サウンド・オブ・ミュージック (映画)
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サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music |
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監督 | ロバート・ワイズ |
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製作 | ロバート・ワイズ ソウル・チャップリン |
脚本 | アーネスト・レーマン |
出演者 | ジュリー・アンドリュース |
音楽 | リチャード・ロジャース オスカー・ハマースタイン二世 アーウィン・コスタル |
撮影 | テッド・マッコード |
編集 | ウィリアム・レイノルズ |
公開 | 1965年3月2日 1965年6月19日 |
上映時間 | 174分 |
製作国 | アメリカ |
言語 | 英語 |
制作費 | $8,200,000 |
allcinema | |
IMDb | |
サウンド・オブ・ミュージック'(The Sound of Music)は同じ題名のミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」を原作とするミュージカル映画。1965年公開。20世紀フォックス提供。ミュージカル映画の最高傑作の一つと言われている。
目次 |
[編集] キャスト
- マリア:ジュリー・アンドリュース
- トラップ大佐:クリストファー・プラマー
- マックス・デトワイラー:リチャード・ヘイドン
- エルザ男爵夫人:エレノア・パーカー
- 修道院長:ペギー・ウッド
- リーズル:チャーミアン・カー
- フリードリッヒ:ニコラス・ハモンド
- ルイーザ:ヘザー・メンジース
- クルト:デュアン・チェイス
- ブリギッタ:アンジェラ・カートライト
- マルタ:デビー・ターナー
- グレーテル:キム・カラス
- ロルフ:ダニエル・トゥルーヒット
[編集] ストーリー
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
オーストリア・ザルツブルク。1938年のドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)及び第二次世界大戦の前夜。
マリアは修道女見習い。おてんばでまわりの修道女にたしなめられている。ある日、院長に、トラップ大佐の7人の子供たちの家庭教師をするように勧められる。
トラップ大佐(ゲオルグ)はオーストリア海軍退役軍人。数年前に妻を亡くし、以後、子供たちの学習の世話をする家庭教師が居つかなくて困っている。大佐は、子供たちを軍隊的に厳しくしつけているが、子供たちはいたって快活。早速カエルをマリアのポケットにしのばせるいたずらをする。
夕食。席に置かれた松かさの上に知らずに座ったマリア(勿論子供達のしわざ)は悲鳴をあげるが、子供たちに朗らかに「歓迎の意」のお礼を述べる。大佐に電報が届き、翌日からウィーンに大佐が出かけることになる。長女リーズルは、電報配達のロルフと密かな恋仲なのだ。さっそくロルフに会いに行くリーズル。ふたりは互いの愛を確かめ合い、甘やかなひとときを過ごす(このときふたりによって歌われるのが「もうすぐ17才」)。だが、時を忘れて締め出され、部屋に戻れなくなるリーズル。彼女はマリアの部屋の窓からからそっと入ってくる。外は雷鳴が音高く轟き、雷を怖がる弟妹たちも次々にマリアの部屋に集まってきた。雷鳴と電光におびえる子供たちにマリアは、「哀しいときやつらいときは楽しいことを考えましょう」と教える(このとき歌われるのが「私のお気に入り」)。すっかり打ち解けたマリアと子供達だったが、就寝時間を守らなかったことでトラップ大佐にたしなめられる。
