エリート
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エリート(仏:élite)とは、厳しい選抜と高度な専門教育を受け、ある特定の方面に於ける役に立つよう、充分に訓練されている人間。それらを育てる手法をエリート教育と呼ぶ。なお、エリートはもともとラテン語で「神に選ばれしもの」のこと。神に選ばれるというのはキリストに代表されるように人のために死ぬ用意ができているということであり、結局、自分の利害得失と関係なく自分以外の人や物事のために命を捨てられる人、を意味する。従ってラテン語でのエリートとは人について使う言葉であって、地位とか階級に使う言葉ではない.
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[編集] 概要
これらに類される人々は、試験や訓練を通してふるいに掛けられ、厳選されて教育を受けてきた存在である。そのような人は組織にとって財産でもあるため、人材の一種といえよう。
「人は平等(同等)である」という考え方からすれば対極とも考えられる概念であるが、社会全体の機能を考慮した場合、失敗が許されない重大な局面に於いて特定の分野に優れたエリート集団に、その処理が任される事は不思議なことではない。この点から、エリートは社会的な分業体制の一端として捉えることもできる。
世界的にも、古くから様々なエリート育成コースが存在しており、これらでは特に適性のある者を専門に教育する事で、社会的に有益で優秀な人材を輩出している。この過程を経て社会で活躍する人は多く、高い給金や生活の保証・能力の発揮に必要な権力の提供などが補償されるなど、それなりの社会的地位を持って優遇されている事も多い。
ただし近年では、様々な社会問題において対応の失敗や未解決となっている案件も多く、その延長でこれらの解決にあたっているエリートが批判されたり、エリート教育を受けた者でも低く評価される学歴難民などの問題も指摘される。このエリート受難(?)の傾向は、子ども達の「学習する意欲や関心の減退」という問題の一因でないかという指摘もある。一方で、マスコミがエリートを非難するのは、庶民のエリートに対するルサンチマンをくすぐり、視聴率を上げるためだとの指摘もある。
[編集] エリートと呼ばれる対象
やや定義が曖昧で、人によって「エリート」に対するイメージは異なり、学歴や年収、能力などにおいて、平均的な水準を大きく上回っている状態、もしくはそういった状態にある人を指す場合も見られる。ただし、原語の意味からすれば、些か誤用の感もある。
このようなイメージに於いては、有名大学卒などの学歴でエリートかどうかを判断することもあれば、キャリア官僚や弁護士や医師など、職業で判断する事も多くある。ある組織・集団の中で、ごく少数の有能な人間だけを集めて「エリート集団、エリート部隊」などと呼ぶ事もある。いずれにせよ、難関を潜り抜けて高度な教育を受け、または論理的に思考するよう訓練を受けているこれらの人々はエリートの範疇といえよう。
[編集] 日本のエリート育成
日本では明治期以降、東京帝国大学や京都帝国大学などの帝国大学、それに連なる旧制高等学校、「一中→一高→帝大」などと喧伝された東京府立第一中学校をはじめとする各地の官公立旧制中学校のナンバースクール出身者がまず筆頭に挙げられる。また、時にそれ以上の権勢を振るった存在として陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍大学校(及び陸軍砲兵工科学校や東京帝大等の学士号以上)や、海軍兵学校成績優秀者(→海軍大学校)出身者が知られている。
他に実業界においては、商科大学や旧制専門学校、法科・実業系の学部を設置した私立大学が官僚・法曹・文化の分野におけるエリートを輩出してきた。第二次世界大戦の終結以降に勃興した地方大学も、地域の企業や地方自治・教育といった各分野で求められる教育されたエリート的人材の輩出を期待されていた。こういったいわゆる一流大学卒のエリートが社会を主導する体制は功罪はともに大きい。功の面としては、教育によって国民の誰もが社会を先導する機会を得られるようになったことや一定水準のエリート層が常に社会に補填され続けることなどが挙げられる。一方、罪の面としては、 汚職や企業経営・行政運営の失敗、民主主義の原則から乖離したような一部の言動などは、しばしば非難される。また、「学校秀才」による危機管理の際の不手際は恒常化し、行政分野における対市民規律の欠如・市民無視は伝統化していると指摘されている。他に、事実上の教育格差を背景とした世襲化の傾向が指摘されている。
[編集] エリートの種類
- 政治的エリート
