捕虜
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捕虜(ほりょ, Prisoner of war, POW)とは一般的に、戦争に関連して交戦相手国によって捕縛され管理下におかれた軍人又は軍属であることの証明書を持つ交戦者資格を有する者である。ハーグ陸戦条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約)では、俘虜(ふりょ)という語を用いている。
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[編集] 近代国際法確立前
近代国際法が確立する前まで、かつては捕虜は捕らえた国が自由に処分しうるものであった。
捕虜は、それを勢力下に入れた勢力によって随意に扱いを受けたが、李陵(前漢の将軍)など敵方から名誉ある扱いを受ける例もあった。その反面、虐殺されたり奴隷とされる例なども後を絶たなかった。 また中世ヨーロッパでは相手国や領主に対し捕虜と引き換えに身代金を要求する事もしばしばみられた。
[編集] 捕虜の保護
近代国際法が確立されるにつれ、捕虜は保護されるべきものであると考えられるようになった。そのため、1899年の陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(ハーグ陸戦条約)以降、各種条約によって明文を以て保護されるようようになった。
1949年8月12日のジュネーヴ諸条約(4つある)によって、戦時における軍隊の傷病者、捕虜、民間人、外国人の身分、取扱いなどが定められている。同条約によると、捕虜として保護されるには正規の軍人かそれに準じた地位にあることが条件となり、反政府ゲリラ組織やテロリスト等の国際法に違反した交戦者は国際法上は捕虜にはなりえない。スパイについてもほぼ同様である。しかし、近年の戦争では正規軍とゲリラやテロリスト等が交戦する非対称戦争が増加し、ジュネーブ条約では人権を保障できない事例が発生している。将来的にはテロリスト等の交戦者としての資格を持たない者でも捕虜同等の保護が与えられる方向で、慣習法化していくだろう。
交戦者資格を持たない文民は第4条約で保護されているが、戦闘行為を行い捕縛・拘束された場合は、捕虜ではなく通常の刑法犯として扱われるのが原則である。
捕虜は「捕虜収容所」(俘虜収容所)において拘束される。
ジュネーヴ条約は次の4つの条約から構成されている。
- 第1条約
- 「戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」。
- 第2条約
- 「海上にある軍隊の傷者、病者及び難船者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」。
- 第3条約
- 「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」。
- 第4条約
- 「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」。
[編集] 捕虜の虐待
近代の国際法では、捕虜に対して危害を加えることは戦争犯罪とされるに至ったが、捕虜を虐殺する事件も決して少なくなかった。
第2次世界大戦中の枢軸国側の捕虜虐待は、戦後に連合国によって戦争犯罪として裁かれ、なかには充分な審理を受けられないまま処刑された例も少なくない。それに対して、連合国側の行った捕虜虐待の大半は全く責任を問われないまま終わってしまった(ベルリンの戦い#ドイツ人への報復など)。更には、連合国側によって行われた大量虐殺を枢軸国側の捕虜殺害に転嫁した例すら存在した(カティンの森事件)。
第2次世界大戦では、西部戦線におけるマルメディ虐殺事件などが知られている。
[編集] 捕虜に関する条約
- 陸戦ノ法規慣例ニ關スル条約(ハーグ陸戦条約):1899年締結、1907年改定。日本は、1911年11月6日批准、1912年1月13日に公布。
- 俘虜の待遇に関する条約:1929年7月27日締結。
- 捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第3条約)
[編集] 日本
[編集] 敵に投降すること
近代的軍隊においては、捕虜になること自体は違法な行為ではないものとされる。もっとも、自ら進んで敵軍に向け逃げ去り捕虜になることは「奔敵」とされ厳罰を受けることが通常である。
例えば、日本陸軍で適用された陸軍刑法(明治41年4月10日法律第46号)では、
- 第40条 司令官其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ敵二降リ又ハ要塞ヲ敵二委シタルトキハ死刑二処ス
- 第41条 司令官野戦ノ時二在リテ隊兵ヲ率イ敵二降リタルトキハ其ノ尽スヘキ所ヲ尽シタル場合ト雖六月以下ノ禁錮二処ス
- 第77条 敵二奔リタル者ハ死刑又ハ無期ノ懲役又ハ禁錮二処ス
と定めて、濫りに投降することを制限していた。
なお、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」のみが戦後流布しているが、その影響力については疑問も呈されている(詳しくは戦陣訓参照)。
[編集] 日露戦争
日本は、日露戦争、第一次世界大戦などで、戦時国際法を遵守して捕虜を厚遇したことが知られている。
[編集] 第一次世界大戦
- 詳細は板東俘虜収容所を参照 (同収容所のみならず同大戦中のドイツ兵捕虜の取扱いについて詳述されている。)
[編集] 第二次世界大戦
太平洋戦争中の日本軍による捕虜虐待事件として、戦後に連合国の軍事法廷によって裁かれたバターン死の行進事件については、行為当時の日本軍と米軍との間で大きな認識の相違があった。日本軍側としては、同事件は捕虜虐待を意図したものではなく、捕虜を護送していた日本兵自身も米軍捕虜よりも更に重装備を負いながら徒歩で同行しており、日本軍として捕虜の保護になしうる限りの最善を尽くしていてやむを得なかったと考えていた。
