国鉄キハ40系気動車 (2代)
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キハ40系気動車(キハ40けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1977年から普通列車用に製造した一般形気動車のグループである。これは国鉄車両称号規程に規定された正式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。具体的には、キハ40形(2代)、キハ47形、キハ48形の3形式及びこれらの改造により発生した派生形式を指す。
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[編集] 概要
1982年までに計888両が製造され、全国各地の非電化路線に投入された。2006年現在でもJR旅客鉄道各社に多数が在籍し、主に普通列車用として広く用いられている。
頑丈な車体構造の大型気動車で、客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られている。その一方で、エンジン出力は若干増加したものの車体重量が増加し、動力性能はそれ以前の在来型気動車からほとんど向上していない。
形態としては、客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2ヶ所に設置した片運転台のキハ47形に大別されるが、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いや、トイレの有無などによって番台区分されている。国鉄分割民営化後は、各社毎に使用線区の事情に応じた改造がきめ細かに実施され、多くの派生形式や区分番台が発生している。しかし近年、事故や災害、地方路線の運用見直しや、より高性能な新型気動車への置き換えにより廃車・転属が発生している。
キハ40系 新造時形式・番台別特徴一覧 | ||||||||
運転台 | 客扉 | 形式 | 番台区分 | 仕向け地 | 枕ばね | デッキ | トイレ | 備考 |
両 | 片開き | キハ40 | 100 | 酷寒 | 空気 | 有 | 有 | |
500 | 寒 | |||||||
2000 | 暖 | コイル | 無 | |||||
片 | 両開き | キハ47 | 0 | 暖 | コイル | 無 | 有 | |
1000 | 無 | |||||||
500 | 寒 | 空気 | 有 | |||||
1500 | 無 | |||||||
片 | 片開き | キハ48 | 0 | 暖・準寒 | コイル | 無 | 有 | |
1000 | 無 | |||||||
300 | 酷寒 | 空気 | 有 | 有 | ||||
1300 | 無 | |||||||
500 | 寒 | 空気 | 有 | |||||
1500 | 無 |
- 酷寒地:北海道、寒地:東北・新潟
[編集] 開発の経緯
1950年代中期に量産された国鉄初期の液体式気動車であるキハ10系は、1970年代に至って著しく老朽化が進行し、ことに接客設備面での劣悪さが問題となった。一方で1970年代の国鉄は労使紛争が激しく、組合側は労働環境の改善を強く要求していた。その一環として、国鉄車両にも安全対策や整備性の改善が求められた。
これらの事情を鑑み、1950年代後半に製造されたキハ55系とキハ20系の老朽化進行も視野に入れつつ、代替車両として開発されたのが本系列である。
[編集] 諸元
国鉄ではこの時期に1960年代に設計された量産形式を基本としつつ、随所を大幅に強化改良したマイナーチェンジ車を多数送り出していた。本系列もその方針の下に開発された系列であり、全体に耐久性を高める努力がなされている。
1974年に開発されたキハ66系に大きな影響を受け、外見は類似している。しかし、搭載エンジンについてはキハ66系のような大出力型ではなく、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計・出力に抑制され、走行性能は従来車と大差ない水準に留まった。
また全国で大規模な配置転換を行っていたことから、暖房やラジエターをはじめ、全般に酷寒地向けとして設計された箇所が多く、多くの部分が過剰装備気味となっている。
[編集] 車体
[編集] 外観
最大長21.3m(車体長20.8m)、幅2.9mという急行形気動車並の大型車体である。酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して外板、屋根板、床板には車両用耐候性高張力鋼板(SPA)を用いており、本系列の並外れた耐久性の一因となっている。ただし、板厚は例えば同じSPAを使用した開口部の大きい201系電車と比較すると若干薄く、外板厚が2.3mmに対して国鉄気動車標準の1.6mm、屋根板厚は1.6mmに対して1.2mmとされ、軽量化に一定の配慮を行っている。落成時期の関係から登場当初は全車が朱色5号と呼ばれる明るい朱色一色、いわゆる「首都圏色」塗装で竣工・就役しており、従来のクリーム4号と朱色4号の二色塗り分けが存在しない最初の系列となった。
前頭部の設計はキハ66系のそれを踏襲しており、衝突対策のために高い位置に運転台を置き、前面の外板を4.5mm厚に強化すると共に、事故対策として床下前面にはスカートを取り付けている。尾灯は在来形気動車よりも高い位置に取り付けられ、軽快な印象となった。パノラミックウィンドウを用い、前照灯は前面窓上にシールドビーム2灯が装備され、貫通路上には列車種別表示器も設けられている。これらの構成は設計時期が近いキユニ28形などの改造車も同様で、当時の標準であった。
側窓は北海道用を除いて外填め式の2段ユニット窓で、取り付けを簡易化している。北海道用の酷寒地形は小型の1段上昇窓で、FRP 製窓枠の内窓を組み合わせた二重式とし、保温を図っている。
なお、トイレ付車の水タンクは屋根上搭載の重力給水式として、ポンプや空気配管を不要としている。
[編集] 設備
キハ40形、キハ48形は車体両端2ヶ所に1m幅の片開き扉、キハ47形はやや車体中央寄り2ヶ所に1.3m幅の両開き扉を設けている。いずれもステップ付で半自動扉であるが、ドアエンジンは在来車の様な当初からの半自動式用ではなく、自動式用ドアエンジンの指令回路のみを変更して半自動動作に対応させており、人力での開閉にはやや重い。キハ40形、キハ48形の寒地形・酷寒地形はデッキに仕切りを設けて保温を図った。
運転台は機器配置・座席形状共人間工学に配慮した構造となっている。
客室内装は、在来形気動車に比してやや明るい色調でまとめられている。座席はドア寄りをロングシートとした他は固定クロスシート(ボックスシート)となった。1965年以降の急行形車両と同等の座席ピッチとして幅を拡大し、合わせて人間工学を採り入れて形状改良を施した新型クロスシートを普通列車用気動車として初めて導入した。
暖房はエンジン廃熱を利用する温風方式[1]を採用した。1両あたり2基搭載された熱交換器により暖房能力は公称30,000kcal/hとなり、従来の軽油燃焼式温風暖房や温水暖房に比して著しく強力であった。ただし、構造が大掛かりで複雑、かつ多くの床下スペースを必要とするという難点があり、その後の新型気動車では温水暖房への逆行、または構造簡易な軽油燃焼暖房への回帰や自動車用ヒーターの車内設置に切り替わった例が多い。
このように基本的な居住性は優れていたが、冷房装置は製造当初設置されなかった。当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると考えられたほか、当時の国鉄の方針では発電セット(電源装置)などの重装備を要する電動式の冷房が標準で、簡易なバス用冷房装置の流用などが考慮されなかったためである。[2]このことには乗客のみならず各鉄道管理局の担当者からも失望の声があがったといわれる。
トイレはFRPユニット組み立て式で、キハ40形、キハ48形は妻面のデッキ側から、キハ47形は側面の客室側から出入りする方式とした。製造当初、汚物処理装置はスペースのみ確保した準備工事で垂れ流し式であったが、地方路線の汚物処理施設整備がほとんど進んでおらず、やむを得ない措置であった。
[編集] 主要機器
[編集] エンジン
本系列は標準機関として従来のDMH17系エンジン(連続定格出力150~180PS)に代えてDMF15HSA[3]を搭載する。このDMF15HSAは水平シリンダ形の予燃焼室式直列6気筒機関であり、過給器(ターボチャージャー)を装備している。
