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松橋章太 |
名前 |
愛称 |
ショウタ |
カタカナ |
マツハシ ショウタ |
ラテン文字表記 |
MATSUHASHI Shota |
基本情報 |
国籍 |
日本 |
誕生日 |
1982年8月3日 |
出身地 |
長崎県諫早市 |
身長 |
171cm |
体重 |
65kg |
血液型 |
B型 |
選手情報 |
在籍チーム |
大分トリニータ |
ポジション |
FW、MF |
背番号 |
8 |
利き足 |
右足 |
|
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
松橋 章太(まつはし しょうた、1982年8月3日-)は、長崎県諌早市出身のプロサッカー選手である。現在大分トリニータに所属。
[編集] プレイスタイル
100m10秒台とも言われる驚異的なスピードが最大の持ち味。ゴール前で慌ててしまう所が難点だったが、シャムスカ監督に先発メンバーとして起用されると自信と落ち着きを取り戻し、ゴールを量産した。
[編集] 経歴
- 小学校4年の時からサッカーを始めたが、中学の時は陸上部を掛け持ちしていた。その俊足は陸上専業の生徒顔負けで、全国中学校体育大会の200m競技で3位に入るほどであったという。
- 中学卒業後サッカーの名門校・国見高校に入学。1年時はシュートが苦手で、「はずし屋」とあだ名されていたこともあった。しかし、その後テクニックを磨いていき、3年時には大久保嘉人とのホットラインで、全国高等学校サッカー選手権大会をはじめ数々のタイトルを獲得する。
- 高校選手権での活躍が買われ、大分トリニータに入団。しかしプロの当たりの激しさに戸惑い、数年は出場機会がほとんど無く持ち前の俊足を生かせずにいた。大久保がフル代表、アテネ五輪代表からスペイン進出まで果たしたのとは対照的な歩みであった。
- 2005年に大分市在住の女性と結婚、翌年長女をもうけた。このことが翌年の好調によい影響を与えたとする声もある(ちなみに同じく結婚し子供をもうけた大久保とは今でも親友で、子育てのことについて話をすることもあるという)。
- プロ入り6年目の2006年シーズンにようやくその素質が開花。29節の鹿島アントラーズ戦で10ゴール目を挙げ、高松大樹と共にクラブ史上初の日本人FWツートップの2桁ゴールを記録するなど、チームの攻撃の中心として貢献している。その活躍ぶりが日本代表監督イビチャ・オシムの目に留まり、代表の中東遠征の予備登録メンバーにリストアップされるまでになった。その後、2007年3月21日に代表初選出を果たした。
- 2006年12月9日、天皇杯の試合が諫早市の長崎県立総合運動公園陸上競技場で開催され、松橋や同じく大分に所属する梅崎司にとっては凱旋試合となった。試合はPK戦までもつれ、5人目の松橋が外して試合が決着した。松橋は涙が止まらず、地元凱旋試合としては苦い経験となった。
- 2歳下の弟、優(まさる)も大分へ入団、2007年4月4日のナビスコカップ(VSFC東京戦)で章太は先発出場、優が84分に途中交代で出場し、短い時間ではあったがJリーグ初の「兄弟2トップ」が実現した。
[編集] 個人成績
年度 |
チーム |
リーグ |
背番号 |
リーグ戦 |
カップ戦 |
天皇杯 |
J・J1 |
J2 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
2001年 |
大分 |
J2 |
20 |
- |
25 |
0 |
3 |
0 |
3 |
1 |
2002年 |
大分 |
J2 |
20 |
- |
9 |
0 |
- |
3 |
1 |
2003年 |
大分 |
J1 |
20 |
3 |
0 |
- |
2 |
0 |
1 |
0 |
2004年 |
大分 |
J1 |
20 |
16 |
1 |
- |
4 |
0 |
1 |
0 |
2005年 |
大分 |
J1 |
20 |
10 |
0 |
- |
3 |
0 |
0 |
0 |
2006年 |
大分 |
J1 |
8 |
31 |
10 |
- |
3 |
1 |
2 |
0 |
2007年 |
大分 |
J1 |
8 |
|
|
- |
|
|
|
|
通算 |
60 |
11 |
34 |
0 |
15 |
1 |
10 |
2 |