マウンテンバイク
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マウンテンバイク (mountain bike、MTB) は山岳地帯などにおける急坂降下(ダウンヒル:DH)、段差越えなどを含む広範囲の乗用に対応して、軽量化並びに耐衝撃性、衝撃吸収、走行性能および乗車姿勢の自由度等の向上を図った構造の自転車のこと。((社)日本自転車協会の「マウンテンバイク等安全基準」より)
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[編集] 歴史
1970年代後半にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ郊外のマリン郡で、ヒッピー達が急勾配の山をビーチクルーザーや実用車などで下ってタイムを競った遊びが始まりといわれている。同時期に北カリフォルニアでも同じ遊びが発生していたが、一般的にマリン郡がマウンテンバイク発祥の地と認識されるのは、マリン郡のマウント・タム(タマルパイアス山)で行われていた当時最大のレースによるところが大きい。
初期の改造ビーチクルーザーは必ずしも完成度は高くなく、ゲイリー・フィッシャーは『クランカー(ガラクタ)』と呼び、山を降りるたびにヘッド部やハブのグリースを詰め替えなくてはならなかったので、『リパック(Repack)』とも呼ばれていたが、ともかくも地域の自転車好きには新しい自転車の遊びとして浸透していった。この改造クルーザーは急降下にも確実に操作を行えるよう制動力の強いオートバイ用のドラムブレーキハブなどを用い、また山を登攀するためにツーリング用自転車であるランドナーのトリプルクランクや変速機を装備していた。
やがて1977年にジョー・ブリーズが量産の専用フレーム「BREEZER」を、1978年にはトム・リッチーが「リッチー」マウンテンバイクを製作、山や丘陵の荒れ野で遊ぶ自転車として定着させたが、何よりもマウンテンバイクが全世界に定着した役割は1981年にスペシャライズド社が出した『スタンプジャンパー』が大きいであろう。初めて量産体制で製造されたこのマウンテンバイクは新たなジャンルの自転車としてたちまちに全米に広がり、そして世界中に広まる事になった。
自転車としてマウンテンバイクが果たした役割は大きい。例えば発展途上国では今までのロードスター型自転車のタイヤ規格(26インチWO)に代わってマウンテンバイクの規格(26インチHE)が普及しつつあり、マウンテンバイクの車体自体も浸透しつつある。また先進国では、かつてロードスター型自転車に求められた用途にマウンテンバイクが用いられており、技術的にもマウンテンバイク競技で培われた技術がロードレーサーなどに転用され、自転車競技に新たな刺激を与えたものは多い。このような事実から現在マウンテンバイクは自転車の世界基準となりつつあるといってよい。
[編集] 年表
- 1974年 - ゲイリー・フィッシャーが改造型ビーチクルーザーダウンヒラー後のMTB-DHを誕生させる。
- 1977年 - ジョー・ブリーズが量産の専用フレーム「BREEZER」を完成させた。
- 1978年 - トム・リッチーが「リッチー」マウンテンバイクを製作。
- 1979年 - ゲイリー・フィッシャーがマウンテンバイクとして登録商標し商品として普及させた。ここではまだビーチクルーザーダウンヒラーに近い形式。
- 1981年 - スペシャライズド社が最初の量産MTBを出す。
- 1983年 - サンツアーがクロスカントリー向けとしてサンツアーXCを発売。ここで初めて現在のようなMTBの姿になった。
- 1983年 - 日本メーカーのアラヤがマディフォックス・シリーズを誕生させる。上級モデル以外はまだランドナーなどのツーリング用パーツが使われている
- 1984年 - オフロードバイクコンポとして島野工業が初代デオーレXTを発売。同年サンツアーがXC-IIを発売。1990年代前半まで続いた北米自転車市場におけるMTB経済戦争の幕開けとなる。
- 1985年 - 日本メーカーのアラヤがマディフォックスIIシリーズを誕生させる。BSや川村サイクルなど、ようやくMTB専用設計のパーツが装備された。
- 1996年 - アトランタオリンピックにおいてマウンテンバイクが正式種目で実施。
[編集] 国内での歴史
1980年代後半に日本に第一次マウンテンバイクブームが訪れる。オートキャンプの浸透やアウトドア・ブームとともに、レジャーとしての認知度が高かった。当時は各地で手作り的なローカルレースが開催され、スポーツとしての認知度も増していった。
- 1984年 - 奈良県との府県境にある京都府相楽郡南山城村「大河原グランドキャニオン」にて、日本初のマウンテンバイク大会が開催。
- 1987年 - 日本マウンテンバイク協会が発足。
- 1988年 - 「第1回全日本マウンテンバイク選手権大会」が開催。XC優勝は大竹雅一選手
- 1988年 - 世界選手権大会に初めて日本代表選手を派遣。
- 1989年 - ヒルクライム、ダウンヒル競技のジャパン・オープンが開催。世界選手権大会におけるオブザーブト・トライアルで柳原康弘選手が優勝。
- 1992年 - 全日本選手権大会がシリーズとして開催される。
- 1998年 - 日本で初のUCI ワールド・カップが新潟県新井市で開催される。
[編集] 特徴
[編集] フレーム素材
かつてはクロームモリブデン鋼が主流素材だったが、1990年代中ごろから軽量化目的でアルミニウム合金に置き換えられ、現在ではアルミが主流となっている。他にカーボンFRP・マグネシウムなどの新素材がマスプロメーカーから出されていたり、錆びない特性からチタン合金がハンドメイドで作られていたりする。フレームには荒れ野の衝撃を想定して補強が入っているものも多い。