この機関は新系列大出力気動車の試作車であったキハ90形に搭載されていたDMF15HZA[4]を基本としつつ、インタークーラーを省略し、デチューンしたものである。
地方線区向けの本系列においては、キハ66系と同様のDMF15系の姉妹機種であるDML30HSH[5]の採用はイニシャル・ランニングコスト共に増大するため得策ではなく、[6]6気筒版のこちらが、同様に連続定格出力を220PS/1600rpmにデチューンされた上で採用されている。
この出力抑制によって一定の信頼性は確保されたが、信頼性、保安性、居住性向上のために自重が大幅に増大した本系列の走行用エンジンとして使用するには出力不足であった。
[編集] 液体変速機
キハ65形とキハ66系に搭載されたDW9をベースに開発されたDW10である。変速・直結各1段で、特性は在来標準形のDF115A(3段6要素)に対して1段3要素となり、中高速での引張力を確保している。反面、起動時[7]の動輪周引張力はキハ20系[8]の2500kg弱に対して2400kg弱と低く、車両重量の大きさとも相まって起動直後の特性で不利となり、「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。ただし、例えば50km/h時ではキハ20系の約600kgに対し約800kgと逆転しており、中高速域重視のその特性が現れている。
また、原型となったDW9がその台車装架が難しい2軸駆動車用として逆転機を変速機内に内蔵していたのを継承しており、台車側の逆転機を廃止する代わりに推進軸の方向転換と最終減速段のみを受け持つ減速機が装架されている。さらに変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転比を検出してエンジンの吹き上げ、アイドル指令を出し、最適な回転比で切り替える事でショックのない変速を狙ったほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。
[編集] 台車
駆動方式はすべて1軸駆動で、逆転機は変速機内装のため、台車にはキハ65形・キハ66系の第2減速機と共通設計の減速機が裝架されている。
酷寒地形・寒地形は空気バネ台車を採用した。これは従来寒冷地域でコイルバネの間に雪が詰まり、バネが効かなくなる問題が多発していたこと、また北海道には地盤の悪い低規格路線が多いことなども考慮して、特に新型台車を開発したものである。軸バネは通常通りコイルバネであるが、ゴムで被覆したいわゆる「エリゴバネ」として、こちらも雪氷の固着による雪咬みを防止している。
初期形ではペデスタル式のDT44(動力台車)・TR227(付随台車)が採用されたが、すぐに乾式円筒案内式のDT44A・TR227Aに移行した。いずれも開発当時の保守面での制約などから、空気バネを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなくボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気バネを挿入するインダイレクト方式[9]が採用されている。それでも、枕バネを横剛性の高いダイアフラム型空気バネとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車自体の特性は優秀で、旧態依然としたDT22・TR51系コイルバネ台車を装着する一般的な急行形気動車を凌駕する、非常に快適な乗り心地を得ているほか、制輪子自動スキマ調整器が付きブレーキシリンダストローク調整作業も省力化された。
これに対し、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルバネ式のDT22D・TR51Cを採用した。ただし、台車に逆転器を搭載しなくなった分枕梁の軽量化が実現している。
[編集] ブレーキ
既に12系以降の新型客車に使用されて実績のあったCL空気ブレーキに電磁弁を加えた「CLE空気ブレーキ装置」とした(C:3圧式制御弁付 L:応荷重装置付 E:電磁自動ブレーキ付)。従来の三動弁に代えて三圧式制御弁(KU-1B)を使用したもので、作動性や整備性が改善された他、ブレーキ弁によるブレーキ管の減圧と並行して各車のC13-4AまたはA14-4電磁給排弁を制御する電磁自動空気ブレーキである。なお、DA1系のA動作弁による自動空気ブレーキを使った在来気動車とも相互に併結可能である。
[編集] 補器類
[編集] ジャンパ連結器
1977年度末以降に製作された車両は、増解結作業の省力化のためジャンパ連結器(車両間の渡し線の接続器)が変更(KE53形2個からKE93形へ)されたため、連結面に KE93形ジャンパ栓用栓収め用の窪みが設けられている。
KE93形ジャンパ連結器とは、キハ183系などに使用されている心線数61本の気動車用多心ジャンパ連結器である。しかし、当初は在来の気動車との併結を考慮して、KE94形[10]を使用したKE53形2本による車間の渡しが行われていたため、運転台側に設けられている窪みは鉄板で塞がれていた。
なお、KE93形ジャンパ連結器を装備せず、KE53形栓受2個を装備した車両の中にも窪みが設けられているものがある。これは、当系列に381系電車やキハ66系の車間に使用されるKE91形ジャンパ連結器(心線数90本)を使用する計画があった名残である。放送回路や電磁ブレーキ制御回路の信号線は、KE53形2本を使用した制御・補助回路群に含まれていないため、独立したジャンパ線に割り当てられている。これはKE93形の装備の有無にかかわらず全車共通であるが、KE93形の信号線中にはこれらの信号線が含まれるため、KE93形を本使用する際にはこのジャンパ線は非接続となる。
放送回路用のKE66形は在来の気動車と同様、片栓ジャンパ線を連結面を外から見て左側(運転台の助手席側)に、栓受けを右側に装備する。電磁ブレーキ制御用のKE67形ジャンパ栓受は連結器の胴受の下に設置されている。
[編集] 過重・低出力と不適切な運用
この様に、あらゆる面で刷新が行われた系列ではあったが、電車並みに丈夫な構造と新規の追加装備は著しい重量増加の原因となった。自重36~37t[11]に対し、出力220PSは余りにも非力で、登場当時の識者からは「戦前のキハ42000形ガソリンカーにも劣る低性能車」とまで批判された。[12]
発進時には、全噴射状態でもエンジンの轟音を立てるばかりでなかなか動き出さず、液体変速機を長々と空転させた末に数拍おいて動き出すなど、起動直後は3段6要素の変速機より不利な特性であった。また、中速域でも特に在来のDMH17系エンジンおよびTC2A・DF115A変速機搭載の車両と併結した際や、DMH17系搭載車の運転に慣れてしまった運転士が運転する場合には、1段3要素の変速機の特性を活かしきる前に40km/h台で直結に切り替えられてしまい、性能を出し切れない場面が多く見られた。変速機の特性を生かすには、キハ181系同様変速段で65km/h付近まで5ノッチで引っ張る運転操作が求められたが、現場には浸透しなかった。
過熱防止のため全出力運転が5分までに制限されるDMH17系エンジンと異なり、DMF15HS系エンジンは全出力運転の時間制限がなかった。このため運行中は降坂、定速時以外ほぼ全出力で運転できてしまい、かえって相当時間に渡って過負荷を強いられる事から、もともと燃費の良いエンジンではないこともあり、燃料消費効率も悪くなった[13]。DMH17系エンジンを1基搭載する車両の代替は一応可能であったものの、加減速の多い仕業や勾配路線には明らかに不向きであった。
[編集] 低出力
車重と変速機設定が災いし、勾配の程度にもよるが登坂時には全出力状態でも従来の気動車同様30km/hを下回る事も少なくない。また電化区間へ乗り入れる場合電車に比べ甚だしく加速力が劣るため足並みが揃わず、ダイヤ組成の障害にもなった。
寒地において降雪時にスノープラウでの排雪抵抗がともなう場合、単行では推進力が不足しするため利用者の少ない列車も2両以上の編成を要した。これは後年のキハ53形500番台改造投入やキハ54形新製など、2基エンジン搭載車導入の一因ともなった。
古くから国鉄在来線では急勾配線区に適応する単行運転可能な気動車が不足していたが、強力車については余剰が予想されるキハ58系の格下げで対応するという方針であったため、キハ40系では勾配線区向けの形式は製作されなかった。その後もキハ58系の需給調整は上手く行われず、依然として適当な代替車が不足し続ける結果となった。古いキハ20系の1エンジン車が淘汰される中、2エンジン車であるキハ52形のみが2007年時点でも残存している一因として、キハ40系がその代替車両となり得なかったことが挙げられる。[14]
