山陽電気鉄道2300系電車
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山陽電気鉄道2300系電車 | |
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起動加速度 | 2.5km/h/s |
営業最高速度 | 100km/h |
設計最高速度 | 100km/h |
減速度 | 2.0km/h/s(常用最大)
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編成定員 | 56×3(座席)+84×3(立席)=420人 |
全長 | 19000mm |
全幅 | 2800mm |
全高 | 3630mm |
編成重量 | 37.0(2300形)×2+26.0(2600形)=100.0t |
軌間 | 1435mm(標準軌)mm |
電気方式 | 直流1500V |
編成出力 | 125kW×8=1000kW |
駆動装置 | WNドライブ(歯数比:1:5.47) |
制御装置 | 抵抗制御 |
ブレーキ方式 | 電磁直通ブレーキ |
保安装置 | ? |
備考 | 出力、重量は新造時の値 |
2300系電車(2300けいでんしゃ)は、山陽電気鉄道の鉄道車両。吊り掛け駆動で足回りの老朽化が目立っていた2700系を1976~77年にかけて機器更新し、新性能化した系列である。
目次 |
[編集] 製造の目的
1973年の第一次オイルショックの影響で乗客が減少し、1974年以降新車製造予算が確保出来なくなっていた事が直接の原因である。当時の山陽電鉄では、老朽化した上に地下線である神戸高速鉄道内での騒音が問題となっていた旧型車の置き換えを迫られており、安価で高性能な車両を手に入れるための苦肉の策と言える。
[編集] 形式・編成
- 2300形(偶数番号車)
- 2300形(奇数番号車)
- 2両目に連結された中間電動車。パンタグラフと制御器を搭載し、2300形偶数番号車とユニットを組んで使用された。
- 2600形
合計6両を2編成に分けて、
- 2300-2301-2600
- 2302-2303-2601
の順に編成されて運用された。
[編集] 改造内容
車体は2000系の最終増備車である普通鋼製2両(タイプVI:2507・2508)に準じた片側3扉の設計で、経年が浅かったこともあって改造は最小限に抑えられた。内容は2号車の常務員室及び灯具、乗務員扉の撤去による完全な中間車化(跡地への座席設置無し)と機器の変更に伴う先頭車前面の窓ガラスの縮小、それに側面への行先表字幕と車外スピーカーの追設が実施された程度で、2700系時代とさほど大きな変更はない。
一方で電装品は3000・3050系と共通仕様に一新され、主電動機は国鉄モハ63形そのままのMT40S(端子電圧750V時定格出力140kW)に代えて三菱電機MB-3020S(端子電圧675V時定格出力125kW)が搭載された。制御器も国鉄制式のCS10から1C8M制御の富士電機製KMC-201に変更され、パンタグラフは中間の2300形奇数番号車に2つがまとめて搭載された。
台車については当時量産中の3050系と同等の空気バネ台車の採用が冷房化と合わせて検討されたが、結局冷房に電力を供給する電動発電機や、空気バネに空気圧を供給する空気圧縮機の容量増、それに室外機搭載による車体の補強工事が必要であり、これらの実施には新車建造に匹敵する費用がかかる事から双方共に断念され、3000系2次車等と同じウィングバネ式金属バネ台車であるKW-1B(2300形)とKW-4(2600形)を川崎重工業で新造の上、それまでのDT13Sと交換されている。
車番の対応は以下の通り。
新車番 | 旧車番 | 改造年月日 |
2302 | 2714 | 1976/10/13 |
2303 | 2706 | 1976/10/13 |
2601 | 2707 | 1976/10/13 |
2300 | 2712 | 1977/2/12 |
2301 | 2704 | 1977/2/12 |
2600 | 2705 | 1977/2/12 |
[編集] 車歴
1976年から1年に1本のスローペースで改造されたが、1977年に3050系の製造が再開されて改造の必要が無くなり、未改造の3両編成2本を残して増備は終了した。これは、その内の1本が2000系タイプIIに準じた片側2扉車(2700-2701)と3扉車の混結編成であったという事も大きい。この2700系2本は1986年の5000系投入による旧型車消滅時までに淘汰されているのに対し、2300系は主要機器が3000系と共通で走行性能に差が無く、しかもメンテナンスにも手がかからなかった事から、他の3000系列と同様に新塗装化や冷房化を実施され、2000系全廃後も活躍を続けた。
しかし、5000系増備の過程でMB-3020S主電動機を捻出する必要(この時期、MB-3020Sは原型となった1953年の奈良電鉄デハボ1200形用MB-3020A以来40年以上の長きに渡って続けられた生産が遂に打ち切られており、社内で捻出するより他無かった)から、編成が3両のみで、普通以外の運用があり得ず、MB-3020Sでなければならない理由のないこの系列の主電動機は、1991年に5000系新造投入で代替廃車された2000系タイプIのMB-3037(端子電圧675V時定格出力110kW)と交換され、3200系相当の走行性能となった。
この後本線上での3連運用の減少、3000系の中間に組み込まれていた古い3550形の代替車捻出の必要性、それにやはり5000系増備に際してのMB-3020S確保の必要性(本系列から取り外されたMB-3037を3000系に搭載して3200系化(予備部品の見直しで1ユニット分捻出されたので実際には1編成のみ施工された)し、それによって発生したMB-3020Sその他を5000系に転用した)から本形式は編成解消+付随車化が行われる事が決まり、1997~98年にかけて全車が3000系3560形に改造されて形式消滅した。
この改造により、山陽電鉄から低運転台の先頭車は消滅し、2000系からの伝統の前面形状も先頭に出ることは完全に無くなった。ちなみに、6両では3550形代替の所用数に足りなかったため、この編入が行われた後も3550形は一部が残存した。
3560形への改造は予算の関係で最小限に抑えられ、パンタグラフなどの電装品は撤去されたものの、運転台や灯具はほぼそのまま残置されたため、2700系からの改造時以上に外観の変化は少なかった。また、外された機器は3200系に再利用されるなど、とことんコストを下げる事を意識した改造となった。座席モケットの変更(この時期、座席を緑色から花柄にする工事が進められていた)のも最後まで行われていない。但し、旧先頭車の前面はクリーム色一色となり、一部車両は末期に前照灯が鉄板で塞がれた。
これで800形から数えて3度の改造と4度の改番が行われたことになるが、3560形としての活躍は短く、2003年になり、折からの不況と乗客減による、乗り入れ先である神戸高速、阪急電鉄、阪神電鉄の各社から同意を得ての3連運用急増より、車体の古い3560形は3550形と共に編成を外された。4両は年内に車籍抹消。その後も2両が保留車として残されていたが、翌年に除籍手続きが行われ、形式消滅している。
現在は台車を3000系に供出(古くて部品点数の多いOK台車の淘汰に使用された)した状態で東二見車庫に放置されている。
車番の対応は以下の通り。
現車番 | 旧車番 | 改造年月日 | 備考 |
3560 | 2300 | 1998/5/8 | 2004/12/10廃車 |
3561 | 2302 | 1997/11/28 | 2003/2/28廃車 |
3562 | 2301 | 1998/3/26 | 2003/2/28廃車 |
3563 | 2303 | 1997/9/11 | 2004/12/10廃車 |
3564 | 2600 | 1998/6/4 | 2003/2/28廃車 |
3565 | 2601 | 1998/1/13 | 2003/2/28廃車 |