オリバー・カーン
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オリバー・カーン(Oliver Kahn, 男性, 1969年6月15日 - )は、ドイツ・カールスルーエ出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。ドイツ・ブンデスリーガ、FCバイエルン・ミュンヘン所属。
欧州サッカー連盟が選ぶ歴代欧州サッカー選手ベスト50の中に、現役のゴールキーパーでは唯一選出された。
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[編集] プレースタイル
思い切りの良い飛び出しでシュートを未然に防ぐ技術、相手選手との1対1の場面における我慢強さ、そしてミドルシュートへの対応の確実さはベテランになってなお健在。シュートに対する正確な位置取りに定評があり、よくスーパーゴールとして紹介されるような長距離からのシュートを決められることはまず無い。他のゴールキーパーならキャッチを試みるような正面へのシュートでも、多少でも危険があると判断すればパンチングで確実にゴールから遠ざけたりコーナーに逃れるので、常に安全第一を心がけている。そのパンチングは自分の手で投げているかと思うほど正確で、その技術は世界でもトップクラスである。しかしながらフィードキックの精度、守備範囲は凡庸で現代GKの条件としては少し劣る。それゆえにW杯ドイツ大会では守備範囲が広くハイボールに強いレーマンとのポジショニング争いに敗れた。
圧倒的な威圧感と存在感でゴール前に君臨し、鬼のような形相で怒鳴りつける姿は、敵・味方双方から闘将と恐れられている。同僚プレーヤーに「この世で怖いものは戦争とオリバー・カーン」と言われたことがある。自分だけでなく、仲間の少しのミスも許さない完璧主義者で、2002年のワールドカップ日韓大会、対アイルランド戦で、1失点を許して引き分けた試合では試合後、ロッカールームで、ミネラルウォーターのボトルを投げつけ、ディフェンダーに3時間説教したことがある。ティターン(巨人)、ブルカーン(火山)のあだ名がある。
彼の試合に対する集中力には凄まじいものがあり、試合後、控え室にて吐き気をもよおしたことがあるほど。勝利への執念も人一倍で、コーナーキックの際に相手ゴール前まで駆け上がり、自らの手でパンチングしゴールを決めてしまい退場処分を受けたこともある(ただしこの行為自体は警告相当であった。詳細は後述)。
彼の風貌がゴリラに似ていることから、試合中に対戦チームのサポーターからゴリラの鳴きまねをされたり、バナナを投げられたことがある。
[編集] クラブでの活躍
16歳の時には体格不良で、クラブチームの入団試験に悉く落ちる。カールスルーエSCに入団するまでは筋力トレーニングのなどの雌伏の時期を過ごす。のちに同FCでの活躍が認められ、1994年、名門バイエルン・ミュンヘンへ。初年度は膝の大怪我でシーズンを棒に振るが、翌年からは期待通りの活躍を見せる。1998/1999シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は、大会史上に残る名試合となるが、終了直前の2分間に2失点を喫し、マンチェスター・ユナイテッドにカップを奪われてしまう。ちなみに、この翌年、1999/2000シーズン以降、4年連続で欧州最優秀ゴールキーパーに選出されている。
ちなみに、このカンプ・ノウの奇跡の後、燃えつき症候群(バーンアウト症候群)に陥ったとされており、この敗戦がどれだけショッキングであったかを物語っている。
2000/2001シーズンには自らの活躍により、バイエルンをUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導き、2年前の雪辱を果たした。2002ワールドカップ後は、私生活の問題もあり、コンディションを落とし、あまり良いプレーができなかったが、2004/2005シーズンには完全復活を印象付けた。2008年までバイエルンミュンヘンと契約を交わしている。なお、契約が切れる2008年に引退を表明している。
[編集] 代表での活躍
ドイツ代表では、ワールドカップを4回経験している。しかし、1994年大会にはボド・イルクナー、1998年大会にはアンドレアス・ケプケと、共に世界レベルのゴールキーパーの存在が大きくサブに甘んじ、正キーパーとして出場できたのは2002年大会のみである。2006年大会には守備範囲が広くハイボールに強いレーマンとの正ゴールキーパーのポジショニング争いに敗れサブGKとして参加。
代表のレギュラーとして初めて国際大会に出場したのは欧州選手権EURO2000。しかし、この大会では本来の実力を発揮することができず、ドイツはグループリーグで敗退。
2002年に日韓で同時開催された2002 FIFAワールドカップにはキャプテンとして参加し活躍。ワールドカップでゴールキーパーとして初のMVPを獲得した(所属するドイツ代表は準優勝)。また、この年に自身3度目となる世界最優秀ゴールキーパー賞を受賞。同大会中のファインセーブは多くのファンを魅了するとともに、ドイツと対戦するチームを応援している人々にとっては悪夢のような存在でもあった。それは、サッカーという競技において確実に得点可能であるとされている局面においても、オリバー・カーンの存在により実を結ばない場面が多々あったからである。その活躍により、日本での知名度もあがった。
なお、ワールドカップ本選ではグループリーグ・アイルランド戦の1失点と決勝(ブラジル戦)での2失点のみであった(試合中、ブラジル代表ジウベルト・シウバとの接触で靭帯損傷の大怪我を負うが、そのままプレー続行)が、ヨーロッパで行われた予選大会ではイングランド戦で5失点を喫したことは、意外と知られていない。