これらの問題に対応し、JRに現在残存しているキハ40系の多くが300PS以上の高出力エンジンに換装、ないし既存エンジンの強化[15]で性能改善を図っているが、自重過大という本系列の弱点を完全に克服するまでには至っていない。
[編集] 新製形式
[編集] キハ40形
本系列の主軸となる両運転台車であり、両運転台の直後2ヶ所に片開き扉を装備する。新製時は全車がトイレ付きであった。番台区分は北海道向けが基本になっている。なお、番号が1~となっていないのは、かつて北海道に存在した客車改造気動車である初代キハ40形、後のキハ08形との重複を避けるためである。
[編集] 100番台(101~250)
北海道向けの酷寒地対応車として1977年上期より製造が開始され、キハ40系では最初に就役したグループである。
車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓を持ち、トイレ、空気バネ台車を装備する。床はそれまでの北海道向け気動車のキハ22などの鋼板に木材板張りとは異なり、鋼板(SPAの1.2mm)と断熱材にリノリューム張りで構成されている。1982年までに150両が製造された。
1977年製の一次形16両 (101~116) のみ、角型水タンクキセ、4人掛けクロスシート12組、小窓の配置が両端、ペデスタル式台車 (DT44・TR227) などの特徴を持つ。
1978年から製造された117~250は、連番ながら設計が変更されたグループで、酷寒地装備はそのままに、水タンクキセ、座席配置と窓割り、外気導入ルーバー、スカート形状がキハ40形2000番台一次形車と同様になった。台車は乾式円筒案内式の軸箱を持つDT44A・TR227Aに変更された。
[編集] 500番台(501~594)
主に東北地方を対象とした寒地仕様車で、100番台より遅れて1977年末より製造された。デッキ付きで上段下降・下段上昇式のユニット窓と空気バネ台車を装備。1982年までに501~594の合計94両が製造された。
初期に製作された501~520は軸バネ式のDT44系台車を装備し、車内の化粧板は緑色系である。521号車以降は窓の配置や座席配置が変更され、車内の化粧板はクリーム色系になった。台車は円筒案内式のDT44A系に変更され、スカートの形状も変更された。
520以前の初期車両は淘汰が進み、2006年10月現在の在籍車は5両、うち稼動車は4両のみ。冷房化改造車も主として磐越西線運用に充てられている新津運輸区の502のみである。
[編集] 2000番台(2001~2148)
関東以西の温暖地を対象とした一般仕様車で、100, 500番台より遅れて1979年に登場した。窓は2段上昇式ユニット窓で、デッキは装備されていない。台車は金属バネのDT22D・TR51C。1982年までに148両が製造された。
このうち、1980年製のキハ40形2055号は1983年6月に起きた指宿枕崎線沿線の集中豪雨が原因の事故によって大破したため、7月付けで廃車された。これは国鉄時代の本系列に生じた唯一の廃車である。
[編集] キハ47形
1.3m 幅の両開き扉を車体中央寄り2ヶ所に配置した、いわゆる「近郊形」のレイアウトである。キハ40・48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、仕向け地とトイレの有無により細かな番台区分がある。デッキは装備せず、北海道向けの酷寒地仕様も存在しない。2段上昇式ユニット窓。
[編集] 0・1000番台(1~193・1001~1134)
温暖地向け仕様車で、0番台車はキハ40形100番台車と相前後して1977年上期に登場した。金属バネ台車装備。トイレ付きの0番台車は1983年までに193両が、その後1978年から登場したトイレなしの1000番台車は1982年までに134両が製造された。この温暖地向けキハ47形327両が本系列の最大グループである。
[編集] 500・1500番台(501~522・1501~1521)
新潟地区向け寒地仕様車で、空気バネ台車装備。1978年から1980年に掛けてトイレ付きの500番台車22両とトイレなしの1500番台車21両が製造された。本来は寒地仕様だが、国鉄時代に越後線と弥彦線の電化に伴い四国や山陽、九州など温暖地に転じたのち民営化を迎え、温暖地で運用されている例もある。
[編集] キハ48形
キハ40形と同等の車端部片開き2扉配置だが片運転台車であり、トイレの有無により細かな番台区分がある。トイレは運転台のない側の車端デッキ寄りに設置される。
[編集] 0・1000番台(1~6・1001~1004)
500・1500番台と同一車体・デッキ仕切り付きで金属バネ台車装備とした準寒地向け仕様車で、1981年から1982年に掛けて少数が製造され、美濃太田 (1~3,1001,1002) と敦賀 (4~6,1003,1004) に配置された。上段下降・下段上昇式ユニット窓車。トイレ付きの0番台車は6両、トイレなしの1000番台車は4両の製造に過ぎない。
[編集] 300・1300番台(301~304・1301~1303)
キハ40形100番台車同様の北海道向け酷寒地仕様車で、1982年にごく少数が製造された。デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はキハ46形に酷似する。空気バネ台車を装備。輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくい事もあり、トイレ付きの300番台車は4両、トイレなしの1300番台車は3両の製造に留まった。
[編集] 500・1500番台(501~559・1501~1550)
キハ40形500番台車と同様の東北地方向け寒地仕様車で、1979年に登場し、1982年まで製造された。デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓車と空気バネ台車を装備している。トイレ付きの500番台は59両、トイレなしの1500番台は50両が製造された。
[編集] 改造車・派生形式
[編集] 国鉄
車齢が若かった事もあり、国鉄時代に本系列に対して行われた改番を伴う改造はキハ40形1000番台の1例のみである。また冷房改造についても、九州・鹿児島地区での降灰対策のためバス用クーラーを使用した改造がキハ40形5両およびキハ47形10両に実施されているに過ぎない。本系列に対する性能・接客両面での改良・改造が本格化するのは、国鉄分割民営化後のことである。
[編集] キハ40形1000番台
1986年に烏山線で使用されていたキハ40形2000番台のトイレを撤去したもので、国鉄時代に本系列に対して行われた改番を伴う改造の唯一の例である。外観上の変更点はほとんどないが、塗色が烏山線独自のローカルカラーに変更された。当初に7両が改造され、1991年と1995年に各1両が追加で改造され、計9両が本番台となった。国鉄の分割・民営化時には全車がJR東日本に承継されている。
民営化後は、東北地区に転出した1両(1006)を除き、1990年にワンマン運転対応改造と座席のロングシート化が、さらに1995年から1996年にかけて冷房装置(AU34)の搭載改造が実施された[16]。
- キハ40-2011~2017・2087・2139 → 1001~1009
[編集] JR北海道
北海道旅客鉄道(JR北海道)には、酷寒地形のキハ40形100番台150両とキハ48形の7両全車(300番台4両・1300番台3両)の計157両が承継された。ワンマン運転対応、エンジン換装、冷房装置搭載など線区の事情に応じた改造が行われており、それに伴う改番が行われた結果、引継時の番号を留めているのはキハ48形300番台の3両に過ぎない。
2000年7月14日に根室本線尺別駅で発生した脱線事故のためキハ40 750が2000年7月19日付けで、また2005年6月24日にはキハ40 764(キハ12 23「ぽっぽや号」)、2006年10月で長年休車であったキハ480-304が老朽化と余剰を理由にそれぞれ廃車となっている。
[編集] キハ400形・キハ480形
宗谷本線の高速化に向け急行「宗谷」・「天北」・「利尻」に使用されていた14系客車を置き換えるため、1988年にキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を急行列車用に改造したもの。それぞれ新形式のキハ400形・キハ480形に改められ、両形式を総称してキハ400系ともいう。
