交響曲 (フランク)
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交響曲ニ短調(こうきょうきょくにたんちょう フランス語:Symphonie en ré mineur)は、フランスの作曲家セザール・フランクが作曲した交響曲である。フランスにおけるこのジャンルを代表する曲のひとつであり、19世紀後半における最も重要な交響曲のひとつとして高く評価されている。
フランクには、パリ音楽院在学中の1840年に作曲された交響曲ト長調作品13が存在するが、現在では行方不明らしく演奏される機会は皆無なことから、この曲が実質フランク唯一の交響曲といわれる。
目次 |
[編集] 概要
循環形式による堅固な構成感で知られ、フランスの代表的交響曲として、ベルリオーズの幻想交響曲などと共に高く評価されている。
フランクはフランスで活躍した作曲家でありながらも、ベルギー生まれであることなどから、ドイツ圏からの影響も大きい。この作品でもベートーヴェンやワーグナーなどからの影響を指摘することができ、フランス人によるドイツ風の交響曲と評されることが多い。
[編集] 作曲の経緯・初演
フランクの主要作品は晩年に集中しているが、この作品も最晩年の作品である。1886年、サン=サーンスの『オルガン付き』交響曲やダンディの『フランスの山人の歌による交響曲』の成功を受けて、フランクにも交響曲を作曲しようという意欲が湧き、作曲を開始。1888年8月22日に完成。
1889年2月17日、パリ音楽院にて初演。初演の評はあまり芳しくなく、「荒涼とした、陰湿な交響曲」、「ドグマの域にまで達した不能性の断言」(シャルル・グノー)などと評された。しかし、フランクはそれに気を落とすことはなく、自分の想像していた通りの音が響いたことに満足していたといわれる。なお、ドビュッシーはこの曲を絶賛した。
フランクの弟子、アンリ・デュパルク(当時、すでに作曲の筆を折って静養中であった)に献呈された。
[編集] 編成
フランクのオーケストレーションは、ドビュッシーやラヴェルから連想されるような「フランス音楽」の華やかさとは対照的であり、きわめて鈍く渋い音色が多用されていることを特徴として挙げることができる。また、オルガン風の響きも多い。このことから、オルガン用に編曲・演奏される機会もある。
[編集] 曲の構成
循環形式による交響曲であり、主要主題が全楽章に現れる。
通例4つの楽章からなる交響曲に対し、舞曲(スケルツォ)に相当する楽章を欠き、3つの楽章によって構成されている。しかしながら、第2楽章の中間部はスケルツォの性格を有するため、緩徐楽章とスケルツォをひとつの楽章にまとめたものと考えることもできる。
演奏時間は約40分。
[編集] 第1楽章 Lento; Allegro ma non troppo.
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番終楽章の"Muß es sein?"(そうでなければならないのか?)の動機 (D-C♯-F) が序奏に使用されている(同じ動機がフランツ・リストの前奏曲にも使用されていることで知られる)。この動機と、アレグロに入ってからの動機が全曲に渡って用いられることになる。
[編集] 第2楽章 Allegretto
イングリッシュホルンによる旋律が有名。再現部では緩徐部とスケルツォ部の主題が重ねて演奏される。
[編集] 第3楽章 Finale: Allegro non troppo
- ソナタ形式による終楽章。ニ長調
展開部では1・2楽章の動機が徹底的に組み合わされて変化していき、クライマックスを形成する。
[編集] 外部リンク
- フランク・交響曲ニ短調 - 関西フィルハーモニー管弦楽団