水戸ホーリーホック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水戸ホーリーホック | |
原語表記 | 水戸ホーリーホック |
---|---|
愛称 | ホーリーホック FC水戸 |
クラブカラー | 青 |
創設年 | 1990年 |
所属リーグ | Jリーグ |
所属ディビジョン | ディビジョン2 |
ホームタウン | 水戸市 |
ホームスタジアム | 笠松運動公園陸上競技場 |
収容人数 | 22,022 |
代表者 | 小林寛 |
監督 | 前田秀樹 |
水戸ホーリーホック(みとホーリーホック、英文表記:Mito HollyHock)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
[編集] クラブの概要・歴史
1990年に精肉業・プリマハム土浦工場の実業団チーム「プリマアセノFC」として発足。後に「プリマハムFC土浦」と改められる。1996年度の地域リーグ決勝大会で準優勝し1997年シーズンから旧JFLに参加。しかしプリマハムがサッカー部の支援を打ち切ったため、水戸市で1994年結成された「フットボールクラブ(FC)水戸」と合併し本拠地を移転、現在のチーム名となる。(なおチームの系譜としてはプリマハムサッカー部の結成された1990年を結成した年とみなしている)
水戸ホーリーホックとしての公式戦初戦は1997年4月20日旧JFL開幕戦のコンサドーレ札幌戦(於笠松運動公園陸上競技場)である。 結果は0-2での敗戦であった。 その後、1999年からスタートするJ2リーグへの加盟を申請するも経営基盤の不安定さという理由から加盟は見送られ,新JFLへと移行。 同年に新JFLで3位(1位が準会員の横浜FCだったため、JFL正会員では2位)となり、翌2000年にJリーグ(J2)加盟。
ホームタウンは茨城県水戸市となっており、実際同市立競技場も試合に使用されるものの、現状はJリーグ規格のスタジアムではないので、ホームスタジアムは水戸市近郊のひたちなか市、那珂市と東海村にまたがる笠松運動公園陸上競技場をメインにしている。またひたちなか市総合運動公園陸上競技場も準ホームスタジアムとなっているほか、上記4市村の他笠間市、大洗町、茨城町、城里町を含めた8市町村で「ホームタウン推進協議会」を設立している。
練習はチーム専用グラウンドであるホーリーピッチの他、水戸市のツインフィールド(市立球技場)や笠松運動公園の球技場など水戸市近郊のグランドを利用している。
チーム名の「ホーリーホック(Hollyhock)」は英語で「葵(タチアオイ)」を意味し、水戸藩(徳川御三家のひとつ)の家紋の葵(ただしこれはフタバアオイのことで葵科ではない)から取られた。
観客動員は少なく、2000年と2004年を除いて観客動員数はJ2最下位、2000年と2004年も下から2番目と(ちなみに2000年の最下位はヴァンフォーレ甲府で、2004年の最下位はサガン鳥栖である)、毎年最下位かブービーのどちらかである。これは、使用する笠松運動公園陸上競技場の自家用車以外でのアクセスがあまり良くないこともさることながら、同じ茨城県にJ1の人気クラブで常に優勝争いを繰り広げる鹿島アントラーズがあるためだと思われる。
2003年当時は日本代表のセンターバックで現浦和レッズのDF闘莉王を前年、J2へ降格したサンフレッチェ広島からレンタル移籍で獲得し、最高位のJ2-7位にまで躍進させる原動力となった。 同年10月、日本への帰化をきっかけに、登録名をトゥーリオから現在の 田中マルクス闘莉王に変更。(トゥーリオを漢字に置き換えた)
[編集] 水戸ホーリーホックが起こしたドラマ
- 2004年、2005年シーズンはJ2上位クラブを3クラブ共昇格決定にお見送りするなどの珍事を作ってしまった。
- 2006年、ベガルタ仙台の前半無失点記録や、横浜FCの連続無敗記録を打ち破る。
他にもJ1経験クラブがなかなか水戸から得点を奪えなかったりしたことから(通称水戸ナチオ)、他チームのサポーターからは現在、J2で最も恐れられてるクラブと言われている。
- 2004年から毎年夏場に関東地区にて行われるアウェイゲーム1箇所で納涼漢祭りが開催され、他チームのサポーターからも好評を得ている。
- モンテディオ山形とはサポーター同士の親密な交流があり、対戦相手が山形のときは試合前に両チームの間でコール合戦が行われる。
[編集] チーム成績・歴代監督
年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 順位 | 監督 | 総監督 | 総チーム数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | 旧JFL | 30 | 10 | 4 | 26 | ― | 16位 | 中野雄二 | ― | |
1998年 | 30 | 23 | 8 | 22 | ― | 14位 | 三浦俊也 | ― | ||
1999年 | JFL | 24 | 45 | 16 | 8 | 0 | 3位 | 二宮浩 | ― | |
2000年 | J2 | 40 | 43 | 15 | 21 | 4 | 9位 | バビチ・ブランコ | ― | 11 |
2001年 | 44 | 25 | 8 | 32 | 4 | 11位 | 小林寛/菅野将晃 | ― | 12 | |
2002年 | 44 | 40 | 11 | 26 | 7 | 10位 | 菅野将晃 | ― | ||
2003年 | 44 | 56 | 15 | 18 | 11 | 7位 | 前田秀樹 | ― | ||
2004年 | 44 | 37 | 6 | 19 | 19 | 9位 | ― | |||
2005年 | 44 | 52 | 13 | 18 | 13 | 10位 | ― | |||
2006年 | 48 | 51 | 14 | 25 | 9 | 10位 | ― | 13 |
[編集] 獲得タイトル
- 2006年末時点で獲得タイトルなし
[編集] ユニフォーム
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
[編集] チームカラー
- チームカラーは青色
[編集] ユニホームスポンサー
- 胸 ケーズデンキ
- 背番号 imx(インタラクティブメディアミックス)
[編集] 過去のユニホームスポンサー
- ネッツトヨタ茨城(1999~2000:胸)
- トモヱ乳業(2000~2004:袖)
- ケーズデンキは1999~2000年ごろに背番号スポンサーを務めた(2001~:胸)
- シーエムシー茨城(2005途中~2006:袖)
- 思学舎モア(2005途中~2006:パンツ)
[編集] ユニホームサプライの遍歴
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
水戸ホーリーホック - 2007 |
---|
1 本間幸司 | 2 篠福太郎 | 3 平松大志 | 4 鈴木和裕 | 5 初田真也 | 6 小椋祥平 | 7 村松潤 | 8 エジナウド | 9 鈴木孝明 | 10 金東燦 | 11 塩沢勝吾 | 12 サポーター | 13 椎原拓也 | 14 吉本岳史 | 15 大橋直矢 | 16 木村純哉 | 17 金澤大将 | 18 金基洙 | 19 西野晃平 | 20 倉本崇史 | 21 武田博行 | 22 森賢一 | 23 遠藤敬佑 | 24 島貫純 | 25 鈴木良和 | 27 岩舘侑哉 | 29 眞行寺和彦 | 30 中村英之 | 31 原田欽庸 | 32 大和田真史 | 監督 前田秀樹 | クラブ | |
Jリーグ 2007 | |
---|---|
J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
|
J2 | |
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガF.C. | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖 |
|
過去に存在したクラブ | |
横浜フリューゲルス | |
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ |