にドン・フェルダーに代替わったような印象をもたらした。事実1975年12月にはリードンの脱退を見るに至り、退団したリードンに替わるメンバーとして元ジェイムズ・ギャング(James Gang ) ~バーン・ストーム(Barnstorm ) のメンバーであったジョー・ウォルシュ(Joe Walsh )を迎えて一気にハードロック色を強める結果となった。
翌年に発表された『Hotel California (ホテル・カリフォルニア)』においては、双頭ギタリストによるハードなツイン・ギターが全面に押し出され、その重厚なサウンド・ワーク展開の充実ぶりを見せつけた。とはいうものの、タイトル曲「Hotel California (ホテル・カリフォルニア)」のアコースティックなイントロや、「New Kid In Town (ニュー・キッド・イン・タウン ~「街の新顔」の意)」などでウェストコースト・ロックの楽観性に対する皮肉的な表現などを通して、バンドとしての自らのアイデンティティをなおも強固に保持する姿勢を見せ続けた。
その後、ランディ・マイズナーが脱退し、替わるメンバーとして元ポコ(Poco )に在籍していたティモシー・シュミット (Timothy Schmit )が加入することとなる。
第1期のラストアルバムである『THE LONG RUN (ロング・ラン)』においては、製作ヴィジョンがあいまいで展開するサウンドにもっぱら主張や一貫性はなく、ハードロック、バラードさらにディスコ・チューンにまで手を染めるなどその焦点を失ってバンド活動そのものの終焉を予感されるものとなり、事実この後バンドは活動を停止するに至った。
第2期のバンド再結成は、第1期の最終メンバーであったドン・ヘンリー、グレン・フライ、ジョー・ウォルシュ、ドン・フェルダー、ティモシー・B・シュミットの5名でなされたが、その後ドン・フェルダーは準レギュラー的な立場となり現在に至っている。
構成メンバー、サウンド面では以上のような変遷があるが、終始一貫していたのは、分厚いコーラス・ワークである。サウンドがどれだけハードになっても、リード・ボーカルにプラスして3声以上のコーラスをほぼ全曲で聞く事ができる。これはメンバー全員が優れた歌い手であり、全員がリード・ヴォーカリストたりうるイーグルスの最大の強みとも言える。バンドのヴォーカルラインのイニシアティブは、ファースト・アルバムこそ全員平等に曲を持ち寄り、均等にリード・ボーカルもとっているが、2枚目以降はフライ=ヘンリーの二名による構成支配が強まり、シングル曲のほとんどはこの二名のいずれかがリード・ヴォーカルをとっている。
[編集] 作品
[編集] オリジナル・アルバム
- 1972年 『イーグルス・ファースト』 Eagles (22位)
- 1973年 『ならず者』 Desperado (41位)
- 1974年 『オン・ザ・ボーダー』 On The Border (17位)
- 1975年 『呪われた夜』 One Of These Nights (1位)
- 1976年 『ホテル・カリフォルニア』 Hotel California (1位)
- 1979年 『ロング・ラン』 The Long Run (1位)
- 1980年 『イーグルス・ライブ』 Eagles Live (6位) --- ライブ盤
- 1994年 『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』 Hell Freezes Over (1位) --- 再結成アルバム
※順位は全てビルボード誌による。(シングルの順位も同様。)
[編集] シングル
- 1972年 Take It Easy (12位)
- 1972年 Witchy Woman (9位)
- 1972年 Peaceful Easy Feeling (22位)
- 1973年 Tequila Sunrise (64位)
- 1973年 Outlaw Man (59位)
- 1974年 Already Gone (32位)
- 1974年 James Dean (77位)
- 1974年 The Best Of My Love (1位)
- 1975年 One Of These Nights (1位)
- 1975年 Lyin' Eyes (2位)
- 1975年 Take It To The Limit (4位)
- 1976年 New Kid In Town (1位)
- 1977年 Hotel California (1位)
- 1977年 Life In The Fast Lane (11位)
- 1978年 Please Come Home For Christmas (18位)
- 1979年 Heartache Tonight (1位)
- 1979年 The Long Run (8位)
- 1980年 I Can't Tell You Why (8位)
- 1980年 Seven Bridges Road (21位)
- 1994年 Get Over It (31位)
[編集] ベスト・アルバムなど
- 1976年 『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』 Their Greatest Hits 1971-1975 (1位)
- 1982年 『グレイテスト・ヒッツ VOL.2』 Greatest Hits Volume 2 (52位)
- 1985年 『ベスト・オブ・イーグルス』 The Best Of Eagles
- 1994年 『ベリー・ベスト・オブ・イーグルス』 The Very Best Of The Eagles
- 2000年 『イーグルス・ヒストリーBOX 1972~1999』 Selected Works 1972-1999 --- 未発表およびライブ音源含む
- 2003年 『ベスト・コレクション』 The Complete Greatest Hits --- 新曲「Hole In The World」含む
[編集] 映像作品
[編集] 歴代メンバー
LAのバンドだがカリフォルニア出身はティモシー・B・シュミットだけである。
- グレン・フライ Glenn Frey (vo, cho, g, key) 生1948.11.6 在1971-
- ドン・ヘンリー Don Henley (vo, cho, ds) 生1947.7.22 在1971-
テキサス州ギルマー出身
- バーニー・リードン Bernie Leadon (vo, cho, g, banjo, steel guitar, mandolin) 生1947.7.19 在1971-1975
- ランディー・マイズナー Randy Meisner (vo, cho, b) 生1946.3.8 在1971-1978
ネブラスカ州ブラフ郡スコッツブラフ出身
- ドン・フェルダー Don Felder (g, cho) 生1947.9.21 在1973-2000
フロリダ州ゲインズ出身
- ジョー・ウォルシュ Joe Walsh (vo, cho, g, key) 生1947.11.20 在1975-
- ティモシー・B・シュミット Timothy B. Schmit (vo, cho, b) 生1947.10.30 在1978-
[編集] 日本公演
- 1976年 One Of These Nights Tour
- 1979年 The Rong Run Tour
- 1995年 Hell Freezes Over Tour
- 2004年 Farewell I Tour