エンジンをDMF13HZ(330PS/2000rpm)に、変速機を直結2段式のN-DW14Bに交換して加速力の向上を図り、特急列車頻発でダイヤ密度の高い函館本線での高速運転や、宗谷本線の勾配区間への備えとした。車内には洗面所を新設し、座席もキハ183系500番台と同等のリクライニングシートに交換された。また、電動式の冷房装置(N-AU400)を屋根上に1基搭載、その電源となるディーゼル発電機はキハ400形客室内の床上に設けた機器室内に設置し、キハ480形へも給電する方式とした。そのため、キハ480形は単独では冷房装置を使用することができない。キハ480形の種車のうち1両はトイレ付きの300番台車であるが、トイレは改造時に撤去されている。キハ480形には飲料水の自動販売機が設置されていた。
1997年には、老朽化したお座敷気動車を置き換えるためにキハ400形3両がお座敷気動車に再改造され、500番台に改番された。残った車両も2000年の宗谷本線高速化完成に伴う急行の特急格上げに伴って運用を外れ、学園都市線(札沼線)用の一般車(キハ40形330番台・キハ48形1330番台)に再改造された。キハ480形の1両 (304) のみは転用されず苗穂工場に留置され、そのまま2006年10月6日付けで除籍された。
- キハ40-141~149→キハ400-141~149
- キハ48-304・1301~1303 → キハ480-304, 1301~1303
[編集] キハ400形500番台
老朽化したお座敷気動車(キロ29・59形)を置き換えるために、1997年から1998年にかけてキハ400形3両をお座敷車に改造したものである。同時期に改造されたお座敷車の183系6000番台と異なり、一般車と併結して運用する事が可能である。なお、この改造により不足する宗谷本線急行用車両の補充として、キハ182形(0番台)3両がキハ400系併結用に改造されている。
客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装も深い赤と黒のブロックパターンに改められた。室内は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ30cm の掘り炬燵構造として、乗客が足を伸ばしてくつろげる様にしている[17]。2003年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施された。
- キハ400-141・142・149 → 501~503
[編集] キハ40形700番台
1990年から1994年にかけてキハ40形100番台にワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造された。番号は竣工順に付番されており、原番号との関連性はない。但し、1次車(101~116)が種車の車両だけは元番号に725を足した連番になっている。
また、17両が都市近郊輸送に対応するため、旧番号時代の1991~1992年に座席を2+1人掛けに改造している。番号は次のとおり。
- キハ40-175・178~180・186~188・207~210・222・226~228・249・250 → 802~805・813~825
後に、エンジンの換装などにより300・350・400番台に改造されたものがある。ただし、789号は改番前の150号時代の1988年にキハ400形と同じ DMF13HZ[18] に換装しているが、特に区別されていない。DMF15HSA搭載車も機関の直噴化改造を施工された車両があり、その車両はエアクリーナーが移設され、車体にあった機関用吸気口が塞がれている。
循環式汚物処理装置の取り付けが進んでおり、屋上の水タンクを撤去した車両も存在する。
特殊な改造車としては、1999年に映画『鉄道員 (ぽっぽや)』の撮影用に改装を施した764号がある。この車両は作品に登場するキハ12形に似せて側窓の上部を Hゴム支持としたいわゆる「バス窓」に、前面のパノラミックウィンドウを平窓に、前照灯を貫通路上部の1灯式に改め、ナンバーも「キハ12 23」(実在したキハ12形の最終番号の次の番号)に書き換えていた。映画撮影の終了後も前照灯をシールドビーム2灯に改め、ナンバーを本来の番号に書き換えた以外はそのままの姿で使われ、「ぽっぽや号」として観光目的の臨時列車にも充当された。
しかし、側面の改造で車体の老朽化が進んでおり、前照灯と窓の変更により運転環境も悪くなっていたために、2005年6月24日に気動車の余剰整理を機に廃車された。末期はブームが去ると共に集客率が低下したため「ぽっぽや」の任を解かれ、専ら保留車になっていた。廃車後は車体が2分割され、一方の先頭部はロケ地の幾寅駅前に保存されている。
[編集] キハ40形300番台
1996年に学園都市線(札沼線)の列車増発のため、同線での運用に対応する改造をキハ40形700番台に対して行ったもので、4両が改造された。
機関はN-DMF13HZB(330PS/2000rpm)に換装され、出力増強が図られた。サービス向上のため冷房装置(N-AU26)やトイレの汚物処理装置を搭載、混雑緩和対策としてシートが2+1人掛けとされ、客室とデッキの間の仕切り壁も撤去されている。
- キハ40-702・728・773・782 → 301~304
[編集] キハ40形400番台
1996年に札沼線石狩当別~新十津川間のワンマン化と老朽化したキハ53形500番台の置き換えのため、キハ40形700番台2両を改造したものである。
機関はこれまでの改造車よりもさらに強力なN-DMF13HZD(450PS/2000rpm)で、変速機を直結2段式のN-DW14Cに換装し、冬季の列車遅延防止のため2軸駆動(従来は1軸駆動)とした。冷房装置は搭載していない。外観上は客用扉を萌黄色として区別している。
- キハ40-769・770→401・402
[編集] キハ40形350番台
愛称「優駿浪漫」。日高本線で使用されていたキハ130形の老朽化による置き換えのため、1998年から1999年にかけてキハ40形700番台10両を改造したものである。
キハ130形時代のダイヤを維持するため、機関をN-DMF13HZB(330PS/2000rpm)に換装して出力の増強を図っている他、落ち葉などによる空転対策のため砂撒き装置を台車に装備している。学園都市線用の300番台とは異なり、車内の改装は行っておらず、冷房装置も搭載されていないが、外板塗装は白地に青とピンクを配した独自のものに改められている。
- キハ40-710・713・717~719・728・731・743・753・794 → 351~360
[編集] キハ40形330番台・キハ48形1330番台
2000年の宗谷本線急行の特急格上げに伴って余剰となったキハ400形・キハ480形を学園都市線に転用するために再改造したものである。
通勤・通学用への転用に伴い座席はすべてロングシートとされ、客室・デッキ間の仕切り壁や引戸も撤去された。キハ400形については電源装置が床上の機器室内に設置していたことから、これを撤去して再び客室としている。それに伴い冷房装置が機関直結型のAU26に交換された。従来、冷房用電源の関係でキハ480形はキハ400形とペアで使用されていたが、それぞれ単独での運用が可能となった。なお、冷房装置の圧縮機から屋根上の本体に至る配管と配線は客室内の中央付近の側面を通るため、この部分でロングシートは分断され、約2人分のデッドスペースを生じている。キハ400形・キハ480時代の装備であった横引きカーテンのレール覆いや窓框の縁取りはそのまま残されている。
- キハ400-143~148→キハ40-331~336
- キハ480-1301~1303→キハ48-1331~1333
[編集] キハ40形1700番台
今後の長期使用を見越し、キハ40形700番台に延命化改造を実施したものである。2003年度から11年程度をかけて全車に施行される計画で、2006年4月現在36両が落成し、苫小牧運転所に15両、釧路運輸車両所に10両、函館運輸所に11両が配置されている。
改造内容としては、駆動用エンジンのN-DMF13HZI(243kW(330PS)/2000rpm)への換装及びそれに伴う液体変速機(直結3段式に換装)などの付属機器の交換、客室の床材の張替え、扇風機のクールファンへの交換、ワンマン運転用機器の更新などである。外観上は、屋根に設置されていた水タンクが撤去されたのが目立つ(車内設置に変更、一部在来700番台にも施工)。改造車の番号は原番号に1000が加えられている。
[編集] JR東日本
東日本旅客鉄道(JR東日本)には、キハ40形117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両が承継された。
東北地方など寒冷地での使用が多いため、冷房改造車は多くない。また民営化後の高出力車キハ100系・110系導入により、収容力は大きいが機関出力の小さい40系気動車は比較的平坦でワンマン運転に適さない線区に配置されている。
他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置(AU26J-A×2)の搭載、機関の換装(DMF14HZ, 360PS)を伴うリニューアルも継続的に実施されている。秋田地区の男鹿線用車と新潟地区の羽越・磐越西線で運用される車両には、更新時に混雑対策としてロングシート化とデッキの撤去も実施された。尚、五能線などではキハ40形でデッキの仕切りがある車両とワンマン対応の仕切りが無い車両が混在する。
八戸線で運用されているキハ40 516~518とキハ48 539・556~559はトイレが撤去され、器材室に変更されている。ドアには「器材室」「トイレは他の車両です」と表示されている。
形式と番号の変更を伴う改造は、前述のキハ40形1000番台2両とジョイフルトレインへの改造にともなう8両のみであるが、ジョイフルトレイン(イベント用列車)への改造は多く、現在までに7タイプが登場している。
また、2006年4月までにキハ40形13両とキハ48形2両の計15両が余剰により廃車となっている。なお、2002年に廃車されたキハ40 511は会津鉄道に譲渡の上で展望気動車「風覧望(ふうらんぼう)」(AT-400形401)に改造され、現時点に於ける本系列唯一の譲渡例である。また、女川駅隣接の温泉施設「ゆぽっぽ」に1両(旧キハ40 519)が保存され、車内を畳敷きとした上で休憩室として利用されている。
[編集] ジョイフルトレインへの改造
[編集] キロ40・48形
1995年、水戸支社に於いてキハ48 534・548及びキハ40 2138をお座敷車に改造したもので、それぞれキロ48 1・2とキロ40 1に改番され、編成としては「漫遊」と命名された。2000年に仙台支社に転出し、「ふるさと」と改称されている。
キロ48 1には「華(HANA)」、キロ48 2には「風(FU)」、キロ40 1には「月(GETSU)」の愛称が付され、車体はそれぞれ日本の伝統色である緑・紫・紅を基本色とし、その下部に金色を配して華やかさを演出している。
本系列唯一のグリーン車であったが、2003年4月に普通車扱いに変更され、キハ40 2501とキハ48 2501・2502に改番された。
[編集] リゾートしらかみ
- 「青池」編成
- 1997年3月の秋田新幹線開業に伴い、1990年から五能線で運転されていた50系客車による眺望列車「ノスタルジック・ビュートレイン」に代わる新しいリゾート列車として改造された列車である。2003年の姉妹車「橅(ブナ)」編成の登場に伴い、「青池」編成と命名された。
- キハ48-533・540・1521・1543を改造したもので、いずれも改造に伴う改番は行われておらず、原番のままとなっている。1・4号車の533と540は展望ラウンジ付きの座席車(回転リクライニングシート)、2・3号車の1521と1543は6人又は4人用の簡易個室車として、同時に冷房装置(AU26J-A×2)を搭載し、エンジンをDMF14HZ(300PS/2000rpm)に換装している。外観では、1・4号車の前頭部形状を変更した他全車の側窓を拡大してブロンズガラスの固定窓とし、眺望を存分に楽しめるよう配慮している。塗装は白神山地の白、日本海の深青をイメージした塗り分けとしている。
- 2006年3月18日のダイヤ改正を前に3両編成となり、キハ48 1521は「くまげら」編成に転用された。
- 「橅(ブナ)」編成
- 2002年12月の東北新幹線八戸延伸に伴って展開された「北東北ディスティネーションキャンペーン」に合わせて登場した増備車である。従来の編成と編成両数や設備が異なり、区別するために「橅(ブナ)」編成と命名された。従来の「青池」編成が4両編成であるのに対して3両で組成され、1・3号車を座席車、2号車を簡易個室とした。
- 改造はキハ40形3両を種車として実施されたが、種車が両運転台であるため後位側の運転台を撤去し、その跡にトイレ・洗面所又は喫煙室を設置した。これにより形式をキハ48形に変更し、車番を改めた(キハ40-506・507・510 → キハ48-701・702・1701)。外観は「青池」編成の青に対し白神山地の深緑を車体色とし、前頭部の形状も「青池」編成とは異なるイメージのものとした。
- この「橅」編成に限り、リゾートしらかみの他、房総地区の臨時列車としても運行されている。
- 「くまげら」編成
- 2006年3月18日のダイヤ改正で「リゾートしらかみ」は多彩な観光メニューに対応するため3往復体制となり、これに併せて第3編成として投入されたのがこの「くまげら」編成である。内装と設備は「橅(ブナ)」編成と同一である。改造種車は両先頭車がキハ40形で、中間車は元「青池」編成のキハ48 1521が転用されている(キハ40-515・520 → キハ48-703・704)。
- 外観はオレンジ色が基調となり、そこに「青池」編成と「橅(ブナ)」編成を意識した青・緑の帯を入れている。
[編集] びゅうコースター風っこ
「びゅうコースター風っこ」・通称「風っこ」は、2000年に仙台支社に登場したトロッコ気動車である。
従来、仙台支社では貨車を改造したトロッコ車両を保有していたが、運転時の入れ換え作業や保安要員の配置など運行コストの問題を抱えていた。これらの問題解決を図るためキハ48 547・1541をトロッコ車両に改造したもので、同時に機関をDMF14HZに換装している。
車体側面を大きく開口させ外気を存分に感じる事ができる様にすると共に、冬季には寒気対策のために開口部にガラス戸をはめ込んだり、取り付けられたストーブを焚く事ができる。また開口部の下部にはガラス戸を設置し、さらに開放感を高めている。外装は、春から夏に掛けての車窓の自然をイメージした緑(若葉)、青(川・湖)、白(雲)、黄(光)をちりばめた爽やかなものである。
車内には、難燃木材を使用した木製座席が設けられ、各ボックスにはテーブルが設置された。天井は骨組みを剥き出しにし、白熱灯を用いてレトロで暖かみのある雰囲気を創り出している。
[編集] きらきらみちのく
「きらきらみちのく」は、2002年12月の東北新幹線八戸延伸に伴って展開された「北東北ディスティネーションキャンペーン」にあわせて登場したリゾート列車で、下北・津軽方面への観光輸送を目的としている。キハ48 1505・1506・1534を改造したものであるが、いずれも改番は実施されておらず、原番のままとなっている。
前面と側面の窓は眺望に配慮して拡大し、UVカットガラスの固定式とした。塗色は青森県内各地で開催される「夏祭り」をイメージした鮮やかな赤を基調に窓下を白に塗り分けている。また機関をDMF14HZに換装し、冷房装置(AU26J-A×2)を屋根上に搭載した。
車内設備については、1・3号車 (1505・1506) に2人掛けと1人掛けの回転式リクライニングシートを装備、2人掛けシートは床を100mm かさ上げしたハイデッキ構造とし、1人掛けシートは眺望に配慮して45°窓側に向けた状態で固定可能である。トイレと洗面所も新設し、客室との間に喫煙室を設置している。また2号車 (1534) は座面を畳敷きとしたボックスシートで、背もたれを高くした個室に近い構造となっている。前位には、観光用VTRや運転席からの映像を放映する事ができるモニタを備えた情報コーナーを設けている。
八戸を起点に、主に大湊線と東北本線で運転されている。
[編集] うみねこ
「うみねこ」は、東北新幹線八戸延伸を機に八戸線の観光路線としての活性化を図るために導入された列車である。キハ48-555・1549の座席を回転式リクライニングシートに交換し、トイレを洋式に改装して汚物処理装置を装備した程度で、冷房装置の搭載や機関の換装は行われず、車体にも手が加えられていない。
塗装は、車体中央部を海をイメージした青として本列車のネーミングの元となった「ウミネコ」を描き、車端部は太平洋の日の出をイメージした赤として、その間に白と黄のストライプを入れたカラフルなものとしている。
[編集] JR東海
東海旅客鉄道(JR東海)には、キハ40形14両(500番台2両・2000番台12両)、キハ47形5両(0番台2両・1000番台3両)、キハ48形40両(0番台3両・500番台18両・1000番台2両・1500番台17両)の計59両が承継された。1988年に冷房装置の搭載を試作的に実施し、1990年度からは床下搭載型のAU27形とAU28形によって本格的に実施され、1991年度中に全車の改造を完了した。
