ピッサヌローク県
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統計 | |
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県庁所在地 | ピッサヌローク市 |
面積 | 10,815.8km² |
人口 | 792,678人 (2000年) |
人口密度 | 73人/km² |
ISO 3166-2 | TH-65 |
地図 | |
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ピッサヌローク県(ピサヌローク県)はタイ・北部の県の一つである。ルーイ県、ペッチャブーン県、ピチット県、カムペーンペット県、スコータイ県、ウッタラディット県と接し、ラオスとの国境も有する。地元ではピロークとも言われる。
目次 |
[編集] 地理
ピッサヌロークは「ソーンクウェー(2つの川)」と呼ばれるが、これはナーン川とクウェーノーイ川が市街地近郊で接しているからである。その他、3つの国立公園を抱える。
[編集] 歴史
ピッサヌロークとはピッサヌ神(ヴィシュヌ)のローク(世界)と言う意味である。これはある言い伝えが元になっていると言われる。ある時チエンセーンの王はサモー山にブッダが来ている(史実上は来ていない)と聞いて、縁起なことだと考えそこへ都市(ムアン)を建設することにした。都市の建設の命を承った使者は、癸丑の月が3回目に満ちる最初の日の木曜日の朝にサモー山に到着した。ここでは聞いたとおりブッダが来ていたが、彼の弟子が2人死去していた。そこで、都市を建設すると時を同じく、彼を弔う祠を建てたという。さて、2人の使者は建設が終わると帰途に就いた。2人がチエンセーンに着いたのは最初の月が満ちる6日目朝日曜日のことだった。そこでチエンセーンの王は新都に行きブラフマーンに新都の名をどのようにすればよいかと問うた。するとブラフマーンは「ピッサヌ神がいまだ見ているうちに陛下が到着したのでピサヌロークとすればよい」と行ったそこでピッサヌロークと言う名前になったということである。
以上はあくまでおとぎ話に過ぎないが、実際にピッサヌロークはスコータイ王朝時代から主要都市として発達していた。またボーロマトライローカナート王の治世に一時アユタヤー王国の首都であり、タイ三大王の一人ナレースワン大王の故郷でもあった。
[編集] 県章
県内にあるタイで一番美しいとされる仏像チナラート仏をあしらった物がデザインされている。 県花はコウエンボク(Peltophorum pterocarpum)、県木はコルクノウゼン(Millingtonia hortensis) |
[編集] 行政区
ピッサヌローク県は9の郡(アムプー)に分かれ、その下に93町(タムボン)と993の村(ムーバーン)に分かれる。
郡 | |
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