マリアは海軍の制服のような子供たちの衣服をかわいそうに思い、部屋のカーテンで遊び着を作って山に遠足に出かける。子供たちがいたずらや悪さをするのは父であるトラップ大佐の気を引きたいからだと聞かされたマリアは、歌を歌って気を引いてはどうかと提案するが、母を亡くしてから長く家に音楽がなかったため知っている歌はひとつもないと聞き驚く。そこでマリアは子供たちに歌を基礎の基礎、ドレミの階名から教える(このときマリアが子供たちと共に歌うのが、あまりにも有名な「ドレミの歌」である)。
数日してマリアと子供たちが川遊びをしているところに、大佐が婚約者のエルザ男爵未亡人と友人マックス・デトワイラーを連れて戻る。奇妙な遊び着を着ていることで大佐は激高するが、マリアは子供達に目を向けて欲しい、寂しさに応えてあげて欲しいと必死で訴える。取りつくしまもなく大佐はマリアに解雇を言い渡すが、子供たちの合唱する声に吸い寄せられ、自らも長い間忘れていた歌を歌う。自分の教育方針は独りよがりだったと大佐は詫び、マリアは引き続き家庭教師としてトラップ邸に留まるよう依頼される。
マリアと子供たちは婚約者とマックスを歓迎する会を開く。その歌のすばらしさと人形劇のおもしろさに大佐は大喜び。マックスは子供たちを合唱団として売り込むことを提案するが大佐は一笑に付す。そこでマリアは大佐に「次はあなたの番」とギターを差し出す。大佐は照れて拒むが、子供たちに押し切られる形でギターを受け取り、昔を懐かしむかのように情感をこめて「エーデルワイス」を歌い上げる。
大佐邸で婚約披露のパーティーが開かれる。民族舞踊を踊るマリアと大佐。二人が目が合うと、マリアはそれ以上踊り続けられない。顔を赤くして立ち尽くすマリア。
マックスはマリアがパーティーの食事に出席するよう提案し、大佐も了承する。着替えのために下がったマリアに未亡人が、大佐がマリアに気があるのではないかと伝える。未亡人は大佐とマリアが互いにそれと気付かず惹かれあっていると感じており、2人の仲が進むのを危惧していたのだ。大佐の気持ちを本気にするなと言う未亡人の言葉に、これ以上大佐邸にいられないと思ったマリアは置き手紙をしてそっと修道院に戻る。
突然のマリアとの別れを寂しがる子供たちは修道院にマリアを訪ねるが、会えずに戻ることになる。一方のマリアは修道院長に励まされ、大佐の邸宅に戻ることに(このとき修道院長がマリアを励ますために歌うのが「すべての山に登れ」)。父親に叱責された子供たちのところに、マリアの歌声が聞こえる。
その晩、バルコニーで結婚を語り合う大佐と婚約者だが、大佐の目は夜の庭をそぞろ歩くマリアの後姿を追っている。大佐はすでに自分の心がマリアに向いていることに気づき、未亡人に婚約解消を告げる。大佐とマリアは、邸宅の庭で互いの愛を告白する。
二人は子供たちや修道院の修道女たちに祝福されて結婚式を挙げ、新婚旅行に出かける。
二人が新婚旅行をする間に、アンシュルスに伴いナチス率いるドイツ軍がザルツブルクにも進駐している。急いで新婚旅行から戻った大佐の家にはナチス旗が掲げられており、激昂した大佐はその旗を引きずりおろす。しかし、同時に大佐に対してドイツ第三帝国海軍から出頭命令の電報が届いていた。愛国者でありドイツによるオーストリア併合に反対する大佐は、ドイツ軍の言うとおりに出頭する気はなく電報を無視するが、ドイツ海軍も有能な軍人である大佐を欲しがり、再三、電報を寄こし出頭を要請する。ある日、電報を届けにきたロルフがナチスの突撃隊員になっており、ナチス式敬礼をした上にトラップ大佐に新たにオーストリアを併合したドイツへの忠誠を熱心に説く。リーズルのパートナーとして内心ではロルフを信頼していたトラップ大佐であったが、様変わりした彼に失望するとともに、時代の大きな波を感じとり一家の亡命を決意する。
家族はマックスの計らいで歌のコンクールに出場する予定があったので、この機に乗じて中立国であるスイスへの亡命を計画するが、その晩、トラップ一家が亡命する為に屋敷を出たところでナチスの官吏が待っていた。実は大佐邸の執事(フランツ)が密告していたのである。ナチスの官吏は一家の外出を禁じ屋敷に連れ戻そうとするが、大佐は歌のコンクールを口実に外出を認めさせる。ナチス突撃隊らの厳重な監視の下、コンクールで「ドレミの歌」と、オーストリアの愛国歌である「エーデルワイス」、「さようなら、ごきげんよう」を歌う一家。審査の結果、トラップ一家が優勝するが、その表彰式の隙に家族は逃げ出す。
家族は修道院に逃げ込むが、ナチス突撃隊も修道院を捜索する。その中にロルフがいた。一家が墓場に潜んでいることに気付いたロルフは銃を構えるが、長女と大佐に声をかけられ一瞬躊躇する。しかしロルフはそれを上官に通報する。裏口から車で家族は逃走するが、追跡しようとするナチスの車はエンジンがかからない。修道女たちが車の部品をはずしていたのである。
全ての国境へ向かう道が閉鎖されているため、家族は山を越えて自由の地スイスへ向かう。
[編集] 追加曲
リチャード・ロジャースによって、以下の2曲が追加されている。
- 自信を持って(I Have Confidence in Me)
- はじめて大佐邸をマリアが訪ねて向かうときの歌。
- なにかよいこと(Something Good)
- マリアと大佐が互いに恋を告白したときに自分たちのしあわせを「なにかよいことをしたからか」と歌う。
[編集] 豆知識
- 原作者のマリア・フォン・トラップ本人がワンシーンだけ通行人として映画に出演している。(『自信を持って』の曲中)
- ザルツブルクで撮影された本作だが最後の山越えのシーンは視覚効果のためかザルツブルク-スイス越えルートとは全くかけ離れた場所で撮影された。このため地元民から見ると地理的にありえないラストシーンとなりこれを見た彼らは唖然とするばかりであった(ザルツブルクから山越えすれば現在のドイツ領に入る。その傍にはヒトラーの別荘すら存在する)。それゆえ地元であるザルツブルクではこの映画はあまりヒットしなかったという。
- 修道女の一人、シスター・ソフィア役は王様と私などのミュージカル映画の歌の吹き替えで有名なマーニ・ニクソンである。
- 長女リーズル役のチャーミアン・カーは将来を嘱望されていたが本作の直後に結婚出産したため女優業を引退してしまった、しかしながら今でもこの作品の思い出話などの講演依頼が途切れることはなくそれなりの副収入になっていると本人は語っている。
- 当時トラップ大佐役のクリストファー・プラマーは35歳、マリア役のジュリー・アンドリュースは28歳。実話では、トラップ大佐はマリアより25歳年上であった。ちなみにリーズル役のチャーミアン・カーは、当時UCLAの学生で21歳であったが、16歳の長女役を演じた。
- トラップ男爵はかつてオーストリア海軍の潜水艦隊司令官を勤めていた。第一次世界大戦中多くの戦果をあげ、その功績によりいくつかの勲章と准男爵の爵位を得ている。ドイツが男爵を引き込もうとした背景には、こういった戦歴や名声を政治的宣伝に利用する目的もあったと思われる。また「大佐」と呼ばれているが、これは誤訳であり、実際には少佐が最終階級であった。
- 当時20世紀フォックス社は作製した映画が失敗続き、起死回生をねらった大作「クレオパトラ」にも大失敗、倒産も間近と思われたが、この映画の大成功により経営を立て直すことができた。
[編集] 史実との相違点
本作品は、あくまでマリアの自伝を「基にした」ミュージカルを「基にした」映画であり、史実とは異なる点が多々ある。(元のミュージカルの時点で相当史実と違いが生じていた)
- 映画ではマリアは修道女のまま、修道院の紹介でトラップ家に家庭教師にやってくるが、史実では家庭教師になった時すでにマリアは修道院をやめていた。
- 映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出すが、史実ではアメリカ公演にかこつけて列車で堂々とオーストリアを脱出した。また上述の如く、ザルツブルクからスイスへは山越えルートは地理的にもおかしい。
1961: ウエスト・サイド物語 | 1962: アラビアのロレンス | 1963: トム・ジョーンズの華麗な冒険 | 1964: マイ・フェア・レディ | 1965: サウンド・オブ・ミュージック | |