長らく形状はダイアモンドフレームが主流だったが、競技項目が前後にサスペンションが装備されたフルサスペンションフレームが分化して、現在は競技の細分化に比例してフレームもその競技や用途に特化して細分化されている。例えば、フルサスペンションはダウンヒルモデルのように競技指向のものとフリーライドのように険しい山岳走行に適したモデルに、同じダイアモンドフレームでもクロスカントリー競技とBMXの要素を持たせたストリートモデルに分かれている。フルサスペンションのフレームでも基本的に前三角と後ろ三角が分かれてピボットで結んだ派生型のものが多く見られるが、ダウンヒル競技など強度が求められる競技に特化したものになるとフレームが全くダイアモンドフレームから派生していないフレームもある。
- 詳細はフレーム (自転車)を参照
- 詳細はフレーム素材 (自転車)を参照
[編集] ハンドル
クロスカントリー競技では悪路・荒地での安定のよいフラットハンドル(ハンドルの握りと支持点がほぼ一直線上に並んだ形状―ブルムース・バーという)がほぼ主流、ダウンヒル、デュアルスラロームなどの降下やフリーライドにはライズバーと呼ばれる、末端まで少し上向きに上がった、肉厚のハンドルを使用する。
[編集] ホイール
ホイール規格としては26インチHEが主力であり、最近では競技によっては24インチや29インチ幅を用いる。幅は1.0インチ程度から最大2.7インチ程度まで存在し、2.125インチが標準である。競技では土質や天候によってブロックの大小、タイヤの柔らかさなどを基準に選択する。
[編集] ブレーキ
泥づまりしにくく、左右からゴムパッドでリムを押さえるリムブレーキが主流、初期はカンチ・ブレーキを使用していたが、現在ではV・ブレーキが主流となっている。また近年ではディスクブレーキの台頭が目覚ましい。
- 詳細はブレーキ (自転車)を参照
[編集] サスペンション
創成期のMTBはクロームモリブデン鋼のリジットフォークを使用しており、これでダウンヒル競技も行われていた。しかし1990年代初頭から路面からの衝撃を吸収するサスペンションを装備し始めて、現在ではフロントサスペンションはほぼ標準装備となっている。また前輪だけでなく後輪用のサスペンションを備える場合がある。フロントサスペンションのみ装備するMTBを「ハードテイル」または「リジッドフレーム」、前後にサスペンションを持つものを「Wサスペンション」または「フルサスペンション」と呼ぶ。
サスペンションの衝撃吸収材は初期のものはエラストマーとスプリングのみだったが、現在では圧縮空気、オイルのものもある。また細分化が進み、ストローク量の多様なモデルが多い。通常ではストローク量の大きいものはダウンヒル、デュアルスラローム、ストリートなどに、少ないモデルはクロスカントリーを選ぶ。またモデルによってはサスペンションを瞬時に効かせるかしないかレバーで操作を行う事もできる。
[編集] コンポーネント
基本的に各種部品はロードレーサーと大差はない。ただ違いがあるのはMTB用パーツは泥詰まりにつよく、耐久性を持たせており、また低速のギアに対応した作りとなっている。MTBの部品に関しては創成期より日本メーカーがMTBの進化に合わせて部品も進歩させ洗練させ、普及させたという時代背景があるので、日本メーカーのシェアは90%以上となっている。クロスカントリー競技を想定した構造となっているものが長年基準であったが、ここ近年では細分化が進み、ダウンヒルやフリーライド走行を前提とした耐久性を高めたブランドも登場している。
- 詳細はコンポーネント (自転車)を参照
[編集] 名称に関する注意
「マウンテンバイク」という名称はその創成期のメンバーであるゲイリー・フィッシャーが最初に名付け、現在ではゲイリーフィッシャー社の登録商標となっている。そのため商標のトラブルを避けるために他のメーカーが『ATB (All Terrain Bike) :全地形対応型自転車』と呼びかえられたこともあるが、現在は「マウンテンバイク」の名前が一般名詞化している。名称に関して注意したいのはマウンテンバイク登場以前に各地でオフロード用の自転車がそれなりに発達していたのでそれと混同しないようにしたい。
例えばヨーロッパでは既にクロスカントリー用自転車競技としてシクロクロスが確立して、その競技専用の自転車が存在していた。また日本でも1970年代に山岳サイクリングブームが起こり、ランドナーを改造したパスハンターさらに1980年代中盤に進化した山岳サイクリング車:MTC (mountain cycle)が独自にあった。これらの自転車はマウンテンバイクとは全くの別物である。
[編集] MTB類型車(通称:ルック車)
マウンテンバイクが1980年代に世界中に流行した事により、マウンテンバイクが持つ無骨なスタイルだけを模倣して実際には悪路走破するだけの耐久性を持ち合わせていないMTB似の自転車が日本では流通している。このような自転車は『MTB類型車(通称:ルック車)』と呼ばれる。MTB類型車は強度・ブレーキ性能・耐久性・重量等の様々な性能面でMTBとは比較にならない程劣り、MTB類型車で山道を走行する事は危険であるので注意を要する。MTB類型車でないかどうかはある程度自転車部品に対する知識があれば使用されている駆動部品などで容易に識別できる。市街地で普通に見かける、MTBのような形の自転車の大部分は、実はこのMTB類型車である。
[編集] 関連項目
[編集] マウンテンバイクの競技種目
1980年代まではダウンヒルとクロスカントリーがそれほど二分化されていなかったが、最初に急勾配を高速で下っていくダウンヒル用(ダウンヒル:DH)と荒地での高速走行(クロスカントリー:XC)向けと機材の用途が二極化されていった。現在ではそれ以上に多種多様な競技が派生しており、機材もそれぞれの競技に特化して進化している。これらの競技用カスタムにとらわれず「自由に山をかけめぐる」ためのフリーライドと呼ばれるカテゴリも存在する。マウンテンバイクレースの項目も参照。