カーンにとって実質3度目の国際大会、EURO2004では、本人は実力を発揮できたものの、代表チームは2大会連続のグループリーグ敗退となった。
EURO2004後に就任したユルゲン・クリンスマン監督の方針により、代表GKはローテーション制となり、ドイツワールドカップに向け長年のライバルであったイェンス・レーマン(アーセナルFC)と正GKの座を争う形となったが、2006年4月7日、クリンスマン監督から正式にレーマンが正GKであると発表があった。これにより「正GKとしてワールドカップに出場できないのなら代表を引退する」と以前から公言していたカーンであったが、「冷静に考えてから答えを出す。」とコメントし熟慮の末、代表に参加した。
なお、代表の主将の座は当時バイエルンのチームメイトであったミヒャエル・バラックに譲っている。
実質最後のワールドカップといわれた地元開催の2006 FIFAワールドカップでは、正GKとなったレーマンの控えとなったが「たとえ試合に出られなくても貢献できることはある」と自身でコメントしたように、延長戦ではレーマンを含めた他のチームメイトを励ますなど必死にチームを盛り上げる姿を見せ、ドイツ国内のみならず世界中で大きな感動を呼んだ。そして2006年7月8日(日本時間9日)に行われた3位決定戦では先発出場。ケガのため欠場したバラックに代わって主将を務めるとともに、好セーブを連発してチームの勝利に大きく貢献した。そしてこの試合の後、代表引退を正式に表明し、有終の美を飾った。
ベンチにいても存在感は非常に大きく、決勝トーナメント1回戦のスウェーデン戦後、スウェーデンの正ゴールキーパーのアンドレアス・イサクションは、自分のユニホームをレーマンではなくカーンのユニホームと交換した。
[編集] 人気
ドイツでの彼の人気を物語るものとして、彼をモチーフにした曲「OLLI KAHN(オッリ・カーン)」がある。旧・東ドイツの都市・ライプツィヒ出身の音楽グループのディー・プリンツェン(die Prinzen)によるこの曲は2002年FIFAワールドカップの頃に発売され、ドイツ語や英語だけでなく日本語の歌詞も話題となり、のちには日本でもこの作品が数多く輸入された。
2006年ワールドカップ ドイツ大会ではミュンヘンの高速道路に、横っ飛びしてキャッチしているカーンの巨大アーチ看板(高さ18m、長さ65m)が作られた。これはミュンヘン空港からスタジアムに向かう道をまたいでおり、観戦客はカーンの体の下を通過してスタジアムに向かえる。このような巨大看板が作られたのはカーンだけである。
現在世界中で最も顔の知られているサッカー選手の一人である。
[編集] 私生活
趣味はゴルフと株式投資、読書。ブラジルの作家パオロ・コエーリョの著作が好きで「パオロ」の通称もある。また愛車はフェラーリで(なお、バイエルン・ミュンヘンのスポンサーはオペル社)、スピード狂で、スピード違反で切符を切られたことが何度かある。また、鉄道模型も趣味としており、W杯での来日時に日本の模型店で新幹線500系電車とJR九州787系電車の模型を購入している。
サッカー選手には珍しく、大学入学資格アビトゥーアの資格を獲得し、大学の通信教育で経済学を専攻していた時期もあり、特に株式に関してかなり深い知識を持つ。ドイツのニュース番組では経済面などを中心にスーツに眼鏡をかけた格好でコメンテーターとして出演することもある。本人曰く「株式はじっくり考え、迅速に投資する」というのがポリシー。2002年10月4日(投資の日)に日本証券協会の投資セミナーで「世界の著名な投資家」として紹介され、ビデオレターも披露された。
尊敬する人はヘルムート・シュミット元ドイツ連邦首相と語る。
[編集] 所属クラブ
- 1987年-1994年 - カールスルーエSC
- 1994年- 現 在 - FCバイエルン・ミュンヘン (2008年6月末に引退の予定)
[編集] 獲得タイトル
- ヨーロッパ選手権 EURO1996優勝
- 2006 FIFAワールドカップ3位
- 2002 FIFAワールドカップ準優勝
- トヨタカップ 2001優勝
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 2000/2001
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝 1998/1999
- UEFAカップ優勝 1995/1996
- ブンデスリーガ優勝 7回(1996/1997,1998/1999,1999/2000,2000/2001,2002/2003,2004/2005,2005/2006)
- ドイツカップ優勝 5回(1997/1998,1999/2000,2002/2003,2004/2005,2005/2006)
[編集] 個人タイトル
- 2002ワールドカップ最優秀選手
- 2002ワールドカップ最優秀ゴールキーパー
- 世界最優秀ゴールキーパー 1999,2001,2002
- 欧州最優秀ゴールキーパー 1999,2000,2001,2002
- ドイツ最優秀選手 2000,2001
- ドイツ最優秀ゴールキーパー 1994,1997,1998,1999,2000,2002
[編集] 日本でのテレビ出演
- テレビ朝日がメディアパートナー契約を結んでいる。
- 2003年には消費者金融のシンキ「ノーローン」や、ブリヂストンのCMに出演した。
- テレビ朝日系『スマステーション』では英語で香取慎吾にビデオレターを送った。