機関の換装については、1989年に同社のキハ85系で採用された米カミンズ社英国工場製のC-DMF14HZ(350PS/2000rpm)によって少数に実施された後しばらく途絶えていたが、1997年度から同じくカミンズ社製のC-DMF14HZB(350PS/2000rpm)によって本格的に実施され、1999年度までに完了した。なお、機関換装に伴って全車が後述の番号整理によって改番を実施している。
ワンマン運転対応については、1991年の東海交通事業城北線開業に伴ってキハ40-2057・2112に対して実施されたのが最初である。翌年には武豊線のワンマン化に伴ってキハ48形にも実施され、現在ではワンマン運転線区の拡大により全所属車の半数以上が改造されている。
2006年4月現在、美濃太田車両区にキハ40形7両・キハ47形5両・キハ48形26両が、伊勢車両区にキハ40形7両とキハ48形14両が所属している。
[編集] キハ40形5000番台
紀勢本線用のキハ40形2000番台のエンジンをカミンズ社製の C-DMF14HZ に換装し冷房装置を搭載したもので、1989年から1990年にかけて6両が改造された。冷房装置は C-AU711D を2基屋根上に搭載している。番号は原番に3000を加えたものとされたが、1999年度に後述の番号整理に伴って3000番台に再改番された。
- キハ40-2030~2032・2058・2059・2129 → 5030~5032・5058・5059・5129 → 3001~3003・3005・3306・3010
[編集] キハ48形3500番台
1992年の武豊線への投入に伴い、東海道本線での運用のためキハ48形500番台の機関をC-DMF14HZに換装して出力増強を図ると共にワンマン運転設備を付加したもので、5両が改造された。番号は原番に3000を加えたものとされたが、後述の番号整理に伴って1999年に3800番台に再改番された。
なお、これらとペアを組むキハ48形1500番台5両(1523・1524・1528~1530)にもワンマン運転設備が付加されているが、機関換装は実施されなかった。
- キハ48-526・529・531・532・541 → 3526・3529・3531・3532・3541 → 3809・3812・3814・3815・3816
[編集] 機関換装と番号整理
1997年度から再開された C-DMF14HZB への機関換装に伴って在籍する全形式の全車に対して実施されたもので、寒地装備、トイレ、ワンマン運転装備の有無、エンジンの形式により一定の基準によって分類された。
暖地向け車は5001(トイレなし車及びキハ40形は6001)から、寒地向け車は5501(トイレなし車は6501)からそれぞれ原番の順に通番整理され、機関換装と同時に改番を実施した。1999年には、以前の改造で機関換装を実施していた車に対しても再改番が実施されたが、C-DMF14HZ装備であったため3000番台に区別された。ワンマン運転対応装備車は300を加えてさらに区別された[19]。
[編集] キハ40形
- 3000番台:旧5000番台。C-DMF14HZ搭載。3001~3003・3005・3010の5両。このうち一部はJR西日本所属車と番号が重複している。
- 3300番台:旧5000番台。3000番台のワンマン運転対応車。3306の1両のみ。
- 5500番台:500番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(576・577 → 5501・5502)が改番されたが、後に5502の1両がワンマン運転設備を付加して再改番されたため、現存は5501の1両のみ。
- 5800番台:1999年に5500番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。5802の1両のみ。
- 6000番台:2000番台にC-DMF14HZBを搭載。6両(2057・2111~2113・2130・2131 → 6004・6007~6009・6011・6012)が改番されたが、全車にワンマン設備を付加して6300番台に再改番され、2000年度に消滅した。
- 6300番台:1999年~2000年に6000番台にワンマン運転設備を付加[20]し、再改番を実施したもの。6両全車がこの番台となった(6304・6307~6309・6311・6312)。
[編集] キハ47形
- 5000番台:0番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(3・4 → 5001・5002)が改番された。
- 6000番台:1000番台にC-DMF14HZBを搭載。トイレなし。3両(1027・1109・1110 → 6001~6003)が改番された。
[編集] キハ48形
- 3800番台:旧3500番台。改番時点でワンマン対応改造済み。3809・3812・3814~3816の5両。
- 5000番台:0番台にC-DMF14HZBを搭載。3両(1~3→5001~5003)が改番されたが、後に5002と5003の2両がワンマン運転設備を付加して再改番されたため、現存は5001の1両のみ。
- 5300番台:5000番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。2000年と2003年に1両ずつ(5302・5303)、計2両が登場している。
- 5500番台:500番台にC-DMF14HZBを搭載。13両(509~514・524・525・527・528・530・542・543 → 5501~5508・5510・5511・5513・5517・5518)がこの番台となったが、後に8両がワンマン運転設備を付加して5800番台に再改番されている。
- 5800番台:1999年から5500番台にワンマン運転を付加して再改番を実施したもの。5802~5807・5810・5817の8両。
- 6000番台:1000番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(1・2→6001・6002)が改番されたが、後に6002の1両がワンマン運転設備を付加して再改番されたため、現存は6001の1両のみ。
- 6300番台:2000年に6000番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。6302の1両のみ。
- 6500番台:1500番台にC-DMF14HZBを搭載。17両(1515~1519・1523~1531・1536~1538 → 6501~6517)がこの番台となったが、後に14両がワンマン運転設備を付加して6800番台に再改番されている。
- 6800番台:1999年から6500番台にワンマン運転を付加して再改番を実施したもので、6803~6816の14両に対して実施されたが、うち6806・6807・6811~6813の5両は6500番台への改番時点ですでにワンマン運転設備を装備していた(キハ48形3500番台の節を参照)。
[編集] JR西日本
西日本旅客鉄道(JR西日本)には、キハ40形63両(すべて2000番台)、キハ47形189両(0番台108両・500番台3両・1000番台75両・1500番台3両)、キハ48形5両(0番台3両・1000番台2両)の計257両が承継された。これはJR旅客鉄道会社の中で最大である。
形式と番台の変更を伴う改造は、キハ40形・キハ47形の座席のロングシート化による改番とキハ47形の両運転台化によるキハ41形への改形式、イベント用列車への改造に伴うもののみであるが、多くのローカル線を抱える事情から1989年度よりワンマン運転対応化改造が実施され、キハ40形の全車とキハ47形の大半に施行されている。また、1991年度からサブエンジン方式のAU34による冷房改造が、1995年度からエンジンのコマツ製SA6D125H-1H(330PSまたは265PS/2000rpm)への換装[21]がそれぞれ実施されており、どちらも全車に対して施工が完了している。
1999年度からは、103系・113系電車等の国鉄形電車と同様延命化工事の施工が開始されており、外観に変化を生じた車両が多くなっている。
2003年以降、老朽化したキハ58系に代わり、キハ48形が津山線の急行「つやま」に使用される様になった。現在、キハ40系で唯一の急行列車運用充当車両であるが、車内は従来のセミクロスシートのままであり、大規模改造は施されていない。
- キハ48-5・6・1003