- 政治や法曹の世界で十分な教育と経験を積んだ人々は、政治的エリート(パワーエリート)と呼ばれることがある。彼らは、一般に国家運営の根幹を担当するエリートといえる。以下にある軍事的エリートの中でも、日本の幕僚長やアメリカの参謀総長などといった上層集団(制服組)は、政治的な発言力を持つため、どちらかといえば政治的エリートに属している。なお、モスカ・ミヘルス・パレートなどが政治的エリートについて論じている(寡頭制を参照)
- 経済的エリート
- 経済(商工業)の分野で十分な教育と経験を積んだ人々は、経済的エリートに属する。著名(世間で“一流”と評される)大学では、卒業生達が巨大企業に幹部候補として採用されるが、これは特定の大学が商工業と強い結び付きがあるためであり、「財界エリート」輩出の基盤となっている。また、理工学の分野でも、一部の教授や研究室が特定分野で大きな影響力を持っているといったように、エリート志向の傾向が見られる。
- 文化的エリート
- 文学や芸能、芸術の分野において十分な教育と経験を積んだ人々は、文化的エリートに属する。左記の分野は、未経験者が安易に参入できるものではなく、事実上のエリート集団によって構成されているといって差し支えない。但し、大衆文化に関してはその限りではない。もっとも、親から子への文化資本の継承という観点から、大衆文化においてもエリート層が成立しているのが実体である。
- スポーツエリート
- スポーツの分野でも、小さい頃から専門的に育てられた所謂「スポーツエリート」も見られるが、これはどちらかというと、個人がそのように選択し、望んでより良い環境を求めて育ってきた反面、当人の資質に負う所も大きく、個人属性としての「優秀なスポーツマン」と見なされる事は在っても、厳密な意味でのスポーツエリートは極めて稀な存在といえよう。
- ただし1980年代頃まで、東西冷戦時下の関係により、旧共産・社会主義圏においては、国威発揚と民主・自由経済陣営に対する牽制の一種として、国家がスポンサーに付いていたり、専門の教育機関で育てられた選手集団が存在し、これらは実際の所として「スポーツエリート」以外の何者でもなかった。これら旧共産・社会主義圏のスポーツエリート達は、国家単位でそれなりに優遇(年金の受給を含む社会保障制度や、一般には認められ難い海外渡航がしやすい等)されていたが、その一方で生活の細部までもを徹底的に「スポーツで良い成績を残すため」だけに管理され、恋愛や結婚もままならなかったという。中には非社会主義圏へと亡命するスポーツエリートまで見られた。(ナディア・コマネチはその亡命スポーツエリートの一人である)
- 軍事的エリート
- 歩兵の中には、エリート兵と呼ばれる専門の部隊が存在する。戦略ゲームを遊ぶ事のある人には「移動速度が速く、強力な武器を装備し耐久力も高めだが、コストの掛かる歩兵」としてお馴染みの存在であるが、実際のエリート兵はそれぞれが専門化された兵科である。例えばイギリスSASでは、一個分隊の構成員4人全員が語学・医療・通信・爆破のうち最低一つの分野について、専門知識・技術を持つ事が求められる(複数についてそうであれば尚よいとされる)。
- 例えば対テロ部隊では、入り組んだ建物内で的確に行動し、テロリストなどの攻撃対象と人質や一般市民といった保護対象を識別し、危険な対象のみを無力化・制圧(=射殺)する事を目的としている。このため、特殊なセット(建築物)を使って訓練する事も多く、また使用する武器も他の歩兵部隊とは大きく異なり、小銃ではなく短機関銃を・手榴弾ではなく閃光手榴弾や催涙ガス弾を使用する。(MP5の項も参照されたし)
[編集] 否定的な側面
エリートとは一般に、社会に役立つよう訓練されているのが常とされるが、特殊な環境(政治体系や歴史・宗教的背景)の下では、後の歴史に甚だ不名誉な汚点として取り沙汰されるケースも存在する。
例としてはヒトラーユーゲントやナチス親衛隊が挙げられる。これらの人々は、その厳格な規律によって、ナチスドイツの民衆の手本として存在していたが、「人種差別のエリート教育」を施されたがために「人(ユダヤ人、反対派、労働/兵役不適格者など国家に資さぬ人々、敵対する連合国軍兵士)を人とも思わぬ残虐行為」を行う事と成り、その悪名は長く語り継がれている。
古くより世界各地に各々の暗殺者としてのエリート教育を行う集団も多数存在し、歴史の暗部に於いて、度々その姿をのぞかせている。
[編集] 関連項目
- フランスの(社会的な)エリート育成システム
- ドイツの伝統的な職人育成制度で、スイスにも時計などの精密機械産業分野に於いて、似たような制度が見られ、これら高度化された職人が、高級なブランド品の製造産業を支えている。イタリアでは芸術分野に特化したマエストロ制度が存在する。
- エリートとは別の概念で、汎用性のある高度教育を受ける事で、社会に役立つ事を期待される存在である。
- これらの犬は極めて狭き門を潜り抜けてきたイヌのエリートである。