学制
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学制(がくせい)
学制(がくせい、明治5年太政官布告第214号)は、1872年(明治5年)に公布された、日本で最初に学校制度を定めた教育法令。教育令(明治12年太政官布告第40号)の公布により、1879年(明治12年)に廃止された。
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[編集] 概要
「学制」はフランスの学制にならって学区制をとっている。第三章で全国を8の大学区に分け8大学校を、1大学区を32中学区にわけ256中学校を、1中学区を210小学区にわけ53760小学校を置くことを定めた。翌年に改正され、大学区は7大学区に改められて実施された。
大学南校、開成所、広運館がそれぞれ中学となり、それぞれ第一大学区、第四大学区、第六大学区に属され、大学東校、大阪医学校、長崎医学校が各大学区の医学校となった。
[編集] 学区
[編集] 当初の学区割り
以下は学制頒布当初の学区のリストである(先頭が大学本部の置かれた府県)。
- 第一大区
- 第二大区
- 第三大区
- 第四大区
- 第五大区
- 第六大区
- 第七大区
- 第八大区
[編集] 改定後の学区割り
翌年大学区が改定され七大学区とし、中学区は239区、小学区は42451区に改められた。これに伴い石川県の大学本部は廃止され第三大学区と第四大学区が統合し、以下学区の番号が繰り上がり、青森県の大学本部が宮城県に移された。1年間で公立私立あわせて12558校の小学校が設立された。
改定後の学区は以下の通りである。
- 第一大区
- 第二大区
- 第三大区
- 第四大区
- 第五大区
- 第六大区
- 第七大区
[編集] 学校種
第20章からは小学校について定めており、尋常小学、女児小学、村落小学、貧人小学(仁恵学校)、小学私塾、幼稚小学、廃人学校について規定している。尋常小学校は下等4年、上等4年に分けられた。但し、幼稚小学は実現に至らなかった。
中学校は第29章から定められており、やはり上下2等(各3年)に分けられている。また中学に相当するものとして変則中学、家塾、中学私塾が定められている。
第33章からは夜間の職業学校として諸民学校を定めている。諸民学校には農業学校、通弁学校、商業学校、工業学校が定められた。
大学は「高尚の諸学を教る専門科の学校」で理学、文学、法学、医学を置くことが定められた。
だが国民の負担が重いなど実情にあわず、1879年(明治12年)の教育令によって廃止された。
以下は詳しい学制の仕組み(進路)である。
- 初等教育機関
- 中等教育機関
- 高等教育機関
- 最高学府
初等教育機関
- 小学校下等科 4年制(6~10歳)→中等教育1
- (女児小学、村落小学、貧人小学(仁恵学校)、小学私塾 4年制(7~11歳)→なし)
中等教育機関
- 小学校上等科 4年制(10~14歳)→中等教育2.3.4/高等教育6
- 中等学校下等科 3年制(14~17歳)→高等教育3.6/修了次第入学
- 外国語学校下等科 2年制(14~16歳)→高等教育2.7.9.11
- 外国語教師ニテ教授スル中学校予科 1年制(14~15歳)→高等教育4
- 諸民学校 年限不定(男子:15歳~、女子:18歳~)→なし
高等教育機関
- 師範学校 2年制(20~22歳)→なし
- 外国語学校上等科 2年制(16~18歳)→なし
- 中等学校上等科 3年制(17~20歳)→大学1
- 外国語教師ニテ教授スル中学校下等科 3年制(15~18歳)→高等教育6
- 外国語教師ニテ教授スル中学校上等科 3年制(18~21歳)→大学1
- 外国語教師ニテ教授スル医学校 5年制(14~19歳)→なし
- 諸芸/理/医学校予科 3年制(16~19歳)→高等教育8
- 諸芸/理/医学校本科 4年制(19~23歳)→なし
- 工業/法/鉱山学校予科 3年制(16~19歳)→高等教育10
- 工業/法/鉱山学校本科 3年制(19~22歳)→なし
- 獣医/商業/農業学校予科 3年制(16~19歳)→高等教育12
- 獣医/商業/農業学校本科 2年制(19~21歳)→なし
- 商業/農業/工業/通弁学校 年限不定((16歳)~)→なし
大学
- 大学校 年限不定(20、21歳~)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 学校系統図 - 文部科学省
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