[編集] キハ40形3000番台・キハ47形2000・2500・3000・3500番台
車内の座席をロングシートに交換したもので、キハ40形は3000番台に、キハ47形は0・1000番台は2000・3000番台に、500・1500番台は2500・3500番台に改番された。1991年から1992年にかけてキハ40形5両とキハ47形27両(2000番台16両、2500番台1両、3000番台9両、3500番台1両)に対して施工され、1996年度にキハ47形21両(2000番台7両、2500番台2両、3000番台11両、3500台1両)が追加で改造されたが、こちらはボックスシートを一部残しており仕様が異なる。
キハ40形は岡山地区に、キハ47形は広島・米子・山口地区にそれぞれ配置され、いずれもラッシュ時の輸送力列車に運用されている。
- キハ40-2009・2010・2116・2117・2028 → 3001~3005
- キハ47-12・17・23・26・48・67・86・97・98・108・147・154・155・161・162・164・166・168・181・186・192・193・506~508・1001・1003・1006・1018・1020・1021・1023・1034・1063・1067・1095・1096・1111・1114~1116・1123・1124・1506・1508 → 2001~2023・2501~2503・3001~3020・3501・3502
[編集] キハ47形7000番台「瀬戸内マリンビュー」
2005年10月1日から呉線において観光列車「瀬戸内マリンビュー」が運行されるのに伴い、キハ47形2000・3000番台を改造したものである。前面は表示装置や貫通扉が埋め込まれた。側面は運転室側の乗降扉が埋められ、海側の窓配置は大幅に変わった。指定席車となったキハ47 7001には山側の腰掛にソファーシートが採用されるなど、客室仕様も大幅に変更されている。リニューアル工事も含めた改造費用は8,000万円で、沿線の4自治体が全額を負担した。 ただし自由席は乗降扉が一箇所となったほかは基本的に従来どおりである。
- キハ47-2011・3002 → キハ47-7001・7002
[編集] キハ41形
1999年の播但線電化に際してキハ47形1000番台に運転台を増設して両運転台化したものである。非電化で残る同線寺前~和田山の単行運転用に5両が改造された。増設運転台は種車の構体をそのまま利用した切妻タイプで、既設運転台と全く形状が異なる特徴的なものとなっている。増設運転台直後にトイレと水タンクを増設しており、全車が2000番台に付番されている。
- キハ47-1009・1010・1024・1039・1105 → キハ41-2001~2005
[編集] JR四国
四国旅客鉄道(JR四国)には、キハ40形(2000番台)11両とキハ47形42両(0番台19両・500番台5両・1000番台13両・1500番台5両)の計53両が承継された。JR四国においては形式と番号の変更を伴う改造は実施されておらず、機関換装も実施されていないが、1988年に全車に対して冷房装置の設置(FTUR-300を2基屋根上に搭載)を、1989年にキハ40形全車に対してワンマン運転対応設備の設置とトイレの撤去をそれぞれ行っている。それに伴い旧トイレ部分への窓の新設と屋上水タンクの撤去が実施されている。
[編集] JR九州
九州旅客鉄道(JR九州)には、キハ40形36両(すべて2000番台)とキハ47形106両(0番台61両・500番台2両・1000番台41両・1500番台2両)の計142両が承継された。1993年の日豊本線竜ヶ水駅の土石流災害で被災したキハ40形2両が廃車され、2006年4月現在140両が在籍する。
本系列に対して初めて冷房改造が行われたのが九州であり、民営化後も1987年から1989年にかけて全車に対して冷房改造が実施された。国鉄時代はバス用の装置を転用したのに対し、民営化後はサブエンジン方式のAU600Kにより行われた。また、近年は全車について屋根上の通風器が撤去されている。
ワンマン改造については、大多数について施行済みであるが、方式には線区の事情に応じて数種の方式がある。また機関出力向上についても1990年から数種の方法で行われており、それぞれ新形式又は新番台区分が起こされている。詳細については後述する。
[編集] キハ140・147形
山岳地域の勾配線区で使用するために機関を換装して出力増強を図ったものである。改造は1990年~1993年にキハ40形9両とキハ47形30両(0番台17両・1000番台13両)に対して実施され、それぞれ形式がキハ140形とキハ147形に改められた。ただし、番号は原番のままである。
1990年に改造を実施したキハ47形5両には新潟鐵工所製のDMF13HZA(360PS/2000rpm)と神鋼造機製のDMF14HZ(360PS/2000rpm)を試用したが、キハ140形と1991年以降のキハ147形はコマツ製のSA6D125-HD1(360PS/2000rpm)が搭載された。
- キハ40-2039~2041・2061・2062・2067・2125・2127→キハ140(同番)
- キハ47-49・50・53・54・58・59・61・90・91・104~107・182~185・1030・1032・1033・1043~1045・1055・1057・1058・1068・1069・1081・1125→キハ147(同番)
変速機などについても出力増強に応じた変更が施されているが、台車は従来通り1軸駆動のままであり、急勾配区間では軸重に対して大出力が勝ち過ぎて、空転を起こしやすい傾向があるといわれる。また、当初はトルクコンバータとプロペラシャフトの接合部分が外れやすかったが、その後改良された模様である。
2004年には、特急「はやとの風」および観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」に使用するための車両が本グループから改造されている。詳細は後述する。
[編集] キハ40形7000番台・キハ47形5000・6000番台
機関の改造により1997年に出力増強を図った車を改番したものである。改造はキハ40形2両とキハ47形0番台4両、1000番台4両の計10両に施工され、番号は原番に5000を加えたものとされた。なお、キハ40 7056は1992年に改造を実施していたものの未改番であったが、この機会に改番が実施されたものである。
機関換装によらず、従来から搭載していた DMF15HSAを電子制御式燃料噴射装置による燃料直噴式への改造、過給器の交換などの改良によって出力を300PS/2000rpmへ向上した。それに伴い機関形式はDMF15HSA-Pに変更されている
- キハ40-2052・2056→7052・7056
- キハ47-51・57・77・126・1046・1050・1097・1098→5051・5057・5077・5126・6046・6050・6097・6098
[編集] キハ40形8000番台・キハ47形8000・9000番台
1999年から機関をコマツ製SA6D125H-1AまたはSA6D125HE-1(300PS/2000rpm)に交換したものである。2006年4月現在、改造はキハ40形10両とキハ47形0番台14両、500番台1両、1000番台10両、1500番台1両の計36両に施工され、番号はキハ40形に6000を、キハ47形に8000をそれぞれ原番に加えている。2005年に登場した、キハ47形に寒地向けの500番台、1500番台を種車とした8500番台・9500番台については、同年度中に後述の3500番台・4500番台に再改造され、消滅した。
2004年には「いさぶろう」・「しんぺい」用の、2006年には「はやとの風」用の増備車がそれぞれ追加で改造され、本グループに編入されている。(詳細は後述)
また最近では8000番台は機関交換と同時にトイレ用の水タンクを小型化して車内に設置し、不要となった屋根上のタンクを撤去し同時にトイレの窓も埋められている車両が登場した。
- キハ40-2038・2050・2051・2097・2099・2100~2104・2126・2128 → 8038・8050・8051・8097・8099・8100~8104・8126・8128
- キハ47-52・55・56・60・62・87・88・92・119・121・123・124・157・159・509・1031・1042・1048・1051・1072・1073・1075・1077・1084・1126・1509 → 8052・8055・8056・8060・8062・8087・8088・8092(はやとの風仕様)・8119・8121・8123・8124・8157・8159・8509・9031・9042・9048・9051・9072・9073・9075・9077・9082(いさぶろう・しんぺい仕様)・9084・9126・9509