太平洋戦争では、日本軍自身の兵站が十分ではなかったことや、劣勢のため捕虜の保護が十分ではなかった点があり、戦後にポツダム宣言により、捕虜を不当に取り扱ったとされた軍人等が連合国の軍事法廷で裁かれ、処刑される者が多かった。代表的な人物として、比島俘虜収容所長(1944年3月-)となった洪思翊中将などがいる。その他、憲兵にも戦犯とされた者が多かった。
1945年(昭和20年)9月2日に調印された降伏文書では「下名ハ茲ニ日本帝国政府及日本帝国大本営ニ対シ現ニ日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ連合国俘虜及被抑留者ヲ直ニ解放スルコト並ニ其ノ保護、手当、給養及指示セラレタル場所ヘノ即時輸送ノ為ノ措置ヲ執ルコトヲ命ズ」とあり、俘虜の取扱いは日本と連合国との間で重要な事項とされた。そのため、1945年(昭和20年)12月1日に発足した第一復員省にも大臣官房俘虜調査部(初代部長は坪島文雄中将)が置かれた。
[編集] 第二次世界大戦後
日本国憲法第9条は自衛戦争を放棄していないという政府見解があるにも関わらず、具体的に自衛戦争が勃発した際に発生する捕虜の取扱について法令の定めが長くなかった。
ところが、かかる変則的な状態を解消すべく2004年(平成16年)に行われた一連の有事関連法制定に際して、「武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律」(平成16年6月18日法律第117号)が制定された。同法はその第1条で「この法律は、武力攻撃事態における捕虜等の拘束、抑留その他の取扱いに関し必要な事項を定めることにより、武力攻撃を排除するために必要な自衛隊の行動が円滑かつ効果的に実施されるようにするとともに、武力攻撃事態において捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(以下「第三条約」という。)その他の捕虜等の取扱いに係る国際人道法の的確な実施を確保することを目的とする。」と謳っている。そのため、内容も第3条約の文言を現代語化したものが中心である。
武力攻撃事態法及び自衛隊法第29条の2により、有事には、捕虜収容所が置くことができるようになった。所長は幹部自衛官が任じられる。
[編集] 映画
- 『大いなる幻影』、ジャン・ルノワール監督、フランス映画、1937年
- 『第17捕虜収容所』、ビリー・ワイルダー監督、アメリカ映画、1953年、原題:Stalag 17
- 『戦場にかける橋』、サム・スピーゲル監督、イギリス映画、1957年、第二次世界大戦中の日本軍の俘虜収容所が舞台
- 『大脱走』、ジョン・スタージェス監督、アメリカ映画、1963年、原題:Great escape
- 『脱走山脈』、マイケル・ウイナー監督、1968年、英兵の捕虜が象に乗ってアルプスを越えて脱走
- 『マッケンジー脱出作戦』、ラモント・ジョンソン監督、1970年、スコットランドのドイツ軍捕虜収容所からの脱走
- 『空中大脱出』、フリップ・リーコック監督、1972年
- 『勝利への脱出』、ジョン・ヒューストン監督、アメリカ映画、1980年、ドイツと連合軍捕虜のサッカー試合。ペレが出演、サッカーシーンの構成も担当
- 『戦場のメリークリスマス』、大島渚監督、日本映画、1983年
- 『バルトの楽園』、日本映画、2006年、第一次世界大戦中の徳島県にあったドイツ軍捕虜の板東俘虜収容所が舞台
[編集] 文献
- 日本人の捕虜
- 秦郁彦(著)、白村江からシベリア抑留まで取り扱った日本人捕虜の参考文献の決定版、『日本人捕虜』上下(原書房)
- 吹浦忠正『捕虜の文明史』(新潮選書)
- 会田雄次(著)、英軍のビルマの捕虜収容所における体験、『アーロン収容所;西欧ヒューマニズムの限界』、中央公論社、1962年、ISBN 4-122000467
- 大岡昇平(著)、『俘虜記』、新潮社、1967年、ISBN 4-10-106501-2
- 吉村昭(著)、連合艦隊参謀長福留繁中将が捕虜になったノンフィクション、『海軍乙事件』、文藝春秋、1976年
- 大庭定男(著)、、暗号解読や日本人捕虜尋問のためのイギリス軍の日本語教育、『戦中ロンドン日本語学校』、中央公論社1988年、ISBN 4-12-100868-5
- 山本武利(著)、米軍や英軍の捕虜になった日本兵の尋問、『日本兵捕虜は何をしゃべったか』、文藝春秋、2001年、ISBN 4-16-660214-4
- ソ連人の捕虜
- ユルゲン・トールヴァルト(著)、松谷健二(訳)、祖国をスターリンから解放しようとしたソ連軍捕虜の物語、『幻影;ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語』、フジ出版社、1978年
- ドイツ人の捕虜
- ジェームズ・バクー(著)、『消えた百万人;ドイツ人捕虜収容所。死のキャンプへの道』、光文社、1993年
- 棟田博(著)、『日本人とドイツ人:人間マツエと板東俘虜誌』、光人社、第一次世界大戦で中国・山東省のドイツ租借地の青島攻略戦におけるドイツ軍捕虜が徳島県の収容所に収容される物語、1997年、改題復刻版、ISBN 4-7698-2173-5
- パウル・カレル他(著)、松谷健二(訳)、『捕虜;誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』、フジ出版社版の復刻、学習研究社、2001年
- 連合軍兵士の捕虜
- ジェームス・クラヴェル(著)、日本軍の管理するシンガポールのチャンギー連合軍捕虜収容所を題材にして小説、『キング・ラット;チャンギー捕虜収容所』、山手書房、1985年