- サッカーマガジンで「オーリに聞け」というコラムを連載したことがある。
[編集] その他
[編集] 著書
「オリバー・カーン自伝 ナンバーワン」("Nummer Eins" 斎藤孝監訳、三笠書房)ISBN-8379-5651-5 C0030
[編集] エピソード
- 2001年3月3日のブンデスリーガ・対ハンザ・ロストックの試合で、2-3でバイエルンが負けているときに、味方のコーナーキックでゴール前まで上がってきて、パンチングでゴールに入れたことがある。そのプレーで彼は2枚目のイエローカードで退場になり、ゴールキーパー経験のないプレーヤーがキーパーをする羽目になってしまった。
- 2002年のブンデスリーガ・対バイエル・レバークーゼン戦では、コーナキックを渋るトーマス・ブルダリッチ選手に怒り、彼の首根っこをつかみ引きずりまわしたことがある。これでイエローカードをうけた挙句、試合後レバークーゼンファンを名乗る男性から傷害罪でケルン地方検察庁に告発されてしまった(検察庁は告発を不受理)。
- 幼稚園児との交流の一環でサッカーのゴールキーパーを務めたが、生真面目な性格から幼稚園児のシュートでも完全にセーブし無失点に抑えたこともある。なお、この交流会では主催者は幼稚園児がゴールを決めた回数に応じ寄付金を出す予定であった。そのため、カーンの「ファインセーブ」のせいで寄付金は0マルクとなった。カーン曰く、「例え相手が誰であろうとゴールを守る」とのこと。ただし、この寄付金の趣旨には賛同しており、ポケットマネーから寄付金を出している。
- 父ロルフ・カーンも元サッカー選手。
バイエルン・ミュンヘン - 2006-2007 |
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1 カーン | 2 サニョル | 3 ルシオ | 5 ファン・ブイテン | 6 デミチェリス | 7 ショル | 8 カリミ | 10 マカーイ | 11 ポドルスキー | 14 ピサーロ | 17 ファン・ボメル | 18 ゲルリッツ | 20 サリハミジッチ | 21 ラーム | 22 レンジンク | 23 ハーグリーヴス | 24 サンタ・クルス | 25 イスマエル | 29 ドレーアー | 30 レル | 31 シュヴァインシュタイガー | 32 フンメルス | 34 マイヤーホーファー | 36 フュルストナー | 37 サバ | 39 オットル | 監督 ヒッツフェルト | |
ドイツ代表 - 2006 FIFAワールドカップ | ||
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1 レーマン | 2 ヤンセン | 3 フリードリヒ | 4 フート | 5 ケール | 6 ノヴォトニー | 7 シュヴァインシュタイガー | 8 フリンクス | 9 ハンケ | 10 ノイビル | 11 クローゼ | 12 カーン | 13 バラック | 14 アサモア | 15 ヒッツルスペルガー | 16 ラーム | 17 メルテザッカー | 18 ボロウスキ | 19 シュナイダー | 20 ポドルスキー | 21 メッツェルダー | 22 オドンコール | 23 ヒルデブラント | 監督: クリンスマン |
ドイツ代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ||
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1 カーン | 2 リンケ | 3 レーマー | 4 バウマン | 5 ラメロウ | 6 ツィーゲ | 7 ノイビル | 8 ハマン | 9 ヤンカー | 10 リッケン | 11 クローゼ | 12 レーマン | 13 バラック | 14 アサモア | 15 ケール | 16 イェレミース | 17 ボーデ | 18 ベーメ | 19 シュナイダー | 20 ビアホフ | 21 メッツェルダー | 22 フリンクス | 23 ブット | 監督: フェラー |
ドイツ代表 - 1998 FIFAワールドカップ | ||
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1 ケプケ | 2 ヴェアンス | 3 ハインリヒ | 4 コーラー | 5 ヘルマー | 6 トーン | 7 メラー | 8 マテウス | 9 キルシュテン | 10 ヘスラー | 11 マーシャル | 12 カーン | 13 イェレミース | 14 バッベル | 15 フロイント | 16 ハマン | 17 ツィーゲ | 18 クリンスマン | 19 ロイター | 20 ビアホフ | 21 タルナト | 22 レーマン | 監督: フォクツ |
ドイツ代表 - サッカー欧州選手権1996 優勝メンバー (3度目) | ||
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1 ケプケ | 2 ロイター | 3 ボーデ | 4 フロイント | 5 ヘルマー | 6 ザマー | 7 メラー | 8 ショル | 9 ボビッチ | 10 ヘスラー | 11 クンツ | 12 カーン | 13 バスラー | 14 バッベル | 15 コーラー | 16 シュナイダー | 17 ツィーゲ | 18 クリンスマン | 19 シュトルンツ | 20 ビアホフ | 21 アイルツ | 22 レック | 監督: フォクツ |
- 注:1994年大会にも代表として選出。
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