[編集] キハ47形3500・4500番台
キハ47形の走行用機関をコマツ製のものに交換し、出力増強を図ったグループ(8000番台・9000番台)のうち、台車の2軸駆動化(従来は1軸駆動)を施工したものである。2005年に500番台・1500番台の改造により登場した8500番台・9500番台各1両の再改造により製作された。番号は原番マイナス5000であるが、原原番に対してはプラス3000である。
- キハ47-8509・9509 → 3509・4509
[編集] 特急「はやとの風」用改造車
2004年の九州新幹線開業に伴い新設された観光特急「はやとの風」に使用するため、キハ140 2066とキハ147 1045の2両が車体内外の改装を受けた。車体中央部に展望スペースを設けてその部分の窓を床面から屋根にまで達する大きなものに取り替えた他、座席を回転式リクライニングシートに交換、内装には難燃性の木材を使用したものとしている。塗装はロイヤルブラック1色とされ、各所にロゴをちりばめている。
2006年には追加でキハ47 8092が改造され、キハ147 1045を方向転換して2両編成を組むようになった。これにより、キハ140 2066は多客時の増結用となった。なお、キハ47 8092の内装は、従来から在籍する車両に比べ、明るい印象のものに変更されている。
本系列で唯一の特急用車両であるが、台車は従来の金属バネ台車のままで、最高速度も従来と変わらず95km/hである。
[編集] 「いさぶろう」・「しんぺい」用改造車
九州新幹線開業に伴い、特急「はやとの風」に接続して肥薩線で運転される観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」に使用するため、キハ140 2125にも同様の改造を実施している。こちらの外板塗色は九州新幹線の800系「つばめ」にも使用している古代漆色(深赤)で、座席は木製ベンチ風のボックスシートとしている。また、車体中央部に展望スペースが設けられて窓の拡大が行われているのは「はやとの風」用車両と同じであり、尾灯の脇に前照灯を増設しているのが外観の相違点として目立つ。その後10月には多客時の増結用としてキハ47 9082が追加で改造されているが、こちらは窓の拡大がなされていない。
[編集] 運行路線
[編集] JR北海道
JR北海道には電化区間が少ないため本系列が普通列車の主力となっており、本系列が全く見られない区間の方が少ない。定期運用を他系列(キハ54形など)に限定している線区もあるが,増結など運用変更時にはそれらに代わって運用されることもある。また同社にはワンマン運転に対応しつつ短編成の組める(すなわち閑散線区に適当な)電車が無い。これは限られた電化区間のためにそのような電車を新製投入するより気動車を共通運用した方が効率が良いためで、電化区間であっても閑散線区では運用が多く見られる。
現在定期運用があるのは以下の線区である。
- 江差線
- 函館本線
- 札沼線
- 室蘭本線
- 千歳線(千歳~南千歳)
- 全て石勝線との直通列車である。
- 石勝線(南千歳~新夕張~夕張)
- 日高本線
- 富良野線(旭川~美瑛)
- 宗谷本線(旭川~音威子府)
- 石北本線
- 釧網本線(網走~緑、川湯温泉~東釧路)
- 根室本線(滝川~釧路~東釧路)
- 釧路~東釧路は全て釧網本線との直通列車である。
[編集] JR東日本
[編集] JR東海
[編集] JR西日本
- 北陸本線(高岡~富山)
- 城端線
- 氷見線
- 山陰本線・山陽本線(豊岡~幡生~下関)
- 播但線(寺前~和田山)
- 姫新線(姫路~上月)
- 因美線(鳥取~那岐)
- 津山線
- 吉備線
- 境線
- 芸備線(三次~広島)
- 岩徳線
- 山口線
- 呉線(瀬戸内マリンビュー号)
- 若桜鉄道若桜線
[編集] JR四国
[編集] JR九州
- 鹿児島本線(鹿児島~鹿児島中央など)
- 筑豊本線(若松~直方間・桂川~原田)
- 香椎線
- 日田彦山線
- 後藤寺線
- 日豊本線(小倉~城野・高鍋~鹿児島)
- 久大本線
- 豊肥本線
- 三角線
- 肥薩線
- 吉都線
- 日南線
- 指宿枕崎線
[編集] 脚注
- ^ 冷却水を床下の熱交換器に通し、ここに外気および室内空気を循環させて暖め、機関の発熱だけで冷却水温度が上がらない場合には機関予熱器も点火されるもの。
- ^ そもそも非力なDMF15HSAでは直接駆動方式のバス用冷房装置は使用が困難という事情もあった。
- ^ 連続定格出力220PS/1600rpm、連続定格出力時燃料消費率185g/PS/h、最大出力250PS/2000rpm。
- ^ インタークーラー追加で連続定格出力300PS/1600rpm、最大出力355PS/2000rpmを発揮したが、同時開発でより大出力のDML30HS系(連続定格500PS/1600rpm、最大出力590PS/2000rpm。直列6気筒の DMF15HSAを倍の水平対向12気筒に組み替えたもので、シリンダの各部設計が共通の姉妹機種)がキハ181系やキハ65形、キハ66系などに走行用機関として正式採用されたため、こちらはインタークーラーを外して180PS/1500rpmにデチューンを行い、12系・14系客車、キハ181系に発電用のDMF15HS-Gとして搭載された。
- ^ 信頼性確保を目的として、12%の余裕を取って連続定格出力440PS/1600rpmに抑えられていた。
- ^ DML30HSHは高出力であるものの旧態依然とした副燃焼室式の大トルク中速機関であり、直噴式の高速機関が一般化した現代のエンジンと比べると燃費が悪く発熱も過大である。このため大容量ラジエータの搭載が必須となり、夏期にオーバーヒートが頻発したキハ181系中間車では屋根上の自然通風式冷却器に加え床下に強制送風式補助冷却器の追加を余儀なくされ、キハ66系では出力抑制に加えて屋根上にも強制通風式ラジエターを搭載することで冷却能力に余裕を持たせていた。
- ^ 0~5km/h程度まで。
- ^ DMH17C(定格出力180PS)搭載車。変速機としてDF115AないしTC2Aを搭載。
- ^ 国鉄では165系急行電車などに大量採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式である。
- ^ KE93形をKE53形2個に変換するアダプタ。
- ^ 断熱材補強など酷寒地対策を施した車両は約40tにも達する。
- ^ キハ42000形は自重がわずか26tと極めて軽量であること、エンジンの定格出力は150PSに過ぎないが、低速ギアで回転上昇の速いガソリンエンジンであること、変換効率の高い機械式変速機であるため、出力損失が少ないことなどの点で本系列よりも有利であった。
- ^ JR東海の環境報告書2006にエンジン換装前後の燃費について記載されているが、換装前の71%に改善されている。
- ^ JR西日本が大糸線のキハ52をキハ40に置き換える計画を立て、線内で走行試験を行ったが、出力不足と一機関搭載車ゆえの空転多発で計画は中止されたという事例がある。
- ^ 過給器・燃料噴射系交換で+80PSを実現。
- ^ ただし1008(元2087)は改造前の1989年時点ですでに冷房化されていたなど例外も存在する。
- ^ 床面をフラットにすることも可能である。
- ^ 変速機はN-DW14Bへ換装された。
- ^ 一部に機関換装時点でワンマン設備を装備していたものの再改番を含む。
- ^ 2両は6000番台改番時点で改造済み。
- ^ 同時に変速機も換装を実施。ただし、台車が元のままで1軸駆動であり、急勾配区間では軸重に対して大出力が勝ち過ぎて、空転を起こしやすい傾向があるといわれる。そのため、台車強度の関係から出力を本来の355PS から330PSまたは265PSに落としている。
- ^ この列車に関してもキハ150形による運転が多い。
[編集] 参考文献
- 旧北海道鉄道学園『キハ40系ディーゼル動車』(交友社)
- 藤田吾郎「全国統一タイプ最後の系列 キハ40系一族」 交友社『鉄道ファン』2004年12月号 No.524 p70~p101
- 綾部匠馬「JR九州のキハ40系に、トイレタンク撤去車登場」 交友社『鉄道ファン』2005年9月号 No.533 p178 POST欄
- 岩谷淳平「北陸のローカル事情 平成17年度総括」 交友社『鉄道ファン』2006年7月号 No.543 p156~161 REPORT欄