ワイン大国を夢見た男達
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『ワイン大国を夢見た男達 ~侍達のワインロード~』は、2006年3月16日にTBS系列で全国放送された特別番組。第16回JNN共同制作番組。案内人役はハリウッド映画『ラストサムライ』で信忠役を演じたハリウッド俳優・小山田シン。
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[編集] 概要
撮影開始は2005年冬で、山形、岡山、エジプト、フランスで一年間かけ撮影。出身地岡山県に2005年2月にハリウッドから俳優・小山田シンが訪問、山陽放送のテレビに出演している姿を見た山陽放送報道局代理/ディレクター曽根英二は小山田シンに『ワイン大国を夢見た男達~侍達のワインロード』の出演をアプローチ。日本(山形、岡山)での撮影では、小山田シンはロサンゼルスと日本を合計3回往復。エジプトでの撮影期間は2週間、そしてフランスでの撮影期間は3週間。エジプトでの撮影時は、エジプトの首都カイロで爆破事件が起きたすぐ後だった。
[編集] あらすじ
エジプトのスフィンクスの前に立つ侍姿の男達の写真が残っている。
幕末の文久3年(1863年)、幕府が派遣したヨーロッパ外交使節団34人で、正使は現在の岡山県井原市にあるにある井原藩の藩主・池田長発(ながおき)だった。1853年のペリー来航以来の開港騒動、下関での長州藩戦からの外国船砲撃事件を受けて、「再び鎖国を」と幕府が派遣したのが1200石、27歳の外交奉行、長発だった。フランス軍艦に乗り込んで、上海、インドを経由、スエズに上陸、カイロに立ち寄った。「肩から下は砂に埋まって見えない。どうしてこんなものを作ったのか」と陣笠の侍達の感想。その足で別のフランス軍艦に乗り換え、マルセイユへ。パリではナポレオン3世、あのシーボルトにも会っている。
思惑だった「?夷・鎖港で事態収拾」は首尾よくいかなかったが、長発は近代フランスの国力に驚かされ、旅程を打ち切り、急きょ激動の幕末日本に帰国、欧州各国への公使の派遣、留学生の派遣などを建議している。幕府は逆に長発に蟄居を命ずる。その長発は多くの書類を持ち帰った。測量図、解剖生理学、工芸、紡績などに混じって醸造論がある。パリでゲーテのファウストに感激したりしているが、使節団の日記に「(感激の際)の際しばらくして、酒?などを持ち来たり、まず婦人?を取り・・」とある。ワインを楽しみ、産業としての醸造に関心を持ったとみられる。
中東原産のブドウとワイン。時代は下って、明治の文化開化と鹿鳴館、ワインがもてはやされた。明治政府は近代化の象徴として、西洋野菜や果物の導入に勧めている。同じ頃、ヨーロッパではぶどうの木に入る害虫フィロキセラが発生、壊滅状態にもなった。
日本の男達は、ぶどう生産大国・ワイン大国日本をと夢見ることになる。ワインを殖産産業として計画、東京の谷中や、兵庫の加古郡などに勧業寮ブドウ園が作られた。明治の元・黒田清隆が音頭で取ったとも言われている。
岡山では元池田藩の士族・山内義男が徒歩で100キロ離れた加古郡に出向き、ブドウの苗木を数本持ち帰った。その中に青葡萄のマスカットがあった。明治19年、現在の温室の原型となる原始温室を作り、マスカット栽培を軌道に乗せる。この山内もワインを作っている。ボトルは残っているが、ワインブームになるまで岡山にはワインがある。)また、新潟県の岩の原では川上善兵衛が明治26年にワイン作りに成功している。明治天皇も行幸している。全国各地で作られたワインのラベルは時代を映し出して面白い。日本へのブドウの伝の意外な展開も興味深い。長発の訪欧から140年、日本には50に上る本格志向のワイナリーが誕生している
[編集] スタッフ
- 曽根英二(監督/製作)
[編集] キャスト
- 小山田シン(案内人)